和田純

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

和田 純(わだ じゅん、1876年明治9年)5月2日[1] - 没年不詳)は、日本判事内務官僚、朝鮮総督府官僚。弁護士

経歴[編集]

東京府東京市津田仙の子として生まれ、和田謙吉の養子となった[1][2]1902年(明治35年)、早稲田大学邦語行政科を卒業[1]。司法官試補、平壌控訴院判事、海州地方法院部長を務めた[1]。その後、高知県警察部長和歌山県警察部長愛媛県内務部長、新潟県内務部長、慶尚南道知事を歴任した[1]

1928年(昭和3年)に退官した後は弁護士を開業し、海軍協会常務理事を務めた[1][2]

親族[編集]

  • 津田仙 - 義父
  • 津田梅子 - 実姉、三男 津田眞の養母[1]
  • 和田ハナ - 妻、澁谷辨治郞長女
  • 和田修 - 長男
  • 和田幸 - 養女、增島善太郞四女

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。