吉成恒次郎

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吉成恒次郎
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文政7年(1824年
死没 明治10年(1877年5月14日
改名 一徳、成吉
別名 鈴木鉄之助(変名)
官位 正五位
主君 徳川斉昭
常陸水戸藩
氏族 吉成氏
父母 吉成信貞軽部政行
兄弟 勇太郎恒次郎
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吉成 恒次郎(よしなり つねじろう)は、幕末志士。先祖は佐竹家臣の糸井氏一徳明治維新後は吉成成吉を名乗った。変名は鈴木鉄之助位階正五位

略歴[編集]

尊皇攘夷の藩風に触れて成長し尊皇志士となる。剛勇にして鉄砲技術に通じていた。弘化元年(1844年)、幕府が徳川斉昭に致仕を命ずると、恒次郎は宥免に奔走し処罰を受ける。桜田門外の変では予備要員として備え、井伊直弼暗殺に成功すると薩摩藩邸に逃れた。やがて、身柄は水戸藩に引き渡され一時慎みを命ぜられた。明治元年(1868年)復職し、やがて軍務寮に出仕した。

父は水戸藩吉成又右衛門信貞、兄は吉成勇太郎信順、母は軽部六郎左衛門政行の女。甥に山口正定、義弟に原熊之介がいる。

大正7年(1918年)、正五位を追贈された[1]

脚注[編集]

  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.45

参考文献[編集]

関連項目[編集]