仲村俊子
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なかむら としこ 仲村 俊子 | |
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生誕 |
1922年(101 - 102歳) 日本 沖縄県うるま市勝連 |
死没 |
2022年11月18日没 沖縄県那覇市 |
国籍 | 日本 |
職業 | 元小学校教員 |
仲村 俊子(なかむら としこ、1922年 - 2022年11月18日)は、日本の社会運動家。
来歴[編集]
大正11年(1922年)、沖縄県うるま市勝連生まれ。昭和13年(1938年)、私立家政高等女学校を修了。昭和27年(1952年)に教師となり、沖縄教職員会で祖国復帰運動に取り組むが、運動の左傾化を感じ、昭和44年(1969年)に同会を脱退。昭和46年、「沖縄返還協定批准貫徹県民集会」開催に携わり、陳情団の一員として上京、早期批准を要望した。昭和55年(1980年)、前島小学校を最後に退職。昭和58年(1983年)、防衛協会の初代婦人部長を務めた[1]。晩年も集会、講演会[2]やメディア[3][4]等に登場している。令和4年11月18日永眠。
著作[編集]
共著[編集]
- 仲村覚、仲村俊子、石井望、江崎孝『そうだったのか「沖縄!」』示現舎、2015年5月。ISBN 978-4990578794。
- 椛島有三、仲村俊子『祖国復帰は沖縄の誇り』明成社、2012年2月。ISBN 978-4905410058。
脚注[編集]
- ^ 『祖国復帰は沖縄の誇り』 著者紹介
- ^ 平成23年5月15日 沖縄県祖国復帰39周年記念大会 仲村 俊子「いま明かされる祖国復帰の真実」
- ^ “沖縄“もう一つの民意” 政治的主張の“利用”にうんざり 兼次映利加氏”. 夕刊フジ. (2015年6月30日) 2018年3月12日閲覧。
- ^ “沖縄祖国復帰運動の歴史的真実 仲村俊子に聞く”. 日本沖縄政策研究フォーラム. (2017年3月27日) 2018年3月12日閲覧。