仁科盛康

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仁科盛康
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
戒名 道外
官位 正五位下修理亮
主君 小笠原長時武田信玄
氏族 仁科氏
父母 父:仁科盛能
兄弟 仁科盛道仁科盛孝
仁科盛政
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仁科 盛康(にしな もりやす、生没年不詳)は、戦国時代武将。官位は従五位下修理亮。父は仁科盛能、兄に盛道盛孝。子に盛政がいる。信濃国安曇郡森城主。

仁科氏は信濃安曇郡の国人で、戦国時代には信濃守護小笠原氏に服属していた。天文年間、武田晴信の信濃侵攻に小笠原長時と共に対抗するも敵わず、天文19年(1550年)に武田氏に仕えるようになった。天文21年(1552年)の小岩嶽城攻めに参加した。

盛康は弘治2年(1556年)頃には仁科家当主を勤めていたと思われる。子の盛政の代で仁科氏嫡流は断絶することとなる。

出典[編集]

  • 『大町市史』