乾州

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乾州(けんしゅう)は、中国にかつて存在した唐代から民国初年にかけて、現在の陝西省咸陽市南西部に設置された。

概要[編集]

894年乾寧元年)、唐により雍州奉天県に乾州が置かれ、関内道に属した。

1072年熙寧5年)、北宋により乾州は廃止された。1117年政和7年)、京兆府奉天県に醴州が置かれた。醴州は永興軍路に属し、奉天・醴泉武功永寿好畤の5県を管轄した[1]

1151年天徳3年)、により醴州は乾州と改称された。乾州は京兆府路に属し、奉天・醴泉・武亭・好畤の4県と薛禄・甘北・長寧の3鎮を管轄した[2]

のとき、乾州は奉元路に属し、醴泉・武功・永寿の3県を管轄した[3]

のとき、乾州は西安府に属し、武功・永寿の2県を管轄した[4]

1725年雍正3年)、により乾州は直隷州に昇格した。乾州直隷州は陝西省に属し、武功・永寿の2県を管轄した[5]

1912年中華民国により乾州直隷州は廃止され、乾県と改められた。

脚注[編集]

  1. ^ 宋史』地理志三
  2. ^ 金史』地理志下
  3. ^ 元史』地理志三
  4. ^ 明史』地理志三
  5. ^ 清史稿』地理志十