久野宗朝

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久野宗朝
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文23年(1554年
死没 慶長元年12月5日1597年1月22日
別名 宗秀
官位 従五位下民部少輔
主君 徳川家康
氏族 久野氏
父母 久野宗能
兄弟 千菊、宗朝、千松、五左衛門
吉良上野介の娘
久野宗邦久野宗成久野宗次、極之助
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久野 宗朝(くの むねとも)は、戦国時代から安土桃山時代武将徳川家康の家臣である。

経歴[編集]

天正10年(1582年)の徳川家康伊賀越えに随行している[1]

父・久野宗能が老齢となったため跡を継ぎ、従五位下民部少輔に叙せられた[2]

慶長元年12月5日1597年1月22日)、徳川秀忠に供して京に滞在していた際、私怨により三宅正次を殺害して自刃し、改易処分となった[3][2]

脚注[編集]

  1. ^ 高柳光寿『戦国戦記 本能寺の変・山崎の戦』 春秋社 1958年
  2. ^ a b 寛政重修諸家譜』第8輯(国民図書、1923年)第千四百三十、p.522
  3. ^ 太田亮国立国会図書館デジタルコレクション 久野 クノ」『姓氏家系大辞典』 第2、上田萬年三上参次監修、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、2105-2106頁。全国書誌番号:47004572https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130938/145 国立国会図書館デジタルコレクション  閲覧は自由

参考文献[編集]