久我篤立

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久我 篤立(くが とくりゅう、1861年9月5日文久元年8月1日) - 1943年昭和18年)3月19日)は、日本の僧侶曹洞宗總持寺独住第14世貫首。大僧正龍拈寺管長。

来歴[編集]

三河国愛知県)生まれ。8歳で出家、のち良洞巨介の法をつぐ。1885年曹洞宗大学林(現駒澤大学)卒業。同年、法尺寺住職1887年豊橋竜拈寺管長。のち曹洞宗師家竜拈寺認可僧堂専門、僧堂開単、愛知県第二曹洞宗宗務所長を務めた。また私立豊橋幼稚園長、愛知県社会教育委員、豊橋連合市会副議長、豊橋市仏教連合会顧問などを兼務。軍人布教師や自治団体、社会事業の公職を務め、豊橋育児院をつくるなど社会事業にも尽力した。1943年總持寺独住第15世貫首に就任[1]。同年3月19日遷化、82歳[2]

出典[編集]

  1. ^ kotobank. “久我篤立(20世紀日本人名事典)”. 2020年3月14日閲覧。
  2. ^ kotobank. “久我篤立(日本人名大辞典)”. 2020年3月14日閲覧。

外部リンク[編集]

先代
福山界珠
總持寺貫首
14世:1943年
次代
佐川玄彝