中野ツヤ

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中野 ツヤ(なかの つや、大正2年(1913年6月7日 - 平成23年(2011年9月16日)は、日本教育者。元学校法人鷗友学園特別顧問[1]石川志づ初代理事長のあとをつぎ、学校法人鷗友学園の第二代理事長を22年間つとめた[1]

父は東京府会議長をつとめた中野勇治郎。兄は大阪高裁長官をつとめた中野次雄。経済人類学者の栗本慎一郎は妹トシ子の長男。

経歴[編集]

1913年東京生まれ[1]。東京府立第一高等女学校(現都立白鷗中学高等学校)、津田英学塾(現津田塾大学)を卒業[1]1945年東京都教育局[1]。都庁初の女性管理職として活躍し、1959年に民生局婦人部長[1]

1971年より鷗友学園理事、1981年2003年理事長[1]。 財団法人都民劇場理事、内閣売春対策審議会委員、墨田区教育委員、墨田女性センター館長、その他多くの社会福祉法人の理事等をつとめた[1]2011年9月16日、亡くなった[1]。98歳だった[1]

人物像[編集]

趣味演劇、日本舞踏[2]東京都墨田区在籍[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 「前理事長中野ツヤ先生ご逝去 鴎友徒然草 鴎友学園女子中学高等学校」
  2. ^ a b 第二十一版 人事興信録 』(昭和36年)な五九