中村英一 (ホッケー選手)

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中村 英一 (なかむら えいいち、1909年 - 1945年5月26日[1])は、日本フィールドホッケー選手。

経歴[編集]

東京都出身[1]慶應義塾大学出身[2]

1932年ロサンゼルスオリンピックで日本代表チームの一人に選ばれる。日本代表チームには慶應大学出身者が3人含まれていた(主将の浅川増幸(OB)、浜田駿吉、中村英一)[3]ホッケーには3か国(英領インド・日本・米国)が出場し、日本は前回優勝国インドに大敗を喫したものの開催国アメリカに勝利を収め、銀メダルを手にした[3]

陸軍准尉として軍籍にあった[1]1945年5月、東京大空襲のため死去[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 曾根 2020, 9-10頁.
  2. ^ a b 卜部匡司, 曾根幹子「日本人戦没オリンピアン名をめぐる混乱とその真相 : ベルリンに届けられた大島鎌吉の作成名簿更新の試み」『広島国際研究』第22巻、広島市立大学国際学部、2016年11月、117-130頁、CRID 1050015111530412928ISSN 1341-3546 
  3. ^ a b 第6回 慶應義塾のオリンピアンたち/ホッケー部”. 三田評論 (2021年1月19日). 2021年8月15日閲覧。

関連文献[編集]

外部リンク[編集]