三条実永

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三条実永
時代 鎌倉時代
生誕 不詳
死没 応長2年2月28日1312年4月13日
官位 従二位参議
主君 後深草天皇亀山天皇後宇多天皇伏見天皇後伏見天皇後二条天皇花園天皇
氏族 藤原北家閑院流三条家
父母 父:三条公泰、母:橘知茂の娘
兄弟 実盛実永公雅、実海、公聖、実尊、実顕、忠海、行讃、権大納言局[1]
公雅(養子)[2]
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三条 実永(さんじょう さねなが)は、鎌倉時代の公卿。参議従二位。父は権中納言三条公泰、母は橘知茂の女。異母兄である三条実盛浅原事件に関与が疑われた。

経歴[編集]

以下、『公卿補任』および『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

系譜[編集]

  • 父:三条公泰(1231-?)
  • 母:橘知茂の娘
  • 妻:不詳
  • 養子
    • 男子:三条公雅 - 三条公泰の子

脚注[編集]

  1. ^ 後二条天皇宮人
  2. ^ 元の名は公夏
  3. ^ 大宮院御給。
  4. ^ 増鏡』第十一「さしぐし」。
  5. ^ 『尊卑分脈』三条実盛の項では同日に関東、すなわち六波羅探題に捕縛されたこと、息男である公久も同じく捕縛されたことが記されている。

参考文献[編集]