ヴィクトル2世・アマデウス・フォン・ラティボル

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ラティボル公爵ヴィクトル2世アマデウス、フィリップ・ド・ラースロー

ヴィクトル2世アマデウスVictor II. Amadeus Herzog von Ratibor, Fürst von Corvey, Prinz von Hohenlohe-Schillingsfürst, 1847年9月6日 - 1923年8月9日)は、ドイツのシュタンデスヘル、政治家。ラティボル公、コルヴァイ侯。

ホーエンローエ=シリングスフュルスト家のラティボル公ヴィクトル1世と、その妻のフュルステンベルク侯女アメーリエの間の長男として、プロイセン王国のラウデン城で生まれた。父方の叔父はドイツ帝国宰相を務めたホーエンローエ=シリングスフュルスト侯クロートヴィヒである。ボン大学ゲッティンゲン大学で法学を学び、法学博士号を取得して間もなく、ポツダム近衛軍驃騎兵連隊に所属して普仏戦争を戦った。1873年から1876年まではウィーンのドイツ大使館に勤務した。

1893年、ヴィクトル・アマデウスはオーバーシュレージエン(上シレジア)のキーファーシュテーテル(現在のポーランド領ソシニツォヴィツェ)およびゼンボヴィッツ(現在のポーランド領ゼンボヴィツェ)の領主の座を引き継いだ。1897年から1921年まで、彼はシュレージエン県(1919年よりオーバーシュレージエン県)の県議会の議長を務めた。また1893年よりプロイセン貴族院議員であった。1913年には、ブレスラウ(現在のポーランド領ヴロツワフ)の名誉市民に選ばれている。

1877年6月17日、ウィーンにおいてブロイナー=エンケヴォイルト伯爵夫人マリア(1856年 - 1929年)と結婚し、あいだに二男二女をもうけた。長男のヴィクトル3世(1879年 - 1943年)がラティボル公爵家の家督を継いだほか、長女のアガーテ(1888年 - 1960年)は1910年にプロイセン王子フリードリヒ・ヴィルヘルムと結婚した。

参考文献[編集]

  • Protokolle des preußischen Staatsministeriums, Bd.6/II, S.616

外部リンク[編集]