リナ・メディナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| リナ・メディナ | |
|---|---|
| 生誕 | 1933年9月27日(75歳) |
| 配偶 | ラウル・フラード |
リナ・メディナ(Lina Medina、1933年9月27日 - )はペルーのポーランジェ出身で、5歳7か月21日という医学史上最年少で子供を出産した女性。
低年齢の出産記録は様々あり、1910年に清において父親9歳、母親8歳という家族が誕生した。その後1930年にはソビエト連邦において、6歳の少女が母親となった。その記録も1939年にリナの記録により覆され、現在も更新されていない。かつてはギネス・ワールド・レコーズ(旧ギネスブック)に「世界最年少で子供を出産した人」として記録されていたこともあったが、現在はその項目自体が存在しない。日本でも兎園小説(江戸時代の怪奇話集)第二集に下総国藤代村(茨城県北相馬郡藤代町)でとやという8歳の女子が男子を産んだ話が記録されている[1]。
[編集] 概要
リナは、5歳の時に腹が大きくなったために両親に病院に連れてこられた。当初は腫瘍を疑われたが、診断の結果妊娠7か月であることが判明した。医師のヘラルド・ロザーダが彼女をペルーの首都リマに連れて行き、他の専門家によってリナが妊娠していることが確かめられた。1か月半後、1939年5月14日、彼女は帝王切開で男児を出産した。骨盤が小さすぎて通常の分娩が不可能だったためである。手術は麻酔下でロザーダ、ブサイユ、コルレッタ医師によって行われた。その様子はフランスの医学会の会員であったエドムンド・エスコメル医師による報告(手紙)の形でフランスのLa Presse Medicaleという学会誌に掲載された。その手紙には、リナが8か月で初経を迎えたこと、4歳で乳房が成長し始めたこと、妊娠後骨盤が広がるなど骨格的な成長が見られたことなどが併せて記載されている。
彼女の息子は2.7kgで、主治医にちなんでヘラルドと名付けられた。ヘラルドはずっとリナが自分の姉であると思っていたが、10歳の時に実は母親であることを知らされた。彼は健康に成長したが、1979年に40歳で骨髄の病気で亡くなった。この早世が、彼が生まれたときの母親の年齢に起因する物であるかどうかについては不明。
リナ・メディナの妊娠が通常でない方法で行われたという証拠はない。ただし、世界初の体外受精による妊娠・出産は1978年であり、この時代にその技術があったとも考えにくい。しかし、リナ自身は、(最も重要な)子供の父親は何者なのか、そしてどのようにして妊娠したかも明かすことはなかった。2002年にロイターが彼女にインタビューを申し込んだものの、拒否されている。
リナの妊娠が明らかになった直後にリナの父親が疑われて逮捕されたが、証拠不十分で釈放されている。この逮捕に関して、リナの父親が近親姦を犯したのではないかと当局に通報したのはロザーダ医師であったとも言われている。リナは後にラウル・フラードと結婚し、1972年に33年ぶりに2人目の男の子を出産している。彼らはリマ市内のリトル・シカゴと呼ばれる貧しい地域に住んでいる。
この件に関する写真は2枚知られている。1枚目(画質が悪い)は1939年4月はじめに撮影されたもので、リナが妊娠7か月半の時のものである。裸で立っているリナの左側から撮影されており、日陰になっている壁の前に立っている(明るい太陽の下で撮影されて家の壁の影が落ちているものか、屋内でスポットライトを当てて撮影したものか不明)。これは、リナが妊娠中に撮影された唯一の写真で、彼女が妊娠していたこと、さらにその時の成長状態を示しているという点で意義がある。しかし、この写真は医学関係者以外にはあまり知られていない。もう1枚は1年後、ヘラルドが11か月になったときにリマで撮影されたもので、1枚目よりもずっとはっきりと写っている。
この件は作り話であると言われることもあるが、これまで何年もの間に多くの医師が胎児のX線写真などを根拠に事実であることを確認している。5歳以下での極端な性的早熟というのも、非常にまれではあるが全く例がないわけではない。だが、このような幼い少女による妊娠・出産は現在でも非常に稀である。

