ヤースナヤ・ポリャーナ
ヤースナヤ・ポリャーナ (Yasnaya Polyana、ロシア語: Ясная Поляна、意味は「明るい林間の空き地」) は、作家レフ・トルストイの居宅である。ロシアのトゥーラの街の12km南西にある。作家は、ここで生まれ、生き、埋葬されている。 トルストイの亡くなった直後、地所は記念博物館とすることが計画された。それはまず作家の娘であったアレクサンドラ・トルストイによって着手された。博物館の現在の館長もまたトルストイの子孫(en:Tolstoy(トルストイ家)参照)である。
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歴史 [編集]
ヤ―スナ・ポリヤーナは、16世紀末以来このような形で存続している。作家トルストイ伯レフ・ニコラエヴィッチの祖父が、18世紀にこの領地を買い受けた。領地には、二つの検問所のある正門から入っていく。白樺の並木通を通って本宅に入っていくようになっていたが、この建物は現在ではもはや存在しない。トルストイの父親は、この領地に三つの沼地のあるイギリス風の庭園を増設した。
レフ・トルストイはこの領地を18歳で相続した。領地には当時、1,800ヘクタールの土地と三つの村、そして300人の農奴がいた。この 300人というのは、労働できる年齢の男性のみの数である。 トルストイのかなり浪費的な生活の変遷で、21歳になるまでのその相続財産の大部分を使い果たしてしまった。まず村々が売られた。彼が27歳でコーカサス戦争から戻ってきた後、彼は隣接した建物に農民のための学校を設立した。それの運営資金に充てるため本宅も売り払われた。 彼は、ヤ―スナ・ポリヤーナの質素な墓所に埋葬されている。彼は教会からは破門されていたためである。
現在の博物館 [編集]
博物館には、作家の蔵書22,000冊を収めた図書室を始めとしてさまざまな私物や家具調度の類がある。トルストイがかの文学的記念碑『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』を執筆したそのままになっている。
博物館には、作家の屋敷の他に、農夫の子供たちのために彼が設立した学校、トルストイの墓地を含む公園などがある。第二次世界大戦の間は、この地所はドイツ軍に占拠され、荒らされた。[1] しかし、もっとも貴重な遺品などはそれ以前にソヴィエト政府が別の場所に移し保管していた。戦後、屋敷はトルストイが生きていた頃と寸分たがわないように復元され、ヤ―スナヤ・ポリヤーナは、ロシア国内で旅行者に非常に魅力的なツアースポットとして今も存在している。
参考 [編集]
アクセス [編集]
- モスクワの主要ターミナルのひとつクルスク駅(en)から急行列車「ヤースナヤ・ポリャーナ号」(土・日のみ運行)に乗車してヤースナヤ・ポリャーナ駅で下車。同駅から連絡バスで約10分。