ポール・ラインシュ

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ポール・サミュエル・ラインシュ(Paul Samuel Reinsch, 1869年6月10日 - 1923年1月26日)は、アメリカ合衆国政治学者外交官反日家。

1901年ウィスコンシン大学マディソン校教授になり、1913年ウィルソン大統領に誘われて北京駐在のアメリカ公使となり、1919年まで在任。その後、北京政府の最高顧問として活躍した。

ラインシュは大日本帝国を、悪の体現者、自由と民主主義の敵、そして将来のすべての世界紛争の原因と見なしていた[1]

対華21カ条要求の際には、北京政府の外交部と絶えず連絡をとり、日本政府の裏をかく手段について助言を与えた[2]。 日本に対抗することのみを目的に、アメリカの投資を中国に誘致することに努めたが、シームス・カレー商会の北京政府との鉄道借款が失敗すると、ラインシュは「日本は世界戦争を利用して中国を財政的に従属国にしようとしている」という反日キャンペーンを始めた[1]旅順大連回収運動の第一の火つけ役。

著書[編集]

  • English common law in the early American colonies, University of Wisconsin, 1899.
  • World politics: At the end of the ninteenth Century. As influenced by the oriental situation, Macmillan, 1900.
『帝國主義論』、高田早苗訳、東京專門學校出版部, 1901
  • Colonial government: an introduction to the study of colonial institutions, Macmillan, 1902.
  • Colonial administration, Macmillan, 1905.
『殖民政策』、松岡正男・田宮弘太郎訳、同文館, 1910
  • Public international unions: their work and organization; A study in international administrative law, Ginn, 1911.
  • Intellectual and political currents in the Far East, Mifflin, 1911.
  • American legislatures and legislative methods, Century, 1920.
  • An American diplomat in China, Doubleday, 1922.
  • Secret diplomacy: how far can it be eliminated?, Allen, 1922.

編著[編集]

  • Readings on American federal government, Ginn, 1909.

脚注[編集]

  1. ^ a b 平野健一郎「西原借款から新四国借款団へ」『ワシントン体制と日米関係』
  2. ^ A・W・グリスウォルド『米国極東政策史』