ポール・シッティング

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アムステルダムでポールに腰かける男性(1979年)

ポール・シッティング(Pole sitting)とは、 旗竿のようなポールの上になるべく長く座ることで、いっぱんに忍耐力の証とされる。このために選ばれるポールにはたいてい一番上には小さな台座がついている。スタント俳優であり元水兵のアーヴィン・ケリーが先駆けとなり、1920年代の半ばから後半にかけて大流行したが、世界恐慌が始まると全くといっていいほどすたれてしまった。

1920年代の流行まで[編集]

ポール・シッティングの先駆者として、4世紀から5世紀かけて禁欲的な修行をおこなったキリスト教の修道士たち(登塔者)の存在があげられる。アンティオキアの登塔者シメオン390年頃 - 459年)は、小さな台座のついた塔の上に36年もの間座り続けていたとされる[1]

登塔者である聖シメオンのイコン画

ポール・シッティングは1920年代の半ばから後半にかけて流行した。そのはじまりはスタント俳優で元水兵のアーヴィン・ケリーが[2]、友人にけしかけられてか、売名行為か[2]、いずれにせよポールのうえにあがって座り続けたことがきっかけである。ケリーの最初の挑戦は1924年のもので、彼はこのとき13時間と13分ポールのうえに座ることができた。ポール・シッティングはがぜん注目を集めて後に続くものが現れ、記録は12日、17日、21日とのびていった。1929年、ケリーは再び記録を取り戻そうと決意した。そして、アトランティックシティで旗竿のうえに49日もの間座り続け、新記録を打ち立てたのである。しかし翌年、ケリーの記録はアイオワ州ストロベリー・ポイントのビル・ペンフィールドによって破られる。ペンフィールドは、嵐によって柱から振り落とされるまで51日と21時間座り続けた。

ポール・シッティングはほとんど1920年代にだけ見られた現象で、大恐慌が始まるとまったく流行らなくなってしまった[3]

1930年以降[編集]

  • 1946年、オハイオ州のマーシャル・ジェイコブスは、再びポール・シッティングを流行らせようとして、フィアンセだったヨランダ・コスマートとの結婚にあわせて、柱のうえで抱擁し口づけをする写真を撮り、当時おおいに注目を集めた[4]
  • 1949年、クリーブランドのチャーリー・ルピカは野球のペナントレースで応援しているクリーブランド・インディアンスニューヨーク・ヤンキースの成績を上回れるよう、117日もの間ポールに座り続けるパフォーマンスを行った。はじめヤンキースファンとの口論が高じたルピカは、5月31日に自分の食料品店のうえに立っているポールに腰かけ、インディアンスが首位をとるか、首位争いから脱落するまではそこから下りないと宣言した。結局インディアンスはヤンキースより上位にくることはなく、ルピカは9月25日に行われた最後のホームゲームの試合中にポールから降りることになった。ちなみにこの試合の前夜、当時インディアンスのオーナーだったビル・ベックは、パフォーマンスのためにルピカごとポールをクリーブランド・スタジアムまで運びこんでいた[5]
  • 1933年から1963年まで、リチャード・ブランディは、77日、78日、125日という最高記録を何度も打ち立てたと主張していた。1974年に彼は座っていたポールごと地面に倒れたことが原因で亡くなっている[6][リンク切れ]
  • 1964年には、ガズデン (アラバマ州)のペギー・クラーク8により217日という記録が達成されている[7]
  • 1982年11月から1984年1月21日まで (439日と11時間6分)、H.デイヴィッド・ヴェルダーは(ガソリンの高騰に抗議するために)ポールに座り続けた[8][9]

テレビ番組[編集]

  • アメリカのテレビ番組『ホワッツ・マイ・ライン』では、1955年7月3日の放送界の最初のゲストがポール・シッティングの挑戦者だった[10]
  • マッシュ (テレビドラマ)のシーズン5のあるエピソード "Souvenirs."では、ポール・シッティングがプロットにとりいれられている。セクション8で軍隊からの除隊を企むマックスウェル・クリンガーは基地の真ん中に立っている柱に昇り、除隊されるまで降りようとしない。軍人によるポール・シッティングの記録は96時間であることを知ったポッター大佐は、逆にクリンガーにこの記録を破るまでそこにいろと命じるのである[11]

映画[編集]

1932年の映画『猟奇島』の序盤では、登場人物のひとりザロフ伯爵が、主人公のボッブ・レインスフォードを客に有名人だと紹介する場面があるが、このときマーティン・トローブリッジはボッブがポール・シッターだと勘違いをする。

関連項目[編集]

読書案内[編集]

  • エドワード・ブルック=ヒッチング 著、片山美佳子 訳『キツネ潰し-誰も覚えていない、奇妙で残酷で間抜けなスポーツ-』日経ナショナル ジオグラフィック、2022年。 

脚注[編集]

  1. ^ Catholic Encyclopedia: St. Simeon Stylites the Elder”. Newadvent.org (1912年2月1日). 2009年10月17日閲覧。
  2. ^ a b Baker, Danny. "Shipwreck for ever in pole position." The Times (United Kingdom) 21 Aug. 2002: Newspaper Source Plus. Web. 22 Dec. 2011.
  3. ^ Flagpole Sitting - The Bad Fads Museum”. 2007年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月5日閲覧。
  4. ^ Behind the Picture: Love Atop a Flagpole”. Time Magazine (2014年6月1日). 2015年8月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月7日閲覧。
  5. ^ Goldstein, Richard (2002年12月29日). “Charley Lupica, 90, Dies; Fan Who Sat on Flagpole”. New York Times. https://www.nytimes.com/2002/12/29/sports/charley-lupica-90-dies-fan-who-sat-on-flagpole.html 2023年5月11日閲覧。 
  6. ^ Dixie Blandy Papers, Special Collections and Archives”. Wright State University. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  7. ^ Goodson. “Pole-sittin' Peggy”. The Gadsden Times. 2012年4月12日閲覧。
  8. ^ They Run For Office And Lose—Again And Again | Washington Bureau”. Mgwashington.com (2008年5月2日). 2011年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月20日閲覧。
  9. ^ The most unusual name on the 2008 ballot”. Bay Buzz (2008年6月26日). 2010年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月20日閲覧。
  10. ^ What's My Line? - Audie Murphy (Jul 3, 1955)
  11. ^ M*A*S*H: Season 5, Episode 22 script | Subs like Script”. subslikescript.com. 2023年6月7日閲覧。