ペレムィシュリ (カルーガ州)

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ペレムィシュリ (カルーガ州)の位置(カルーガ州内)
ペレムィシュリ (カルーガ州)
カルーガ州内の位置

ペレムィシュリロシア語: Перемышль)は、ロシアカルーガ州ペレムィシュリ地区(ru)の村落(село / セロ)である。また同地区の行政中心地である。人口は2002年に3235人[1]、2010年に3279人[2]

地理[編集]

オカ川の左岸に位置し[3]、便宜上、ペレムィシュリ・ナ・オケ(オカ川沿いのペレムィシュリの意)の表記がなされる場合がある。州都カルーガとは同地区の北部が接し、また地区南部はトゥーラ州に面している。

歴史[編集]

史料上におけるペレムィシュリの初出は1328年である。ペレムィシュリはモスクワ大公イヴァン1世から、その子のセルプホフ公アンドレイ(ru)に与えられた。また、ロシアとリトアニア大公国との闘争の中で、ペレムィシュリは2回リトアニアの手に渡っている。1370年代にはペレムィシュリ公国(ru)領がカラチェフ公国から分離した。

1596年にはクリミア・ハン国によってペレムィシュリ一帯は破壊にさらされており、1598年にはボリス・ゴドゥノフが要塞化している。ロシアの動乱時代には、ポーランド・リトアニア共和国軍、コサック軍によって多くの被害をこうむった。

近代のペレムィシュリの行政上の所属としては、帝政ロシア期の1708年にスモレンスク県グベールニヤ)に、1719年にはモスクワ県に属した。1776年にはカルーガ県(ナメストニチェストヴォ)が設置され、1796年以降もカルーガ県(ru)(グベールニヤ)に属した。

1925年、ペレムィシュリの自治体としての格は村集落[注 1]Сельское поселение)と位置づけられた。1929年、ペレムィシュリ地区の行政中心地となり、現在に至る。

ゆかりの著名人[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「村集落」はロシア語: Сельское поселениеの直訳による。

出典[編集]

座標: 北緯54度16分 東経36度10分 / 北緯54.267度 東経36.167度 / 54.267; 36.167