プロジェクト‐ノート:競馬/競馬記事の特筆性議論/方針文書の再確認

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結論を先にします。

結論[編集]

混同しがちだったように思いますが、「特筆性があるかないか」と「単独記事にしていいかダメか」は別問題です。

「特筆性がない」場合は論外ですが、「特筆性がある」場合でも、「単独記事にしてよい」とは限りません。方針関連文書はしばしば、「特筆性があっても単独記事にせず、他の記事と統合したほうがよい」という趣旨のことを述べています。

  • 現状の方針文書に準拠すると
  • 特筆性があるからといって、単独記事であることを自動的に保証はされない。
  • 出典がなかったり、内容が乏しい場合には、特筆性があったとしても、単独記事にしてはいけない。
  • しかし立項されてしまった場合には、出典がない・内容が乏しいというだけで、直ちに削除することはできない。
  • 特筆性の要件は、第三者による、信頼できる、複数の情報源で、直接的かつ詳細に、特集されたもの、というような感じです。
  • 競走馬の特筆性基準を作成すると
  • 特筆性の定義を競走馬にあわせてカスタマイズできる。
  • それでも方針文書の通り、特筆性があるからといって、単独記事であることを保証されるわけではない。出典や内容の充実は要求される。それができない場合には、特筆性があっても、上位の記事に統合されるかもしれない。

方針文書のレベル[編集]

方針文書には、強制力の強弱にレベルがあります。全員が従うことを求められる「方針」、従うことが推奨される「ガイドライン」、これらに満たない「草案」があります。

どこまでに従うかによって、とるべき行動は変わります。PJ競馬で特筆性基準を独自に定めた場合、「草案」とするか「ガイドライン」とするかで、その効力は変わります。

ここでは「独立記事作成の目安」に関連の深い文書をあげます。

  • 三大方針:すべての利用者が従う。他のガイドラインや当事者の合意によって覆すことも許されない。
  • 根拠としなければいけない方針文書:すべての利用者が従うべき
  • 準拠するべきガイドライン:従うことが推奨されますが、方針ではありません。
  • 草案:方針でもガイドラインでもない
  • あまり関係なさそうな文書
  • Wikipedia:存命人物の伝記 - これは「存命馬」と読み替えることもできそうですが、方針の中身は要するに「人の悪口になりそうなことを書くときは気をつけろ」「プライバシーに注意しろ」という話であり、競走馬にはあまり当てはまらないと思います。「サドラーズウェルズは日本に向かない」と書いて、サドラーズウェルズ関係者から訴えられるという可能性はそう高くはないと思うので。

コメント[編集]

我々が特筆性、特筆性と言ってきたものは、実はこのあやふやな文書が由来です。
この文書でも、「特筆性のある/なし」と「単独記事にしていい/ダメ」は弁別されています。
まずはじめに、この文書(WP:NOTE)を受け入れるかどうかを判断する必要があるかもしれません。WP:NOTEは方針でもないし、ガイドラインですらないです。WP:NOTEのノートをみればわかるように、WP:NOTEの記述自体にはまだ色々な議論が行われており、定まっていません。それでもWP:NOTEを指針として採用するのか、それともWP:NOTEは援用しないのか、そこを競馬コミュニティで共通認識にしないと、その先の議論が噛み合いません。Aさんはこれを根拠にしても、Bさんが俺はこの文書は無視するよ、と言ったら話になりませんから。
コメント私自身は、WP:NOTEを採用するかどうかには迷いがあります。私の理解だと、WP:NOTEをガッツリ受け入れると、記事として生き残れる競走馬記事はガバっと減ります。サンデーサイレンスやオグリキャップのように「その馬についての本」が複数出版されているようなレベルだと文句なし。「名馬読本」みたいのに「複数」掲載されていないと無理。単に「重賞を勝ちました、G1を勝ちました」ではNG側になるでしょう。だから、「重賞を勝った時点でOKではないか」という方向にしたいのならば、WP:NOTEは採用しないほうがよろしいかもしれない。
しかし、PJで特筆性に関する議論が合意に達すれば、いずれWikipedia:特筆性_(音楽)のように「ガイドライン」化することができ、その場合にはPJ競馬で独自の基準を持つことができますから、そこまで見越すならばこのWikipedia:独立記事作成の目安を受け入れてもいいでしょう。
まあそこはちょっと棚上げするとしても、Wikipedia:独立記事作成の目安は我々の議論にとって示唆に富んでいることは間違いないです。
なので、いちおうWP:NOTEも受け入れるという前提で話を進めます。

具体的な中身[編集]

方針文書[編集]

  • (A)Wikipedia:検証可能性WP:V)(三大方針/議論の余地がないもの・他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されない)

出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。このため、執筆者は出典を明記すべきです。定評のある情報源がない場合、その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではありません。

この文は、記述内容には出典が必要だよということを言っていますが、後段は(C)より厳しい姿勢です。(C)は「出典がないこと」は問題にしていませんが、(A)は出典がゼロの場合、なんであれ立項しちゃダメと言っています。
※「出典がない」ことと「出典が明記されていない」ことは区別が必要です。出典が明記されていないことが、ただちに出典がない≒独自研究である、というわけではないです。


伝記記事はなんらかの名声や業績を有するか、あるいは、悪名高い人々のものに限るべきです。ひとつの指標としては、その人物が複数の(ネット上あるいは印刷物による)外部典拠で特集されているかどうかということが手掛かりとなります。それほど知られていない人々については、他の記事の中で言及してください。

これは極めて重要です。「複数の」「外部の」「典拠で特集」が目安です。そうでないなら「他の記事の中で言及」、つまり統合しろということです。

ウィキペディアでは人物や出来事の歴史的な特筆性が考慮されます。報道は百科事典の項目のための有用な資料となり得ますが、あらゆる出来事がそれ単独の百科事典記事を作成する正当性をもつわけではありません。公式発表、スポーツ、タブロイド報道のような日々繰り返されるニュースは、単独記事を作成するのに十分な土台とはなりません。

出典として、ニュース記事の寄せ集め「だけ」で構成された馬記事はダメかもしれません。

著名な個人であっても、その人物が関与した出来事のすべてが重要とは限りません。例えば、有名人やスポーツ選手についての報道は非常に頻繁にあり、多くの些細な出来事を取り上げていますが、それらの情報源をすべて使ってしまうと、まるで日誌のような過剰に詳しく書かれた記事が出来てしまいます。出場した試合、記録した得点、誰かとした握手のすべてが、人物の伝記に載せるのに十分な出来事だとは限りません。

これは「記事の中身」についてです。
馬の場合、「◯月×日に未勝利戦で3着、次に◯月×日に未勝利戦で4着、いったん放牧に出して◯月×日に未勝利戦を勝ち、次に◯月×日に500万下で3着…」みたいな記述はやめようね、ということでしょう。トリビアをやめようという根拠にもなるでしょう。

単に真実であるだけでは、たとえ検証可能であったとしても、百科事典に収録するのに相応しい内容であるとは限りません。

これも記事の中身に関するものでしょう。たとえ出典があっても、ダメなものはダメという(厳しい)考えかたです。
  • 百科事典的な記事に成長する見込みのないもの。
  • 百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事。
これもらは削除対象です。ただし「成長の見込があるかどうか」「著名性・特筆性があるかどうか」は、個別に論証しなければなりません。


これらのA~Cは方針(すべての利用者が従うべき)であり、我々はこれに反する合意はできません。たとえPJ競馬がいいよと言って基準を作っても、方針に反することはできないのです。我々が目指す「競走馬の基準」(ガイドライン)は、これらA~Cを満たす下で作らなければなりません。

仮にPJ競馬で「特筆性の有無の判断の基準」をガイドライン化して、「G1勝ちは特筆性がある」と定めたとしても、出典がなければ(A)に違反します。G1勝ちで特筆性があっても、内容が乏しく発展も見込めなければ(C)に基づき削除されます。

特筆性があるからといって、無批判になんでもかんでも独立記事であることを自動的に保証はされないよ、ということです。

ここ重要
※ただし、削除の方針には「出典がない」を理由に削除ができるケースは設定されていませんので、これは「罰則規定がない法律」みたいなものです。出典なしで作るなと言っていますが、出典なしで作られてしまったものは、それだけの理由では削除できません。(もちろん、こればっかりやっていると、その利用者が批難の対象になるでしょう。)削除するためには(C)で示したことを証明しないといけないです。
※しかし、統合であれば(C)の要件を満たす必要がありません。(Wikipedia:ページの分割と統合
※もし競走馬の特筆性基準が合意に達してガイドラインとなった場合には、その基準に照らして「百科事典に記載するほど著名性・特筆性がない」として、ケースEで削除できるようになりますから、特筆性基準は削除の基準になるでしょう。なので、以前話をした「グレーゾーン」みたいなものを考えるとき、バンバン削除されないような方向性を望むのであれば、基準は「グレーゾーンの下のほう」に作らないといけないでしょう。

ガイドライン[編集]

次はガイドラインです。もしPJ競馬が特筆性議論で合意に達し、ガイドライン化することができれば、それはこのガイドラインと同等の効力を持つようになります。その暁には、たとえばこれから示すガイドラインとは反することでも、有効だということになります。(もちろんあまり他のガイドラインと衝突するような内容は好ましくないでしょうけども)

サブスタブは、辞書的な定義しかなかったり、だれもが知っている情報しかなかったりする。
サブスタブは、断片的な情報しかなかったり、下手をすると誤りが含まれていたりする。
サブスタブはとりあえず作っておこうという考えで作られることが多く、作られた後で見直しされることがほとんどない。
サブスタブは新規作成しないようにしてください。

自分の作ったスタブに幾らかの責任を持つ

時間をおいてもスタブが十分に成長しない場合は、スタブを作った人が自分で責任をもって加筆すべきです。そういう責任を負う準備と覚悟がないのなら、安易にスタブを立ち上げるべきではありません。
余りにも短い記事は他の記事への統合も考慮して下さい。
ここでは、記事の内容は最初からある程度の水準が求められること、ひどい場合には統合されること、が示されています。
方針文書では、記事の内容には出典が不可欠であることが示されていますから、「記事の内容」は、A~Cに則って、出典があり、なおかつ掲載に値することである必要があります。
コメントサブスタブの定義の中で「辞書的な定義しか無い」「断片的な情報しかない」というのは、馬記事の場合、「血統表しかない」「成績表しかない」「テンプレートしかない」ものが該当すると、私は考えます。これらは他のデータベースサイトで容易に手に入るものだからです。そういうものは「新規作成するべきでない」し、「統合すべき」です。
1つのページ中で一緒に解説すべきにも関わらず、必要以上に細切れにされてページが作られている場合
上の「方針」では、出典がなければ記事を立てちゃいけないけども、立てられてしまった記事は出典がないという理由だけでは削除できませんでした。
「本来立ててはいけないが、立てられてしまった記事」、(B-1)のように「他の記事の中で説明すべき」ものに対処するときの指針になるのがこの文書です。これらはまさに「必要以上に細切れにされてページが作られた」ものですから、(E)にしたがって統合の手続きを進めるということになります。

草案[編集]

くり返しますが以下の文書はガイドラインですらありません。その気であれば無視してもいいものです。しかしまあ、参考にはなると思いますし、ここでは無視しないものとして扱います。

ある対象に特筆性が見つかった場合は、多くの場合ウィキペディアに記述できますが、ことごとく新規に独立記事を作成するだけが最良とは限りません。場合によっては既に記述されているより包括的な項目内の情報として、新たな節を設ける等、記事の強化に役立てる方が良い場合もあります。
(F-1b)Wikipedia:独立記事作成の目安の注釈
適切な情報源は見つかるものの百科事典の記事として発展する見込みが薄い場合にも、統合やリダイレクト化を検討してください。
ここでは、特筆性があったからといってなんでもかんでも単独記事にすることは必ずしもよいことではない、上位の記事に書いたほうがいいこともある、ということが述べられています。
現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません。
ここでは、方針文書(A)(B)を安易に逆解釈することへの注意喚起が行われています。「出典が明記されていない」ことと「出典がない(≒独自研究)」は一緒ではありません。単に出典が明記されていないだけならば、出典を明記してあげればよい。
競走馬の基準に当てはめればわかりやすいですが、G1に勝ったことを示す出典が明記されていなかったからといって、G1に勝っていないということではないよ、ということです。
コメント現時点では方針文書は草案に優越するので、WP:NOTEにこう書かれているからといっても、出典がないから削除だよ、ということは可能かもしれません。)
「有意な言及」とは、対象の話題について、直接的かつ詳細に述べていることを意味します。元となる情報源において、「特集記事」(もっぱらその話題について述べている記述)とまではいかなくても、少なくとも「取るに足らないようなもの」(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上の言及が必要です
(B)でいう「特集記事」を緩和するような記述です。
厳密にいうと、馬記事の場合、「日本ダービーの結果を伝える記事」は、その主題は「日本ダービー」(についての特集記事)であって、勝馬(もしくは出走馬)の「特集記事」とは明確には言えないかもしれません。「直接的かつ詳細に」ですから。「ダービー優勝馬の◯◯についての記事」ならもちろんOKですが。
「独立記事として作成、収録するだけの価値があるか否かの判断における「情報源」は、二次資料でなければなりません。
公式サイトはダメですよ、ということです。
誤読しないで欲しいのですが、公式サイトは、「記述の情報源」としてはOKです。公式サイトに書かれているからといって独立記事に値することを保証しないよ、ということです。
「対象と無関係な」という条件は、例えば自己宣伝や広告、記事主題によって自主公表されたもの、自叙伝、プレスリリースなど、記事主題と、何かしらの提携・協力関係にある情報源を取り除く、ということを意味します
(F-5b)上記の注釈
公表された作品を書いた人は、記事について無関係な立場から書いている誰か他の人でなければなりません。
自叙伝、自主公表されたものはダメよ、ということです。馬記事の場合、馬自身が自叙伝や自主公表することはありませんが、当該馬の馬主、調教師によるものはダメよ、ということでしょう。
たとえば一口馬主のカタログでは、募集馬について1頭1頭詳述されるでしょう。それを2冊集めたから、その募集馬に特筆性が生じるかと言ったらそんなことはないよ、ということです。
くり返しますが、これは「独立記事の担保」としてダメっていうだけであって、記述の出典としてはダメじゃないです。
名簿やデータベース、広告および広告欄、マイナーな新聞記事などは信頼できる情報源に該当したとしても、独立記事として作成、収録するだけの価値があることを示す証拠にはならないでしょう。
ネット競馬やJBISなどのデータベースは、「独立記事作成:特筆性の根拠」にはならないということです。
繰り返しますが、「記述」の出典として無効と言っているわけではありません。
スポーツの試合結果やゴシップ情報、プレス発表についての定常的な報道は、特筆性の根拠になりません。
批評的分析を加えることなく事件や事故をありのままに伝えるニュース報道は、たとえ主要メディアで大量の報道がされていても、「有意な言及」とは見なされません。
特筆性と時間を巡るよくある誤解として「将来の特筆性」があります。ある対象に関し、現在は不十分でも将来的には間違いなく特筆性が得られるだろうから、記事として作成、収録すべきだ、といった考えです。気持ちは分かります。しかし「将来の特筆性」は評価の対象になりません。実際の特筆性が確認されてから記事を作成して下さい。

F-2からF-9を読むと、「◯◯がダービーを勝ちました」という報道があっただけでは特筆性があるとは認めないよということになりますね。対象とは無関係な複数のソースが「ダービーに勝った◯◯という馬について」という「直接的かつ詳細」な出典が出てこないとダメです。したがってこの草案に従うと、単に「重賞の結果」「重賞を勝った」という事実報道だけでは特筆性があるとは言えませんよということになるのです。

(PJ競馬で「ダービー勝ちは特筆性がある」と定めれば、報道があろうとなかろうと、ダービー勝ちには特筆性を認めることが可能になります。もちろんその場合も記述にあたっては出典は必要です。)

このWP:NOTEは、上でみた「方針」や「ガイドライン」よりは、より具体的に書かれており、たいへん示唆的です。しかしくり返しますが、これは「草案」であり、「ガイドライン」未満です。PJ競馬で別に特筆性基準を設け、それを「ガイドライン」(少なくとも「草案」)として完成させることができれば、このWikipedia:独立記事作成の目安には縛られなくなるよ、ということです。

(参考)他ジャンルで作成された特筆性基準[編集]

これは、ジャンルごとの特筆性基準の中で唯一「ガイドライン」となっているものです。(ほかは「草案」)
あくまでも「特筆性の有無」だけを判定する基準です。
出典や形式が整っていても、このガイドラインで「特筆性がない」と判定されるとダメです。
このガイドラインで「特筆性がある」となっても、記事に出典がないとか形式が不十分であれば、他の方針やガイドラインに照らしてアウト(統合・削除)はありえます。
  • 注目すべき点
  • 「これは削除基準になはらないよ」と明記している。
  • 基準が複数あって、そのどれかに該当すればよいとされている。
  • 「音楽家・音楽グループ」の3、5、7など、「特集記事」の拠らず「事実」だけで特筆性を認めていること
  • 「草案」(無視できる)ではなく「ガイドライン」(従うべき)なので、実効性がある。
  • 「ガイドライン」は個別の削除依頼で参考にされ、議論をフィードバックし、問題点があれば修正される。
特に3点目は我々にとっては示唆的です。これを援用すれば、「重賞を勝ったという事実」だけで「特筆性がある」とすることは可能でしょう。
しかし「重賞を勝った事実」を示す出典は必要でしょうね。複数の「特集記事」と言わなくとも。
2点目も、こうしてみればなんのことはない、いくつかの条件のうちどれか一個、でいいのですから、「重賞勝った」「G1で入着した」「話題になった」「種牡馬になった」みたいにいっぱい線を引いたっていいというわけです。

まとめ[編集]

特筆性があるか否かと、独立記事を作成してよいかどうかは、イコールではない。特筆性があっても独立記事にしないほうがよい場合もある。それは、出典がないとか、書ける内容があまりないとかいう場合である。

特筆性があるからといって、出典を欠いたり、内容の乏しい記事を立項してはいけない。そういうものは、より上位の記事に書くべきである。

それでも立項されてしまった場合には、出典を求め、内容の充実を図るが、それが困難な場合には上位の記事に統合することを検討する。

草案ですがWikipedia:独立記事作成の目安は、記事の削除についてはとても慎重な姿勢をみせています。明記されていない隠れた特筆性にもじゅうぶんな配慮をすることを求めています。

一方、特筆性が明記されていない場合には、削除ではなく統合という選択肢が示されています。統合は、特筆性を有する場合でも可能であり、しばしば方針文書はその選択肢を示唆しています。

「特筆性」という語に対する誤解[編集]

「特筆性」という語は、英語版の方針文書のnotabilityという語の訳語とされています。これは、「単独記事として百科事典に収録するに値するかどうか」というような意味合いがあるようです。

たとえば「シンボリルドルフのメンコが緑色だったことは特筆に値するよ!」と言って、シンボリルドルフに緑色のメンコについて記述しようとするのは、「特筆性」には関係ありません。これは(B-2b)とか(B-3)に基いて考慮される話です。

今後めざすもの[編集]

  • PJ競馬で特筆性基準をまとめ、最終的にガイドライン化する。(草案は無価値ではないが価値が低い)ガイドラインなら皆が従う。草案なら強制力はない。
  • それは、ほっておくと「削除の基準」にもなる。そうしないこともできる(判断の参考にはされる)。
  • 基準は複数あってもよい。
  • いずれの場合でも出典は絶対に必要である。出典がなければガイドラインよりも上位の方針に基いて統合されるかもしれない。

特筆性の判断基準をガイドラインにするには、その前段階として草案をまとめ、運用し、テストすることが必要でしょう。これまでの長きに渡る議論や数々の事例に鑑みて、私はこれらの工程に4年ぐらいかけてもいいかなと考えています。

2014年 草案を決定 草案には拘束力はないので、気に食わなければ無視できる。
2015年~2016年 草案を運用する。個々の事例で問題が出てきたら、草案を修正する。
2017年~ 草案をガイドラインとして運用を始める。ここからはいちおう、競走馬記事の判断基準として強制力が発生する。

このぐらいで。