フジタロウ・クボタ

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フジタロウ・クボタ (Fujitaro Kubota 1879年 - 1973年)は、日系アメリカ人庭師。博愛主義者でもあった人物。[1]

日本からの一世移民の一員であり、米国で新しい生活を送る。最初に到着したときは鉄道事業に従事。 1922年までに、彼はシアトルで自分の園芸事業を開始することができていた。1927年、彼は趣味として小さな庭から作庭を開始。 残りの人生と子供と孫へそれぞれ重要な役割を担う。

クボタと彼の家族は、第二次世界大戦初期の間、アイダホ州キャンプミニドカに拘禁された。彼のシアトル生まれの息子のトム(1917 - 2004年)はミニドカで彼の妻、孫の母親となるひとと出会った。[2]

名誉[編集]

ワシントン州シアトルのクボタ庭園で記された岩。「記念碑」と刻んである

死ぬ前の年、日本政府は、米国における日本の園芸の導入と建設のため、彼の成果に叙勲を提示することによって、この生涯園芸家を称えた。[1]正式な装飾バッジで、 日本の造幣局によって生産された金箔と銀のマルタ十字架である。[3]

クボタの名を冠する公的な庭園は、数少ないクボタの人生の記念碑。

おもな実績[編集]

ノート[編集]

  1. ^ a b 1972年に栄誉を与えられた - Appelo、Tim。 「未来の大学:最高の独立系大学への物理的な変容」 シアトル大学誌。 2008年夏。
  2. ^ ダビラ、フォランガラ。 「ガードナーのトムクボタ(87歳)は、穏やかな遺産である「シアトルタイムズ 」を残す。 2004年8月18日。
  3. ^ Japan Mint: Production of Orders & Medals.

参考文献[編集]

  • Itō, Kazuo. (1973). Issei: A History of Japanese Immigrants in North America. Seattle: Japanese Community Service. OCLC 3698919
  • Joyce, Alice. (2006). Gardenwalks in the Pacific Northwest: Beautiful Gardens Along the Coast from Oregon to British Columbia. Guilford, Connecticut: Globe Pequot. ISBN 978-0-7627-3818-2; OCLC 62302537

外部リンク[編集]