ヒュッカラのライス

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ヒュッカラのライス。1902年の版画。

ヒュッカラのライス英語: Lais of Hyccara、? - 紀元前340年)は、紀元前4世紀古代ギリシアの高級娼婦(ヘタイラ)。おそらくはシチリア島のヒュッカラ(後のカリーニ)の生まれであり、テッサリアで没した。同じ名の娼婦としては、紀元前5世紀の人物であるコリントのライスがいる。古代から、伝聞に基づく間接的な記述において、彼女たちふたりはしばしば混同され、また、いずれに言及しているのか判然としないままとされるなど、ふたりは密接に結び付けられてきた。

ヒュッカラのライスについては、様々な逸話が残されている。例えば、 デモステネスが、彼女と一夜を共にするのに 1,000 ドラクマを支払いたいと言ったのに対して、彼の姿を見た後でライスは、10,000 ドラクマでなければ嫌だと値段を引き上げさせたといい[1]、その一方でディオゲネスには無償で身を任せたという[2]

彼女は、ティマンドラ (Timandra) の娘、ないし、アテナイオスによればダマサンドラ (Damasandra) の娘であった。また、同時代のフリュネとはライバルであった。ライスはテッサリア人のヒッポストラトゥス (Hippostratus)、ないし、ヒッポロクス (Hippolochus) に恋し、彼に連れられてテッサリアに赴いた。伝説では、テッサリアの女性たちが、嫉妬からライスをアプロディーテーの神殿におびき出し、石打ちで殺したのだという。亡骸はピニオス川のほとりに埋葬された。

脚注[編集]

  1. ^ Wallechinsky, David (1978). The People's Almanac Presents the Book of Lists. New York: Bantam Doubleday Dell. pp. 328–9. ISBN 0-553-11150-7 
  2. ^ Athenaeus: Deipnosophists - Book 13 (b)”. 2008年11月1日閲覧。

外部リンク[編集]