ノート:闇市

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刑法の不動産侵奪罪について

ブラックマーケット?(地下経済

英語版のen:Black marketen:Underground economyにRedirect。 --忠太 2007年6月5日 (火) 12:34 (UTC)[返信]

日本の敗戦直後の闇市について

  • この記事は、戦災で市街地の大半が焼け野原となった都市における事例(特に東京)が中心ですが、闇市はほとんど戦災を受けていない都市・村落でもあったのでしょうか?土地の所有者が居なくなったことによる第三者の土地の占有はありえないでしょうが、当時の社会全体の混乱(これこそが闇市の発生の主因)を考えますとありうるはずです。例えば、札幌・金沢・京都・奈良などに、東京のような闇市はあったのでしょうか?--123.220.41.48 2008年9月6日 (土) 03:47 (UTC)[返信]

プレスコードについて[編集]

プレスコードへのリンクが「関連項目」としてリンクされています。私は特にリンクする必要性は薄いと考えたので除去したのですが、差し戻されましたので、リンクの必要性が薄いと考えた根拠を述べておきます。
プレスコードと闇市との関連性といえば、おそらく、闇市について言及したものを出版しようとするとプレスコードに引っかかって差し止められることになっていた、という点に尽きると思います(他にあればご指摘ください)。であるならば、プレスコードについて調べた読者がよりプレスコードのことをより深く理解するために、プレスコードから闇市の記事へリンクが貼ってあるのは有用だと思われます。しかし、闇市について調べている読者が、闇市についてより深く理解するために、プレスコードの記事は役に立つでしょうか?私はそれほど有用でないと感じましたので、除去しました。
いかがでしょうか。なにかご意見あればお願いします。しばらく待って異論なければ再び除去しようと思います。--122.18.219.134 2008年12月15日 (月) 08:59 (UTC)[返信]

闇市に関して当時の権力者が統制の対象として必要だったという事実は記憶されるべき事柄であると考え、「関連項目」としてではなく本文にて言及することとし加筆致しました。--廿粁 2008年12月16日 (火) 01:11 (UTC)[返信]
闇市の営業に対する統制と、闇市についての報道に対する統制とは別に切り分けるべきだと思うのですが。。。まぁ、本文で言及することには異論はないです。ただ、関連項目に「日本における検閲」が入っているのには違和感を感じます。--122.18.219.134 2008年12月16日 (火) 08:25 (UTC)[返信]

戦後の闇市について[編集]

いかに出典があろうとも「朝鮮人は、云々」というのはまるでヘイトスピーチです。誰が悪いかといえば戦争を始めた人たちの責任なのですが、それを言っても始まらないことは確かです。しかしこういった醜悪な書き込みをそのままにしておくことに、良心の咎めはないのでしょうか?--118.19.14.120 2016年4月17日 (日) 13:38 (UTC)[返信]

水内俊雄の「スラムの形成とクリアランスからみた大阪市の戦前・戦後」というのは、「闇市」というものがどういうものか良く判っている研究者向けの、いわゆる一次資料で、「闇市」全般について判りやすく説明しているわけではなくこの記事の出典とするには不適切だと思われます(Wikipedia:信頼できる情報源#情報源参照)。ですので、一般向けの二次資料である、原田信男 『和食と日本文化』や、江原絢子 他 『日本食物史』を出典として、書き直しました。--118.19.14.120 2016年4月19日 (火) 01:11 (UTC)[返信]
  • 編集者の主観にもとづいた恣意的な編集を戻しました。ヘイトスピーチ云々は引用元の著者に抗議のうえ訂正させたうえであらためてwikipediaに持ち込んでください。「大阪警察部長や最高裁判所の裁判官が、法律を守り配給以外の食べ物を口にしなかったという保証はどこにもない」ついてはあなたの推測ですのでwikipedia上でこのような記述をしてはいけません--大和屋敷会話2016年4月19日 (火) 04:19 (UTC)[返信]
  • 否定構文を用いた記述方法を利用すべきではない、という点について論じて見たいと思います。ある項目の概要を【紹介】するさいにはじっさいになされてきた議論に沿った視点で記述すべきです。議論(ここでは大阪警察部長や最高裁判所の裁判官が、法律を守り配給以外の食べ物を口にしたか、しなかったという議論)をウィキペディア編集者の視点から観察し、「~という証明はない」と記述することは否定構文をもちいた未知論証となってしまっており、このような記述によって「あたかも大阪警察部長や最高裁裁判官の側にも問題があり、判決に問題がある」と暗示するような表現(レトリック)にみえる記述を百科事典でしてはいけません。これは編集者(つまり「あなた」)からの視点で判決の誠実性や公正性に関する議論を再構成した【推測】であり問題があります。外部に信頼できる引用元がすでにある場合は別ですが(たとえば「○○によればこの判決については××という批判がある」等)一般論としては、「外部の信頼できる情報源に十分裏打ちされる範囲」で記述し、「まだ記述されていない範囲」は何も記述しないのがベストです。--大和屋敷会話2016年4月19日 (火) 04:39 (UTC)[返信]
了解しました。それでは貴方の会話ページにも書かせていただきましたように、「不法占拠の出店」以降全てを削除することを前提として、水内俊雄の「スラムの形成とクリアランスからみた大阪市の戦前・戦後」について、一次資料の不適切な使用ということで、出典無効としてみました。一般向けの二次資料である、原田信男 『和食と日本文化』や、江原絢子 他 『日本食物史』では不法占拠という言葉は使っていません。なお、水内俊雄の「スラムの形成とクリアランスからみた大阪市の戦前・戦後」自体は、研究者むけの一次資料ですから、これに問題があるとは思いません。問題はこのようなクリチカルなことについて、深い考えなしに出典としてまるでヘイトスピーチのような書き込みをした編集者にあると思います。少なくとも、原田信男 『和食と日本文化』や、江原絢子 他 『日本食物史』にあるのとは全く逆のことが書かれていたのですから、これを書いた編集者に一次資料を適切に扱えるだけの能力があるとは思えません。--118.19.14.120 2016年4月19日 (火) 09:01 (UTC)[返信]
東京では主に、所有者がおらず使用目的も失われた強制疎開で空地になっていた所にヤミ市が立ったので、特に不法占拠ではなかったのではないでしょうか。しかし大阪では、警察部長が公共用地の不正使用はまかりならぬと言ったので不法占拠になったということのように思われます。それでこの警察部長のしたことは、法律の面からすれば適法なのですが、水内俊雄の「スラムの形成とクリアランスからみた大阪市の戦前・戦後」は、このことを非難されてしかるべきとしているのではないでしょうか?--118.19.14.120 2016年4月21日 (木) 10:23 (UTC)[返信]
気が変わりました。水内俊雄の「スラムの形成とクリアランスからみた大阪市の戦前・戦後」をよく読んでみると、大阪府警察本部の警察部長の証言を是としているわけでなく、決して非中立的でもありません。この第三国人観がその後の在日外国人に対する一定の見方を醸成してしまったとあり、また大阪闇市封鎖がまったく片手落ちな弾圧だったともあり、都合の良いとこだけ取り出してヘイトスピーチのような書き込みをした編集者の問題に違いありません。そういうことで、「このような状況の下で」以下は江原絢子 他 『日本食物史』を出典とし、それ以降は水内俊雄の「スラムの形成とクリアランスからみた大阪市の戦前・戦後」を出典として書き直しました。--118.19.14.120 2016年4月19日 (火) 13:25 (UTC)[返信]