ノート:野中広務

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「京都府議時代、共産党政権の京都府政と激しく対立して名をあげ、自民党が府政を得る原動力となる。しかし今度は、同和団体が京都に蔓延することとなる」という記述がありますが、事実とは思えません。1950年代の「オールロマンス闘争」の経過を見れば明らかなように、京都における部落解放運動団体の活動家は、戦中期以来、京都府政、市政に、影響力のある存在でした。むしろ永く続いた共産府政の中でこそ、運動団体の影響力が無視できないほど大きくなっていったと見るべきものです。Hkato 2006年9月9日 (土) 06:24 (UTC)[返信]

過剰な強調&角岡伸彦との「マルチポスト」部分、角岡の主張であり、野中の発言でない部分は差し戻します。--Los688 2007年9月1日 (土) 04:35 (UTC)[返信]

編集予告。野中の発言でない部分は、野中の考えではない。野中以外の発言による麻生評は野中の記事に書くものではない。この部分は削除します。--Los688 2007年10月4日 (木) 11:25 (UTC)[返信]

  文中の麻生による発言は国会での答弁であり、既に出版されている書籍のものであり削除の意味はない。--219.25.162.64 2007年10月5日 (金) 02:56 (UTC)[返信]


麻生太郎の”就職差別”

 はたして、日本に部落差別はないのだろうか。国政の場であった差別発言を最後に取り上げたい、  部落出身の元衆議院議員・野中広務の評伝『野中広務 差別と権力』(魚住昭、講談社、2004年)に、野中が政界でどのようにみられていたかが詳述されている。

 永田町ほど差別意識の強い世界はない。彼が政界の出世階段を上がるたびに、それを妬む者たちは陰で野中の出自を問題にした。総裁選(2001年=角岡註)の最中にある有力代義士は私に言った。 「野中というのは総理になれるような種類の人間じゃないんだ」  自民党代義士の証言によると、総裁選に立候補した元経企庁長官の麻生太郎は党大会の前日に開かれた大勇会(河野グループ)の会合で野中の名前を挙げながら、 「あんな部落出身者を日本の総理にできないわなあ」  と言い放った。  麻生事務所は「地元・福岡の炭坑にからむ被差別部落問題についての発言が誤解されて伝わったものだ」と弁明しているが、後に詳しく紹介する野中発言によると、大勇会の議員三人が麻生の差別発言を聞いたと証言しているという。(第十六章 差別の闇)

 2003年9月21日、野中は最後の自民党総務会に臨んだ。議題は党三役人事の承認である。楕円形のテーブルに総裁の小泉や幹事長の山崎拓、政調会長の麻生太郎ら約30人が座っていた。  午前11時からはじまった総務会は淡々と進み、執行部側から総裁選後の党人事に関する報告が行われた。11時15分、会長の堀内光雄が、「人事権は総裁にありますが、異議はありますか?」  と発言すると、出席者たちは、 「異議なし!」  と応じた。堀内の目の前に座っていた野中が、 「総務会長!」  と甲高い声をあげたのはそのときだった。 「総務会長、この発言は、私の最後の発言と肝に銘じて申し上げます。」  と断って、山崎拓の女性スキャンダルに触れた後で、政調会長の麻生のほうに顔を向けた。 「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!。」  野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。 麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。 (エピローグ)

 野中が小泉首相も出席した総務会で差別発言を指弾したにもかかわらず、不幸にも、麻生(福岡8区選出)はその直後、部落差別の担当官庁である総務省の大臣に就任した。泥棒が警察官になるようなもので、これほど不適切な大臣登用はない。  麻生は後に、衆議院総務委員会でこの問題を追及されたとき、「そのような発言をしたことは全くありません」と事実を否定している。ではなぜ、野中に指弾された総務会の席上で「何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった」のか、不可解である。  その後、この問題発言は、うやむやになってしまった。しかし、部落出身という理由による総理大臣就任阻止の動きがあったとすれば、未遂ではあるが、有権者の代表である国会議員による”就職差別”である。  著者の魚住のルポがなければ、麻生の差別発言は公に知られることはなかっただろう。その意味でも部落差別は見えにくい。なくしてきた結果、部落差別は以前より厳しくなった。とはいえ、まだ残っている。それは目をそむける者には、決して見えない。(以上、角岡伸彦『はじめての部落問題』文藝春秋,2005年より103ページから106ページを引用)--まったけ 2007年11月20日 (火) 03:18 (UTC)[返信]

麻生の項目で『麻生太郎の就職差別』になっていますか?角岡の言う「未遂」とは、総理大臣指名の国会で野中の名を書こうとしている議員へ差別を理由に野中の名を書くことを阻止や妨害する行為ではありませんか?しかし、麻生太郎が野中を指して『部落差別発言』を行ったことは、角岡のみならず魚住も事実として書いています。『総理大臣の就職差別行為』ではなく、『部落差別発言』だと主張しているのです。項目が『部落差別』までだったら、僕が書いたことは「誤り」です。それに角岡の解釈ですが、野中が被差別部落出身ということを公にしていなかったらおっしゃる通りです。既に野中は京都府副知事時代に明らかにしているではありませんか。麻生は知りうる立場にいながら、公にならない即ち野中にばれないという前提で発言をしているのですよ。野中を目の前にしての発言ではなく野中のばれないところでの発言、即ち麻生が目をそむけていることではないですか?--まったけ 2007年11月20日 (火) 03:59 (UTC)--まったけ 2007年11月20日 (火) 04:02 (UTC)[返信]
  1. 野中広務#麻生太郎による部落差別発言での出典情報の取り扱いに難があったので修正しました。書式はこの項目の他の節にあわせました。
  2. 『はじめての部落問題』は『野中広務 差別と権力』からの引用であり、文献の主従関係を考えて本文からは除去しました。また、以前にLos688さんが除去された『はじめての~』を出典とする評論は虚偽情報です。ノート:麻生太郎 2007年11月20日 (火) 00:16 (JST)にて本文と照合しました。事務所の説明の部分も引用ですので、出典を『野中広務~』のほうに差し替えています。結局のところ、本項目の情報のために『はじめての~』を参照する理由はないため、関連情報として脚注で紹介する形にします。
  3. 一番最後の「~抗議等を行った事実はない。」は明らかに挿入位置がおかしく一つ前の段落の最後が適当な位置ですが、「証言があった」という内容のドキュメンタリーに対して抗議する理由はなく意味がないので除去しました。

--Yhiroyuki 2007年12月3日 (月) 13:11 (UTC)[返信]

  1. 引用が野中氏の自著からに著しく偏り、記事の中立性が危ぶまれます。賞賛の記事であってはならないので一部削除します。

セクション名称 (麻生太郎による「部落差別発言」)も中立性観点より改めた方がいいようです。麻生太郎は否定したので野中等の主張が正しいかのような印象を持たせる編集をすることはできません。Yariika 2008年6月3日 (火) 10:42 (UTC)[返信]

参考文献を読んで下さい。以上。--Tsukasa i 2008年6月3日 (火) 12:20 (UTC)[返信]

 節名が『麻生太郎への指弾』では、麻生の何に対して指弾したのかが明確ではないように感じます。また、「指弾」のほうが、より厳しい表現に感じます。  『麻生太郎が「部落差別発言」を行ったと主張』などとするのがより正しいと感じます。履歴を拝見しますと『麻生太郎による部落差別発言』だった名称だったのを括弧によって中立性を持たせたのではないでしょうか?--Happyhk1997 2008年6月6日 (金) 15:22 (UTC)[返信]

「指弾」は主観が入っているように感じられるので、一般的な「批判」に変えました。また、節名「弱者に対する眼差し」でも「眼差し」が百科事典にそぐわない表現であると考え、「配慮」に変えています。--花蝶風月雪月花警部 2008年9月4日 (木) 15:56 (UTC)[返信]

社会福祉法人の運営[編集]

氏の社会福祉法人京都太陽の園のサイトを閲覧しましたら、長い歴史をもった(意外と)立派な社会史的にも存在意義のある施設のようなのでリダイレクトをしておきました。外部リンクは止めておいたほうがよいのでしょうか?--Longlongsummer 2008年12月23日 (火) 14:23 (UTC)[返信]

Longlongsummerさん、お手数をおかけしました。ありがとうございました。--Tsukasa i 2008年12月24日 (水) 21:44 (UTC)[返信]

項目「人物」の分割について[編集]

政治的主張と「叩き上げ」等の人物評価がごっちゃになった項目は読みにくいので分割を提案します。戦争責任・アジア外交に対する部分は「主張」として分割、「叩き上げ」や「麻生への批判」は未分類として当面「人物」に押し込めておくのはいかがでしょうか。

また、別問題ですが、「叩き上げ」の表現には違和感を覚えます。出典もないし。「叩き上げ」は下積みから苦労して一人前になることをいいます。永田町の場合、まさにこれは「能力は凡庸だが当選回数を重ねることで重役についた」事態を指すと思います。野中のこれは私が見るに、どちらかといえば「当選回数の少なさのわりに、実力を評価されてとても昇進した」という状態です。おそらく記述者は彼の学歴と当選回数の少なさを混同されているのではないですか。 実際のところ彼の特例昇進は、細川内閣への攻撃などを含む"武闘派"としての活躍等の実力を認められた昇進だったはずです。ソースのひとつはNHKスペシャル「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡」だったと思いますが、詳しくご存知の方が居られれば記述を譲ります。--58.93.199.185 2010年2月9日 (火) 15:08 (UTC)[返信]

貴重な御意見だと思います。ただし、読みづらい箇所があることは認めますが、僕自身は限りなく現状維持に近い、若干の修正で充分だと思っています。また、個人的な感想を述べます。野中の麻生に対するへの批判については、野中の個人的な(野中が総理にするわけにはいかない)のことで批判したというより、被差別部落出身者全体に対する差別発言として行われたものだと思います。つまり、野中は、麻生の発言を「全ての被差別部落出身者は野中であれ、誰であれ、日本の総理の資格はない」と解釈したと僕個人は推測しています。だから、「麻生への批判」と野中の社会的弱者への支援活動とは切っても、切り離せないと思っています。


次ぎに「叩き上げ」についてですが、各界でそう呼ばれる人は数多にいらっしゃるわけで、その理由も千差万別だと思います。僕は野中という人物の存在を知ったのは京都府副知事時代からですが、その頃から「叩き上げ」という風評はありました。御意見を拝読しますと野中という人物を衆議院議員以降にのみ注目されているように感じてなりません。国鉄職員から始まって、町議、町長、野党の府議、激しい選挙戦を経ての府政奪還などを経て、「影の総理」と呼ばれるまでに至ったプロフィールは「叩き上げ」に値する印象を持ちます。--Longlongsummer 2010年2月19日 (金) 13:52 (UTC)[返信]
野中氏は議員としての公けの職業であった以上、彼の政治的主張について今後も検証可能な資料がたくさん手に入るだろうと考え、独立の節として立てることを提案したつもりでした。「麻生への批判」は正直読んでいませんでしたので、そういう内容でしたら益々「主張」のほうへ組み込めれば、と思いましたが、それだと殆どの項目が「人物」から移動してしまうのですね。
>限りなく現状維持に近い、若干の修正で充分だと思っています。
そうおっしゃる根拠がよくわかりました。また彼についての資料がもっと手に入ったときに再び提案させていただきます。「麻生」の項目もまた読んでみます。
次に、現時点での記述のコピーを持ってきました。「野中は国会議員としては遅咲きであったため、当選回数でみて村岡らの橋本派の他の幹部と比較して少ない。しかも、野中の初当選が補選であったことから、当選回数が同数の者(例えば古賀誠)に比べても、野中のほうが国会議員歴は短い。それだけに、原則的に年功序列であったかつての自民党において野中がいかに際だった「叩き上げ」だったかがわかる。また、古賀を含めて亀井静香、鈴木宗男など協力関係にあった人物にも「叩き上げ」が多い。」ですが、
>野中という人物を衆議院議員以降にのみ注目されているように感じてなりません。
とのことですが、本文中の記述自体が国会議員としての期間の短さと「影の総理」の役職の高さ(?)を比べている記述になっています。本文の「『叩き上げ』から『影の総理へ』」節の記述自体が国会議員以降にのみ注目していますよね?「国会議員としては遅咲き」「当選回数は(略)少ない」「国会議員暦は短い」と。この記述は「国鉄職員から始まって、町議、町長、野党の府議、激しい選挙戦を経ての府政奪還など」に触れていませんよね?
とは言いつつも、実際のところLonglongsummerさんが彼を「叩き上げ」と感じるかどうか、ということよりも、そう言及している資料があるようでしたら、その出典として事実を明示して下されればすむだけだと思います。というわけでこの点に対し「[要出典]」を貼らせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?--58.93.199.185 2010年2月20日 (土) 11:14 (UTC)[返信]
[要出典]」を貼ること自体は異論はないですが、議論の結論を性急に求めることはないはずです。「叩き上げ」という編集がなされたのは、相当に過去のことであり、これまでは何も反論がなかったわけです。もう少し、他の皆様の御意見を聞いてからでもよいのではないでしょうか?
それと「叩き上げ」を僕個人の印象としたのは控え目かつ遠慮した意見のつもりだったのであり、出典として示してほしいとおっしゃられると非常に難しいですね。ただ、野中が衆議院議員として政治活動を行っていた時期には、新聞・テレビ報道では小沢一郎などと比して、盛んに「たたき上げ」と紹介していた記憶はあります。もちろん、特定はできませんが。--Longlongsummer 2010年2月20日 (土) 17:49 (UTC)[返信]
「これまで反論がなかった」のに、と思われる気持ちはよくわかります。ただそのことは、記述の正当性を示す傍証にしかなりません。原則論としましては、現時点で出典のない人物評価に「要出典」を貼る行為はそこそこ正当な編集行為だと思います。Wikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去をごらんください:

これはいくら強調しても足りないことだが、一部の編集者の間には、「どこかで聞いた」などといった推測の域を出ない擬似情報の類には「要出典タグを貼ればよいといった恐ろしい思い込みが見られる。違う、違う。ソースが出せない擬似情報は積極的に(aggressively)取り除くべきものなのだ。これはあらゆる情報についていえることだが、分けても存命人物の否定的記述については特にあてはまる。[1]

とはいえ、「叩き上げ」といった人物評価は出典のない否定的記述ではないと考えられますので、現時点でとりわけそれだけを編集する緊急性はないようにも思われます。どうぞ出典をお探しください。他の編集者の方もご意見をどうぞ。--58.93.199.185 2010年2月21日 (日) 10:19 (UTC)[返信]

『園部町』と『園部村』[編集]

野中氏の出生地について「編集合戦」とも受取られかねない状況になりつつありますが、各種資料を当たってみると野中氏出生当時の『園部』は、全てが「村」ではなく「町」もあったこと、即ち同一地名での町制と村制の並立があったことが分かります。

http://www.kyoto-sonobe.com/sonobe2005/sonobe_hi.html

そこで、野中氏の出生地が「園部村」か「園部町」のどちらになるかです。 現在のところ、野中氏の自著『私は闘う』、海野氏の書いた伝記『野中広務ー素顔と軌跡』には「園部町」とあるのが確認できました。逆に、「園部村」とする文献を見つけることができません。よって、野中氏の出生地は「園部町」とするのが妥当ではないでしょうか?--Longlongsummer 2010年2月17日 (水) 14:31 (UTC)[返信]

町と村が並立していた事、存じております。「野中広務 差別と権力」によりますと、野中氏の地元は大村(現・城南町)という所でございます。各種地名事典に拠りますと、大村は町村制施行以降は園部村の大字ですので出生地は園部町ではなく、園部村なのではないでしょうか?--121.1.203.156 2010年2月18日 (木) 11:13 (UTC)[返信]

議論への参加ありがとうございます。この項目は『存命人物の伝記』に該当することは間違いないと思います。出生場所、自宅や実家の所在地を詳細に推定できるような地名は、本人のプライバシーの感覚や判断に拠るところが大きいと考えます。よって、本人の公表している内容を尊重した編集を行うほうがよいと考えますがいかがでしょうか?--Longlongsummer 2010年2月18日 (木) 14:08 (UTC)[返信]
それには異存ございません。ただ、当時の町と村どちらかと問われれば村が正解なので園部村とすべきです。大方の政治家の項目は出生当時の自治体名で表記されております。
ですので、園部村(現・南丹市)でいいと思います。--121.1.203.156 2010年2月20日 (土) 14:54 (UTC)[返信]
この『ウィキペディア』が政治家に限定した人物事典ではないはずです。だから、『大方の政治家〜』と比較して根拠とするのは非常に脆い記述だとと思います。出生に関しては政治家になる以前の話でもありますし、『大方の政治家』には歴史の偉人の子孫や大物政治家の子息などといったことをアピールをする人物もいます。よって、簡単に政治家だから「右へ倣え」とするのは、僕はよしとしません。やはり、『存命人物の伝記』を尊重すべきでしょう。
また、野中の出生地を詳細までに追った資料は、魚住昭『野中広務 差別と権力』に依るものではありませんか。この件については、その資料中に野中が魚住に対して抗議した記述もありますし、文庫版の魚住と佐藤優の対談でも野中が訴訟したら、魚住は敗訴するであろうと両名が一致していたはずです。野中自身のプライバシーに加えて、これらのことも充分に考えたうえで議論すべきではありませんか。--Longlongsummer 2010年2月20日 (土) 17:30 (UTC)[返信]
仰る事は良く分かりました。併し野中氏出生時園部町と園部村は当時別々の自治体でありました。どちらの出身かとなった時、客観的資料に照らし合わせて村である所を、町だとするべきだとは全く思いません。園部町が、園部村が町制を施行した後の同じ自治体ならまだしも、元は別の自治体なのです。事実を全て記載しろとは言いませんが、本人がそう言ってるからと明らかに事実と異なる記述を行ってもいいんですかね?園部村出身と記述して何か問題でもあるんですか?--121.1.203.156 2010年2月21日 (日) 13:48 (UTC)[返信]
編集の内容が、全て客観的資料や事実が基づくならよしとするならば、例えば、本名を未公表としているタレントも戸籍や住民票を資料として『ウィキペディア』に書けることになって、俗語的表現ですが「何でもあり」になりかねません。


この議論をあたって野中の自著、伝記を読み返しましたが、全てが船井郡園部町に生まれる(又は出身)となっていました。伝記はともかく、自著での表現を考えると『存命人物の伝記』にある「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」としたほうが安全ではないですか。


野中当人が「園部町に生まれる」と書いているにも関らず、「園部村」とする場合は、出典を明記や説明を付記することが必要に感じます。しかし、その後、その記述を読んだ野中当人がどう感じるであろうかを熟慮して御判断下さい。


また、あえて、指摘をしませんでしたが、ノートのページとはいえ、自著にも伝記にも新聞報道などにも記されていない地名までを記述することは非常に大きな問題だと思います。当人のプライバシー尊重もさることながら、現在も住んでいる住民のプライバシーにも配慮が欠けているいわざるをえません。--Longlongsummer 2010年2月21日 (日) 15:59 (UTC)[返信]
Longlongsummerさんの意見は私の疑問に対する答えに全然なってませんね。今問題なのは「安全かどうか」かではなく「正しいのか間違っているのか」ですよ。それに私は事実なら何でも書いていいとは申しておりません。しかし間違いを敢えて書く事は言語道断です。また、Wikipediaは百科事典であり、この項目は野中氏ご本人の為のではありません事を深くご認識下さい。--121.1.203.156 2010年2月22日 (月) 18:44 (UTC)[返信]
『私は事実なら何でも書いていいとは申しておりません』とおっしゃるならば、どの書籍にも出典のない「当人のプライバシー」の範囲に入るかもしれない地名まで、ノートとはいえ、記載されたのですか?これは、『存命人物の伝記』の内容を尊重されないと理解してよろしいのですね?--Longlongsummer 2010年2月25日 (木) 10:06 (UTC)[返信]
出典がないと仰いますが、「野中広務 差別と権力」にはっきりと記載されております。野中氏の抗議内容とは出生地が事実と異なるとの事ですか?--121.1.203.156 2010年2月25日 (木) 10:52 (UTC)[返信]
では、僕の思い違いかも分かりませんから、『野中広務 差別と権力』の何ページが御教示ください。--Longlongsummer 2010年2月25日 (木) 12:05 (UTC)[返信]
12ページ6行目に「―広務も大村で生まれた。」とあります。その他大村という地名は沢山出てきます。--121.1.203.156 2010年2月26日 (金) 10:35 (UTC)[返信]
「大村」なる地名のことを申し上げているのではありません。--Longlongsummer 2010年2月26日 (金) 12:04 (UTC)[返信]
大村が当時園部村であった事までは記載されてはおりません。地名事典その他で補い、大村は当時園部村の大字であったと注記しましょうか?--121.1.203.156 2010年2月26日 (金) 13:20 (UTC)[返信]
  • そもそもこの議論は、「野中氏出生当時は園部町と園部村が並立しておりどちらの出身か?」という事の筈では?論点を掏り替えるのは止めて頂きたいですね。プライバシー云々は別の議題とすべきです。--121.1.203.156 2010年2月26日 (金) 13:28 (UTC)[返信]
僕はあなたの編集作業が野中氏や住民のプライバシーに影響することは最初から危惧していました。こちらとしても慎重に書かざるをえなかっただけです。だから、あえてノートには間接的に書いていただけです。--Longlongsummer 2010年5月8日 (土) 02:09 (UTC)[返信]

出生地について[編集]

 野中氏の出生地について、旧自治体名まではともかく、大字名まで書く傾向が見受けられます。いくら、書籍にあるとはいえ、大字名まで書く必要があるのでしょうか。注意が必要と考えます。--Longlongsummer 2011年2月21日 (月) 08:10 (UTC)[返信]


脚注[編集]

  1. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「Jimbo」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません

死去[編集]

先程のNHKの18時(日本時間)のニュースの最後に死去のニュースが流れました。 Kk8998982会話2018年1月26日 (金) 09:14 (UTC)[返信]

ソースです。 [1] Kk8998982会話2018年1月26日 (金) 09:16 (UTC)[返信]