ノート:苦しみの杭/ログ

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著作権侵害の疑い

まず、十字架 stauros/crux をこのように訳すのは 私の知る限り  エホバの証人 だけです。 この項目については「エホバの証人用語。十字架をこのように訳す」と簡潔に記載するにとどめることを おすすめします(個人的には記事自体なくてもよい。十字架のところに一言記載すればよい)

さて、エホバの証人の文書のCD-ROM データベースがあるのですが、それによると

使用許諾契約

本契約は,本契約と共に提供する製品--コンピュータ・ソフトウェア,電子文書,付属媒体,および印刷物等(以下,まとめて「本製品」と言う)--に関する,あなたとWatch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania(以下,「ものみの塔協会」と言う)との間の法的な契約です。本製品をインストールまたは他の方法で使用することにより,あなたは本契約の条項に同意したことになります。本契約の条項に同意できない場合は,本製品をインストールまたは他の方法で使用しないでください。その場合,本製品をものみの塔協会に返送するか,本契約の条項に拘束されることに同意するユーザーに渡してください。


1. 著作権。「Watchtower Library--2001 CD-ROM」およびその中に収められているデータやプログラムすべて(以下,「本ソフトウェア」と言う)は,ものみの塔協会の所有であり,アメリカ合衆国(以下,「米国」と言う)の著作権関連法規,および著作権に関する国際的な諸条約,ならびにその他の知的所有権に関連する法規および条約によって保護されています。あなたは本契約に明記されている場合を除いては,本ソフトウェアあるいは付属印刷物(以下,「印刷物」と言う)を複製することはできません。


2. ライセンスの許諾。ものみの塔協会は,本ソフトウェアを個人的に使用する権利をあなたに与えます。本ソフトウェアをネットワーク機能を利用して使用したり,インターネットに載せたり,インターネットを介して使用したりすることはできません。本契約に示される制限のもとで,本ソフトウェアからプログラムおよびデータをあなたが個人的に所有するコンピュータのハードディスクにコピーすることはできます。コピーされたデータはどれも非営利目的でのみ使用されなければなりません。本製品に含まれるデータの一部を営利目的で複製および配布することはできません。あなたは本ソフトウェアのすべてと,印刷物のすべてを第三者に渡すことができますが,それは当該第三者が本契約のすべての条項に同意する場合に限られ,当該第三者は本ソフトウェアを保持または使用したなら,本契約のすべての条項に同意したものとみなされます。そのような引き渡しをした場合には,あなたは本ソフトウェアと印刷物およびそれらのいかなる複製物も取っておくことはできなくなり,本ソフトウェアをあなたのコンピュータにインストールされたままにしておくことはできません。


3. 使用の制限。あなたは,以下の事柄のどれも行なうことはできません。印刷物を複製すること;本ソフトウェアの全体あるいは一部を,配布する目的で,いかなる種類のものであれコンパクト・ディスクその他の媒体を用いて複製すること;ものみの塔協会の雑誌,冊子,パンフレット,書籍のいずれについてもその1冊全体を,配布する目的で,本ソフトウェアから印刷すること;本ソフトウェアを改変すること;本ソフトウェアをリバースエンジニアリング,逆アセンブル,逆コンパイル,ディスアセンブル,ディコンパイルすること;第三者に本ソフトウェアのライセンスを与えること,あるいは本ソフトウェアを有償無償を問わず貸与すること;他のアクセスプログラムによって本ソフトウェアを使用すること;ユーティリティーを含む新しいあるいは派生的製品を作成するために,本ソフトウェアの備えるサブルーチン(.DLLルーチン)を使用する,あるいは呼び出すこと;ものみの塔協会の著作権表示あるいは標章の表示を削除する,あるいは隠すこと;本ソフトウェアおよび印刷物を何らかの営利目的に使用すること。

ですので、出典を明らかにしないC&Pは使用許諾条件に違背するようですね。つづく。

ではここで、Watchtower Library 2001 で当該記事のソースがあるかどうか検索してみましょう。 検索語として第一パラグラフの「死につけられた際に」を付け加えて見ます。すると 回答数は1. 『洞察』という出版物からです。以下引用。

苦しみの杭

(くるしみのくい)(Torture Stake) イエス・キリストが杭につけられて死を遂げた際に用いられたような刑具。(マタ 27:32‐40; マル 15:21‐30; ルカ 23:26; ヨハ 19:17‐19,25)新世界訳の中で「苦しみの杭」と訳されている言葉(スタウロス)は,古典ギリシャ語ではおもにまっすぐな杭もしくは柱を表わしており,クリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者たちがこの語を,横木の付いた杭を指して用いた証拠はありません。―「杭につける」; 行間,1149‐1151ページを参照。

引用終わり。 他のパラグラフは別の出版物からのほぼC&Pですが、  これは 1.原典の使用許諾に違背している 2.特定教団の宣伝に堕しており中立的な記述といえない 点で、そのまま Wikipedia の記事とするには問題があると考えます。  またこの記事の投稿者は、ノートをみればおわかりいただけるように、このような注意をすでに何回も 受けております。投稿禁止かそれに類する措置を必要とするかと考えますが、いかに。

KIZU氏へ:「Watchtower Library CD-ROM」は現段階でバプテスマを受けたエホバの証人のみが所有できます。あなたがエホバの証人でないなら、それをものみの塔協会へ返却するようお勧めします。それは著作権侵害行為です! ご指摘の点ですが、わたしが仮に部分的に引用しているとしても著作権違反とはなりません。営利目的ではありませんし、1冊全体を引用しているわけではないからです。もし、部分的に引用することが違反となるのなら、あなたがここにLibraryの使用許諾契約を記載すること自体が著作権侵害となりますし、エホバの証人は宣教活動ができなくなります。K.M. 01:19 2004年2月17日 (UTC)

K.M.さん、こんにちは。日本の著作権法には、引用に関する規定があり、その規定に合わない形での著作物の引用は多くの場合著作権違反になります。規定の中には、出所を明記すること、引用部分とそうでない部分が明瞭に区別できるようにすること、引用部分が主にならないこと、などが含まれています。K.M.さんの記述はそれらのいずれかに反しているように思われますがいかがでしょうか?
一方、CD-ROMを信者でない方が入手した場合ですが、所持自体は著作権法では規定されていないようなので、問題ない可能性もあると思います。
ただ、ご指摘の通り、使用許諾条件を全文引用することは、同じように引用の規定に外れている可能性が高そうですね。Tomos 01:30 2004年2月17日 (UTC)
まず、使用許諾条件の引用は全文ではありません。K.M.氏の活動に必要な範囲のみを引用しています。また、引用範囲については必要十分な量ですので、日本法には違背しておりません。
次に K.M.氏は「宣教活動ができない」といっています。つまり、これは氏の投稿が Wikipedia の理念である中立的記述ではなく「エホバの証人の宣教活動」であることを暗に表明されたのだと解釈いたします。ゆえに、K.M.氏はただちに Wikipedia での宣教活動をおやめになることを GNU 利用者としておすすめいたします。
わたくしの利用が使用許諾条件に反しているかどうかですが、私が「エホバの証人」であるかどうかは、私のプライヴァシーに関わる問題であり、現時点でここで表明するつもりはありません。K.M.氏におかれましては、そのような想定の根拠をお示しになることをまずお願いいたします。KIZU
追記。WL2001の利用許諾条件の中には「エホバの証人の著作権を表示する」というくだりがあります(三項参照)。いっぽう、K.M.氏は出典が WL2001 であることを上掲文でみとめ、かつ自身が利用許諾条件を知っていることを明らかにしておりますが、彼の記事で出典を明記したものはありません(孫引きの引用ソースはあるが)。このことから、K.M.氏が中立的な記事を装って、出典をあきらかにせず宣教活動を行い、かつこのことは WL2001 の使用許諾条件に違背していることを承知している と私は推論いたします。 中立的でないこと、利用許諾条件に違背していること、これらのことで氏の投稿には問題があると考えます。KIZU.

著作権法に違反していても、著作者があえて黙認することは珍しくはありません。ある人の転載は、自分に都合が良いから黙認し、ある人の転載は都合が悪いから訴える、ということは、何もおかしいことではありません。エホバの証人においても、それは当然のことと思います。が、ここはGFDLとの整合性が問題になりますので、K.M.さんがエホバの証人に都合の良いように転載しているからそれでよい、とは限りません。※個々の違反の有無については私は専門外なので解釈をくだしませんが。 Kozawa 01:41 2004年2月17日 (UTC)

「付録」の中に

==

Watchtower Libraryはだれが受け取ることができますか。 Watchtower Libraryはエホバの証人のための調査用ツールです。一般の人々,あるいは学校や図書館などの施設のためのものではありません。

==

とあります。K.M. 02:21 2004年2月17日 (UTC)

補足です。Kozawaさんの指摘された点(著作権法に違反していても黙認することがある)については同意見です。ただ、ウィキペディアでは、コンテンツを誰でも他の方が無断で改変できるし、配布や商業利用をしてもよい、ということになっています。(Wikipedia:Text of GNU Free Documentation Licenseに利用許諾条件の全文があります。)
そういう利用をしても黙認してもらえることに賭けるのも何ですので、削除するか、許可をもらうかした方がよいと思います。
また、KIZUさんがCDを所有する資格を持っているのかどうかは僕は存じていないのですが、もしかするとKIZUさんにCD-ROMを譲渡したり貸与した方が何かの契約違反を侵した形になっているのかも知れないとは思います。
ただ、それとは別に、K.M.さんの投稿には問題がありそうだ、という点については異論はないでしょうか?
また、Wikipedia:削除依頼 2004年2月で他に広辞苑からの転載とおぼしき投稿が指摘されていることに気がつきました。引用については引用の記事中に少し説明がありますよかったらご参照頂けますでしょうか?Tomos

わたしはエホバの証人の宣教活動で記載しているのではありません。わたしは現在Wikipediaに記載されている内容があまりにもカトリック教会やプロテスタント教会寄りだと思い、寄稿したまでです。
たとえば聖母マリア(英語版ではイエスの母マリア)などは主題からして明らかにそうした団体寄りに書かれていました。人物紹介もそうした団体寄りでした。それで、一部改定しました。
もし、世界的に認知されている、メンバーの多い宗教なら良くて、エホバの証人のようなあまり知られてない(?)、メンバーの少ない宗教ならだめ、とおっしゃるのなら、それは差別的な扱いだと存じます。 それと、一部「広辞苑」と内容が似ていたという点については謝ります。K.M. 06:45 2004年2月17日 (UTC)

とりあえず著作権については、著作権法に照らしても(いわゆる公正な引用の慣行に則していないので)、CD-ROMの利用許諾に照らしても(出典の明記をしていない点で)問題がある、ということになるようですが、それでよいでしょうか? >K.M.さん
もしそうでしたら、これまでに、同CD-ROMや他のソースから転載(部分的にであれ、全面的にであれ)したものや、一部改変したもの、あるいは要約して用いたものなどをまとめて教えて頂けますでしょうか? こういうトラブルに対処するのは時間がかかるので、ご協力を頂ければと思います。
中立性については、原則論としては、KIZUさん、K.M.さんのどちらの論も一理あると僕は思いました。主流派の見方ではないものをそうであるかのように提示するのは中立的ではないですし、逆に主流派以外の見方が存在しないかのように書くことも中立性のポリシーに反すると思います。Wikipedia:中立的な観点に定められているポリシーを適用すると、主流派の見解と少数派の意見とを、それぞれ主流派、少数派、ということがわかるように提示するのが中立的、ということになると思いますが、いかがでしょうか? もう少し詳しくは、ノート:パレスチナ問題に以前書いたのでよかったらご参照下さい。Tomos 16:51 2004年2月17日 (UTC)

十字架と杭、元のギリシャ語は同じでも表しているものはぜんぜん違うわけですから、KIZU氏のおっしゃるように両論併記というやり方には承服できません。それに、十字架の記事のところに杭について書くと、十字架の記事を書いた方の反感をさらに招くのではないでしょうか。さらに、エホバの証人の見方があまりにも理に反している、と自己主張しているようなものです。K.M.

編集合戦になっているようなので一時的にページ保護します。投稿者各位はまずノートで議論して合意を得るようにしてください。Michey.M 10:13 2004年2月18日 (UTC)

編集合戦についての議論は本ノートのほかK.M.氏の利用者ノートにまたがって行われています。なお、ここで指摘されている問題は K.M.氏の編集したほとんどの記事に指摘されることを付記しておきます。KIZU 10:21 2004年2月18日 (UTC)

本文の中に記載者の名誉を傷つけるようなことを書くのはいかがかと存じます。それに、KIZUさん、あなたがエホバの証人でないことは明白です。証人は個人を誹謗・中傷するようなコメントを書いたり、証人に反対している哲学者を紹介したりしないからです。再度警告します。Libraryを協会に返却しなさい。あなたはそれを使用する権利を有しません。返却しないなら、協会と相談し、法的措置を講じます。また、Wikipediaの編集者の方々、もしKIZUさんの肩をもたれるのでしたら、このサイト自身も法的処置の対象とします。K.M.

著作権のある物の投稿は禁じられています。まずあなたが違反されていますが、それを批判したら誹謗や名誉毀損だとされるならば投稿内容を引き上げてください。

引き写さずに投稿する事も可能だとは思いますが。Johncapistrano 11:43 2004年2月18日 (UTC)

私自身が能動的に調査した訳ではありませんが、上記の議論、そこで提示された情報をみる限りでは次のように思いました。

  • 利用者の制限が書かれている「付録」というのが利用許諾条件の一部なのかどうか分かりませんが、もしそうだとしたらKIZUさんは協会の著作権を侵害しているということになるでしょう。そうでないとしても、著作者の意志に反する利用と言うことで、法的義務はないながらも返したほうが親切ではないかと個人的には思います。
  • 十字架と杭は日本語としては違うものなので、別の記事にするという選択肢もあるかと思います。しかし、積極的に分離すべきと言う理由も思い当たりません。
  • 分離するにしても、世間で一般的な名称である十字架の記事の中に苦しみの杭について一定量の記述があったほう利用者にとって親切かと思います(単にリンクするだけでなく)。
  • キリスト教主流派の間では支持されていないという事実を隠して記述しようとしない限り「十字架の記事を書いた方の反感をさらに招く」とは思えません。また、もしそういう人がいたとしてもその感情は適切ではありません。「苦しみの杭」が世間で「十字架」と呼ばれているところの刑具についての見解である以上、少数意見が少数意見として紹介されるのは奨励されることだと思います(いわゆる1000人ルールもクリアしているでしょう)。
  • KIZUさんが指摘していらっしゃる転載の疑いが晴れない限り、ものみの塔協会の著作権を守るために当該記事を削除せざるを得ないと思います。K.M.さんには、この記事が協会の著作物から派生したものであるのかそうでないのか、回答をお願いします。

Yugui 14:44 2004年2月18日 (UTC)

わたしはこの記事が協会の著作物から派生したものでないと考えます。問題の出だしが協会の出版物と似ていたことについては謝ります。もしそうなら、書き直せばよいと思います。またこのことで、この記事がエホバの証人用語だと証明されたことにはなりません。よって、KIZUさんの記載は不当と存じます。十字架の記事の中に苦しみの杭について一定量の記述があった方が良い、という点ですが、たしかにそれも可能です。しかし、それは読者に、エホバの証人に対する偏見を持たせることになるかもしれません。クロスリンクにとどめておくのが無難かと存じます。K.M. 02:31 2004年2月19日 (UTC)

私は、協会の著作物を見ることができませんし、著作権問題の専門家でもありませんが、個々のケースについて判断は下しませんが、丸写しでなければ著作権上大丈夫とは限りません。著作権上問題があるのであれば謝っていただく必要もなく削除と判断され(書き換えても、履歴に残りますので)、著作権上問題がないのであれば、謝っていただく必要もありません。とりあえず、元の文章との比較で著作権上の問題がある可能性を指摘する人がいる以上は、wikipediaとしては保守的に行動せざるを得ないでしょうね(賠償責任等を考えれば、やむを得ないでしょう)。
著作権法に違反しない範囲で、第三者にわかるように、具体的に大丈夫であると考えるべき根拠とそうでない根拠を具体的にご提示いただけませんか?>KIZUさん、K.M.さん
今回のように元の文章を確認することが困難な、ケースはどのようにしたものでしょう。
Kozawa 03:04 2004年2月19日 (UTC)
協会の文書は、現在無償で入手可能です。関心をおもちなら、お近くのエホバの証人の王国会館かまたは神奈川県海老名市の日本支部にお問い合わせになったらいかがでしょうか。当該記事のソースは私の記憶する範囲では『洞察』および『参照付き新世界訳』の付録に見えます。お時間をいただければ電子化される前のデータの頁数を示すことは可能です。いつになるかはわかりませんが。KIZU 06:02 2004年2月19日 (UTC)
お返事ありがとうございました。著作権の問題に関してはKozawaさんが書いていらっしゃるので繰り返すことはしません。もう一点について伺いたいと思います。
「それは読者に、エホバの証人に対する偏見を持たせることになるかもしれません」という理由が良く分かりませんでした。世間で十字架と呼ばれている刑具について「杭であったという可能性が強い」と考えたりその意見を表明するのは一般には全く正当なことですし、それが少数意見であるという事実を隠さない限りウィキペディアにおいても全く正当な(というよりも積極的に奨励される)ことですが、それが何故偏見をもたらすとお考えなのでしょうか。Yugui 05:56 2004年2月19日 (UTC)
この記事は書き換え自由なので、KIZU氏のようにエホバの証人に強い反感を持つ方が今回のように作成者にたいする個人攻撃に利用することがあると考えるからです。また、同時記載にするとどうしても少数意見者が多数意見者との激しい議論に巻き込まれます。そのことは聖霊の記事を見ても明らかです。K.M. 08:03 2004年2月19日 (UTC)
KIZUさんに明確な個人攻撃の意図があったのかどうかは分かりませんが、少なくとも会話ページへのリンクによって結果として個人が攻撃されやすい状態を作ってしまったと認識しています。しかし、これは記事の分離によって解消されるでしょうか? もしくは抑制されるでしょうか? あまり関係ない気がしてしまいます。
聖霊のrevert合戦も大体のところを拝見しましたが、これは少数意見を少数意見であると述べることについて争っているように見えました。ですから、これは記事の正確性に対する問題であって異なる意見を並立することによって生じた問題ではないと思います。
あちらのノートでKIZUさんが挙げているように、エホバの証人以外にも人格性を否定する教派はあるので、単純に「エホバの証人による理解」と限定してしまうのは問題かもしれません。これは、上で苦しみの杭について指摘していらっしゃるのと同様です。ノート:聖霊に私が提案した方法ではいかがでしょうか。
Yugui 09:45 2004年2月19日 (UTC)

削除依頼

苦しみの杭Wikipedia:削除依頼_2004年2月#2月20日に、K.M.さんによる削除依頼が提出されました。

論点のまとめ

Wikipedia:削除依頼_2004年2月#2月20日においてK.M.さんが対話の打ち切りを宣言なさったことはとても残念です。

私としては、現在十字架および苦しみの杭で対立している執筆方針について合意が形成され、それを持って管理者にロックの解除をお願いするのが望ましいと思っています。ですので、この場でもう一度、どのような点で対立しているのかをまとめてみたいと思います。(以下、発言者名は敬称略)

記事の分割について

  • 十字架と杭、元のギリシャ語は同じでも表しているものはぜんぜん違うわけですから、KIZU氏のおっしゃるように両論併記というやり方には承服できません。(K.M.)
  • 十字架と同一の記事にするか否かについては、僕はどちらでもよいように思います。別の記事にするなら、十字架と苦しみの杭の2つの記事の間に相互にリンクが張られているのがいいでしょう。 (Tomos)
  • 十字架と杭は日本語としては違うものなので、別の記事にするという選択肢もあるかと思います。しかし、積極的に分離すべきと言う理由も思い当たりません。分離するにしても、世間で一般的な名称である十字架の記事の中に苦しみの杭について一定量の記述があったほう利用者にとって親切かと思います(単にリンクするだけでなく)。(Yugui)
  • 同時記載にするとどうしても少数意見者が多数意見者との激しい議論に巻き込まれます。そのことは聖霊の記事を見ても明らかです。(K.M.)
  • [聖霊]]のrevert合戦も大体のところを拝見しましたが、これは少数意見を少数意見であると述べることについて争っているように見えました。ですから、これは記事の正確性に対する問題であって異なる意見を並立することによって生じた問題ではないと思います。(Yugui)

まとめ。分割すべき理由は

  • 物体として別のものであるため
  • 少数者が議論に巻き込まれる原因を作るため

前者について反論は挙がっていない。後者について、Yuguiは良く理解できなかった。

分割すべきでない(もしくは互いに他方について一定量の記述を含むようにする)理由は

  • 読者が「杭か十字か」という問題について意見の対立があるという事実を把握しやすい。

これについて反論は挙がっていない。

原著の著作権は切れていても、翻訳されたのが新しければ訳文の著作権はあるはずで、それをそのまま使ってしまったり原文を見ずに適当にいじってあたかも自分の翻訳であるかのようにしてしまうのは著作権侵害や剽窃になりますね。世間では時々見かけますが (^^;)。今回の場合はいかがなものでしょうか?
それはさておき、他のところでも申し上げましたが、ここでの皆さんの一連の言動を拝見している人たちのエホバの証人への印象は、かなり悪化しているのではないかと危惧するものです……。Kadzuwo 22:34 2004年3月12日 (UTC)

苦しみの杭の著作権問題について

この記事で議論がなされ、著作権法上グレーであるという流れになっています。K.M.さんからも、

  • ものみの塔協会の出版物と極似しており、著作権違反の恐れが否定できない。(K.M.)

ということで賛同がありました。

十字架の著作権問題について

十字架#起源に次の書籍からの転載が見られる。

  • 『ブリタニカ百科事典』(1946年版)
  • 『新約聖書用語解説辞典』(ロンドン,1962年)
  • 『宗教儀式・建築・美術における十字架』(ロンドン,1900年)
  • 『死者の崇拝』(ロンドン,1904年)
  • 『性崇拝の歴史概説』(ロンドン,1940年)
  • 『コンパニオン・バイブル』、付録No.162

これについての主なコメントは、

  • 出典元を書いているので、著作権法違反という主張は該当しません。いつまでこういう悪質な嫌がらせを続けるのでしょうか。人間性を疑います。(K.M.)
  • K.M.さんは出典を示せば著作権法違反になりえない、とされていますが、引用にも紹介されている通り、日本の著作権法で認められている公正な慣行に沿った引用は、出典を示す以外にも、量的・質的に引用部分が従であること、引用の範囲に必然性があること、などの条件を満たしている必要があります。それらの条件を満たしているかというと、どうもそうでもないように思いませんか? ただ、1900年に出版されたものなどは、著作権の保護期間を過ぎているかも知れません。そうだとすれば別に出典を示さなくても問題ないわけですが。 (Tomos)
  • 正当な引用であるかという問題のほかに、GFDLを標榜するウィキペディアではそもそも正当な引用でさえ困難がつきまといます。GFDLである以上、ここに記載されたものは好きなように加工して再利用できると宣言していることになります。それは引用された文章にまで適用されるので、結果としてあたかも教団の文書が二次利用可能であると勝手に宣言しているのと同じことになってしまうのです。(Sampo)

まとめ。

  • K.M.さんは出典を示しているので著作権法上問題がないと考えている。
  • これについて、法律やGFDLの理解に問題があるという指摘。
  • その指摘についての回答は現在はない。

私の記憶する限りでは、それらの文献にはほとんど邦訳がありませんし、日本で所蔵する図書館も少数です。また協会の資料で酷似した文章をみた記憶があります。お時間をいただければ調査できますが。KIZU 22:21 2004年2月20日 (UTC)

苦しみの杭の記述内容について

  • 苦しみの杭がエホバの証人の特殊な用語であることを指摘する修正を 複数回にわたって削除している方々? がおられますが、少数意見を少数意見であると 断るのが客観的既述というものです。(KIZU)
  • 苦しみの杭がエホバの証人のみの特殊用語かどうか証明されていないからです。また、リンクしてある記事からして少数意見であることは一目瞭然です。別に含み出しにでっかく書く必要性はないでしょう。(K.M.)
  • 記事は完結したものとして書くのが百科事典というものです。必要性がないとして、 書いていけない理由がないことは同意いただけますか? (KIZU)
  • K.M.さんとしても少数意見であることを隠蔽するつもりではない、ということでよろしいでしょうか。また、エホバの証人がキリスト教の中では少数派に属するというのもよいでしょうか。そうであれば、苦しみの杭の記事はキリスト教用語の一覧などからリンクされていることを考えても、記事の冒頭部分に、少数派意見であることについて一言断りがあるのはよいと思いませんか? (Tomos)
  • エホバの証人でしか用いられていないことを誰かが証明するまではエホバの証人の特殊な用語だということを明記しないべきなのか、逆に、エホバの証人だけが用いているわけではないということを誰かが証明するまではエホバの証人の特殊な用語だという風に書いておくべきか、という点について考えてみましたが、どちらの証明も不可能であれば、「エホバの証人のみが用いる特殊用語だと考えられることも多い」という形で、そういう認識があることは明記し、その真偽については断言しない、という形でもよいかと思いますがどうでしょうか。 (Tomos)

まとめ。次のことについて異論は無いようである。

  • 苦しみの杭という表現や見解はキリスト教を名乗る教派全体の中で少数派である
  • 少数派の意見を少数派の意見であると明記することは適切である
  • 苦しみの杭という表現や見解が本当にエホバの証人に固有のものであるかどうかはこの場では判明していない。

次の解決策が提案されている。

  • 「エホバの証人のみが用いる特殊用語だと考えられることも多い」という形で、そういう認識があることは明記し、その真偽については断言しない

これについてコメントはついていない。

(補足:K.M.さんは利用者-会話ページの方で賛成されています。[1]Tomos

十字架の記述内容について

  • 十字架の記事にある「十字架は……キリスト教という信仰を象徴する」というくだりを訂正してほしいと存じます。これが事実なら、エホバの証人はキリスト教ではないという印象を読者に抱かせ、「読者を誤導する」恐れがあります。(K.M.)

その部分を執筆した者として個人的に申し訳なく思っています。あれを書いた時点ではエホバの証人の意見を完全に失念していました。(後略) (Yugui) Yugui 04:55 2004年2月20日 (UTC)

(前略)また、エホバの証人がキリスト教に含まれない印象を与えるとのコメントですが、エホバの証人はその出版物で他の教会を「大いなるバビロン」「キリスト教世界」と呼び、同一視をこばみ、自らを「真のキリスト教」と呼んでいます。後者はどの教団でもいうことなので置いておいて(w 他をここまで峻別する教団はプロテスタント諸派に一部あるくらいです。 エホバの証人がキリスト教に含まれる という言い方は、ある意味教団の教義とも違背するのではないですか?KIZU エホバの証人では、『大いなるバビロン』とは古代バビロンに起源を持つ慣行を持つすべての宗教団体をさしています。「キリスト教世界」とは異教の慣行を持つキリスト教のグループを指します。わたしたちは「キリスト教(Christianity)」と「キリスト教世界(Christendom)」で意味を使い分けています。「キリスト教(Christianity)」の中に、「真のキリスト教」と「キリスト教世界(Christendom)」が含まれると考えております。K.M. 13:37 2004年2月20日 (UTC)

折角ですからそういったことのエホバの証人への執筆をお願いしてもよろしいでしょうか。
エホバの証人から見て他のキリスト教を名乗る教派がどのように判断されるのか、ということで。エホバの証人#教義にエホバの証人に「対する」判断は書かれていますので、そのあとに書き加えるとフェアになってよいかと思います。
それから、苦しみの杭が一旦削除された後に、今度は問題ない形で再投稿するかあるいは十字架に1セクションを設けて論じる形にするのかを考えないといけないと思います。また、十字架の記述それ自体にも、K.M.さんが指摘して下さった私のミスを含めて検討すべき点があると思います。これらについて上にまとめて見たつもりですが、K.M.さんはどのようにお考えでしょうか。Yugui 13:55 2004年2月20日 (UTC)

non content-based problems

ノートのサイズが38KBに達したので、十字架に特化した内容をノート:十字架に移します。KIZU

整理依頼

管理者様。新規の書き込みに支障がありますので、ここを整理していただけないでしょうか。宮原崇 07:33 2004年3月16日 (UTC)