ノート:美術

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典拠[編集]

典拠は個々の記述にできるだけ「全文」を記述しましょう。「全文」がなければ書誌を。「全文」はできるだけウィキソースWikisource:首页Wikisource等に貢献しましょう。「Wikipediaは典拠の信頼性が最重要」と思いますので。--信國伯堂 2011年5月22日 (日) 02:53 (UTC)[返信]

議論[編集]

この項目は「美術史」の方がふさわしい感じですねー。美とは何か、とかアートと社会の関わりなどについても書くべきでは? --忠太 2004年11月13日 (土) 02:07 (UTC)[返信]

少し思ったのですが東洋美術の中で、仏教美術は独立している意味があるのでしょうか? 各国ごとに組み入れたほうがよいのではないでしょうか。 なんとなく、中国美術と仏教美術が並んでいるのはおかしな気がします。 日本仏教美術で独立したページがあってもよいと思います。いかがでしょうか? Kurohoushi 2005年2月1日 (火) 12:54 (UTC)[返信]

西洋美術史とキリスト教美術史のような関係ですかね?私は各国の美術史は別の項目に書いて、この項目には「美術」の概念を書くべきではないかと。--忠太 2005年2月1日 (火) 16:40 (UTC)[返信]
これまでの「美術」の実際の内容は、9割方が「西洋美術史」に関する記述であり、日本美術史などの記述が今後進むべきことを考え、「西洋美術史」として移動しました(履歴を生かすため)。その上で「美術」として残す記述は、こちらにコピペしました。(移動後の「西洋美術史」2005年2月2日 (水) 06:29 の版よりコピー&編集)。なお、「美術書に強い書店」へのリンクは外しました(くだらんので)。--忠太 2005年2月2日 (水) 13:04 (UTC)[返信]
括弧書きの「くだらん」の一言の言葉に反応しておきます。ウィキペディアにおいて、何が下らなくて、何が下るのか。おそらくは確たる結論や方針はでてこないと思います。他の記事やノートでの議論の言動は知りませんが、こと美術の記事のノートで吐き捨てるような言葉は似合いません。文字によるコミュニケーションでは書かれた文言だけで書き手の人格を判断・断定することもあり、重ねて使われた言葉によって、当該発言以降の他の記事やノートでの発言にバイアスやフィルタリングがかかることが十分に予測できます。複数の事例において、そういった言動をされる方は、そのような方だと判断し、書かれた記事の信憑性の判断基準の一つにもしますので、僭越ながら今後は同様の表現を用いないようにご忠告申しあげます。もし、前記内容にご理解が得られ、括弧書き部分を削除されるようでしたら、この文章も削除してくださって結構です。Koba-chan 2005年6月28日 (火) 05:42 (UTC)[返信]
いかようにご判断いただいてもやむをえません。 --忠太 2005年6月28日 (火) 10:40 (UTC)[返信]

こんにちは、Koba-chanです。
建築に{{Template:美術}}が貼られたので、元を遡ってこの記事に行き着きました。ざっと解説を眺めた感想として{{正確性}}を貼って一悶着は起こしたくないので、取り敢えず、ノートに書きます。
現在のジャンルセクションに括られている各項目は概念的な美術、美術品、視覚芸術が最低限度の定義や解説もないままにごっちゃに並んでいます(断定)。現在英語版へのリンクは Visual arts になっており、視覚芸術という言葉が日本語の中で定着している点から、この記事全体の見なおしが必要と感じます。もし、今のまま解説を維持して他言語と合致させるなら Fine art(s) が適切だと感じます。加えて、美術の字引的な解説や外部の定義は取り敢えず横に置いたとしても、ウィキペディア内における定義が曖昧なまま、テンプレートを貼るのは好ましい作業ではないと感じます。芸術のような感覚的かつ個々人毎に評価や判断が異なる事象をあつかう項目は結論を急がず、堅実な分類を行ない、周辺記事を充実させながら発展させていくようにするのが良いのではないでしょうか。Koba-chan 2005年6月28日 (火) 05:42 (UTC)[返信]

総論部分が弱いのはWiki全体の傾向かもしれませんが、この項目もご指摘のとおりお寒い状態で執筆に関わった一人として力量不足を痛感し、忸怩たる思いがいたします(テンプレートを貼ったのがどなたかは存じませんが)。しかし「美術」という項目のない百科辞典も考えられませんので、何とかもう少し充実を図りたいものと考えております。「結論を急がず」長い目で見ていただければ幸いです。 --忠太 2005年6月28日 (火) 10:40 (UTC)[返信]
忠太さん、こんにちは。日頃の建築史関連の精力的な編集活動、お疲れさまです。文章を新規に起こすほどの力量がないため、加筆のお手伝いができずに申し訳ありません。遠くのほうで日々成長している記事を楽しく拝見しています。
ところで、「美術」の解説についてですが、大自然の自然美や造形美に対して「人の手による『美』」という意味で、アートがアーティフィシャルに関係したことが書かれていないようです。お時間ございましたら、語源部分に加筆して頂ければ幸いです。
とりあえず、私のほうは美術に関して微力ながらテンプレート廻りの記事の充実を取り急ぎ図りたく、アニメ・コミック世代に対抗して正統派のイラストレーションの解説をすべく、関連の画像貼りから着手しました。この手の関連記事は本論・各論ともに、ゆっくりしながらも堅実な記事に育てていきたいものです。色々と生意気なことを書きまして、失礼しました。Koba-chan 2005年6月28日 (火) 13:41 (UTC)[返信]
こんにちは。テンプレートを貼った張本人です。お騒がせして申しわけありません。(Koba-chanと編集競合しましたが書き直すエネルギーが残っていないのでそのまま投稿させていただきます)白状しますと、どうも美術方面が弱いような気がして、最初はポータルを作ってみたのですが成功したとは言えず、プロジェクトを立ち上げても人が集まらないような気がして、ならテンプレートで誘導すれば識者の目に留まるかもしれないと思いついて、作ってみたのでした。(お叱りはなかば覚悟の上、不適切だとお思いならテンプレートははがしていただいても不服は申しません)--miya 2005年6月28日 (火) 13:51 (UTC)[返信]

建築の記述[編集]

建築について加筆いただきましたが、記事全体のバランスとして、建築に関する部分のみが長すぎる印象を受けます。 「日本では、建築が工学的側面から捉えられることが多く、美術と捉える意識は薄い。この理由として、明治以降の急速な近代化=西洋化の必要から建築もまず技術として受け止められたこと、また濃尾地震・関東大震災などの教訓から地震国日本ではまずは構造的に強固な建築物を造る必要があったことなどが考えられる。大学教育で見ても、芸術学部系と工学部系の建築(学)科があるが、後者の方が圧倒的に多い」といった程度にまとめてはいかがでしょうか。 --忠太 2005年7月2日 (土) 13:47 (UTC)[返信]

忠太さん、こんにちは。
同じことを感じながら、記事全体のバランスは他の項目が増えれば済むと判断して敢えて少し多めに書いてみました。現在の大学等の学校教育については入学試験時にデッサン等の科目があるものを芸術系として括ろうかとも感じたのですが、全てが全てでもないですし、美術の記事にそこまで書いて良いのか逡巡して書かずに歴史的な観点までの記述に留めました。記事全体のバランスについては、しばらく放っておくという回避策もあるのではないでしょうか。あと、地震についての関東大震災は美術からかなり外れると思うのでもうしばらく周辺記事を充実させてから「近代建築史 (明治・大正・昭和)」のようなうまい記事を立ててまとめていくという方法もあるのではないかと感じました。Koba-chan 2005年7月2日 (土) 14:05 (UTC)[返信]

本項においてはピカソ、ミケランジェロなどの固有名詞を一応除いて記述しています(将来加筆されるかもしれませんが)。「堀口捨巳・山田守・石本喜久治・森田慶一・瀧澤眞弓」などの一般に知られていない人々が登場するのはいかにも不釣合いに感じますので、おいおいバランスの取れた記述にする必要があると思います。それから関東大震災の影響は決定的だろうと思います。あと、建築は他の芸術と異なり、社会性を強く帯びるものですので、建築家の自己表現の場と思われるのも少々困り物ではありますね。 --忠太 2005年7月4日 (月) 14:42 (UTC)[返信]
日本の近代建築についての記述を「日本建築史」へ移動させていただきました。 --忠太 2005年7月15日 (金) 14:54 (UTC)[返信]

視覚芸術と美術との違い[編集]

ブリタニカによると視覚芸術美術とは違うものであるように書かれており「視覚芸術 ⊆ 美術」のような説明になっていました(例えば「聴覚芸術とは区別される」という説明)。そこで「ほぼ同義」と説明してある箇所を修正し、疑問に思った表現に[要出典]を貼り付けさせて頂きました。この件について疑問に思ったきっかけは、Wikipedia:削除依頼/Category:視覚芸術というカテゴリの削除依頼が出されたことにあります。この分野には詳しくはないので、皆さんの意見がありましたら、カテゴリの削除依頼も含めてお願いします。--Hsz 2007年4月29日 (日) 13:36 (UTC)[返信]

Hszさんの仰る「ブリタニカ」がどのブリタニカかは分かりませんが、1991年にTBSブリタニカから発行されている『ブリタニカ国際大百科事典』の第二版改訂版の「美術」の項目には「今日では『視覚芸術』も『造形芸術』も、若干のニュアンスの差を伴いながら、ほぼ『美術』一般と同じように用いられている。」(『ブリタニカ国際大百科事典』第二版改訂版、16巻、TBSブリタニカ、1991、764頁)との記述があります。--コータ 2007年5月5日 (土) 09:58 (UTC)[返信]
現在、書籍版では刊行されていない電子版の『ブリタニカ国際大百科事典』です。コータさんが示した内容は載っていませんでした。使用した辞書はPW-C8000というシャープ電子辞書に入っている「ブリタニカ国際大百科事典 Quick Search Version」です。このページの説明によると2004年版のものであると思われます。
内容は
  • 美術fine arts)- 造形芸術あるいは造形美術と同じ意味であり、絵画、版画、彫刻、建築、工芸などを総括して言い表す概念。より狭義には絵画、版画、彫刻のみをさす。(以下略)
  • 視覚芸術visual arts) - 絵画、彫刻、工芸、建築などの造形美術をいう。芸術を感覚領域の区別によって分類し、音楽によって代表される聴覚芸術と区分される。(全文)
となっています。「造形美術」という言葉を使ってある程度までは同一視できるといえそうですが、「若干のニュアンスの差を伴いながら、ほぼ『美術』一般と同じように用いられている。」ということは一切書いてありませんでした。
このままでは腑に落ちない方がいることを考慮し、かつ気になることなので、あとで図書館で広辞苑などで美術視覚芸術について調べてみます。--Hsz 2007年5月5日 (土) 14:28 (UTC)[返信]
『ブリタニカ国際大百科事典 Quick Search Version』の引用、ありがとうございました。参考になります。ところで、引用された部分には、美術が「造形美術あるいは造形美術と同じ意味であり(単語が重複していますが、「造形芸術」あたりの誤記ではないでしょうか)とあり、視覚芸術が「…などの造形美術をいう」とあるのに、「ブリタニカによると視覚芸術と美術とは違うものであるように書かれており『視覚芸術 ⊆ 美術』のような説明になっていました」というHszさんの解釈は理解できません。もしかしたら誤記があるせいで私が誤解しているかもしれませんが、根本的なHszさんの読解力に不審を抱かざるを得ません。同時に、Hszさんが本項目の記述「『美術』と『視覚芸術』、『造形芸術』はほぼ同義であり」を「『美術』と『視覚芸術』、『造形芸術』はほぼ同義であるという解釈もあり」とを修正されたのも不適切ではないでしょうか。今のところ、同義であるという解釈以外は提示されていないようです。--Yas 2007年5月5日 (土) 19:21 (UTC)[返信]
こんにちは。「利用者:Hsz」さんの『ブリタニカ国際大百科事典 Quick Search Version』の内容は、紙で出版されたものとしては、「ブリタニカ国際大百科事典」の REFERCE GUIDE と同じようですね(正確にはREFERCE GUIDE6巻と現代用語1巻を電子化して項目追加したものがQuick Search Versionらしい)。REFERCE GUIDEでは、美術の項は「造形芸術あるいは造形美術と同じ意味であり・・・」となっています(Yasさんの誤記では?というご指摘は正解)。視覚芸術美術の項は、全部で20行足らずの説明ながらも、「美術を物的芸術、空間的芸術、視覚的芸術と称することもできる」とあり、視覚[的]芸術は美術とは違うものであるかのようにかかれていると読み取るのは誤読だと思います。一方、『ブリタニカ国際大百科事典』は、コータさんが引用された文章にいたるまえに、「空間芸術」「時間芸術」「造形芸術」「視覚芸術」と解説がなされていて、美術は、芸術の部分集合で、美術とほぼ同意義となる言葉が「造形芸術」「空間芸術」「視覚芸術」の3つであることが説明されています。ブリタニカの説明とその REFERCE GUIDE の記述には矛盾は無いようです。あと、視覚芸術は英語のVisual Artの訳で、造形芸術は独逸語のBildende Kunstの訳との説明がありました。Sina 2007年5月6日 (日) 12:15 (UTC) --- 誤記訂正 Sina 2007年5月6日 (日) 18:50 (UTC)[返信]
(インデント戻します)誤記がありました。すみません。訂正しておきました。私の読解力に不審を抱いているとのことですが、『「…などの造形美術をいう」とあるのに、「ブリタニカによると視覚芸術と美術とは違うものであるように書かれており『視覚芸術 ⊆ 美術』のような説明になっていました」というHszさんの解釈は理解できません。』という意見については、あくまで「違うようにかかれている」と書いており、断定ではありません。辞書で「ように」を調べると「ようだ」が出てきます。「ようだ」には断定を避ける意味もふくまれています。よって、「きっぱり違う」という意味で書いたつもりはありません。私のこの日本語の使い方が不味い、あるいは紛らわしいようでしたらすみません。Yasさんが以前から指摘しているとおり、私の国語力は万全ではありません。しかし、国語力をもっと磨くことを怠るつもりはありません。
ブリタニカの双方の説明から、「美術」の項では美術と視覚芸術は決してほぼ同じとは書いていないようです。遠回しな表現をつかっているということでしょうか。「美術を物的芸術、空間的芸術、視覚的芸術と称することもできる」とブリタニカには書いてありますが、あくまで「称することもできる」と書いてあるということは、同じと見なすこともできれば違うものであると見なすこともできるのでは、と解釈しました。この解釈は間違いでしょうか。
その他:図書館で広辞苑を見ましたが、「視覚芸術」については載っていませんでした。--Hsz 2007年5月7日 (月) 07:34 (UTC)[返信]
今回のコメントを読むと、Hszさんは「書き方が悪かった」とおっしゃっているようですが、私はそれ以前の読解力について述べています。「ブリタニカによると視覚芸術と美術とは違うものであるように書かれており」というのは、誤読であり、間違った解釈でしょう。しかもいまだにその点に納得していらっしゃらないのでしょうか。
従って、Wikipedia:削除依頼/Category:視覚芸術において、ブリタニカを根拠としている部分は誤りでしょう。出典を示すという話がこれまでもあちらこちらで出ていますが、今後Hszさんによる出典の提示は著しく信頼性を失ってしまいました。Hszさんが今後「ブリタニカによるとこれこれです」と言っても、残念ですがもはや誰にも信じられません。--Yas 2007年5月7日 (月) 15:58 (UTC)[返信]
そういう個人攻撃に発展する恐れがある発言は控えて欲しいと思います。無駄に争いの火種がでますので。--Hsz 2007年5月7日 (月) 22:15 (UTC)[返信]

ご自身に対する端的な事実の指摘を「個人攻撃につながる」と曲解することこそ個人攻撃につながる、いや、そのものではないでしょうか。

Hszさんが引用されたブリタニカの箇所は、どちらも日本の現代の芸術学/美学の標準的な見解である「美術=視覚/造形芸術」をそのまま踏襲しており、Hszさんの主張は、撹乱のために偽りを述べているのでなければ、端的な誤解でしょう。ブリタニカの項目の筆者の方にもご迷惑なことだろうと思います。

正直、書かれていることとここまで反対の理解をする方と論理的な議論が期待できる可能性には、個人的には悲観的です。みなさまの努力には頭が下がりますが、そろそろ結論を出してもいいように思わなくもないです。--Aphaia 2007年5月7日 (月) 22:31 (UTC)[返信]

長文になりますが、ここではこの記事とは直接関係ない話が多く含まれていますので、この記事に関する議論を読みたい方は読み飛ばしてもかまいません。Yasさんの発言を見ると、今後私は出典出典の提示してはいけないのでしょうか、と思いましたが、ここは、善意に受け取って、Yasさんの発言を「出典の出し方に気を付けて、誤解を受ける曖昧な言葉を使わないようにすべき」と受け止めておきます。その他については、ここでのYasさんの発言と比べ以外にも丁寧な、私のコメント依頼に書いてあるYasさんのご丁寧な意見を参考にさせて頂きます。--dhasC 2007年5月11日 (金) 07:31 (UTC)[返信]
Hszさんへ。何かの出典を引き合いに出す際には必ず原文の引用を付ける、だけでいいと思いますよ。あとは徐々に信用回復に努めてください。--Yas 2007年5月11日 (金) 14:42 (UTC)[返信]
Aphaiaさん、最近のAphaiaさんはAphaiaさんらしからぬ言動が多く、言動が過激で落ち着きがないように見えます。それはAphaiaさんの一時的な感情だと信じています。Aphaiaさん、私は「個人攻撃に発展する恐れがある」とは書きましたが、「個人攻撃につながる」とは書いた覚えはありません。それこそ、曲解そのものではないでしょうか。個人攻撃に発展する恐れがあると発言した理由は、「何をやっても信用されない」というYasさんの極端な意見についてのものです。今ではYasさんは、他の議論では過激な発言を自ら押さえておりますが、そこでのYasさんの発言が決めつけやレッテル貼りに繋がったから、「個人攻撃に発展する恐れがある」と発言したのです。攪乱のために偽りを述べたつもりはありません。簡単に言えば誤解です。もっと効率的なやり方があったとあとから反省はしていますが、もしかすると意味が違うのでは?と思って念のために、詳しい方が見ていそうなページで確認を求めてみたのであり、無理に削除を引き延ばそうと考えていたわけではないことを理解して頂ければと思います。Aphaiaさんの発言にある「どちらも日本の現代の芸術学/美学の標準的な見解である「美術=視覚/造形芸術」をそのまま踏襲しており」という発言に出典があれば、なお説得力があると思います。Aphaiaさんにとっては、私は論理的な議論を期待できないのですね。Aphaiaさんの議論方法にも論理的にどうであるかどうかいろいろあるとは思いますが、ここではその話はしないことにします。--dhasC 2007年5月11日 (金) 07:31 (UTC)[返信]

[1] 122.26.95.13氏にはだいぶ削除していただいてます。不十分なのは承知してますが、できれば建設的な加筆もお願いしたいところ。 --忠太 2009年1月22日 (木) 16:51 (UTC)[返信]