ノート:盧溝橋事件/過去ログ3

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ログ

-2005.4.28/-12.17/

ローカルルール

この記事「盧溝橋事件」では、本文を編集するにあたりローカルルールを適用することで合意を得ました。編集する際には、以下のルールを守るようにお願いします。

  1. 記事を編集する場合は、ノートにおいて問題を提起し合意を得ること(合意に関しては、「合意の基準と方法」を参照)
  2. ノートにおいて合意を得ずに記事を編集し、その内容をリバートされた場合、編集した者がノートにおいて合意を得る責任を負う 。ただし、編集して3日の間リバートされなければ、編集した内容に合意したものと見なす。
  3. 第1項、第2項における責任を果たさずに編集を強行した場合は、編集者の会話ページにおいて、本ルールの趣旨を説明し実行すること、及び自主的にリバートを実行することを勧告する
  4. 第3項の勧告を無視し編集を強行した場合は、対話の姿勢がないものとみなし、同編集者の投稿ブロック(最初は24時間)を要請する

合意の基準と方法

  1. 最初の問題提起から3日間、異論がない場合は合意されたものとみなす
  2. 問題提起期間(提起から3日間)に異論が出された場合は、議論において合意を得なければならない。この場合、最後の発言から7日間異論が提示されなければ、最後の発言者の見解に合意したものと見なす。
  3. 最初の異論・反論から7日間で議論が決しない場合は、Wikipedia:論争の解決#ステップ1: 論争の相手と話し合うが不調に終わったことと見なす。
  4. コメント依頼が出されてから7日間で議論が決しない場合、Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 第三者を交えて議論するが不調に終わったことと見なす。なお、この期間中に投票の準備を行うことを認める。

※このルールは編集しないでください。ルールを編集する場合は、ノートにおいて合意を得る必要があります。

投票の告知

  • 問題は何か?
ローカルルールを適用するにあたり、どのバージョンの版に差し戻すか


  • 選択肢が三つ以上ある時、回答者は複数の選択肢を選択できるのか?
二者択一とする
  • 投票の終了日時は?
(UTC) 2005年12月10日 (土) 12:00 ~ 2005年12月17日 (土) 12:00
  • 投票結果の集計方法は?
  • 投票資格は、Wikipedia:投稿ブロック依頼#投稿ブロック依頼と意見の書き込みにおける「投票・コメント」の資格に準拠する。したがって、現時点(2005年12月3日 (土) 01:46 (UTC))の編集回数50回以上とする(この資格であれば、直近6ヶ月間の本文・ノートでの編集者を全て網羅できるので公平だと思います)。
  • 投票結果の集計方法は、賛成票の多数決とする。同数の場合は投票期間を3日間の延長する。それでも同数の場合は、再度コメント依頼を出し議論を継続し、その後に投票を行うものとする
  • 議論の要約、各意見を簡潔に並べたもの、あるいは、その他の投票前に論点がわかるもの、は用意するのか?
現時点までのノートでの議論を参照するものとする。

投票所(終了しました)

投票は (UTC) 2005年12月10日(土)12:00~12月17日(土)12:00(日本時間午後9時)までの1週間 

ただいまは、2024年5月24日 22:11 (UTC)です。
  • 次の選択肢の中から、あなたが適切だと思う選択肢一つに投票してください。
  • 投票はそれぞれの選択肢の末尾へ:#~~~~と入力することで行います。
  • 2005年12月3日 (土) 01:46 (UTC)までに50回以上編集したログインユーザのみ一票の資格を持ちます。
  • 投票は2005年12月10日12:00(UTC)から2005年12月17日12:00(UTC)までの時間で行います。
  • 注意:この投票に参加される方に対してCheckuserを行う可能性があります。投票者はあらかじめCheckuser行使に同意するものとします。投票後、Checkuserを拒否する場合は投票を無効と見なします。
  1. --どんべー 2005年12月10日 (土) 20:27 (UTC)
  2. --橋川桂22:11の死線 2005年12月17日 (土) 02:35(UTC)
集計 2票
  1. Matunami 2005年12月10日 (土) 12:03 (UTC)
  2. ちゃんこなべ 2005年12月10日 (土) 12:05 (UTC)
  3. Kanoe 2005年12月11日 (日) 17:08 (UTC)
  4. johncapistrano 2005年12月11日 (日) 17:53 (UTC)
  5. Kinori 2005年12月15日 (木) 07:57 (UTC)
集計 5票
  • ※参考 版間での差分[2]

集計結果

上記の結果により、本文は、Hermeneus氏編集の2005年11月14日 (月) 15:56 の版に差し戻すことに決定しました。当議論参加の皆さんご苦労さまでした。この結果を持ちまして、保護解除を依頼することにいたします。--ちゃんこなべ 2005年12月17日 (土) 12:28 (UTC)

多重アカウントが指摘されているHermeneus氏編集の版について

多重アカウントが指摘されているHermeneus氏編集の版に差し戻すことに問題がありますな。--左右 2005年12月18日 (日) 06:16 (UTC)

投稿はもう終了しております。明らかなアラシですが、きりがありませんので、上の発言は、ブロック依頼成立後に削除することにしましょう。もしまた同じ発言を繰り返す方が登場したら、アラシ氏の復活、とすぐにわかる効果もあります。以下、念のため。
1。「投票」は、参加者全員の合意の下に行われ、有効に終了しています。もう議論は終わっており、Hermernusさんの版をベースに修正議論を行う、ということで決着しています。過去の議論に参加もしていなかった(ということに一応なっている)あなたが、今になって横から「文句」をつけるのは、どう見ても「筋違い」というものです。どちらにしても、「投票による修正を認めた上で、今後の議論に参加する」というのが、正しい行き方だと思います。
2。「多重アカウント」の問題は、「投票の有効性」には何の影響も与えません。だいたい、Hermernusさんに「多重アカウント」の疑いあり、などという奇矯なことを考えているのは、あなた(がた?)だけです。本当に問題ありと考えるのでしたら、「ブロック依頼」でもされたらいかがでしょうか。
3。余談ですが、「多重アカウント」の事実と「バージョンの有効性」の問題をリンクさせるのであれば、「多重アカウントと見られる大ちゃんさんとどんべーさんが編集の大部分に携わった版」に戻すことには、大きな問題がある、ということになりますね。Matunami 2005年12月20日 (火) 21:47 (UTC)

どうでもエエのですが、「~ですな」ってこの口調・・・結局冷却期間を於いても愚か者はそう簡単に学習せんと言うことですか・・自分も十分すぎて阿呆だったので人のことをいえる義理ではないのですが、ああ無常。--ぶらっくさん 2005年12月22日 (木) 14:40 (UTC)

Hermeneus氏の多重アカは間違いないようです。ぶらっくさんの事はよく知らないがそのぶんじゃ全然進歩してないんでしょう。その系統は大体ね・・・--大星 2005年12月23日 (金) 09:19 (UTC)

あの、全然「反論」になっておりませんが。
1。投票は終了して、Hermeneusさんへの差戻しは決定済み。当時議論に参加していなかった(はずの)「左右」さんなり「大星」さんなりが今になって文句を言うのは、筋違い。
2。多重アカウントの問題と、投票の有効性の問題は、別のこと。大体「Hermeneusさんの多重アカウント疑惑」など、ろくな根拠もなくあなた(がた)だけが勝手に言っていることであるに過ぎない。
以上、異議がなければ、話はおしまい、ということで。Matunami 2005年12月23日 (金) 23:09 (UTC)

本来百科事典にとっては編集内容が最重要課題ですから別に投票以外ではアカウントHermeneusであろうがアカウントMatunami、ぶらっくさん、・・であろうが内容に納得できればいいんですよ。たとえれば「日本はこれまで控えてきたが中韓が大人にならないならレベルを合わせましょう。」ってことです。中立人氏の指摘で十分でしょう。「履歴から判明しているように登場以来Kitchener氏の投稿時間は、一分から数分刻みで膨大な編集をされているHermeneus氏との重なりが全くありませんね。Hermeneus氏が連続的に投稿している間でも不思議とKitchener氏の投稿時間帯だけは空白となっている事から間違いなく多重アカウントと思われますが?アカウントHermeneusの関連項目をアカウントKitchenerが引き継いでおられますし、手馴れた投稿者独特の一分から数分刻みの投稿癖も共通していますね。--中立人 2005年12月17日 (土) 19:34 (UTC)」--大星 2005年12月24日 (土) 20:05 (UTC)

時間帯が重なれば多重アカウントでないとは言えません。活動時間の重なりを多重の証拠としてあげる人もいます。その一方で、活動時間が離れていることを多重の証拠とする大星さんのような人もいるわけですから、時間帯は何の証拠にもなりません。中立人・大星さんのいうことには根拠がありません。ブロックされた人の議論をひきついで登場し、決着のついた問題をひっくりかえそうとする人のほうが、多重の疑いが濃厚です。Kinori 2005年12月24日 (土) 20:25 (UTC)

それはわたしを多重扱いしているアカウントMatunamiに言ってください。終わり--大星 2005年12月24日 (土) 22:10 (UTC)

はて、私は、「大星」さんについて、「時間帯」を理由にした覚えはありませんが・・・。この「わたし」って、一体どなたのことでしょうか。語るに落ちる、というやつですね。
「大星」さんについては、「左右さんの議論をそのまま引き継いで同じような発言を行っていること」「peaceさんそっくりの罵倒文体」で、「疑いがある」とする「認定」には十分でしょう。というか、「同一人物であること」を開き直っているとしか思えないのですが。
で、2の「大体」以下は「おまけ」だったわけですので、要するに、1、2には何の「反論」もないということですね。自分から「終り」とおっしゃったわけですから、他のアカウントで登場するようなことはせず、本当に「終り」にしてください。リソースの無駄遣いです。Matunami 2005年12月24日 (土) 22:23 (UTC)

ローカルルール改定の提案

ローカルルールの改定を提案します。主に「合意の基準と方法」という項目を付け加え、それに伴う本ルールの調整を行いました。--ちゃんこなべ 2005年12月22日 (木) 14:50 (UTC)

某氏「wikipediaに情報を追加するのに合意は必要ないと思いますが。議論が必要なのは削除・revertの際でしょう。」に賛成します。加筆を削除・revertした者にペナルティを課すべき。 あと「3日の間リバートされなければ、編集した内容に合意したものと見なす。」てのは正月返上で 監視ですか?--左右 2005年12月22日 (木) 16:17 (UTC)

「編集合戦」が生じる可能性がある場において、「追加は自由、削除には議論が必要」というルールを設けるのは、無茶でしょう。どんなおかしな文章でも勝手に付け加え放題になり、しかも合意がなければ削除できないというのでは、コミュニティの合意を得ないおかしな文章がいつまでも(あるいは一定期間)存続することになります。極端な話、追加、追加の「編集合戦」が行われ、その結果、前後の脈絡が支離滅裂の、わけのわからない文章になる怖れもありますね。
なお、「自分だけの意見ではない」ことを強調したいのでしょうが、ここに全然関係のない「某氏」を持ち出すのは、おかしいですね。ここでその意見を主張しているのは、左右さんだけであることを、確認しておきます。
余談ですが、「正月返上で監視ですか」とありますが、本当におかしな文章であれば、自分が「監視」できなくても、他の誰かが反対してくれるでしょう。「反対するのは自分だけ」と暗に認めてしまっていますね。Matunami 2005年12月22日 (木) 21:54 (UTC)
「某氏…」以下の意味は判りませんが、加筆・削除・リバートいずれの場合においても編集合戦を起す可能性があります。編集合戦の多い記事では、残念なことですが、本ルールを適用する必要があると思います。
「正月返上…」ということですが、これはあくまでも基本ルールですので、特別ルールが合意された場合は特別ルールが優先されることになります。また、たとえ合意を得ることができなくても、このノート内でそのことを提案しておけば、提案自体には規範性はありませんが、善意の第三者がその提案に従って場を取り持ってくれる可能性もあります。もちろん、一度、編集内容が合意され、記事が編集されたあとでも、本ルールに従って合意をとって再度編集することは可能です。--ちゃんこなべ 2005年12月23日 (金) 07:53 (UTC)

リバートは簡単に繰り返せますが、加筆はそう簡単には繰り返せません。しかも互いの編集も尊重しながらの加筆ですから両論併記にもなりますし、いずれにしてもリバート合戦になるよりも建設的です。 この程度の合理的な判断はあなたがた自虐系統の人間でも理解できると思いますが?あと正月返上でここを監視できるとはよっぽどな系統ですよ。はっきり言って異常です。--大星 2005年12月23日 (金) 08:04 (UTC)

ブロックされるであろう大星氏に、罵倒表現や他者に対する尊敬を説いてみても無駄なことなのでしょうね…。加筆は必ずしも互いの編集を尊重することになりませんし、両論併記にもなりませんし、建設的ではありません。政治主張を残そうとする人や、宗教的宣伝をしたい人にとって、加筆することはたやすいことでしょう。いずれにせよ編集合戦が頻発する以上、どのような編集に対しても例外なく合意するようにすれば、保護措置が取られるような事態にはなりません。なお、正月のことがよほど心配なのでしょうが、左右氏・大星氏は共に間違いなくブロックされるのですから、心配する必要がないのでは?--ちゃんこなべ 2005年12月23日 (金) 10:58 (UTC)
現「ローカルルール」は、「多重アカウント容疑ユーザー」であった「どんべー」さんも含めて、当時の議論参加者全員の合意をもって成立しています。なぜ今になって、「大星」さんがこれにクレームをつけてくるのか、理解に苦しむところです。「合意の上の編集」ルールの方が、「加筆自由、削除は要合意」ルールよりも「編集合戦」を誘発しにくいのは、自明の理でしょう。
しかし、いやに「正月」にこだわりますね。正月3日間ずっと家にいないのであればともかく、ネットカフェ等外部PCから投稿しているのでない限り、別に「正月返上」なんてことは全く必要はなく、ちょっと空いた時間にPCの前に座れば済むことだと思いますが。Matunami 2005年12月23日 (金) 21:39 (UTC)

「加筆は必ずしも互いの編集を尊重することになりませんし、両論併記にもなりませんし、建設的ではありません。」

では削除リバートは?--大星 2005年12月24日 (土) 19:14 (UTC)

削除・リバートも同じということです。だからこそ、削除・リバート・加筆などの一切の編集行為に関して、ローカルルールを適用するのです。--ちゃんこなべ 2005年12月25日 (日) 07:41 (UTC)

ちゃんこなべさんが提案されている「合意の基準と方法」を明記した新ローカル・ルールに賛成です。その辺りは明文化しておいた方が無難なのでしょうね。 あと、許されるのならば、

ローカル・ルール
このページ、「ノート:盧溝橋事件/過去ログ3」は編集合戦などを回避する目的でローカル・ルールが適用されています。このページの編集を行う際には、[[Template:ノート名|ノート]]に記載されているローカル・ルールに従って編集を行って下さい。

こんな感じのテンプレを本文の冒頭に貼れるといいのですが。... Kanoe 2005年12月27日 (火) 13:16 (UTC)

テンプレに賛成。まさか早速、「編集」してしまう方が出てくるとは思いませんでした。一応、会話ノートで注意しておきましたが。なお、「使い捨てアカウントでの3revert」に対抗するために、「ローカルルールに基づいたrevertは3revertとなってもブロック対象としない」なんてルールは・・・う~ん、無理でしょうかね。Matunami 2005年12月27日 (火) 13:25 (UTC)
これは難しいでしょうね。残念ながら、3revertになる前に管理者の方に動いて頂く以外ないと思います(revert連発による混乱が目に浮かびますが(溜息)。... Kanoe 2005年12月27日 (火) 15:19 (UTC)
Kanoe氏のテンプレートはすごく良いアイデアだと思います。この件に関しては、井戸端にて問題ないか意見を聞いてみたいと思います。
本来からすれば、ローカルルール第3項を履行しないユーザーに対しては、即時ブロック(最初は24時間)で対処することで3RRは回避できることになっています。ですので、2リバートまでいったら、”ローカルルールに基づく対話不能者として”のブロック依頼(即時ブロック、24時間)を出すのが妥当でしょう。
ただ、現在、Wikipedia:半保護の方針という保護処置が新設されるようです。内容はハッキリわからないのですが、「未登録ユーザー(匿名ユーザー)と登録後間もないユーザーに対してページの編集、移動を禁止する機能です」ということですので、うまく機能すれば、例の人物のようなケースは対処できるのではないでしょうか?--ちゃんこなべ 2005年12月28日 (水) 12:56 (UTC)
※ローカルルール案は省略

テンプレート実施の提案

Wikipedia:井戸端#「ローカルルール適用」テンプレートの使用についてにて、テンプレートの件を相談してみました。有益なご回答を戴きましたので、直接ご覧になっていただけると幸いです。この回答を鑑みて、

  1. テンプレートを貼ることに問題ない
  2. しかし、その位置は一番下に貼る
  3. 項目ごとに、ローカルルールに従う旨のコメントを入れておく

というところが妥当ではないかと思います。--ちゃんこなべ 2006年1月6日 (金) 00:17 (UTC)

ありがとうございます。議論の方、拝読させて頂きました。結局、[3]というご発言に全てが集約されている感がありますね。テンプレートが注意を引くと言う点では最も効果的なのですが、結局、どんな手法であっても悪意を持った方には対処しきれないのでしょう。取り敢えずは、コメントアウトで各節毎に<!-- このコメントアウトは削除しないで下さい。このページ、「盧溝橋事件」は編集合戦などを回避する目的でローカル・ルールが適用されています。このページの編集を行う際には、ノートに記載されているローカル・ルールに従って編集を行って下さい。 -->と言ったコメントを埋め込むことが無難なのかも知れませんね。... Kanoe 2006年1月6日 (金) 01:11 (UTC)

編集保護について

解除依頼に基づき保護を解除しました。

管理者諸氏へ:今後、ルール無視の場合はローカルルール

>第3項の勧告を無視し編集を強行した場合は、対話の姿勢がないものとみなし、同編集者の投稿ブロック(最初は24時間)を要請する

により、保護よりも即時ブロックが適当と思われます。--miya 2005年12月26日 (月) 23:51 (UTC)

スタート地点

さて、やっとスタート地点(の手前?)に戻ってきた感がありますね。取り合えずの編集対象は、参考文献、外部リンク(後は、Matunamiさんが指摘されていた修正案など)がメインとなると思いますので、取り合えずノートに各項目に関する節を立てますね。... Kanoe 2005年12月27日 (火) 13:22 (UTC)

参考文献について

参考文献の記載については以下の四択になるのではないかと思います。

  1. 記載しない
  2. 盧溝橋事件を主題とする研究書・一般書のみ
  3. 盧溝橋事件に関する資料のみ
  4. 上記の2.と3.の両方

3.の資料はそれこそ、寺平(これは2.にも入りますが)、今井等から「桂論文」までありとあらゆる資料がありますが、ここで選別して記載するのは中立性を欠く虞もありますし、一次資料であるならば全てを列挙する以外にないのではないでしょうか(玉石混淆の感が否めないのと、参考文献が本文より長くなることは必定ですが)。

私としては、1.が上策、2.が中策、4.が下策かと思うのですが、編集経過を踏まえますと、1.は既に不可能な気もします。すると、私としては2.が適当なのではないかなあ、と思います(3.は2.を閲覧して頂ければ良い訳ですし)。... Kanoe 2005年12月27日 (火) 15:09 (UTC)

2.の案として以下の研究書・一般書を推薦し、本文盧溝橋事件の参考文献の修正案を提示します。尚、順序は著者名の五十音順です。以下、修正案。
(変更に伴い削除しました)
修正案上記まで。秦『日中戦争史』と安井『柳条湖事件から盧溝橋事件へ』は削ってしまっても構いません。 ... Kanoe 2005年12月28日 (水) 02:14 (UTC)

とりあえず、賛成。秦、江口、安井は欠かせない「三大基本書」です。右派からは岡野、葛西、坂本、寺平。左派からは肥沼。「入手が容易な概説書を網羅する」という観点からは、適切であると思います。
秦については、『日中戦争史』もいいのですが、『昭和史の謎を追う』(上)所収の「盧溝橋事件(上)謎の発砲者は誰か」「盧溝橋事件(下)中共謀略説をめぐって」の方が、一般受けするかもしれませんね。
多重アカウント氏への対応ですっかり遅れてしまった年賀状書きに取り組みますので、少し留守にします。Matunami 2005年12月28日 (水) 11:25 (UTC)

Matunamiさんのご意見を反映させまして、『日中戦争史』を『昭和史の謎を追う(上)』に差し替えました(同じ著者による著作は、タイトルの五十音順にしました)。... Kanoe 2005年12月28日 (水) 12:42 (UTC)
賛成します。ところで、新ローカルルールは既に成立したものとみなしてよいのでしょうか? 一応参加者間では合意はできているようですが・・・。Matunami 2005年12月28日 (水) 22:18 (UTC)
例の不正ユーザーを除けば、合意は得られているようですので、新ルールを適用しても問題ないと思います。--ちゃんこなべ 2005年12月31日 (土) 05:36 (UTC)
了解しました。「不正ユーザー」以外の異議はないようですので、新ルールは成立したものであると理解します。ただし一応は、今回の「不正ユーザー」がブロックされてWikipediaとして正式に「不正ユーザー」であると認定されるまでは、既に正式に成立している「旧ルール」に従った方が無難かもしれませんね。Matunami 2005年12月31日 (土) 08:28 (UTC)
よく見たら、「提案」は12月22日、「不正ユーザー」による反対(のようなもの)は30日ですね。1週間以上異議がなかったわけで、審議には十分な時間であったと思います。既に成立している、と見なしてよいでしょう。Matunami 2005年12月31日 (土) 08:46 (UTC)

いろいろ参考にする方がいいので外されている「盧溝橋事件 真犯人は中共だ 私は東京裁判で事件の証言を中止させられた」(文芸春秋、1988年7月)も加えておきますよ。新ローカルルールはウィキぺディア目指す「自由な百科事典」にそぐわないので修正が必要だろうねえ。--永ちゃん 2005年12月30日 (金) 20:14 (UTC)

下記の「参考書」群は、「盧溝橋事件の全体を描いた概説書であること」「入手しやすいこと」「世間から重要であると認知されていると思われること」を基準に選定されていると思います。「桂論文」は、そのいずれも満たしていないと思いますし、これらの「ビッグネーム」と並べるほど価値のある文献ではないでしょう。もしこれを掲載したいのでしたら、この論稿の「重要性」、そしてこれを掲載する「意義」について、具体的なご説明をお願いします。「たまたま盧溝橋について触れた文献だから」「いろいろ参考にする方がいい」というだけの理由で掲載するのであれば、それこそ星の数ほどある「盧溝橋」関連文献を、片っ端から掲載しなければならなくなります。
なお、「ローカルルール」云々については、あなたは「旧ローカルルール」には賛成していたはずですので、「旧のままにしたい」というご意見であると理解します。しかし、どこが問題なのか具体的にご説明いただかないと、さっぱりわかりませんね。具体的な提言がなければ、この発言は意味がない単なる「感想」である、ということになると思います。Matunami 2005年12月30日 (金) 22:34 (UTC)
いいえ。どのようなローカルルールを適用しようが、GFDL的(GNU的)自由、すなわち所有、改変、複製などの自由は保たれます。また、この自由に基づき、コミットの制限などは日常的に行われています。つまり、ローカルルールを超えて作業したい場合、このソースを元に余所で作業されることをお薦めします。この場合は、誰も(倫理以上に)あなたを咎めません。ゆきち 2005年12月30日 (金) 20:58 (UTC)

あの、私の修正案とあなた(永ちゃんさん)の修正案を一緒にしないで下さいませんか(私の案と分けました)。既にブロックされた方なので、何を言っても無駄(のはず)ですが、私の参考文献に関する見解を整理します。

  1. 参考文献を挙げる手法は四通り[4]
  2. 私は選択肢2.の手法が現時点での最善と考える(下記Kanoe案)。
  3. 現時点の次善は、選択肢4.の手法。但し、資料に関しては、「一次資料であるならば全てを列挙する以外にない」。

そこでまず、参考文献に関する議論に参加される方にお伺いします。参考文献選定の手法を「私の挙げた四つの選択肢の中から選択すること」に同意でしょうか不同意でしょうか。また、不同意の方はお考えになる選定の手法をお示し下さい。.... Kanoe 2006年1月3日 (火) 15:22 (UTC)

限られたスペースを最大限に生かすという意味では、「選択肢2」が最も適当なものであると思います。今の段階では、「選択肢4」に進むことには慎重になるべきかもしれませんね。「本文」よりも「参考文献」の方が大きくなってはおかしいですし。
「不正ユーザー」の提案は単にこの場を混乱させるためのものであるとしか思えませんし、実際問題として(「不正ユーザー」が再登場しない限りは)誰もこの案に賛成する方は出ないと思われます。そもそも「永久ブロック」されたユーザーの発言が現在でも有効なのかどうかは疑問を感じないでもありませんが、一応は「ローカルルール」に従って、6日まで待つことにしましょう。今後は「長期ブロックされたユーザーの発言はないものとみなす」のような一項を設けてもいいのかもしれません。Matunami 2006年1月4日 (水) 11:14 (UTC)

「ローカルルール」による待機期間(7日間)が経過しましたので、Kanoeさんの案通りの編集を行いました。Matunami 2006年1月7日 (土) 00:50 (UTC)

参考文献修正案

参考文献修正案(Kanoe案)
== 参考文献 ==
以下、盧溝橋事件に関する参考文献を挙げる(順序は著者名による五十音順)。
* 江口圭一『盧溝橋事件』(岩波書店、1988年12月)ISBN 4-00-003433-2
* 岡野篤夫『蘆溝橋事件の実相 平和主義から軍国主義へ』(旺史社、2001年8月)ISBN 487119129X
* 葛西純一『新資料盧溝橋事件』(成祥出版社、1975年)
* 肥沼茂『盧溝橋事件 嘘と真実』(叢文社、2000年7月)ISBN 4794703392
* 坂本夏男『盧溝橋事件勃発についての一検証』(國民會館、1993年5月)
* 寺平忠輔『蘆溝橋事件 日本の悲劇』(読売新聞社、1970年)
* 秦郁彦『昭和史の謎を追う(上)』(文春文庫、1999年12月)ISBN 4167453045
* 秦郁彦『盧溝橋事件の研究』(東京大学出版会、1996年12月)ISBN 4-13-020110-7
* 安井三吉『柳条湖事件から盧溝橋事件へ 一九三〇年代華北をめぐる日中の対抗』(研文出版、2003年12月)ISBN 4876362254
* 安井三吉『盧溝橋事件』(研文出版、1993年9月)ISBN 4-87636-113-4
参考文献修正案(永ちゃんさん案)
== 参考文献 ==
以下、盧溝橋事件に関する参考文献を挙げる(順序は著者名による五十音順)。
* 江口圭一『盧溝橋事件』(岩波書店、1988年12月)ISBN 4-00-003433-2
* 岡野篤夫『蘆溝橋事件の実相 平和主義から軍国主義へ』(旺史社、2001年8月)ISBN 487119129X
* 葛西純一『新資料盧溝橋事件』(成祥出版社、1975年)
* 桂鎮雄「盧溝橋事件 真犯人は中共だ 私は東京裁判で事件の証言を中止させられた」(文芸春秋、1988年7月)
* 肥沼茂『盧溝橋事件 嘘と真実』(叢文社、2000年7月)ISBN 4794703392
* 坂本夏男『盧溝橋事件勃発についての一検証』(國民會館、1993年5月)
* 寺平忠輔『蘆溝橋事件 日本の悲劇』(読売新聞社、1970年)
* 秦郁彦『昭和史の謎を追う(上)』(文春文庫、1999年12月)ISBN 4167453045
* 秦郁彦『盧溝橋事件の研究』(東京大学出版会、1996年12月)ISBN 4-13-020110-7
* 安井三吉『柳条湖事件から盧溝橋事件へ 一九三〇年代華北をめぐる日中の対抗』(研文出版、2003年12月)ISBN 4876362254
* 安井三吉『盧溝橋事件』(研文出版、1993年9月)ISBN 4-87636-113-4

外部リンクについて

具体的な選定については後の作業になりますが、とりあえず、事件の現場を経験した89歳の方のページがあります。なかなか貴重であると思いますので、今後の議論の中でご検討いただければと思います。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/keisetu/
Matunami 2005年12月28日 (水) 22:15 (UTC)

瑣末事項修正案

以下の修正を提案します。

  • 「盧溝橋」を「[[盧溝橋]]」に。
  • 「参謀本部第一部長[[石原莞爾]]」を「参謀本部第一部長[[石原莞爾]]少将」に。
... Kanoe 2006年1月3日 (火) 15:35 (UTC)
すみません、別に不同意でなければ差し戻す[5]必要はありませんでしたね。理解していたつもりで全く忘れてました。すみません。... Kanoe 2006年1月4日 (水) 03:18 (UTC)

「不正ユーザー」再登場の可能性がまだ存在する状況ですので、あまり意味のない編集はご遠慮いただきたいところではあります。少将の「肩書き」を入れる意味がよくわかりませんのであまり積極的に「賛成」する気もありませんが、特に反対する理由も見当たりませんので、私は「黙認」ということにしたいと思います。リンクの方は、それなりの意味があると思いますので、こちらは積極的に賛成します。Matunami 2006年1月4日 (水) 10:28 (UTC)

個人的には「参謀本部第一部長」「少将」と2つも肩書きがあるとうるさい気もしたのですが、正式の提案に対して異議がなかった、という状況でしたので、「ローカルルール」に基づき、提案通りの編集を行いました。なお、次の訂正提案で、この部分は全面改訂の予定です。Matunami 2006年1月10日 (火) 21:57 (UTC)

ローカルルールの適用は?

項目内の7月8日の記述「本来この事件は、(以下略)」なのですが、書き込んだ当時は

7月7日・誰が一発目・7月8日以降

となっていましたが、今は

7月7日・7月8日以降・誰が一発目

となっており、そのために内容がおかしくなっています。修正したいのですが、このような細部に関する修正にもわざわざ了解を取らなければならないのでしょうか。--A6M4 2005年12月30日 (金) 12:03 (UTC)

当然です。「細かい編集はOK」なんてことにしたら、きりがなくなります。私だって、「明らかな間違い」を片っ端から修正したいのを、我慢しているのですから。参加者全員の合意でしたので、ルールは守っていただくよう、お願いします。
そもそも、アラシユーザーの一方的な編集に対して我々が反対編集を自粛していた時に、あなたが勝手な編集を行ったばかりに、ますます事態が紛糾した、という経緯があります。その挙句にあなたは参加者の意向も無視して勝手な「保護依頼」を行い、ますます事態がおかしくなりました。その「保護」を解除していただくために、我々は一ヶ月にわたって随分と苦労を重ねてきました。「ローカルルール」は、我々が「解除」をお願いするために苦労して編み出した「手段」です。
しかしあなたは、我々の苦労に対して、「保護解除」に反対したばかりか、今はまた「ローカルルール」をないがしろにする発言を行っている。いいかげんにしてくれ、と言いたくなるのは、私ばかりではないでしょう。Matunami 2005年12月30日 (金) 12:41 (UTC)
ノートでの合意を得ずに本文を編集した場合、それがリバートされたならば、結局、ノートで合意を得る必要性が出てきます。直接編集するか、ノートで合意を取るか、どちらを選択するのが最も適当かは、ご自身で選ぶことができます。--ちゃんこなべ 2005年12月31日 (土) 05:38 (UTC)
了解。これは私の理解不足でした。「編集する権利はあるが、それに対する差し戻しは自由。差し戻しされたら合意を得る責任は編集した側にある」ということでしたね。
ただまあ、「自分だけでの考えによる編集-revert」という「敵対的関係」よりも、私とKanoeさんがやっているような「共同作業」の方が、はるかに楽しいと思いますよ。どんなに細かい編集であっても、自分だけの考えで編集する以上、他の方から見ると「問題編集」になっている可能性は常につきまといます。また「問題編集」とまでいかなくても、他の方の意見も聞いて文案を練り直した方が、間違いなく「よりよい編集」になります。
可能な限り、「ノートで合意を得た上で編集を行う」というスタンスにご協力いただければ、嬉しく思います。Matunami 2005年12月31日 (土) 08:21 (UTC)
本来の主旨からすればMatunami氏の見解が正しいと思いますし、無用な混乱も避けれると思われます。ただ、実際にルールを規定しようと思うと、編集に関しては、この2つの選択肢が出てしまうのはやむ得ないですね(笑)--ちゃんこなべ 2005年12月31日 (土) 09:05 (UTC)

ちゃんこなべ氏が各項目で提案されている「情報の追加を対話も議論もなしに削除・リバートするあらし行為」を正当化しようとするローカルルールの再改定を進言します。現にそうした荒らし行為は項目を選ばず編集合戦の原因となっていますし、それが認められる事になればリバートする者に説明義務はなく、追加編集者はリバートされた理由がわからないまま不信感が募り、怒りとなって大変な事態が予想されます。--はてな? 2005年12月31日 (土) 12:04 (UTC)

「大変な事態」を引き起こした当の本人であると「強く推測」(はてな?さんへのブロック依頼より)されているあなたがこのような発言を行っても、何の説得力もないのですが・・・。だいたい普通であれば、「revert」されたら、まずは「自分の編集にどこか問題はなかったか」と自省するものではありませんか? いきなり再revertした挙句、「不信感」なるものを募らせ、「怒りとなって大変な事態」を引き起こしたら、その方が悪いに決まっています。
しつこいようですが、繰り返します。「「明らかに他の参加者の合意を得られないような記述を勝手に追加し、revertされることを繰り返している」あなたが、「追加は自由、しかしそのrevertには合意が必要(つまり、自分が「合意」しない限り、基本的にはrevertされない)」なんて自分勝手なことを言い出しても、誰も相手にするわけがないでしょう」。Matunami 2005年12月31日 (土) 22:10 (UTC)
本ルールは、「リバートする者に説明義務」がないのではありません。合意を得ずに編集(加除修正)を行った場合のリバートには説明義務がないだけです。従って、合意を得ていないリバートには、説明する義務があります。--ちゃんこなべ 2006年1月1日 (日) 06:55 (UTC)

まだ正式の提案はありませんが、よく見ると、A6M4さんの提案では、かえっておかしくなる気がします。現在の形の通り、「事件の経緯」をひととおり説明してから「事件の論点」に移る方が、自然でしょう。やはり、細部の編集である(と自分が考える)場合であっても、具体的にノートで提起してから編集を行った方が、無難であると思います。Matunami 2006年1月4日 (水) 11:43 (UTC)

 本文の修正提案(その1) 概説部分

どうも、最初にこの記事を書いた方は、かなりいい加減な資料をもとにしたのか、あるいは「事件」についての知識が不十分なまま、わからない部分は自分の「想像」で埋めて書いたような気がします。きちんと調べなおして全部を修正するのは大仕事なのですが、少しずつやっていくことにしましょう。なお、ややこしい議論になっても面倒ですので、とりあえずは「最小限の修正」に止めるつもりでおります。
(現在の文)

盧溝橋事件(ろこうきょうじけん、中国では七七事変ともいう)は、1937年(昭和12年)7月7日に北京(当時は北平と呼ぶ)南部の盧溝橋で起きた発砲事件で、その後の日中戦争(支那事変、日華事変)の発端となった。日本軍はこの事件をきっかけに国民党政府と戦争状態に突入、戦線を拡大していった。

(修正案)

盧溝橋事件(ろこうきょうじけん、中国では七七事変ともいう)は、1937年(昭和12年)7月7日に北京(当時は北平と呼ぶ)西南方向の盧溝橋で起きた発砲事件。日中戦争(支那事変、日華事変)の発端となった。この事件をきっかけに、日本軍と国民党政府は戦争状態に突入、その後戦線を拡大していった。

(理由)

1.「南部」→「西南方向」~どう見ても、「盧溝橋」は北京の「南部」ではありません。また、「南部」とすると「北京の一部」と捉えられる怖れがありますので、「西南方向」としました。具体的な「距離」も書こうと思ったのですが、本によりなぜかまちまちなので(起点とする「北京」の場所の差か)、省きました。
2.「その後の日中戦争」→「日中戦争」~「盧溝橋事件」も「日中戦争」の一部と見ることも可能かもしれませんので、「その後の」をとりました。
3.「日本軍は・・・」以下 ~ どちらでもいいような部分ではありますが、この部分が例の「不正ユーザー」に「中立的でない」という口実を与えたようですので、一応、修正しておきました。ここに「その後」がないとちょっと変だと思いましたので、付け加えました。しかし、細かいことを言えば、「日本軍と国民党政府」で、いいのかなあ。Matunami 2006年1月4日 (水) 11:39 (UTC)
私が言わなくとも、と思いますが、修正内容に問題はないと思います。但、修正案に内部リンクは含めた方が良かったのでないでしょうか。... Kanoe 2006年1月6日 (金) 01:15 (UTC)
「内部リンク」は、そのまま生かそうと思っています。Matunami 2006年1月6日 (金) 11:44 (UTC)

三日経ちましたので、「ローカルルール」に基き、編集いたしました。Matunami 2006年1月7日 (土) 12:38 (UTC)

本文の修正提案(その2) 七月七日

(現在の文)

22時40分頃:永定河に駐屯中の日本軍・支那駐屯歩兵第1連隊第3大隊第8中隊に対し、何者かが竜王廟より複数発の銃撃を行う。同中隊はただちに集合、兵一名が行方不明と判明する。事件発生の報告は、清水節郎中隊長より、豊台の一木清直大隊長、北平の牟田口廉也連隊長、北平特務機関の順に伝達される。
23:00分頃:行方不明であった兵が帰隊。(熊部隊)(野地小隊長の手記によれば、伝令に出たまま行方不明になったとのこと。他に「用便」説あり)

(修正案)

22時40分頃:永定河東岸で演習中の日本軍・支那駐屯歩兵第1連隊第3大隊第8中隊に対し、何者かが竜王廟方面より複数発の銃撃を行う。同中隊はただちに集合、兵一名が行方不明と判明する。事件発生の報告は、清水節郎中隊長より、まず豊台の一木清直大隊長、ついで北平の牟田口廉也連隊長に伝達される。
23時00分頃:行方不明であった兵が帰隊。(野地小隊長の手記によれば、伝令に出たまま行方不明になったとのこと。他に「用便」説あり)

(理由)

1。「永定河に駐屯中」→「永定河東岸で演習中」 ~ 河の中に駐屯していた、とでも言いたいんでしょうか。実際の駐屯地は、「豊台」でした。さらに「駐屯中」の日本軍に対して銃撃が行われたわけではありません。このあたり、最初のライターは、地理関係・事実関係をよくわかっていないようです。
2。「竜王廟」→「竜王廟方面」 ~ 「竜王廟」は、字の通り、小さな「ほこら」です。銃撃地点は「点」として特定できるものではありませんので、「方面」とするのが無難でしょう。うるさく言えば異説もありますが、きりがないので修正はとりあえずこれだけで。
3。「事件発生の報告は・・・」 ~ 「伝達される順番」に何の意味があるのかよくわかりませんが、書くのであれば、「まず」「ついで」の方が日本語としてこなれていると思います。なお、「特務機関」は「小野口旅団副官」から第一報を受けたはずです。(寺平手記による) 「牟田口連隊長」から直接第一報を受けたかのような表現はおかしいと思いましたので、「特務機関」は削りました。
4。「熊部隊」 ~ なぜここに「熊部隊」の文言があるのか、意味不明です。なお、私は「熊部隊」なるものの存在を確認できませんでしたので、詳しい方、ご教授ください。説明が出てこなければ、削除が妥当だと思います。
なお、帰隊時間の「23:00頃」にも異説はありますが、こちらも面倒なのでこのままにしておきます。Matunami 2006年1月4日 (水) 12:06 (UTC)
修正案に賛成です。「熊部隊」とは、中隊か何かの通称だと思っていたのですが、違う様ですね。うーん…。... Kanoe 2006年1月6日 (金) 01:16 (UTC)

こちらも三日経ちましたので、「ローカルルール」に基づき編集を行いました。Matunami 2006年1月7日 (土) 14:14 (UTC)

 本文の修正提案(その3) 「七月八日」前半

「履歴」を追ってみると、このあたりを最初に書いたのは、IPユーザーであったようです。手元の本と照合してみたのですが、どうやら、中村粲氏『大東亜戦争への道』を参考にしたらしい。記述の順序、表現にかなりの類似が見られます。そのまままる写しにすれば、少なくとも「事実」についてはある程度正確なものになったはずなのですが、この方は「著作権」の問題を念頭に置いてか、自分流に細かい「改変」を試みたようです。しかし「事件」に関する知識が不足しているため、その「改変」のほとんどすべてが、元の文章をわざわざ不正確な方向に捻じ曲げる結果となっています。おかげで、私がこんなに苦労するわけですね。
閑話休題、「続き」といきましょう。

(現在の文)

3時25分:第8中隊が盧溝橋東方2kmの西五里店に撤退を完了、同じく西五里店に移動していた第3大隊と合流する。直後、竜王廟方向より3発の銃撃を受ける。

(修正案)

3時25分:竜王廟方面から3発の銃声あり。伝令に出た岩谷曹長らが、中国軍陣地に近づき過ぎて発砲を受けた、と見られている。

(理由)

元の文の表現では、「3時25分」に「第8中隊と第3大隊の合流」が行われたように読まれます(これは「銃撃」の時間であり、「合流」はもっと早い)。また、この文では、「銃撃」は「第三大隊」に向けて行われた、ということになります(元のライターは、そう思っていたのでしょう)。各隊の動き、という細かいことを掲載する意味があるとも思われませんので、上記の通り修正しました。なお余談ですが、「第三大隊戦闘詳報」では、「西五里店」への移動は「撤退」ではなく「占領」と表現されています。また、「第8中隊」は「第3大隊」の一部ですので、「第3大隊主力に合流する」と書くべきだったでしょうね。

(現在の文)

4時00分:特務機関は日華双方の代表からなる軍使を現地に派遣し、不拡大方針の徹底を計る。構成員は、日本側が森田徹中佐・赤藤庄次少佐・桜井徳太郎少佐・寺平輔補佐官、中国側は王冷斎宛平県長・林耕宇冀察政務委員。ただし桜井少佐のみ盧溝橋城の開門交渉の為に先行している。

(修正案)

4時00分:日中合同調査団が、北京を出発した。メンバーは、日本側が森田徹中佐・赤藤庄次少佐・桜井徳太郎少佐・寺平忠輔補佐官、他に通訳二名・一個分隊の護衛兵、中国側は王冷斎宛平県長・林耕宇冀察政務委員、他1名。5時00分前後、うち桜井中佐、寺平補佐官らは宛平県城(盧溝橋城)内に入り、中国側と交渉を開始した。

(理由)

4:00は出発時間。「森田中佐」は第一連隊副官で「牟田口連隊長」が派遣していますから、全員を「特務機関」が派遣したわけではありません。また、派遣の目的は、寺平手記によれば「不法射撃の真相究明が先決問題、次に事態の不拡大を図ること」ですから、「不拡大方針の徹底」を一義的な目的としたかのような表現は不正確。「軍使」よりも「合同調査団」の表現の方が、実態を反映しているでしょう。構成員(メンバー)も、元の文では「これだけ」と読まれますので、追加。なお、寺平補佐官の名前の誤りを修正しています。「桜井中佐のみ」も不正確で、城内入りには周永業・斉藤通訳を伴っています。目的は「開門交渉」なるものではなく、「調査」であったはずですが・・・。「先行」したと言っても時間差はわずかなものであり、わざわざ書く必要もないでしょう。

(現在の文)

4時20分:一木大隊長が牟田口連隊長に電話にて経過を報告。2度目の銃撃の報にて連隊長は戦闘開始を許可、大隊長は砲撃準備を命令。
5時00頃:特務機関の軍使一向が現地盧溝橋に到着。再度、不拡大方針を説く。これ受けて大隊は砲撃準備を一時中断。

(修正案)

4時20分:一木大隊長が牟田口連隊長に電話にて再度の銃撃を報告。これを聞いた連隊長は戦闘開始を許可。大隊長はこれを受けて歩兵砲の砲撃を命令。しかし、連隊長の戦闘許可を知らない森田中佐の命令によって、砲撃はいったん中止された。

(理由)

一木大隊長は「歩兵砲の者にすぐ射てと号令」(朝日新聞座談会)していますので、 これはもう「砲撃準備」という段階ではないでしょう。あと、数え方によっては「3度目の銃撃」にもなりますので、「再度の銃撃」という表現にしておきました。また、「軍使一行」が「不拡大方針」を説いたわけではありませんね。砲撃中止は、森田中佐の命令です。
Matunami 2006年1月6日 (金) 20:23 (UTC)

三日経ちましたので、上記の通りの編集を行いました。Matunami 2006年1月10日 (火) 21:51 (UTC)

本文微細部修正案

まず、7月7日の

ついで北平の牟田口廉也連隊長に伝達される。

の赤リンクですが、牟田口廉也で存在していますからそちらへの修正が妥当ではないかと思います。

ついで、7月8日内の

本来この事件は、(略)8日以降の政府の対応である。

の文ですが、この下にある5時54分頃とある文との適合性が取れていませんから、以前書き換えた「この段階はまだ平和利に事態収拾できる可能性を持つものであった。問題となるのは、これ以降の政府の対応である。」に変更した上で、7月9日の上に持ってきた方がよいと思います。--A6M4 2006年1月7日 (土) 14:50 (UTC)

おっと、「内部リンク」は「ローカルルール」を一瞬忘れてしまっていた私のチョンボ。再修正提案がなければ、7日後、修正をお願いします。まだまだ「多重アカウント」氏によるアラシの可能性がなくなったわけではありませんので、「ローカルルール」は厳密に守っていきましょう。
後半部分は、保留。個人的には、「中央」が関わってくるのが「7月8日早朝」以降のことですのでこのままでもいいと思うのですが、なるべく「提案」は通してあげたいので、このまま異議が出なければ、とりあえずは3日後に、そのような編集を行っても結構です。ただし、そもそも各項目の文章がこのままでいいと考えているわけではありませんので、その後、これまでの部分と同じように、大幅な改訂提案を行うことになるかと思います。その時点で、全体のバランスを見て、再検討することにしましょう。Matunami 2006年1月7日 (土) 21:34 (UTC)

内部リンクは改訂前の元の文に存在していたものでした。従って、「もともと提案に含まれていなかった部分を私が合意を得ずに勝手に改変した」と解釈できます。「合意を得ない改訂をrevertする」行為に相当しますので、「即時」でもよかったですね。とりあえず、「勇み足」を反省(^^; Matunami 2006年1月7日 (土) 21:46 (UTC)

「内部リンク」は編集済み。後半の提案文については次の修正提案の中でどのように扱うか悩んでいるところなのですが、とりあえずは「ローカルルール」に基づき「合意」されたものとみなし、提案通りの編集を行いました。Matunami 2006年1月10日 (火) 21:54 (UTC)

投票権の問題

Wikipediaで本来書き込むべきなのは「記事」であるはずなのに、それをせずにノートで工作ばかり書き込んでいる人の投票権は剥奪すべきでは? --Nidarin2006年1月16日 (月) 05:42 (UTC)


本文の修正提案(その4)7月8日(続き)

時間がかかってしまいましたが、ようやく「修正案」がまとまりました。
このあたりの「現在の文」は、前の部分とは違う方が書いたようです。前の方ほどには間違いが多くはなかったのですが、事実をずらずら羅列するだけで、このままでは初めての方には何のことやらさっぱりわからない懸念があります。「わかりやすく」なるよう、私なりに修正を試みました。
8日から11日に至る過程のポイントは、「拡大派と不拡大派のせめぎあいの中で、いかにして「三個師団派兵」が決定されていったか」ということだと思います。そのポイントに沿った形で、記述内容を整理してみました。
なお、内部リンクの編集は行っておりませんので、必要があれば、随時リンク編集を行なっていただいて結構です。

(現在の文)

5時54分頃:東京の参謀本部に電報が届く。参謀本部第一部長石原莞爾少将は戦闘の不拡大を指示。これは、6年前に誕生した満州国を安定させ、ソ連の南下を防止するために、中国との戦闘停止を求めたためである。
昼頃:陸海軍事務局長と外務省東亜局長との会議で事件の不拡大を確認。
21時00分頃:陸軍内での会議で本事件を理由に部隊の増援を送るという意見が出される。
この段階はまだ平和利に事態収拾できる可能性を持つものであった。問題となるのは、これ以降の政府の対応である。

(修正提案)

<現地の動き>
約2時間後、現地での激戦はいったん収まった。以降、15時30分頃に戦闘が再発するなど一時的な戦闘はあったものの、概ね小康状態にて推移。北平及び盧溝橋城内で、停戦に向けた交渉が行なわれる。
<中央の動き>
早朝、事件の第一報を知らせる電報が陸軍中央に到着。以降中央では、これを機に中国に「一撃」を加えて事態の解決を図ろうとする拡大派、対ソ軍備を優先しようとする不拡大派のせめぎあいが続く。
18時42分:参謀本部より支那派遣軍司令官宛、「事件の拡大を防止する為、更に進んで兵力の行使することを避くべし」と、不拡大を指示する総長電が発せられる。これは、参謀本部の実質的な責任者であった、石原莞爾少将のリードによるものであった。

(理由)

1。7月8日以降は、「現地の動き」と「中央の動き」に分けた方がわかりやすいと思います。「現地の動き」を追加しました。
2。「5時54分」着の電報は、「第一発、及び交渉開始」を伝えるもの。続く「10時20分」着の電報で、「5時30分の衝突」の報が届きます。現在の文では、5時54分に「5時30分の衝突」の報が来たかのように誤解されますので、「早朝」としました。また、「拡大派」「不拡大派」のせめぎあいにつき、追記しています。なお、石原少将が個人として「不拡大指示」を行なったわけではありませんので、上の通り改めました。
3。「昼頃」の「陸海軍事務局長と外務省東亜局長との会議」というのは、ライター氏もおそらくわかっていなかったと思うのですが、実は石原を交えた三者会議のことです。いずれにしてもあまり重要な会議であるとも思われませんので、割愛しました。
4。「21時」の「陸軍内の会議」というのは、東京朝日新聞七月九日付記事がそのソースであると思われます(秦「盧溝橋事件」)。ここで「増援」意見が出た、という記述は西浦進少佐しか残していないようで、史実として断定していいかどうか微妙ですので、割愛しました。
5。「この段階はまだ平和利に事態収拾できる可能性を持つものであった。問題となるのは、これ以降の政府の対応である」との一文は、以下「拡大方針」「不拡大方針」の双方の記述がアクセントのないままに混在し、読者はどの「対応」が「問題」であるのかよくわからないと思いますので、削除しました。この趣旨は、「7月11日派兵決定」のところに移動します。

本文の修正提案(その5)7月9日

(現在の文)

2時頃:現地部隊同士の話し合いがもたれ、事態収拾が進められる。
早朝:参謀本部により、「中国側が挑戦的な行動を取った場合、部隊を派遣、攻撃を開始する」との案が出される。
20:30分頃:臨時閣議が開かれ、派遣は行わず、事態収拾に当たるという方針となる。

(修正案)

<現地の動き>
2時00分頃:「とりあえず日本軍は永定河の東岸へ、中国軍は西岸」へ、との日本側の「兵力引き離し」提案を中国側が呑む形で、停戦協議が成立。撤退予定時刻は当初5時00分であったが、中国側内部の連絡の不備からその後も戦闘が散発し、最終的な撤退完了は12時20分頃までずれ込んだ。
<中央の動き>
8時50分頃:臨時閣議。陸相より三個師団派遣等の提案が行なわれたが、米内海相などの反対により見送りとなった。
夜:参謀本部より支那駐屯軍参謀長宛、「中国軍の盧溝橋付近からの撤退」「将来の保障」「直接責任者の処罰」「中国側の謝罪」を対支折衝の方針とするよう通達する電文が、次長名をもって発せられる。

(理由)

1。「現地部隊同士の話し合いがもたれ、事態収拾が進められる」では、何のことやらわかりません。停戦協議の成立、中国軍の撤退完了をきちんと記述するべきでしょう。時刻については、「3時」と書いてある資料もありましたが、「2時」の方が一般的であるようですので、こちらを採用しました。
2。「派兵提案がどのようにして成立していったか」を記述の軸に据えたいと思いますので、参謀本部の「北支時局処理要領」は省略しました。
3。「20時30分の閣議」は、「8時30分の閣議」の間違いでしょう。開始時刻については、本により「8時30分」と「8時50分」の二通りの記述がありましたが、とりあえずは、「戦史叢書『支那事変陸軍作戦<1>」の記述に従いました。
4。以降の経緯を見ると、柴山課長起草の「折衝方針」電文(石原少将は事後追認)が現地交渉に大きな影響を与えておりますので、この記述を追加しました。

本文の修正提案(その6)7月10日

(現在の文)

午前:参謀本部の会議で、石原莞爾は、「不測の事態に対処させるため」として部隊派兵を承認する。この議事上で、「満州事変の柳条湖事件と同じ事をやっている」として、石原の反対意見を退けている。
深夜:陸軍大臣より、「駐留部隊の兵力増強のため」に、派兵を要請される。

(修正案)

<現地の動き>
前日の次長電を受けた形で、橋本群参謀長は中国側に対して、「謝罪」「責任者の処罰」「盧溝橋付近からの撤退」「抗日団体の取締」を骨子とする要求を提出。以降、この内容を軸に、交渉が継続される。
<中央の動き>
午前:参謀本部第三課と第二部が、「支那駐屯軍の自衛」「居留民保護」を理由とする派兵提案を含む情勢判断を提出。参謀本部内にも異論はあったが、最終的には石原少将も同意、案は陸軍省に送付された。「国民党中央軍の北上」「現地情勢の緊迫」の報が実態以上に過大に伝えられたことが、派兵の決定に大きな影響を与えた、と言われる。

(理由)

1。「現地の動き」には、橋本参謀長からの「要求」を記述しました。散発的に戦闘が続き、「牟田口連隊長の独断夜襲」というエピソードもあるのですが、ここでは割愛します。
2。「中央の動き」では、この日、「三個師団派兵」が決定的になったことがポイントです。「国民党中央軍の北上」「現地情勢の緊迫」の報が実態以上に過大に伝えられた」云々は、「戦史叢書」の記述などを参考にしました。一般的な見方と考えていいと思います。

本文の修正提案(その7)7月11日

(現在の文)

11時30分:五相会議が開かれ、その席上で陸軍大臣が、北京近郊の居留民の安全のため派兵を提案。その後開かれた閣議により派兵が決定される。

(修正案)

<現地の動き>
20時00分:「責任者の処分」「中国軍の盧溝橋城郭・竜王廟からの撤退」「抗日団体の取締」を骨子とする現地停戦協定が成立した(松井-秦徳純協定)。
<中央の動き>
11時30分:五相会議にて、陸相の、「威力の顕示」による「中国側の謝罪及保障確保」を理由とした内地三個師団派兵等の提案が合意された。
14時00分:臨時閣議にて、北支派兵が承認された。
16時20分:近衛首相は葉山御用邸に伺侯、北支派兵に関し上奏御裁可を仰いだ。
18時24分:「北支派兵に関する政府声明」により、北支派兵を発表。
21時00分:近衛首相は政財界有力者、新聞・通信関係者代表らを首相官邸に集め、国内世論統一のため協力を要請。以降、有力紙の論調は、「強硬論」が主流となる。
本来事件は、現地での停戦交渉の成立をもって終息に向かうはずのものであった。しかし、現地情勢を無視した政府の派兵決定は、拡大派を勢いづかせ、また中国側の反発を招くことにより、以降の事件拡大の大きな要因となった。

(理由)

1。現在の文では、簡単すぎます。また陸軍大臣の「提案理由」も、原文に沿ったものであるとはいえません。
2。現地での停戦協定の成立と中央の動きが対比できるよう、この日の経緯を加筆しました。
3。「この段階はまだ平和利に事態収拾できる可能性を持つものであった。問題となるのは、これ以降の政府の対応である」との表現は、趣旨をより明確にした上で、こちらに持ってきました。


本文の修正提案(その7)7月12日以降

(現在の文)

この日本政府の決定に対し、中国の蒋介石は日本との徹底抗戦を決意。宣戦布告のないまま日中両国は戦争へと進むことになる。

(修正案)

19日、蒋介石はいわゆる「最後の関頭」演説を公表して、中国の抗戦の覚悟を公式に明らかにした。以降、25日の郎坊事件、26日の広安門事件を経て、28日、ついに北支における日中の全面衝突が始まることになる。

(理由)

このあたり、こんなに簡単でいいのかな、という気はしますが、「狭義の盧溝橋事件」を論じるのであれば、このくらいに止めた方がいいのかもしれません。ちょっぴり追記しました。

本文の修正提案(その8)その他

1。「事件の謎 第一発を誰が撃ったか」~「葛西純一氏」「葛西氏」と、ここだけ「氏」がついてしまっています。他はすべて「敬称略」ですので、バランスをとるために、「氏」をとることを提案します。
2。「影響」~書かずもがなの感がありますし、内容も薄いものです。全面削除を提案します。
なお、「外部リンク」については、とりあえず改正提案は差し控えます。個人的には、多重アカウント氏がむりやり押し込んだ下の3つはいかがなものか、と思いますが・・・。いろいろ考えたのですが、この3つをこのままにして私のページのうち1つを削除するだけ、というのも、バランスを欠きます。ちょっと悩ましいところです。Matunami 2006年1月24日 (火) 11:45 (UTC)

編集しました

3日たちましたが、特段のコメントがありませんでしたので、提案通り編集しました。なお、文中に過去の編集の遺物であるコメントアウト部分が残っていることに気がつきましたので、異議がなければ、これも今から3日後に削除したいと思います。Matunami 2006年1月27日 (金) 13:57 (UTC)

細かいと思われるか知れませんが、英数字は半角でお願いします。johncapistrano 2006年1月27日 (金) 13:59 (UTC)
了解しました。Matunami 2006年1月27日 (金) 14:14 (UTC)
ご無沙汰しておりました、Kanoeです。まずはMatunamiさん、大幅な編集・修正、ご苦労様でした。ちゃんこなべさん、コメント挿入有難うございました。一身上の都合で少し(むしろ、かなり)ネットの入って来ない場所に追いやられておりました。と言いますか、現在進行形でして、これ以後も三月上旬あたりまでは戻って来られそうもありません。…と言いましても、Matunamiさんのお力により盧溝橋事件の修正はほぼ完了している様ですので、既に私が居なくても全く問題ありませんね。(笑
恐らく主要部分で残されているのが外部リンクについてだと思いますので、私の考えを少しだけ。Matunamiさんも仰るとおり、これは少し難しいですね。私の中ではMatunamiさんのサイトはかなりのお奨めサイトになるのですが(「盧溝橋事件一周年回顧座談会」など有益な資料も掲載されておりますし)、私が選別してしまって良いものかどうか…。そこで暫定的な措置としまして、ここは一先ず全てのリンクを削除してしまって、「それから改めて考える」という形にしてはどうでしょうか?(物凄くその場凌ぎですが(汗) 優良なサイトの中に「何だかなあ」なサイトがある現状よりは、幾分マシなのではないかと思うのですが、如何でしょうか。
他に気付いた点を挙げておきます。
  • 「第一発」の偶発性と「事件」そのものの偶発性の違いについて一言入れてはどうでしょうか(今回の騒動の発端もこれがきっかけでしたし…)。
  • 半角に:竜王廟方面から3発の銃声あり→竜王廟方面から3発の銃声あり
  • 内部リンク:[[桜井徳太郎]]、[[石原莞爾]]、[[近衛文麿|近衛首相]]、[[蒋介石]]...Kanoe 2006年2月6日 (月) 05:41 (UTC)

ご無沙汰しておりました。Kanoeさんの一日も早い全面復帰を、心からお待ちするものです。
今回は、自分のページのコンテンツをひとつ作成するのと同じくらいの労力を使ってしまいました。まあ、折角勉強しましたので、モトは取ろうと思っています。乞ご期待(笑)。
リンク先については、そもそもブロック措置を受けた問題ユーザーによる勝手な付加だったわけです。これを無視して編集しても差し支えないと思うのですが、一応、余計な揚げ足取りを防ぐためにも、「いったんは全面白紙化」というご意見に賛成したいと思います。「何をリンクするか」についてはゼロベースのスタートということで。
「「第一発」の偶発性と「事件」そのものの偶発性の違い」については、具体的な文案をお待ちしたいと思います。あと、内部リンクについては、異議を申し立てる方は誰も出ないと思いますので、自由に編集されて差し支えないでしょう。Matunami 2006年2月6日 (月) 12:07 (UTC)

3日経ちましたので、外部リンクを削除する編集を行いました。ようやく「多重アカウント」氏のおかしな編集の跡がなくなって、大変すっきりしたものになりました。Matunami 2006年2月9日 (木) 21:50 (UTC)

すっきりしすぎて冒頭から主語の抜けた間抜けな文章になっています。これは議論の余地がないでしょうから加筆しておいてあげました。それより「多重アカウント」妄想でもやもやしている病巣をまずすっきりさせて自分自身を見つめ直すようにしてくださいね。--チェッカー 2006年2月19日 (日) 17:21 (UTC)

「第一発」の犯人については今のところ「謎」であり、「中国側第二十九軍兵士の偶発的射撃」説が有力であるものの、断定まではできません。また、これが「有力説」であることは後に書いてありますので、ここに「中国軍」云々を持ってくる必要はないでしょう。
しかし、「多重アカウント」としてブロック依頼に出されているチェッカーさんが「多重アカウント妄想」などという言葉を使っても、何の説得力もないんですけど。ちなみに現在、賛成15対反対ゼロですので、成立は確実でしょう。特にこの記事で最も編集に関わった「どんべー」さんについては、正式なCUの結果、「多重アカウント」認定を受けていること、もうお忘れですか?Matunami 2006年2月19日 (日) 20:13 (UTC)

妄想で論争相手すべてを多重アカウントと断定してブロックに賛成している大病人はMatunami氏と同じ反日自虐系の面々ばかりのようですね。ただ、お仲間内で「有力説」であっても断言まではできないことはわかっていても二枚舌をすべらせてしまうのは今のところMatunami氏だけのようでお気の毒です。--チェッカー 2006年2月19日 (日) 20:43 (UTC)

加筆への意見要請

今のところ返答も差し戻しもありませんが、「西南方向の盧溝橋で起きた日本軍への発砲事件。」の「日本軍への」部分の加筆に異論がないでしょうか?--チェッカー 2006年2月20日 (月) 14:02 (UTC)

こちらのページ盧溝橋事件「第一発」問題に書かれているように、「第一発」目に関する解釈によっては、日本軍に対する発砲事件とは言えなくなりますので、「日本軍への」を付加するべきではないと思います。--ちゃんこなべ 2006年2月20日 (月) 14:23 (UTC)

Matunami氏の個人的HPは何ら権威も説得力も認められません。ただ日本軍への発砲を否定している記述は見当たりませんでした。要約欄でも嘘を書いたちゃんこなべ氏が 今度はありもしない解釈をでっち上げたのでしょう。--チェッカー 2006年2月20日 (月) 15:19 (UTC)

まずお断りしておきますが、「ノート」というのは、「どうすればよりよい編集ができるのか」を話し合う場です。「反日自虐系」やら「妄想でもやもやしている病巣」やら、根拠のない罵倒・暴言でリソースを無駄遣いする場ではありません。こんなコメントにいちいち返事をするのもアホらしいのですが、ここまで「罵倒」を受けては仕方がありません。私の趣味は「多重アカウント容疑ユーザー氏のお相手」ではないのですけど。いい加減、勘弁してほしいなあ。
今回の「日本軍への」の付加は、微妙。よく考えると、この定義文自体、「中国説」を無視したもので必ずしも「中立性」が担保されているとは言えないかもしれませんし。とりあえず差戻ししていただいたようですので、この語の付加については、ノートでの議論の上、決定しましょう。
しかし、「peace氏=world氏」らとそっくりな罵倒文句を使いながら、なお自分が多重アカウント一派であることを否定する神経、私には理解できません。「どんべー」氏らは正式なチェックユーザーの結果「多重アカウント」と認定されたわけですが、あれも「妄想」だったのでしょうか。
でもいやはや、「これは議論の余地がないでしょうから」なんて自信満々なことを言いながら、「中国軍が」を付加するという問題ありの編集をしてしまうとは。その問題を指摘すると、「主語が抜け」ているから編集したはずなのに、今度は「主語」でも何でもない「日本軍への」の一言を挿入。「ローカルルール」でガチガチに固められた記事に、何とかちょっかいを出したい、という気持ちがみえみえです。
ついでですが、「第一発」には、「第二十九軍説」「中国共産党説」「西北軍説」「藍衣社説」「日本軍説」「特務機関説」「大陸浪人説」があります(秦郁彦氏の分類による)。概ね右に行くほど根拠は薄くなり、中には箸にも棒にもかからない説もありますが、少なくとも「中国軍が」と断定することはできません。
あと、「多重アカウント」氏が登場の都度ブロックされ続けている理由は、別に極右的な思想を持っているからでも、極右的主張を足すだけの問題編集を行っているからでもありません。ノートでの議論を無視した、協調性のない編集。相手に対する暴言、罵倒。あげくの果て、「ブロック依頼」のページで大暴れをして当該ページを機能不全に追い込んだ滅茶苦茶なアラシぶり。こんな状況であなたのブロックに賛成した方々を「反日自虐」呼ばわりするのでは、こちらの方があなたの「妄想」であると思われますよ。ところで、私が「反日」である根拠は、まだですか。
なお、私の「個人的HPは何ら権威も説得力も認められません」と、何とか私のページを貶めたいようですが、私はすべて出典明記で議論しています。私のページに問題ありと考えるのでしたら、直接ご自分で出典を確認すればいいだけの話でしょう。
さて、チェッカー氏の投稿ブロックは免れない状況ですが、次はどんなアカウントで登場するのでしょうか。このノート、前と同じように、また「多重アカウントユーザー」の「あぶりだし」になってしまうかもしれませんね。Matunami 2006年2月20日 (月) 21:47 (UTC)

前言訂正。よく考えたら、「日本軍への」という付加では、「日本軍を狙った」というように誤認されかねませんね。事件の経緯については後で説明してありますので、この付加は不要でしょう。よって、ちゃんこなべさんの「差し戻し」に同意。そもそも、「盧溝橋事件」を「発砲事件」にとどめてしまうこの定義でいいかどうか、悩んでおりますので、また再提案を行なうかもしれません。
どちらにしても、チェッカーさんがブロックされた時点で、提案は「無効」になるのでしょうし。そもそも「多重アカウント」であれば、編集権も発言権も提案権もなかったはずです。Matunami 2006年2月21日 (火) 10:27 (UTC)

提案者の「チェッカー」さんが投稿ブロックされましたので、この提案は「無効」になった、ということでよろしいかと思います。Matunami 2006年2月23日 (木) 22:00 (UTC)

「日本軍への」発砲事件

盧溝橋事件「第一発目」は諸説あるようだが、二発目三発目が「日本軍への」発砲であることを否定 する説はない。よって「西南方向の盧溝橋で起きた日本軍への発砲事件。」でよい。--番長キヨマー 2006年2月28日 (火) 13:45 (UTC)

「否定する説はない」とのことですが、異説はあります。何を持って「ない」と断言されるのでしょうか。...Kanoe 2006年2月28日 (火) 14:11 (UTC)

表の「事件の経緯」と矛盾している。異説があるから「日本軍へ」を削除するなら「事件の経緯」も 削除やな?--番長キヨマー 2006年2月28日 (火) 14:58 (UTC)

何がどう矛盾しているのかご指摘下さい。また、上にも書きましたが、何を根拠に「否定する説はない」と断言されたのでしょうか。...Kanoe 2006年2月28日 (火) 15:34 (UTC)

異説があるならあるで結構。上でも言っているが?おたくは異説があるから「日本軍への」を削除したが、「日本軍への」発砲が記してある「事件の経緯」は異説があるのに削除しないのはなぜ?記述が矛盾してるでしょうが。--番長キヨマー 2006年2月28日 (火) 15:53 (UTC)

多分、「竜王廟方面から3発の銃声あり。伝令に出た岩谷曹長らが、中国軍陣地に近づき過ぎて発砲を受けた、と見られている」の中の「岩谷曹長らが、中国軍陣地に近づき過ぎて発砲を受けた」と「矛盾してる」と仰っているという理解で宜しいですね? 断定的な文句ではない(「と見られている」)ので「矛盾」とまでは思いませんが、気になるようでしたら(私は割と安井氏の考えに近いので)削除しても構わないと思います。...Kanoe 2006年3月1日 (水) 13:31 (UTC)

7月7日の「22時40分頃:永定河東岸で演習中の日本軍・支那駐屯歩兵第1連隊第3大隊第8中隊に対し、何者かが竜王廟方面より複数発の銃撃を行う。」も気にならないのでしょうが。日本軍への発砲を断定できないとして意地でも削除するなら「事件の経緯」も一から見直してくださいな。「日本軍への」を気にしないで削除しないほうがまともな記事になると思うがね。--番長キヨマー 2006年3月1日 (水) 15:01 (UTC)

あの、少し整理したいのですが、番長キヨマーさんの言う「二発目三発目」はどの発砲・銃声を指しているのですか?...Kanoe 2006年3月1日 (水) 15:32 (UTC)

語弊があるので「一回目二回目」の日本軍への発砲のことです。つまり上にある最初の7月7日、そして7月8日の事と解してもらいたい。どちらも「日本軍への発砲」で「事件の経緯」を一から見直すか、Kanoe氏が削除してしまった冒頭部の「日本軍への」を気にしないで削除しないかのどちらにします?--番長キヨマー 2006年3月1日 (水) 16:31 (UTC)

なるほど、整理出来て来ました。つまり、七日も八日も複数の説があるが、「事件の経緯」では現在の版は一つの説が優先されているの定義文との整合性が取れていない→どちらかに統一すべきという、ということですね。そして、番長キヨマーさんはその対処として、
  • 「事件の経緯」を一から見直す
  • 定義文に「日本軍への」と加筆するか
の二案のうちのどちらかにすべき、ということですね。ですが、以下に修正案を(番長キヨマーさんが「日本軍への」と加筆するよりも前に)出しています様にそもそも盧溝橋事件の定義(文)が変だと思います。私としては「定義文を全面的に修正する」という第三の案が適当だと思っています。...Kanoe 2006年3月3日 (金) 13:24 (UTC)
まずそもそも、何のために「ローカルルール」が制定されたのか、もうお忘れなのでしょうか? 言うまでもなく、編集合戦を避けるためですよね。ルールにそこまで明記されているわけではありませんが、異議が出る可能性のある編集を行うのであれば、私やKanoeさんがやっているように、予め「ノート」で提議し、合意を得る努力を行なうのが当然のことでしょう。
「日本軍へ」の付加は、いったん「否決」(あるいは提案者のブロックにより「無効」)となっています。しかしあなたは、何の問題提起もせずに、いきなり本文を編集してしまいました。これは、「ノート」議論の無視であることはもちろん、ローカルルールの精神を無視した問題行為である、と言わざるをえません。強く自制を求めます。
「ノートでの合意を経ない編集-差戻し」は、今回でもう3回目です。「ローカルルール」の精神を尊重する上で、今後は、編集を行いたいのであれば、あらかじめ「ノート」で提議を行い、皆さんの意見を広く求めて合意を得た上で編集を行うよう、ご協力をお願いしたいと思います。Matunami 2006年3月1日 (水) 21:42 (UTC)
さて、本題に入ります。単に「ローカルルール」に対して「いやがらせ」をしたいだけの編集、ということがミエミエだけに、どこまで本気でコメントしていいのかわかりませんが・・・。ほとんど些末的な編集ではあるのですが、私の反対理由は、①「直接日本軍を狙った射撃である」と誤解される恐れがある、②定義部分は、可能な限り中立的な表現にとどめるべきである、ということです。
後半部と矛盾する、というのであれば、後半部の修正を提案するべきでしょうね。例えば、「なお、この銃撃は日本軍を直接狙ったものではなく、日本軍の頭上を掠めただけであり、日本軍側に被害は皆無だった」という文を加えるとか。いずれにしても、「定義」部分をめぐる議論が始まろうとしていますので、こんな些末的部分は後回しにしていただきたいものです。
なお、5日以内にあなたがこれ以上の「賛成発言」を行なわず、またこの提案への他の賛成者(多重アカウントユーザーを除く)が現われなければ、この提案は否決となります。もしその間に、あなたが「多重アカウントユーザー」と認定されてブロック措置を受けるのであれば、そもそもあなたには編集権も発言権もなかったことになりますので、この提案は遡って無効となる、ということになると思います。Matunami 2006年3月1日 (水) 21:44 (UTC)

河野又三郎少佐の手記に書かれているように、日本軍の演習の空砲に中国軍が反応したのであれば、中国軍側から見れば、日本軍からの中国軍への発砲が原因となります。したがって、さまざまな説が存在するのであろうことを考えると、「日本軍への」を定義文に付加することは不適切だと考えられます。--ちゃんこなべ 2006年3月2日 (木) 14:02 (UTC)

日本軍が演習していることは中国側はわかっているのでそれこそナンセンス。--KMTM 2006年3月2日 (木) 14:15 (UTC)

おやおや、「番長キヨマー」さんは一体どこに行ってしまったのかと思いきや・・・何と、「暴言」で1週間のブロックとなっていました。それと入替りに、「KMTM」さんご登場。いやはや、何でここまで露骨なこと、やるのかなあ。何度も言うとおり、「多重アカウント」氏には編集権も発言権もないのですけれどね。
コメントについては、反論になっていない、としか言いようがありません。「河野手記」「長沢手記」「佐藤手記」あたりを、読み返してみてください。Matunami 2006年3月3日 (金) 13:36 (UTC)

「番町キヨマー」さん、「KMTM」さん、ともに「多重アカウント」などを理由にブロックされました。従ってこの提案は無効となったものと理解します。Matunami 2006年3月6日 (月) 11:35 (UTC)

定義文修正案

今晩は、Kanoeです。(完全では有りませんが、)戦線復帰です。 以前提案しておりました偶発性云々について修正する前に、現在の微妙な感じの定義文について修正を提案します。具体案を出せるほど頭が整理し切れていないのですが、修正するに当たって新しい定義文は以下の様な要素を含んでいれば良いのではないでしょうか。

  • 盧溝橋事件は日中両軍の武力衝突
  • 事件は日中戦争の発端となった
  • 狭義と広義の盧溝橋事件の範囲について(無くても良い?)
  • 事件の直接の発端は所謂「第一発」→後述する

とりあえずこんな所だと思います。如何でしょうか。... Kanoe 2006年2月26日 (日) 17:34 (UTC)

まず、ヤクザが拳銃を振り回したわけではあるまいに、「発砲」事件という表現に、そもそも違和感を感じます。かといって「射撃」にすると、何やらスパイナーが日本軍を狙ったかのようなイメージで、ちょっとどうかと。「銃声」ぐらいの表現に止めた方が無難かもしれません。
さらに、別に「銃声」なり「射撃」なりが、イコール「盧溝橋事件」というわけでもありません。一般的には、「盧溝橋事件」は、10時40分の「第一発」から、5時30分の「衝突」までの一連の動きの総称でしょう。さらにその後、「盧溝橋」附近で繰り返された両軍の小規模衝突まで「事件」に含める見方もあるかもしれません。
以上の要件を満たす「定義文」を考えているのですが・・・。う~ん、難しいなあ。
いったんこんな文を考えてはみたのですが、上のことを考えると、まだ不十分ですね。一応、「叩き台」ということで。
「盧溝橋事件(ろこうきょうじけん、中国では七七事変ともいう)は、1937年(昭和12年)7月7日夜の銃声を契機に、翌8日午前5時30分に日中の両現地軍が衝突した事件。その後いったん現地協定が成立したものの、最終的には7月28日に日中両軍は全面衝突に突入することになり、日中戦争(支那事変、日華事変)の発端となった。」Matunami 2006年3月1日 (水) 21:54 (UTC)

Matunaiさんは基本的には、7日の「第一発」から8日の武力衝突までが「盧溝橋事件」と捉えられている様ですね。 私の中では11日の協定の成立までが「盧溝橋事件」という認識が(勝手に)あったのですが、安井『盧溝橋事件』(p142)だと、確かに狭義が7日から8日の武力衝突まで、広義が8日から25日までとなっていますね。うーむ、難しいですね。ちなみに私の上記の箇条書きをベースとした定義文案はこんな感じです。
「盧溝橋事件(ろこうきょうじけん、中国では七七事変ともいう)は、1937年7月に北京(当時は北平と呼ぶ)西南方向の盧溝橋付近で起こった日中両軍による武力衝突であり、日中戦争(支那事変、日華事変)の発端となった事件。 狭義の盧溝橋事件は7月7日夜の事件発生から8日早朝の武力衝突の発生までを、広義の盧溝橋事件は8日から25日の郎坊事件発生までを指す。また、本事件の発生の引き金となったのは7月7日の所謂、「第一発」である。」...Kanoe 2006年3月3日 (金) 13:31 (UTC)

「詳述」というほど詳しくもありませんので、「第一発である」で止めておいてもいいと思います。あとは異議ありません。Matunami 2006年3月3日 (金) 13:41 (UTC)

そうですね、「詳述」は言い過ぎでした。そんなわけで、Matunamiさんにご指摘頂きました箇所を修正(&「事件」を加筆)しました。(何だか後から押し付けたみたいな形になってしまいまして申し訳ありません。(汗))他に特に異論がありませんでしたら、三日後に定義文を上記のものと差し替えたいと思います。...Kanoe 2006年3月3日 (金) 16:30 (UTC)


異論です

「盧溝橋事件(ろこうきょうじけん、中国では七七事変ともいう)は、1937年7月に北京(当時は北平と呼ぶ)西南方向の盧溝橋付近で日本軍への発砲に端を発した日中両軍による武力衝突であり、日中戦争(支那事変、日華事変)の引き金となった事件。 狭義の盧溝橋事件は7月7日夜の事件発生から8日早朝の武力衝突の発生までを、広義の盧溝橋事件は8日から25日の郎坊事件発生までを指す。」

下に続く「事件の経緯」にある日本軍が発砲を受けたという事実をできるだけ正確に言い表す定義文としては上記を提案します。他に特に異論がありませんでしたら、三日後に定義文を上記のものと差し替えたいと思います。--Xデー 2006年3月5日 (日) 08:35 (UTC)

「異論がありませんでしたら」と言われましても、私の案への異論が貴方の案である、と貴方が主張しているのですから、異論がないわけないでしょう(コピペでなければ、ですが)。「第一発」については諸説ありますので「日本軍への発砲」という文句は不適切です。... Kanoe 2006年3月5日 (日) 09:03 (UTC)

「第一発」については別見出しで詳細があるようですから無関係です。「日本軍への発砲」という文句が不適切とするなら、冒頭文下の「事件の経緯」に日本軍が発砲を受けたという事実が書いてあるのも不適切ですね。--Xデー 2006年3月5日 (日) 09:16 (UTC)

あの、貴方の言う「日本軍への発砲」とはどの時点の「発砲」を指しているのですか?... Kanoe 2006年3月5日 (日) 09:20 (UTC)

日中両軍による武力衝突に至る前に日本軍が発砲を受けたのは一発だけではありません。冒頭文下の「事件の経緯」を読めばわかることですね。--Xデー 2006年3月5日 (日) 09:43 (UTC)


? ですから、銃声もしくは発砲が一度だけではないから、「どれを指しているのですか」とお伺いしているのです。どの「発砲」なのか明確にして下さい。また、「「第一発」については別見出しで詳細があるようですから無関係です」という一文の意味が良く分からないのですが、ご説明下さいますか。... Kanoe 2006年3月5日 (日) 09:55 (UTC)

日中両軍による武力衝突に至る前に日本軍が受けた一連の発砲ですね。中国軍が発砲を受けたと書いてありますか。--Xデー 2006年3月5日 (日) 10:03 (UTC)

22時40分頃、3時25分の銃声または発砲と言う理解で宜しいですね? あと、お答え頂いていないのですが、「「第一発」については別見出しで詳細があるようですから無関係です」というのはどういう意味なのでしょうか?... Kanoe 2006年3月5日 (日) 10:14 (UTC)

日中両軍による武力衝突に至る前に日本軍が受けた一連の発砲をもって「日本軍への発砲」としているから、「第一発」に着眼した話ではない。よって無意味。日中両軍による武力衝突に至る前に日本軍は発砲を受けましたか?冒頭文下の「事件の経緯」を読んでイエスかノーでお答えください。それに答えるだけで結論が出ますので。(笑)--Xデー 2006年3月5日 (日) 10:26 (UTC)

何が「無意味」なのか全く分かりません。何がどう「無意味」なのですか? Xデーさんは自分が理解していることを必ずしも相手(この場合の私:Kanoe)が理解している(出来る)わけではない、ということをもう少し理解して下さい。それで結局、「「第一発」については別見出しで詳細があるようですから無関係です」というのはどういう意味なのでしょうか?
>「日中両軍による武力衝突に至る前に日本軍は発砲を受けましたか」
「事件の経緯」を読んで答える意味が分かりません。ちなみに、日本軍(の公式見解?=戦闘詳報)は22時40分頃に受けた、と主張しています。つまり、当時の日本軍(の主流?)に聞けば、「イエス」と答えるでしょう(多分)。が、(日本軍関係者にも)異説はあります。ので、当然「ノー」と答える人もいます(多分)。3時25分については、日本軍(の公式見解?=戦闘詳報)は「ノー」です。... Kanoe 2006年3月5日 (日) 10:40 (UTC)

「「日本軍への発砲」という文句が不適切とするなら、冒頭文下の「事件の経緯」に日本軍が発砲を受けたという事実が書いてあるのも不適切ですね。」これに対するお答えがいただけませんでした。もう一度Kanoe氏が素直に答えられるように単純に質問しておきます。

日中両軍による武力衝突に至る前に日本軍が発砲を受けたと冒頭文下の「事件の経緯」に書いてありますね?イエスかノーでお答えください。--Xデー 2006年3月5日 (日) 11:07 (UTC)

>「これに対するお答えがいただけませんでした」
「不適切ですね」に対して何らかの応答を示せ、とは書いてありませんでしたが。(加えて、「これ(「不適切ですね」)に対するお答えがいただけませんでした」→「「事件の経緯」に書いてありますね」というのはやや論理が飛躍していると思います。)
>「日本軍が発砲を受けたと冒頭文下の「事件の経緯」に書いてありますね」
イエス、ですね。
それで一体、「「第一発」については別見出しで詳細があるようですから無関係」とは何のですか?(四回目)... Kanoe 2006年3月5日 (日) 11:39 (UTC)
定義文には、説としてなるべく異論の無い部分を提示すべきであり、日本軍からの中国軍への発砲であるという中国側の見解が存在する以上、ここで一方の説のみを記述することは不適切だと思われます。
なお、このXデー氏は、不法ユーザーであることが疑われており、現在、ブロック依頼が出され審議されています。不法ユーザーには発言権はありませんので、ブロック依頼の審議で不法ユーザーであることが確定された場合は、Xデー氏の発言は無効(つまり、存在しなかったもの)と理解すべきでしょう。--ちゃんこなべ 2006年3月5日 (日) 12:39 (UTC)

1。アカウントAが「多重アカウント」などを理由にブロックされる。
2。すると突然、ほとんど投稿履歴がない(あるいは全く新規の)アカウントBが登場する。
3。そしてアカウントBは、アカウントAと同じ場所で、全く同じ議論を繰り返す。
・・・このパターン、「再開」後のこの「ノート」で、もう4回目です。多重アカウントには発言権も編集権もない、と何度も言っているはずなのですけどね。
なお、この「異論」には反対します。「日本軍への発砲に端を発した日中両軍による武力衝突」という表現は、「衝突」の責任を一方的に中国側に負わせようとするものである、と見られる恐れがあります。「5時30分の最初の武力衝突」については、日本軍側にもかなりの責任がある、と考えるのが自然でしょう。だいたい、文章としても、このむりやりの挿入は「すわり」が悪いですよね。Matunami 2006年3月6日 (月) 11:32 (UTC)

日本軍が発砲を受けたと冒頭文下の「事件の経緯」に書いてあることはKanoe氏に確認頂きました。従って節冒頭にある 「日本軍への発砲に端を発した」を不適切とした削除は根拠がなく、「事件の経緯」での記述に合致しており、適切であることがおわかりいただけたと思います。歴史研究者の説でも日本軍が発砲を受けた事実を否定する説は存在しませんので、明日にでも冒頭文を差し替えたいと思います。--Xデー 2006年3月6日 (月) 16:02 (UTC)
? 「事件の経緯」に書いてある→定義文差し替え、となることは論理的に意味不明です。要するに、Xデーさんは現在の「事件の経緯」がほぼ日本軍の証言によってのみ記述してあることを指摘したに過ぎません。つまり、「事件の経緯」を中国軍側の意見も反映させて構成しなおせば良いということだと思います。それで、「第一発」については別見出しで詳細があるようですから無関係です」というのはどういう意味なのでしょうか? また、「歴史研究者の説でも日本軍が発砲を受けた事実を否定する説は存在しません」という根拠は何ですか? この二点明確にお答え下さい。これは既に警告の段階です。これ以上は対話拒否を理由にブロック依頼を出させて頂くことになりますよ?... Kanoe 2006年3月6日 (月) 16:15 (UTC)

日本軍が発砲を受けた事実を否定する説が存在するのですか?ソースをお願いします。中国が何ら根拠を示さず「日本軍の陰謀」としている主張を支持している歴史学者が存在しないことから「説」とは認められません。日中両軍による武力衝突に至る前に日本軍が「一連の」発砲受けた事実は「第一発」に左右されないので無関係です。関係があるとするならKanoe氏が明確に説明すればいいだけのことです。「対話拒否」などと嘘を並べて合意に努力する意思があるのですか?--Xデー 2006年3月6日 (月) 16:55 (UTC)

>日本軍が発砲を受けた事実を否定する説が存在するのですか
私が存在する、と言いましたか? 言っていませんよね。何故、Xデーさんが「歴史研究者の説でも日本軍が発砲を受けた事実を否定する説は存在しません」と断言されているのか伺っているだけです。
>中国が何ら根拠を示さず「日本軍の陰謀」としている主張
この場合の中国とは何ですか? 大陸か台湾の政府ですか? 仮に政府だとして中国政府が主張しているなどと誰がいっているのですか? 加えて、「「日本軍の陰謀」としている主張を支持している歴史学者が存在しない」と断言する根拠は何ですか?
>日本軍が「一連の」発砲受けた事実は「第一発」に左右されないので
先にも似た内容を伺いましたが、「「一連の」発砲」はどの「発砲」なのですか? Xデーさんが間違った日本語を使っていないのならば、「「一連の」発砲」に「第一発」は含まれないということになりますが、宜しいのですか?
それで、「第一発」については別見出しで詳細があるようですから無関係です」というのはどういう意味なのでしょうか? また、「歴史研究者の説でも日本軍が発砲を受けた事実を否定する説は存在しません」という根拠は何ですか? 繰り返しますが、この二点明確にお答え下さい。他人の質問に答えないのは「対話拒否」以外の何物でもないでしょう。... Kanoe 2006年3月6日 (月) 17:27 (UTC)

ソース提示も特に有効な反論・異論がないようですので、「事件の経緯」にある日本軍が発砲を受けたという事実をできるだけ正確に言い表す定義文として明日にでも以下を反映させたいと思います。なお説明がなく持論の完結を見られない質問等は本件とは無関係なものと判断させていただきます。

「盧溝橋事件(ろこうきょうじけん、中国では七七事変ともいう)は、1937年7月に北京(当時は北平と呼ぶ)西南方向の盧溝橋付近で日本軍への発砲に端を発した日中両軍による武力衝突であり、日中戦争(支那事変、日華事変)の引き金となった事件。 狭義の盧溝橋事件は7月7日夜の事件発生から8日早朝の武力衝突の発生までを、広義の盧溝橋事件は8日から25日の郎坊事件発生までを指す。」--Xデー 2006年3月6日 (月) 18:14 (UTC)

現在のところ、あなたの「持論」は、到底「合意」を得られたものではありません。この状況で編集強行を行うのであれば、「ローカルルール」違反として、即日ブロック対象となります。また、相手の議論を無視して、一方的に「ソース提示も有効な反論もない」と決め付けるのでは、「対話不能」と断定せざるをえません。
繰り返しますが、私の反対理由は、「中立性に反すると見られる恐れがある」です。「事実であること」と「その取捨選択により中立性を確保すること」は別問題です。
「盧溝橋事件」には、①支那駐屯軍の3倍増強に際しての豊台駐屯、②永定河岸での日本軍の連日の大演習、③日本軍の中国軍方向への演習射撃、④それに呼応する形での中国軍陣地方向からの銃声、⑤牟田口連隊長の攻撃開始命令、⑥第8中隊の「挑発前進」、⑦その挑発に答える形での中国軍からの射撃開始、という一連の流れがあります。
このうち①②は、いずれは「前史」という形で補記した方がいいかもしれません。しかしともかくも、この記事は③から⑦までの事実はきちんと示されており、読者は一連の流れから、事件の概要を知ることのできる仕掛けになっています。
ただし定義部分では、あえて①~⑦の「事実」に触れていません。なぜならば、このうち一つを抜き出してしまうことは、「どちらにより責任が重いか」という「先入観」を読者に与える恐れがあるからです。
にもかかわらず、あなたは、このうち④のみを「定義」部分にむりやり挿入して、あたかも日本軍側が被害者であるかのような誤解を生む文章を提案しているわけです。そのような誤解を排するのであれば、①~⑦(最低、③~⑦)の事実はきちんと「定義」部分に入れる必要がありますが、それは不可能でしょう。
この流れから④のみを入れることは、「中立性」に反する、と見られる恐れがあり問題である、というのが私の意見です。どうぞ、「有効な反論もない」などと一方的に決め付け、「編集合戦」を招きかねないような強引な編集はされないようにお願いします。Matunami 2006年3月6日 (月) 21:51 (UTC)

「日本軍への発砲に端を発した」ことが「事実である」と認めるが、「中立性に反すると見られる恐れがある」から敢えて事実を記述しないというのがMatunami氏の反対理由ですね?それが誹謗中傷や名誉毀損、プライバシーの侵害などに該当するケースを除いては、「事実」を記述することは一般的に中立性に反しません。たとえば「Matunami氏は常識知らずのならずの馬鹿の一つ覚え人間である。」などとの記述は慎むべき事例です。個人の中立性の基準で恐れを抱かれるケースについて、それを個人のHPに反映させることは自由ですが、世間一般に対してそのこだわりを理由に「事実の記述」を停止させようとする試みは自由主義世界においてのならず者に他なりません。どうかあなたの身近にいるであろう良識的人物に相談したうえで再考するようにお勧めします。意地を張らず常識的な感覚でウィキペディアに参加されますように進言いたします。--Xデー 2006年3月7日 (火) 14:58 (UTC)

1。「中立的表現」とは、「特定の観点からの意見を主張するかわりに、論争における様々な立場を公正に説明すること」と定義されています。あなたの「加筆」は、「特定の観点からの意見」をいたずらに強調するものであり、到底、「論争における様々な立場を公正に説明」するものではありません。
2。繰返しになりますが、具体的に言えば、「日本軍への」の語句を付加することは、「衝突の責任は日本軍側にあらず」という「特定の観点からの意見」に組することになると思います。ここであえて「様々な立場を公正に説明」しようとするのであれば、例えば「演習中の日本軍からの射撃に呼応した形での」などの表現を加える必要が出てきますが、それでは定義部分があまりにごてごてしてしまいます。しかもこれでも、複雑な事態を適切に表現するにはなお不足でしょう。
3。そこで、定義部分は「盧溝橋事件とは日中両軍の衝突事件である」レベルの簡素な記述にとどめ、詳細は以下の記事に譲る、という方法をとったわけです。「盧溝橋」のような複雑な事件の記事を書く上では、これが妥当な方法であると思います。
4。しかし、今回のレス、ひどいですね。「matunami氏は常識知らずの馬鹿の一つ覚え人間」なんて失礼な例えを、ここに使う必要は全くないでしょう。で、私は「ならずもの」であるわけですか。そして私は、「良識的」でも「常識的」でもないわけですね。しかし、あなたの口から「良識的」とか「常識的」とかという言葉を聞くと、ちょっと唖然とせざるをえません。Matunami 2006年3月8日 (水) 10:11 (UTC)

加筆部分「日本軍への発砲に端を発した」は「特定の観点からの意見」ではなくMatunami氏も認められたように「事実」ですから、その事実を削除する事のほうがむしろ中立性に反しています。また「事実」のみ記述しているのですから、「特定の観点からの意見」に組することにはなりません。「衝突の責任は中国軍側にあらず」という「特定の観点からの意見」を反映させたいと考えるあまりに「事実のみ」の記述を削除せんとされているMatunami氏こそが中立的観点に欠けていると言わざるを得ません。これ以上真っ当な反論が得られそうにもありませんので午前零時頃この加筆を反映させたいと思います。--Xデー 2006年3月8日 (水) 14:01 (UTC)

例えば、「A君はB君を殴った。それに対して、B君はA君を殴り返した」という事件があったとします。前半を無視して「B君がA君を殴った」ことだけを記述するのであれば、これは「事実の記述」ではありますが、到底「公正な記述」とは言えません。私の言っているのは、そういう単純なことです。
ローカルルール無視の編集強行は、遺憾に思います。余談ですが、ここまでの「確信犯」に、24hのブロックではあまり意味がありませんね。1w程度のブロックが必要かもしれません。時間がないので、今朝はここまで。Matunami 2006年3月8日 (水) 21:41 (UTC)

その例えだと「A君はB君を殴ったことに端を発して~起こった事件」と事実を編集しているのがXデー さんですよ。「B君もA君を殴った」ことを強調したいMatunamiさんが「A君はB君を殴った」事実を 隠しているんじゃないですか。Matunamiさんの分別能力が麻痺しているように思うんですが?--Kijyttw 2006年3月9日 (木) 07:54 (UTC)

あのお、ここでの「A君」は「日本軍」、「B君」は「中国軍」に対応します。Xデーさんは、「日本軍が中国軍を殴った」(中国軍陣地方向へ演習射撃を行なった)なんて書いていますか? Xデーさんは「A君がB君を殴った」事実を隠した編集を行っているわけなのですが。このコメントは、何かの勘違いでしょう。
念のためですが、「原則としては両方の事実を併記すべし。ただしこの定義部分に「併記」はそぐわないから後の記事で記述し、定義部分ではどちらも省略すべし」というのが私の主張でしたよね。Matunami 2006年3月9日 (木) 10:47 (UTC)

日本軍は自陣での演習でしかも空砲。実弾じゃないことを分かっていてよくそんな嘘を言いますね。Matunamiさんの分別能力というより嘘を平気でつく良心の問題です。歴史歪曲もはなはだしい捏造でしょう。--Kijyttw 2006年3月9日 (木) 11:31 (UTC)

「自陣での演習」ではありましたが、結果としては中国軍陣地方向に向けた射撃ではありました。中国軍側は、「空砲」とは認識できなかった。「攻撃を受けた」と思い込んだ中国軍兵士は、反射的に日本軍の頭上めがけて(日本軍そのものを狙って、ではない)射撃を行なった。日本側の大勢の説に従えば、これが概ねの「事実経緯」でしょう。
さらにその後、牟田口連隊長は、自軍に全く被害がなかったにもかかわらず「攻撃命令」を出しています。そして、中国軍側に対して「攻撃前進」を行い、中国軍の攻撃を誘発しました。この一連の流れが「盧溝橋事件」です。全体を見れば、中国軍側に一方的な責任を求めるのは、あまりに無理な議論であると思います。
そうした中で、Xデーさんは、あえて「日本軍への発砲」の事実のみを抜き出し、あたかも日本軍側が一方的な被害者であるかのような「仮装」を行なったわけです。私は、これを「問題」であると判断しています。「平気で嘘をつく」だの「捏造」だの、中傷表現は控えていただくよう、お願いします。Matunami 2006年3月9日 (木) 11:57 (UTC)
Matunamiさんは「事実」の記述を削除する理由として、諸説ある中の「特定の観点からの意見」を「事実経緯」と断定して「事実」記述の削除を正当化しているじゃないですか。Matunamiさんの反論は既にXデーさんによって矛盾を指摘されていますよ。支離滅裂な論理を整理してください。
加筆部分「日本軍への発砲に端を発した」は「特定の観点からの意見」ではなくMatunami氏も認められたように「事実」ですから、その事実を削除する事のほうがむしろ中立性に反しています。また「事実」のみ記述しているのですから、「特定の観点からの意見」に組することにはなりません。「衝突の責任は中国軍側にあらず」という「特定の観点からの意見」を反映させたいと考えるあまりに「事実のみ」の記述を削除せんとされているMatunami氏こそが中立的観点に欠けていると言わざるを得ません。これ以上真っ当な反論が得られそうにもありませんので午前零時頃この加筆を反映させたいと思います。」--Xデー 2006年3月8日 (水) 14:01 (UTC)--Kijyttw 2006年3月9日 (木) 12:39 (UTC)
何度も繰り返すとおり、私が言っているのは、「あたかも日本軍側に責任がないかのように錯覚させる記述には問題がある」ということですね。
「日本軍が中国軍陣地方向へ演習射撃を行なった」というのは「事実」です。「牟田口連隊長が、日本軍に全く被害のない状況で「攻撃命令」を行なった」というのも、「事実」です。「日本軍が、中国軍の攻撃を誘発すべく「挑発前進」を行なった」というのも、事実です。「中国軍の目と鼻の先で大規模演習を繰返し、中国軍側に強い懸念を与えていた」というのも「事実」です。「いきなり駐屯軍の兵力を三倍化し、中国軍側の抗議を受けた」のも「事実」です。
このような「事実」をすべて捨象して、「日本軍への発砲」という一点の「事実」のみをいたずらに強調しようとするのは問題である、と私は言っているわけです。十分「整理」された議論であると思いますが。
で、このXデーさんの分をそのまま引用するということは、「これ以上の真っ当な反論が得られそうにない」と主観的に判断したら、合意なしの編集を強行しても差し支えない、という意思表示である、と理解してもよろしいのでしょうか?Matunami 2006年3月9日 (木) 12:52 (UTC)

繰返しますが、きちんとした「ローカルルール」が定められているこの場で、あなたが「合意」なしの編集を行った、という「事実」に対する「反省」はまだなのでしょうか? 「反省」をいただければ、この点については、これ以上の追及は行ないません。Matunami 2006年3月9日 (木) 12:59 (UTC)

さて、Kijyttwさんももうお休みの時間であるようですし、私も朝が早いので、今日はここまで。続きは、また後日ということで。私も、そう毎日ネットに出てこられるわけではありませんし。では、おやすみなさい(^^)Matunami 2006年3月9日 (木) 13:56 (UTC)
Miyaさんにも注意されているとおりMatunamiさんは議論パターンを繰り返してきたので対話拒否と判断されても仕方がない状況と合わせて、人を「多重ハンドル」と断定した中傷攻撃をわたしにもXデーさんにもしています。そのような人の「合意」を得るのは不可能です。自分の浅はかな言動をMatunamiさんが反省すべきでは。あなたに誠実な議論姿勢が見られた場合は「合意」のない編集はしませんよ。
上であなたが事実と考えて挙げた事例が仮に事実としてもそれは「盧溝橋事件の発端」ではないですよ。仮に「日本軍が中国軍陣地方向へ演習射撃を行なった」(そもそも「自陣での空砲演習」をこのように表現しているのは「特定の観点」)としてもそれは「誘因」以上にはなりません(誘因とするのももちろんPOV)。仮に「牟田口連隊長が、日本軍に全く被害のない状況で「攻撃命令」を行なった」(実弾発砲を受けているのに被害が出るまで攻撃しないのかと。この表現も「特定の観点」)としても、「日本軍が、中国軍の攻撃を誘発(これもPOV)すべく「挑発前進」(この表現も「特定の観点」)を行なった」としても、もう既に「盧溝橋事件の発端」後で事件の渦中の事例です。それらの的のはずれた事例と同列に「日本軍への発砲に端を発した」という事実のみの記述部分を削除するのは「特定の観点からの意見」に他なりません。分別をわきまえた反論をしてください。--Kijyttw 2006年3月9日 (木) 13:57 (UTC)

大変長くなってしまいましたので、ロムの方にわかりやすいように、ここで節を変えます。Matunami 2006年3月12日 (日) 03:00 (UTC)

「定義」をめぐる議論(続・「異論です」)

さて、ロムの方には何を話しているのかさっぱりわからなくなっていると思いますので、このあたりで、「原点」に帰りましょう。
我々が提起した「定義」修正案は、こうでした。

「盧溝橋事件(ろこうきょうじけん、中国では七七事変ともいう)は、1937年7月に北京(当時は北平と呼ぶ)西南方向の盧溝橋付近で起こった日中両軍による武力衝突であり、日中戦争(支那事変、日華事変)の発端となった事件。 狭義の盧溝橋事件は7月7日夜の事件発生から8日早朝の武力衝突の発生までを、広義の盧溝橋事件は8日から25日の郎坊事件発生までを指す。また、本事件の発生の引き金となったのは7月7日の所謂、「第一発」である。」

精一杯、読者に先入観を与えないような記述を心がけていることが、わかると思います。完全な「色のない」文章にするためには、あるいは最後の「また」以下はカットすべきだったのかもしれませんが、ともかくも、「どちらに責任がある」という議論には入り込まないように注意しています。
これにあえて、「日本軍への発砲」という語句を付加しようとしたのが、Xデーさん(ブロック済み)、そしてそれを引き継いだKijyttwさんの「異議」です。これでは、折角の我々の努力にもかかわらず、読者に、「日本軍側が被害者である」という一方的な印象を与えてしまいます。
私はそのことを何度も指摘しているわけですが、Xデーさん=Kijyttwさんのお返事は、「事実だから掲載するべき」の一点張りです。問題点は、「事実かどうか」ということでは、ありませんよね。
この状況で、Kijyttwさんは私に対して「対話拒否」と認定し、さらには「あなたに誠実な議論姿勢が見られた場合は「合意」のない編集はしませんよ」なんて発言をしているわけです。つまり、何の根拠もなく自分の思い込みだけで私を非難しているばかりか、過去において自分が合意を得ない編集を強行したことまで開き直り、さらには今後の「編集強行」をも示唆しているわけです。
私は、あなたに対し、「合意を経ない編集を強行し、相手を根拠もなく「合意不能」と認定するなどの自分勝手な編集姿勢」の批判を行わざるをえません。さて、あなたへの「ブロック依頼」に、賛成してくることにしましょうか。
ところで、あなたと「Xデー」さんへの「多重アカウント」批判は「中傷」であるわけですか。あなたご自身はともかく、「多重アカウント」の廉ででブロック済みの「Xデー」さんへの批判が「中傷」であるかどうかは、ご本人にしかわからないはずですが。「Xデー」さんとあなたが、一応は「別人」ということになっているということを、うっかり失念しましたか?
Matunami 2006年3月10日 (金) 12:07 (UTC)

論点を摩り替える手法を続けることしかできなくなりましたか?Miyaさんにも注意されているとおりMatunamiさんは議論パターンを繰り返してきたので対話拒否と判断されても仕方がない状況と合わせて、人を「多重ハンドル」と断定した中傷攻撃をわたしにもXデーさんにもしています。そのような人の「合意」を得るのは不可能です。自分の浅はかな言動をMatunamiさんが反省すべきでは。あなたに誠実な議論姿勢が見られた場合は「合意」のない編集はしませんよ。
上であなたが事実と考えて挙げた事例が仮に事実としてもそれは「盧溝橋事件の発端」ではないですよ。仮に「日本軍が中国軍陣地方向へ演習射撃を行なった」(そもそも「自陣での空砲演習」をこのように表現しているのは「特定の観点」)としてもそれは「誘因」以上にはなりません(誘因とするのももちろんPOV)。仮に「牟田口連隊長が、日本軍に全く被害のない状況で「攻撃命令」を行なった」(実弾発砲を受けているのに被害が出るまで攻撃しないのかと。この表現も「特定の観点」)としても、「日本軍が、中国軍の攻撃を誘発(これもPOV)すべく「挑発前進」(この表現も「特定の観点」)を行なった」としても、もう既に「盧溝橋事件の発端」後で事件の渦中の事例です。それらの的のはずれた事例と同列に「日本軍への発砲に端を発した」という事実のみの記述部分を削除するのは「特定の観点からの意見」に他なりません。分別をわきまえた反論をしてください。--Kijyttw 2006年3月11日 (土) 16:00 (UTC)

さて、私はこれまで、「日本軍への発砲」という語を入れることにより、文章の「公正性」が損なわれてしまうことを再三指摘しています。あなたのコメントは、「事実を掲載してなぜいけないのか」というレベルに終始しており、相変らず「どうしてもこの記述を入れなければならない必然性」「公正性が失われることへの判断」についてのコメントがないことを確認しておきます。
話はこれでお終いなのですが、相変わらず私を根拠もなく「対話拒否」呼ばわりしているようですので、今回は、「丁寧に」コメントをつけておくことにしましょう。リソースの無駄遣い、ご容赦ください。
なお、私の提出した「異議」に一言もコメントせずに前のコメントをそのままコピーして貼り付けることは、第三者からは「議論拒否」と受け止められると思います。老婆心ながら。
Matunami 2006年3月12日 (日) 03:00 (UTC)

>論点を摩り替える手法を続けることしかできなくなりましたか?

論点は「事実かどうか」ではありませんし、私はそのことを一度も問題にしておりません。私は、「記述を加えることによって、折角の公正な記述が破壊される」と主張しています。あなたは「事実かどうか」ということしか書いておりませんので、この点には一言も反論がない、と理解します。

>Miyaさんにも注意されているとおり

これはあなたの勘違いでしょう。Miyaさんがブロックしたのは、私ではなく、Xデーさんでした。Miyaさんの意図は、「こんなとんでもない議論をしているXデーさんをまともに相手にする必要はないでしょう」という趣旨でしたよ。下の「外部リンクの追加の提案」での、Xデーさん=あなたの、無茶苦茶な「議論」を、読み返してください。

>対話拒否と判断されても仕方がない状況と合わせて、

そう「判断」しているのは、あなただけです。

>人を「多重ハンドル」と断定した中傷攻撃をわたしにもXデーさんにもしています。

コミュニティはXデーさんを「多重アカウントの可能性が高い」と認定し、そのためにXデーさんはブロックされています。Xデーさんも私の追及に対してそれを否定しておりません。一応質問しておきますが、あなたとXデーさんとは、同一人なのでしょうか、それとも違うのでしょうか。違うのであれば、どうして「中傷」などという「断定」ができるのでしょうか。次回ご登場の時には、この質問をスルーしないようにお願いします。

>そのような人の「合意」を得るのは不可能です。

ええと、私は「どのような人」なのでしょうか。さすがに私も、ノート議論の最中にいきなり「合意」を得ない編集を強行したり、「編集強行」にクレームをつけると開き直ったり、こちらが明確に「反対」の意思表示をしているのに「異議がないとのことですから明日にでも掲載させていただきます」という頓珍漢な発言を繰り返す方と、「合意」する自信はありません。

>自分の浅はかな言動をMatunamiさんが反省すべきでは。

「浅はか」という言葉は、通常、「物事の表面しか見ないで本質を見失っている」というケースに使われます。例えば、「この語句を掲載することによって「公正」が損なわれる」という話をしている時に、「これが事実かどうか」という表面的な話しかできない、という場合ですね。で、私のどこがどう「浅はか」なのか、具体的にどうぞ。

>あなたに誠実な議論姿勢が見られた場合は「合意」のない編集はしませんよ。

合意のない編集強行を行ったり、私の「反対」を「賛成」と言いくるめようとしたりしたあなたは、「誠実に議論」しているのでしょうか?  いずれにしても、これは、私の議論を根拠もなく「誠実」ではない、と決め付け、ご自分の「編集強行」を開き直るとともに、今後も「編集強行」を続ける、という意思表明である、ということですね。Matunami 2006年3月12日 (日) 03:00 (UTC)


>上であなたが事実と考えて挙げた事例が仮に事実としても

どうして「仮に」なのでしょうか? ①支那駐屯軍の3倍増強に際しての豊台駐屯、②永定河岸での日本軍の連日の大演習、③日本軍の中国軍方向への演習射撃、④それに呼応する形での中国軍陣地方向からの銃声、⑤牟田口連隊長の攻撃開始命令、⑥第8中隊の「挑発前進」、⑦その挑発に答える形での中国軍からの射撃開始、という一連の出来事を「事実」でないと主張する論者が存在するならば、ご教示願います。念のためですが、私はこれらの記述を「定義」部分に加えようと提案しているわけではありませんので、以下のあなたの批判は、そもそも無意味なものです。

>それは「盧溝橋事件の発端」ではないですよ。

「発端かどうか」、ということは、今の論点ではありません。何度も繰り返す通り、問題は、「この記述を付加することによって、記述の公正性が破壊されるかどうか」です。

>仮に「日本軍が中国軍陣地方向へ演習射撃を行なった」

どうして「仮に」なんでしょうか? 「そうではない」という「説」がありましたら、提示してください。
<仮設敵は永定河に向けて配置された。つまり散兵壕に配されていた中国兵にも向っている。演習進行中に中隊長の指示で射つのだが、その時どうも間違って早目に射ってしまったらしい。>(長沢手記)

>(そもそも「自陣での空砲演習」をこのように表現しているのは「特定の観点」)

どうして「特定の観点」なのでしょうか? 「特定の観点」という言葉は、「対立する複数の説のうち一方のみを採用する」という意味で使われると思います。「仮設敵」が「中国軍方向」に「演習射撃」を行った。その直後、「中国軍方向」から日本軍陣地へ向けて銃声が轟いた。この「事実経過」に異議を申し述べている方がおりましたら、ご教示願います。

>としてもそれは「誘因」以上にはなりません(誘因とするのももちろんPOV)。

だから、それは今の「論点」ではありません。

>仮に「牟田口連隊長が、日本軍に全く被害のない状況で「攻撃命令」を行なった」

繰り返しますが、どうして「仮に」なのでしょうか?

>(実弾発砲を受けているのに被害が出るまで攻撃しないのかと。この表現も「特定の観点」)

あなたのように「実弾発砲を受けたのであれば被害が出なくても攻撃してもよい」と考えるのであれば、これは明らかな「特定の観点」ですね。事実経過を見ればわかる通り、中国軍陣地側からの発砲は、ほんの一瞬、それもどう見ても「日本軍を攻撃する意図」を持ったものではなく、「反射的発砲」、せいぜい「威嚇射撃」というレベルでした。一方牟田口連隊長は、前年の「豊台事件」の時に、すでに「今後、彼等がもしかういふ事件を起したならば、今度は必ず彼等の迷夢を覚ましてやる」という「決心」をしていたわけです。だから連隊長は、自軍に全然被害がないのに、「彼等の迷夢を覚まして」やろうと思って、「攻撃命令」を下してしまったわけですね。以上は、「特定の観点」でも何でもなく、「事実」です。

>「日本軍が、中国軍の攻撃を誘発(これもPOV)すべく「挑発前進」(この表現も「特定の観点」)を行なった」としても

どうして「としても」なのでしょうか。当時北京憲兵隊にいた、寺田浄氏の記述です。
<今後の作戦を黙考中であった大隊長の側には、小岩井、荒田両青年将校がいた。大隊長に対して、「攻撃前進を開始しましょう。前進したら撃つでしょう。撃たれたら撃ちましょう」と進言した。大隊長は、「よし、それだ」即座に同意して、休憩中の部隊に前進準備を命じた。>
「攻撃前進」を行った当事者である野地小隊長も、同様の証言を行っています。「攻撃を誘発」「挑発前進」と表現して、何か問題がありますか?

>もう既に「盧溝橋事件の発端」後で事件の渦中の事例です

私が問題にしているのは、「これらの事実が事件の発端であるかどうか」ではありませんが・・・。

>それらの的のはずれた事例

「衝突の責任」問題を判断する上で、重要な事例だと思います。「日本軍への発砲」のみで「責任論」を判断するわけにはいかないでしょう、という点が、まさに今の話の「的」ですよね。

>「日本軍への発砲に端を発した」という事実のみの記述部分を削除するのは「特定の観点からの意見」に他なりません。

繰り返しますが、「特定の観点」とは、「対立する一方の説を排除すること」という意味ですよね。あなたの加筆により、「日本軍は被害者側である」という「特定の観点」が生まれます。我々は、そのような「特定の観点」を排除するために、この語句をあえて加えなかったわけです。どうして「削除」が「特定の観点」につながるのか、さっぱりわかりません。

>分別をわきまえた反論をしてください

この表現は、普通、「暴言」として理解されると思います。Matunami 2006年3月12日 (日) 03:00 (UTC)

以上で終わります。「対話拒否」などというおかしなレッテルを貼られても困りますので、今回は「丁寧に」お答えしました。これでもなお私が「対話」を「拒否」しているというのであれば、私が「拒否」している事実を具体的に示していただくよう、お願いします。Matunami 2006年3月12日 (日) 03:00 (UTC)

よく考えたら、提案者のXデーさんが「多重アカウント」等の理由で既にブロックされていますので、この提案自体はもう「無効」ですね。混乱を避けるために、次に登場する方は、新しい項を立てて、下の方に改めて「提案」していただくようお願いできないでしょうか。ロムの方からも、その方が見やすいと思いますし。Matunami 2006年3月12日 (日) 05:25 (UTC)

Matunami氏は丁寧に反論しようとするのは有難いのですが、ただ文章が無駄に長いだけで肝心の論点を摩り替えようとしているのと分別能力が不足している為に対話が成立しません。何度も言っているように、本文冒頭ではあなたのように「「衝突の責任」問題を判断する」という「特定の観点」に基づいた記述は不必要なんですよ。しかもあなたが挙げた事例は「盧溝橋事件の発端」とは無関係であることも指摘した通りです。「日本軍への発砲に端を発した」という紛れのない事実(確定している事実)を敢えて削除した理由を「読者に先入観を与えないような記述を心がけている」などと言う分別のない魔や化しは小学生にさえ通用しないと思いますよ。Matunami氏の分別能力を正常な状態にするには、一旦頭の中から(冒頭定義文に無関係の)「衝突の責任」問題を白紙化するしかないのです。このことも既にXデー氏が指摘されていることです。

(Xデー氏)「加筆部分「日本軍への発砲に端を発した」は「特定の観点からの意見」ではなくMatunami氏も認められたように「事実」ですから、その事実を削除する事のほうがむしろ中立性に反しています。また「事実」のみ記述しているのですから、「特定の観点からの意見」に組することにはなりません。「衝突の責任は中国軍側にあらず」という「特定の観点からの意見」を反映させたいと考えるあまりに「事実のみ」の記述を削除せんとされているMatunami氏こそが中立的観点に欠けていると言わざるを得ません。」--Kijyttw 2006年3月12日 (日) 06:47 (UTC)

何だかもう、「テンプレ」を貼り付けておけばいい感じですね。
>さて、私はこれまで、「日本軍への発砲」という語を入れることにより、文章の「公正性」が損なわれてしまうことを再三指摘しています。あなたのコメントは、「事実を掲載してなぜいけないのか」というレベルに終始しており、相変らず「どうしてもこの記述を入れなければならない必然性」「公正性が失われることへの判断」についてのコメントがないことを確認しておきます。
あなたの応答は、今回も、このレベルを一歩も出るものではありませんでした。以上、再度確認しておきます。Matunami 2006年3月13日 (月) 10:56 (UTC)



一応ではありますが、また同じコメントを貼り付けられても困りますので、また「丁寧に」応答しておきます。
>ただ文章が無駄に長いだけで

私は、あなたのコメントに沿って、忠実にコメントをつけただけなのですが。これが「無駄」なのであれば、そもそもあなたの文章には、コメントをつける価値もなかった、ということになりますね。

>肝心の論点を摩り替えようとしているのと

ええと、今の「論点」は、「我々の提案した「定義」文に「日本軍への発砲」という語句を付け加えることの可否、ということでしたよね。私は、この「論点」に沿ったコメントを行なっているつもりですが、これがどうして「摩り替え」ということになるのでしょうか。

>分別能力が不足している為に対話が成立しません

私の明確な「反対」意見がなぜか「賛成」に見えてしまったり、ノートで議論している最中にいきなり編集強行を行っているような方に、「分別」やら「対話の成立」やらを語る資格があるとは思えません。

>本文冒頭ではあなたのように「「衝突の責任」問題を判断する」という「特定の観点」に基づいた記述は不必要なんですよ

謎の記述です。私は、「定義」部分では「衝突の責任問題を判断<しない>」ということを主張しているのですが。それに対して、あなたはわざわざ、「衝突の責任は日本軍にはない」かのような記述を付け加えようとしているわけです。どう考えても、あなたが「特定の観点」を主張しています。

>しかもあなたが挙げた事例は「盧溝橋事件の発端」とは無関係であることも指摘した通りです。

私は「発端」の話などしておりません。「どちらに責任があるか」という問題を考える上での「材料」を提供しただけです。

>「日本軍への発砲に端を発した」という紛れのない事実(確定している事実)を敢えて削除した理由を「読者に先入観を与えないような記述を心がけている」

はい、これは私の主張の通り。やっとわかっていただけたのか、と思いきや・・・

>などと言う分別のない魔や化しは小学生にさえ通用しないと思いますよ。

な、なんでそうなるのでしょうか。どこが一体「分別のないまやかし」なのか、私にはさっぱり。

>Matunami氏の分別能力を正常な状態にするには、

あ~あ、また「罵倒」ですか。

>一旦頭の中から(冒頭定義文に無関係の)「衝突の責任」問題を白紙化するしかないのです。

「定義文」に、余計な先入観を与えるような語句は極力排除すること。それは、もともとからの私の主張でしたが。やろうと思えば、「日本軍側に責任がある」という方向の「紛れのない事実(確定している事実)」をずらずら並べることは簡単です。でも、定義文では、そのような方向に先入観を持たれる記述は行なうべきではない。当然、「日本軍に責任がない」という方向の「事実」もまた然り。私はそう主張しています。

>このことも既にXデー氏が指摘されていることです。(以下、コピペ)

ご自分の主張なのですがら、他人(ということに一応なっている)の言葉など借りず、自分の言葉で語ってください。いちいちコメントをつける気もしません。Matunami 2006年3月13日 (月) 11:00 (UTC)

というわけで、Kijyttwさんもブロック間近のようですので、ブロック時点でこの議論はいったんお終いにして、過去ログ化することにしましょう。次のアカウントの方が新たな議論を始めたいのであれば、改めて新しい項目を立ててください。Matunami 2006年3月13日 (月) 11:01 (UTC)

長い文章で魔や化す手法はいい加減にやめませんか?「私は、「定義」部分では「衝突の責任問題を判断<しない>」ということを主張しているのですが。それに対して、あなたはわざわざ、「衝突の責任は日本軍にはない」かのような記述を付け加えようとしているわけです。どう考えても、あなたが「特定の観点」を主張しています。」このコメントにMatunamiの勘違いが集約されているんですよ。「日本軍への発砲に端を発した」という紛れのない事実(確定している事実)は単に事実の記載であって、「衝突の責任は日本軍にはないかのような記述」と考えてしまうあなたの個人的な観点=頭から「衝突の責任」問題を切り離せない「特定の観点」に問題があるのですよ。だからMatunami氏の分別能力を正常な状態にするには一旦頭の中から(冒頭定義文に無関係の)「衝突の責任」問題を白紙化するしかないとアドバイスしたのです。あなたが冒頭定義文の「確定している事実」を無分別にも削除してしまったのは、「衝突の責任」という特定の観点を持ち込んでしまっているからなのですよ。--Kijyttw 2006年3月13日 (月) 12:06 (UTC)
>長い文章
「丁寧に」お答えしたのは、あなたの余計な誹謗、中傷、曲解をシャットアウトするため。最初からいきなり、「分別能力が麻痺」だの「歴史歪曲もはなはだしい捏造」だの、相手に対する「罵倒」から入る方には、私も「罵倒に徹底的にお答えする」という対抗措置をとります。何度目、何十度目になるかもうわかりませんが、どうぞ、相手に対する失礼な言動は、慎んでいただくようにお願いします。Matunami 2006年3月14日 (火) 21:40 (UTC)

さて、今回の「内容」も前回と同一で特に新しい視点があるわけでもありませんので、もう放置しておいてもいいと思うのですが、一応、ロムの方のために、「よりわかりやすい説明」を試みておくことにしましょうか。
我々の提起した「定義文」修正案です。

>「盧溝橋事件(ろこうきょうじけん、中国では七七事変ともいう)は、1937年7月に北京(当時は北平と呼ぶ)西南方向の盧溝橋付近で起こった日中両軍による武力衝突であり、日中戦争(支那事変、日華事変)の発端となった事件。 狭義の盧溝橋事件は7月7日夜の事件発生から8日早朝の武力衝突の発生までを、広義の盧溝橋事件は8日から25日の郎坊事件発生までを指す。また、本事件の発生の引き金となったのは7月7日の所謂、「第一発」である。」

例えばこれを、このように編集してみます。

>盧溝橋事件は、日本軍が永定河附近で連日の大規模演習を繰り返す中・・・(あるいは、「大規模演習を繰り返して緊張が高まる中、・・・・」とまではっきり書いてもいいでしょう)

または、

>また、本事件の発生の引き金となったのは、7月7日の所謂「第一発」であり、その後牟田口連隊長が自軍の被害が皆無の状況で「攻撃命令」を発し、現地部隊が中国軍の攻撃を誘発すべく「攻撃前進」を始めたことにより、本格衝突に至った。

こう書けば、読む方は、「日本軍が無茶をしたから衝突になったんだな」という印象を受けると思います。
しかし以上のことは、日本の研究者で異議を申し立てる方は存在しない、「確定している事実」です。Xデーさんの論法に従えば、この文を削除することは「無分別」であり、「特定の観点を持ち込む」ことになりますよね。従って、このような文が提案された場合には、Xデーさんはこれを受け入れるしかありません。
さて今度は、Xデーさんの提案通り、最初の文章に、「日本軍への発砲に端を発する」という文を加えてみましょう。今度は、読者はこういう印象を受けることと思います。「日本軍への発砲が発端だったのか。では、衝突の責任は、発砲した側にあるんだろうな」。事実がそんな単純なものでないことは、再三説明してきた通り。
私は、定義文部分では、読者がこのような「思い込み」をするリスクを排除したいと考えました。そのために、「定義」文は、思い切り簡素に、「色」が出ないようにしてあるわけです。そして記事内容の方で、複雑な「事実経緯」を、きちんと説明する。全体としての「中立性」には、何の問題もないでしょう。
・・・という単純なことなのに、なぜかこれだけ長大な「議論」(?)になってしまいました。関係者はすべてブロックされたようですので、この提案は自動失効し、この項も終了ということになります。というか、この後に同じ「議論」を引っさげて出てくる方がいたら、誰が見ても、露骨な「生まれ変わり」ですよね。Matunami 2006年3月14日 (火) 21:43 (UTC)

Matunamiさんが冒頭定義文の「確定している事実」を無分別にも削除してしまったのは、「衝突の責任」という特定の観点を持ち込んでしまっているから~という事実は否定できないようですね。Kijyttw さんの意見を支持したいと思います。--以上の署名の無いコメントは、ちょびひげ会話投稿記録)さんによるものです。投稿時刻2006年3月16日 (木) 17:53

念のためですが、この項は提案者のブロックによりいったん終了しています。再開したいのであれば、「保護解除」の見通しがついた後にでも、新しい項を立ててください。参考までに、私の意見は上の通り。終わり。Matunami 2006年3月18日 (土) 08:07 (UTC)

わたしはKijyttw さんの意見の賛同者で、無分別なMatunamiさんが反論できていない現実を見届けているので無駄な重複項目を立てる必要もないと思いますよ。定義文は、「衝突の責任」という特定の観点を持ち込まず事実のみを記述する。これが結論となっています。ちょびひげ 2006年3月19日 (日) 14:56 (UTC)

さて、これ以上おつきあいする必要、あるのかなあ。記事は「保護」されていますし、提案者のブロックによってとっくにこの項目は終了していますし。でも、多重アカウントさんは、どうしても「続き」をしたいようです。仕方ない、おつきあいしておきますか。
改めて、説明しましょうか。
私は、「日本軍への発砲」という「特定の事実」を記述することが、「発砲した側に責任がある」という「特定の観点」を誘発するおそれがある、と主張しているわけです。逆に、「牟田口連隊長の攻撃命令」「日本軍の攻撃前進」という「特定の事実」を記述すれば、今度は「衝突の責任は日本軍にある」という「特定の観点」を誘発するおそれがあります。ですので、定義部分ではどちらの「特定の観点」への誘発も避けて「色」を極力排除し、記事本体できちんとした説明をしよう、と言っているわけです。
「定義」部分で「両論併記」で「中立性」を確保しようとすると、とんでもなく長い文章になってしまい、「定義」の役を果たさなくなります。記事本体では、「番長キヨマー」さん、「KMTM」さん、「Xデー」さん、「Kijyttw」さん(すべて「多重アカウント」としてブロック済み)、「ちょびひげ」さん(同じくブロック依頼中)の主張するとおりの記述が行なわれていますから、何の問題もないと思います。
・・・という単純なことなんだけどなあ。このスタンスが、どうして「特定の観点を持ち込む」というあべこべのことになるのか、不思議です。Matunami 2006年3月20日 (月) 22:19 (UTC)

既に反論されている意見を繰り返しても無意味です。「特定の観点」を持ち込んでしまっているのが 無分別なMatunamiさんであることは覆りません。ちょびひげ 2006年3月22日 (水) 14:31 (UTC)

多重アカウントさんが「既に反論」していると思い込むのは自由ですが、相手の言うことを無視して無茶な自説をゴリ押しすることは、普通、反「論」とはいいません。面倒なので、前のコピペ。
>私は、「日本軍への発砲」という「特定の事実」を記述することが、「発砲した側に責任がある」という「特定の観点」を誘発するおそれがある、と主張しているわけです。逆に、「牟田口連隊長の攻撃命令」「日本軍の攻撃前進」という「特定の事実」を記述すれば、今度は「衝突の責任は日本軍にある」という「特定の観点」を誘発するおそれがあります。ですので、定義部分ではどちらの「特定の観点」への誘発も避けて「色」を極力排除し、記事本体できちんとした説明をしよう、と言っているわけです。
>「定義」部分で「両論併記」で「中立性」を確保しようとすると、とんでもなく長い文章になってしまい、「定義」の役を果たさなくなります。記事本体では、「番長キヨマー」さん、「KMTM」さん、「Xデー」さん、「Kijyttw」さん、「ちょびひげ」さん(すべて「多重アカウント」としてブロック済み)の主張するとおりの記述が行なわれていますから、何の問題もないと思います。
このように「特定の観点」を排除しようとしている私に対して、私が「「衝突の責任」という特定の観点を持ち込んでしまっている」なんてあべこべのことを書いても、それは何の反「論」にもなりません。Matunami 2006年3月24日 (金) 19:15 (UTC)

即時ブロックのお知らせ

Xデーさんの2006年3月8日 (水) 15:14の編集について、要約では「ノートで議論結果の得られた部分のみ加筆。」となっていますが、ノートの議論の結果とは言えず、合意なき編集強行として1日の即時投稿ブロックとさせていただきました。

なお蛇足ながら、下の外部リンクに関しては多重アカウント云々とは切り離して議論をお進めになるほうが良いのではないかと思います。この場で多重アカウントの話をすると議論が錯綜します。百年河清を俟つのも良いですが・・・。Matsunamiさんには(もしかしたらもうご存知かもしれませんが)議論パターンのご一読をおすすめしておきます。--miya 2006年3月9日 (木) 05:05 (UTC)

横から失礼します。議論を読みましたがKanoeさんとMatsunamiさんは「議論のアンチパターン」を繰り返しているだけではじめから合意する意思がないようにしか見えません。下の外部リンクの提案でも議論放棄を宣言している人との合意は100%不可能でしょう。--Kijyttw 2006年3月9日 (木) 06:52 (UTC)

あのお、合意無視で編集を強行したXデーさんには「合意する意思」があるように見えるのでしょうか? このコメント、無茶苦茶です。Matunami 2006年3月9日 (木) 10:49 (UTC)

わたしからもMatunamiさんに議論パターンの一読をおすすめしておきます。--Kijyttw 2006年3月9日 (木) 11:34 (UTC)

では、Xデーさんにも勧めてあげてください・・・って、「ノート」というのは、こんなくだらないやりとりを行なう場ではないと思います。私に批判があるのであれば、具体的にお願いします。私も具体的にお答えしますので。Matunami 2006年3月9日 (木) 11:41 (UTC)

外部リンク追加の提案

数年前に公開された当時初年兵の生の証言を外部リンクに追加することを提案します。[6]--Xデー 2006年3月6日 (月) 18:26 (UTC)

このページの掲載自体は、いずれ機会を見て私から提案を行なおうと考えていたものであり、異議はありません(HP作者から私宛直接メールでご案内をいただきました)。ただし、このページのみを掲載することは、事件に対する特定の見方のみを紹介することになりますので、現時点では反対します。残念ながら、今のところ、googleの検索にも(少なくとも上位には)引っ掛かってきませんので、このページのみを特筆して案内する必然性もありません。
リンク先については、「参考文献」と同様に、また別途、包括的な議論を行なうべきでしょう。当然のことながら、「多重アカウント」氏にはその「議論」に参加する資格はありません。一連の「多重アカウント」氏が完全に消えた時点で、議論を開始するべきであると考えます。Matunami 2006年3月6日 (月) 22:05 (UTC)

上述されている「多重アカウント」氏のKitchener氏とHermeneus氏はそのアカウントでは投稿されていないようですから議論に参加される可能性は少ないと思われますのでそう恐れる必要もないでしょう。数年前に公開された当時初年兵の生の証言を外部リンクとして掲載する事に異議がないとのことですから明日にでも掲載させていただきます。Matunami氏は個人的にはこのページだけでなく他のページも同時に掲載する意向のようですから明日までにお好みのページを提示して 掲載の意義のない事を確認のうえで「当時初年兵の生の証言」に追加掲載していただくことを歓迎いたします。--Xデー 2006年3月7日 (火) 15:21 (UTC)

わざと「ふざけている」のでしょうけれど、私の言っている「多重アカウント」とは、「Kitchener氏とHermeneus氏が同一人物である」という誰も相手をしない珍説を述べたり(「左右」氏他・・・Check Userにて「多重」判定済み)、大規模な「アラシ」行為で「投稿ブロック」のページを機能麻痺に追い込んだり、ブロックされる度に新しいアカウントで登場して「日本軍へのという語を挿入せよ」という同じ主張を繰り返したりする方のことです。そして今、「多重アカウント」の理由でブロック依頼に出されている(現在、賛成8、反対0、保留0)方のことでもあります。
実はこれは「複数犯」である、と主張するのであれば、あなたが誰と「同一」であり、誰と「同一」でないのか、ということをはっきりしていただけませんでしょうか。自分は誰の「生まれ変わり」ではなく、Wikipediaには全くの新参者である、と主張したって、誰も信じるわけがありません。
で、やっぱりあなたとは「対話不能」です。私は、「現時点では反対」と申し上げました。これがどうして、「明日にでも掲載させていただきます」という話になってしまうのか、私にはさっぱりわかりません。おそらく誰にもわからないでしょう。
だいたい、相手に対して「明日までに」などという期限を強引に設定するのは、あまりに自分勝手というものだと思いませんか? 私だって毎日ネットに登場できるわけではありませんし、Wikipedia以外にも「やりたいこと」は山ほどあります。
蛇足ですが、「リンク先」の選定に当たっては、まずは「どのような基準でリンク先を選ぶか」という議論から始めるべきでしょう。その上で、個別のリンク先について審議を行なうことになると思います。個別の審議では必ずしも「基準」を厳密に運用する必要はないかもしれませんが、少なくとも、何らかの「ガイドライン」は必要でしょうね。まさか、「盧溝橋」の名が出てくるページを片っ端から掲載するわけにもいきませんし。
いずれにしても、この議論は、一連の「多重アカウント容疑ユーザー」がWikipediaから完全に姿を消してから始められることになるでしょう。あなたのブロックは確実な情勢ですが、またほとんど投稿履歴のないアカウントが「議論」を引き継ぐのでしょうか? それはあまりにミエミエというものです。Matunami 2006年3月8日 (水) 10:18 (UTC)

Xデーは、ローカルルールに基づいて行動することを求めます。もし、合意を得ずに編集を強行した場合は、ローカルルール第4項に基づき、管理者に即時ブロックを依頼することになります。十分、ご留意ください。なお、この問題に関しては、Matunami氏の見解に賛成します。--ちゃんこなべ 2006年3月8日 (水) 11:57 (UTC)

Matunami氏の「私の言っている「多重アカウント」とは、「Kitchener氏とHermeneus氏が同一人物である」・・・」等の意見は本議論とは無関係であり、水掛け論となりますからリソースの無駄です。またここでわたしが提案した「初年兵の生証言」の掲載と同時に他のページも掲載したいとのMatunami氏の意向を汲んで、そのページの提示をお待ちしておりましたが、無関係な内容の投稿に終始し残念ながら提示がありませんでした。さらに「対話放棄」も示唆されていますのでここで合意形成の脱落者二名を確認させていただきます。

提案した「初年兵の生証言」は未だ広く紹介されていないものと思われ、有益な情報ですから直にでも掲載したいと思います。閲覧者もウィキペディアの存在意義を確認できる事でしょう。尚他にも有益な情報がありましたら適宜提案され、速やかに掲載できるように心がけたいものです。--Xデー 2006年3月8日 (水) 14:51 (UTC)

Xデーさんの意見に賛成です。議論放棄している人との合意までローカルルールは求めていません。--Kijyttw 2006年3月9日 (木) 07:54 (UTC)

miyaさんへ:了解しました。とりあえず、多重アカウント問題とは切り離しましょう。とはいえ、ミエミエですね。あ~あ、またか。Matunami 2006年3月9日 (木) 10:51 (UTC)
しかし、ここまで自分勝手なことを言われると、どう反応していいのやら、戸惑いますね。
私は、「現時点では反対」と明言しました。それに対する反応が、「異議がないとのことですから明日にでも掲載します」。あきれた私が「やっぱりあなたとは「対話不能」です。・・・これがどうして、「明日にでも掲載されていただきます」という話になってしまうのか、さっぱりわかりません」と返すと、今度は何と、私が「対話放棄」を「示唆」した、という話になってしまいました。
私が「議論放棄」した、と断定してしまったKijyttwさん、この流れを一体どう見たら、そんな話になってしまうのでしょうか? さらにあなたは、合意のない編集を強行するという「ローカルルール違反」を行ってしまっています。一応、「警告」します。Matunami 2006年3月9日 (木) 10:56 (UTC)

Matunamiさんは「初年兵の生証言」の掲載には異議がないと現に発言しているじゃないですか。今日で提案されてから既に3日目だけど、それと同時に掲載したい他のページを提示しないで関係のない話ばかりしている。「対話放棄」じゃないなら無駄な投稿はやめてそのページを早く提示すればいいでしょう。嫌がらせの遅延行為でイエローカードですよ。あと一日様子を見てみます。--Kijyttw 2006年3月9日 (木) 11:48 (UTC)

あのお、私の意見を、きちんと読んでいただけないでしょうか。
「ただし、このページのみを掲載することは、事件に対する特定の見方のみを紹介することになりますので、現時点では反対します。残念ながら、今のところ、googleの検索にも(少なくとも上位には)引っ掛かってきませんので、このページのみを特筆して案内する必然性もありません。リンク先については、「参考文献」と同様に、また別途、包括的な議論を行なうべきでしょう。」
しかし、「あと一日」ですか。どうしてそんな、勝手な「期間」を設定したがるのかなあ。Matunami 2006年3月9日 (木) 12:01 (UTC)
ところで、「合意を経ない編集」への反省は、まだでしょうか?Matunami 2006年3月9日 (木) 12:08 (UTC)

蛇足ですけれど、今の議論は、「現時点で、ある特定ページをリンク先とするべきかどうか」ですよね。私はそれには明確に「反対」しておりますので、「議論放棄」でも何でもありません。また、「今後のリンク先の選定につき、どのような基準を設けるべきか、そして、具体的にどのようなリンク先を設定するか」という「議論」は、まだ始まってもおりませんので、これまた「議論放棄」ではありません。どうぞ、「議論放棄」などという「中傷」は、お控えください。Matunami 2006年3月9日 (木) 12:28 (UTC)

もう一つ、私は、「同時に掲載したい他のページ」がある、などとは一言も言っていないのですね。「リンク先については、「参考文献」と同様に、また別途、包括的な議論を行なうべきでしょう」という一般論を述べているのみ。それなのに、勝手に私に「同時に掲載したい他のページ」があると思い込んで、「そのページを早く提示すればいいでしょう」なんて強要するのは、おかしな話であると思います。Matunami 2006年3月9日 (木) 13:24 (UTC)

「ただし、このページのみを掲載することは、事件に対する特定の見方のみを紹介することになりますので、現時点では反対します。」は「同時に掲載したい他のページ」がある」と同じ意味ですね。いつ始まるか不明な包括的な議論とは別途Xデーさん提案の「初年兵の真証言」[7]を保護解除後に外部リンクとして掲載することに同意します。--以上の署名の無いコメントは、ちょびひげ会話投稿記録)さんによるものです。投稿時刻 2006年3月16日 (木) 18:21

念のためですが、この項は提案者のブロックによりいったん終了しています。再開したいのであれば、「保護解除」の見通しがついた後にでも、新しい項を立ててください。参考までに、私の意見は上の通り。ついでですが、論理的には、「同じ意味」にはなりません。終わり。Matunami 2006年3月18日 (土) 08:09 (UTC)

論理的説明がなく実質的には「同じ意味」であるから無駄に新しい項目を立てる必要はありません。 数年前に公開された当時初年兵の生の証言[8]を外部リンクに追加することに本当に異存がないなら、Matunamiさんは同時に掲載したいページを提示するなり包括的議論をすべきでした。2週間近く核心的な提示・議論を避けてきたことになりますから本当は「当時初年兵の生の証言」は掲載する気がなかったと判断されます。ちょびひげ 2006年3月19日 (日) 15:18 (UTC)

こちらも、「保護」の状況下で議論をしても意味はないのですが、多重アカウントさんがどうしても「議論」したいようですので、やむえずおつきあいします。
ええと、さんざん「論理的説明」を書いていると思うんですが。
>ただし、このページのみを掲載することは、事件に対する特定の見方のみを紹介することになりますので、現時点では反対します。残念ながら、今のところ、googleの検索にも(少なくとも上位には)引っ掛かってきませんので、このページのみを特筆して案内する必然性もありません。リンク先については、「参考文献」と同様に、また別途、包括的な議論を行なうべきでしょう。
>「リンク先」の選定に当たっては、まずは「どのような基準でリンク先を選ぶか」という議論から始めるべきでしょう。その上で、個別のリンク先について審議を行なうことになると思います。個別の審議では必ずしも「基準」を厳密に運用する必要はないかもしれませんが、少なくとも、何らかの「ガイドライン」は必要でしょうね。まさか、「盧溝橋」の名が出てくるページを片っ端から掲載するわけにもいきませんし。
このどこが「論理的」ではないのか、さっぱりわかりません。
さらに言えば、「異存がない」ことと、「自分から積極的に提案する」こととは、違います。「異存がない」とは、「まあ、あなたがそう言うのであれば、認めてあげてもいいよ」というニュアンス。その上で、「ただしその前に、掲載基準等について「包括的な議論」が必要だろうね」と「評論」しているわけです。何で私が、自分から「掲載したいページを提示」したり「包括的議論」を始めたりしなければならないのか、私にはさっぱり。それは、提案する側の仕事でしょう。
しかしどうして、ここまでこの記事にこだわるのかなあ。リンク先がひとつだけポツンとある、というのも、ちょっと異様でしょう。以前も、多重アカウントさんが、「参考文献」に「桂論文」なんてつまらない記事の単独掲載を行なったことがありましたが、このあたりのバランス感覚のなさ、私には理解できないところです。
いずれにしても、「ブロックされては新しいアカウントで登場する」なんて、コミュニティのルールを無視したとんでもない行動を繰り返す方とまともな「議論」になるとも思えませんし、上のログ、及び過去ログの通り、現に「まともな議論」になっていません。「議論」を始めるとしても、この方が完全に消えて、「保護」が解除されてからのことでしょうね。Matunami 2006年3月20日 (月) 22:23 (UTC)

ですから、依然としてMatunamiさんは同時に掲載したいページを提示するなり包括的議論もせず2週間近く核心的な提示も議論も避けているのですから、掲載自体には異存がない「当時初年兵の生の証言」の掲載条件の具体的提示を怠ったことで無条件に掲載を認めるしかないでしょうね。ちょびひげ 2006年3月22日 (水) 14:31 (UTC)

いいですか、私はこう書いているわけです。
>ただし、このページのみを掲載することは、事件に対する特定の見方のみを紹介することになりますので、現時点では反対します。残念ながら、今のところ、googleの検索にも(少なくとも上位には)引っ掛かってきませんので、このページのみを特筆して案内する必然性もありません。リンク先については、「参考文献」と同様に、また別途、包括的な議論を行なうべきでしょう。
>「異存がない」とは、「まあ、あなたがそう言うのであれば、認めてあげてもいいよ」というニュアンス。その上で、「ただしその前に、掲載基準等について「包括的な議論」が必要だろうね」と「評論」しているわけです。何で私が、自分から「掲載したいページを提示」したり「包括的議論」を始めたりしなければならないのか、私にはさっぱり。それは、提案する側の仕事でしょう。
これがどうして「無条件に掲載を認めるしかない」という無茶苦茶な話になるんだか。「多重アカウント」さんの協調性のなさ、自分勝手な自説のゴリ押し、非論理性はいつものことではありますが、いい加減、頭が痛くなります。Matunami 2006年3月24日 (金) 19:17 (UTC)

奇妙な記述

【日本軍と国民党政府は戦争状態に突入、その後戦線を拡大していった。】という部分の、「戦争状態にに突入、その後戦線を拡大していった」主体である「日本軍」と「国民党政府」という対比が奇妙で、違和感があります。

  1. 「日本軍」と対比させるなら「中国軍」では?
  2. 中国政府としての名称を挙げるなら「中華民国国民政府」「中国国民政府」。執権党の名称をあげたいなら「〜政府」ではなく「国民党政権」とするのが妥当。前者とセットで提示される日本側の呼称も、それに応じて変化させる必要あり。
  3. 【日本と中国は戦争状態に突入、(後略)】としては?--Dalaibaatur 2006年3月9日 (木) 17:51 (UTC)
ご意見、ありがとうございます。
この問題点については、過去の「ノート」でも発言したとおり、私も編集時点から気がついていました。以前の編集があまりに問題だらけだったのでここまでの「修正」に手が回らなかった、というのが本音です。
この問題点については、すでに提出されているとおりの、新たな「定義文」修正案によって解決されると思います。
「盧溝橋事件(ろこうきょうじけん、中国では七七事変ともいう)は、1937年7月に北京(当時は北平と呼ぶ)西南方向の盧溝橋付近で起こった日中両軍による武力衝突であり、日中戦争(支那事変、日華事変)の発端となった事件。 狭義の盧溝橋事件は7月7日夜の事件発生から8日早朝の武力衝突の発生までを、広義の盧溝橋事件は8日から25日の郎坊事件発生までを指す。また、本事件の発生の引き金となったのは7月7日の所謂、「第一発」である。」Matunami 2006年3月10日 (金) 12:11 (UTC)

Dalaibaaturさん提示の1に順じるのが妥当だと思います。定義文としては以下の事実のみの記述で異論はありません。 「盧溝橋事件(ろこうきょうじけん、中国では七七事変ともいう)は、1937年7月に北京(当時は北平と呼ぶ)西南方向の盧溝橋付近で日本軍への発砲に端を発した日中両軍による武力衝突であり、日中戦争(支那事変、日華事変)の引き金となった事件。 」--以上の署名の無いコメントは、ちょびひげ会話投稿記録)さんによるものです。投稿時刻 2006年3月16日 (木) 18:08

この項は、内容が他の項に統合されていることにより終了しています。念のため。Matunami 2006年3月18日 (土) 08:11 (UTC)

どの項ですか?と言うかMatunamiさんはその項も含めて全部ログ化してしまうつもりのくせして何を言ってるんですか?ちょびひげ 2006年3月19日 (日) 15:31 (UTC)

はい、「定義文」をめぐる議論は、別項で行なわれていますね。複数の項目で同じ議論をしても、仕方がありません。Matunami 2006年3月20日 (月) 22:25 (UTC)

今後の話

さて今後の話ですが、Xデーさん、及びその「生まれ変わり」であると思われる方がブロックされたことにより、ここまでの議論はすべていったん終了しました。従って我々の「定義文修正」提案がそのまま有効となって成立した、ということになりますが、記事は現在「保護」されておりますし、ここまで複雑になってしまったら、やはり「仕切りなおし」をしておく方が無難でしょう。(もちろん、既に成立しているのだから「保護」が解除されたらそのまま「定義文」を修正してよい、と考える方がいましたら、私は反対しません)
本来であれば、「保護解除」へ向けて、「合意形成の努力」を行なうべきところです。しかし、ロムの皆さんにもおわかりの通り、私の「反対」を強引に「賛成」と言いくるめたり(それも2回も!)、ノート議論の最中にいきなり編集を強行したり、それを注意されると開き直ったりする方と、「合意」を形成できるとはとても思えません。さらに言えば、ブロックされるたびに新しいアカウントを作成して同じ議論を行なう、というWikipediaコミュニティを馬鹿にしきっているとしか思えない行動を繰り返す方をいちいち相手にするのも馬鹿らしいですね。「広域ブロック」にも引っ掛からなかったようですし、しばらくは、この方が消えるのを待つしかないのでしょう。
なお、ログが膨大になっておりますので、とりあえずはすべて過去ログ化し、新しい議論は項を改めて行なう方がいいと思います。私は「過去ログ化」の方法に自信がありませんので、他の方に「過去ログ化」をお願いできると嬉しいです。Matunami 2006年3月14日 (火) 21:52 (UTC)

21日を目処にログ化を行うことにします。... Kanoe 2006年3月16日 (木) 16:09 (UTC)

考えてみたら、「ノート」というのは「記事の編集」について話し合う場ですから、記事が「保護」されている状況で、ここで議論しても意味がありません。「ブロックされるたびに新しいアカウントで登場する」なんてWikipediaを馬鹿にした行動をとり、相手に対する罵倒を繰り返し、協調性のない強引な編集を行う方と「合意」を「形成」することなど不可能でしょうし。言っていることも、とっくに説明済みのことに対しての、前の議論の完全なカーボンコピーですので、壊れたテープレコーダーのようなやりとりでリソースを消費する気もおこりません。
というわけで、「ノート」での議論は当分「凍結」ですね。保護解除された時点、あるいはその見通しがついた時点で再開、ということで。
・・・しかし、ここまで露骨に「生まれ変わ」るとは。わざわざ「この後に同じ「議論」を引っさげて出てくる方がいたら、誰が見ても、露骨な「生まれ変わり」ですよね」とまで「警告」したのに。もう少し、「偽装」するかと思っていました。(苦笑)
Matunami 2006年3月17日 (金) 21:57 (UTC)

無駄話している暇があるなら上で反論するなり合意形成してはどうですか?ちょびひげ 2006年3月19日 (日) 15:37 (UTC)

上で私が書いたことは、以下の通り。
1.記事が「保護」されている状況で「議論」しても意味がない。
2.このようなとんでもないユーザーと「合意」を形成することなど、不可能。
3.よって、「ノート」での議論は当分「凍結」。保護解除後に再開。
4.しかし、この露骨な多重アカウントぶりにはあきれた。
以上のどこが、「無駄話」だったのかなあ。いずれにしても、「保護」の原因(多重アカウントさんのことです)が解消されない限りは、「保護解除」は無理でしょう。この意見に異議があるのであれば、「保護解除」依頼を行なうなり、「具体的にどうすれば保護解除が行なわれるのか」を論じるなり(「合意形成」などという抽象論では無意味)、ご自由にどうぞ。例えばこのまま私が消えたとしても、無茶な編集を繰り返す「多重アカウント」さんが存在する限り、おそらく「保護解除」は行なわれないと思います。Matunami 2006年3月20日 (月) 22:30 (UTC)

いずれにしても、このノート、あまりに量が膨大になってしまいました。開くにもかなり重くなっているようですし、だいたい、ロムの方も読む気が起らないでしょう。いったんログ化しておくべきでしょうね。Matunami 2006年3月20日 (月) 22:40 (UTC)

まだ無駄話でログ消費させる神経が不思議です。自分の理不尽な議論姿勢と無分別をロムの方に伏せたい気持ちはわかりますけど、ログ化は議論中の箇所より以前のものにすべきです。ちょびひげ 2006年3月22日 (水) 14:31 (UTC)

ええと、まあだ、やるんですか? 何度も言っている通り、「多重アカウント」さんの存在のためにこの記事は「保護」されているわけですから、「多重アカウント」さんがここに書き込むのは、リソースの無駄遣いでしかありません。人の話を「無駄話」と決め付ける前に、そもそもWikipediaでの発言権がない「多重アカウント」さんの書き込み自体が「無駄」である、ということを、ちゃんと、自覚していますか?
で、私のどこが「理不尽」で「無分別」なのか、具体的にご指摘いただきましょうか。例えば、相手の「反対」を「賛成」といいくるめることは誰が見ても「理不尽」で「無分別」ですね。Wikipediaのルールに逆らって「ブロックされては新しいアカウントで登場する」ことも、「理不尽」で「無分別」です。抽象的な中傷語ばかり先行させても、誰も納得させることはできません。
・・・なんて書いているうちに、またまたまたまた・・・ブロックされてしまったようですね。上の話を継承する方が出てきたら、「生れ変り」だとすぐにわかります。この「ノート」、どうやら「多重アカウント」さんのリトマス試験紙になってしまったようです。私もこんな意味のない「会話」でリソースを消費したくはないのですが、仕方がない、とことんおつきあいするしかなさそうですね。Matunami 2006年3月24日 (金) 19:20 (UTC)
というわけで、これ以上のリソースの無駄遣いも心苦しいですし、そもそもロムの方にも何が何だかわからなくなっていると思いますので、改めて、ここまでのログ化を提案します。どうしても「会話」を継続したい方は、別項を立ててください。というか、これに反対する方が出たら、「多重アカウント」さんの再登場だ、とすぐにわかりますね。Matunami 2006年3月24日 (金) 19:43 (UTC)

その病的な決め付けが凄いですなあ。ログ化は議論中の箇所より以前のものにすべきでしょう。ここで全部ログ化しても反対はしませんがその場合はちょびひげ氏の意見に合意したと見なされます。 Matunami氏はもはや反論できていないんですから。(笑パンスト 2006年3月26日 (日) 15:21 (UTC)

パンストという新規アカウントを用いる人が、「ちょびひげ氏の意見に合意した」と宣言しても、それがウィキペディアで合意として受け入れられることはありません。一連の多重アカウントが繰りかえす個人攻撃が受け入れられないのと同じことです。「ちょびひげ」及びこのノートに出てくる一連の多重アカウントのブロックは、ウィキペディアが彼の参加を拒み、彼の行動を止めるためにしたことです。アカウントを取り直して入り込んだ場合には何度でもブロックされますし、同じ行動を継承する別の人も同じようにブロックされます。他のユーザーにそうしたユーザーと対話する義務はありません。Kinori 2006年3月27日 (月) 06:09 (UTC)
Kinoriさん、了解です。しかし「多重アカウント」さん、私が「もはや反論できていない」って、本気で言っているのかなあ。Matunami 2006年3月27日 (月) 22:27 (UTC)
同意です。しかしこの人、もう二年近くなるというのに同じ事を延々と繰り返して気の長い人ですよね。二年も経てば人間ある程度変化・成長しそうなものではないかと愚考するんですが・・・自分自身昔のログ読んだら死にたくなると言うのに。彼は一度お会いしてご尊顔を拝してみたいです。--ぶらっくさん 2006年3月30日 (木) 09:58 (UTC)