ノート:牟田口廉也/過去ログ2

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百科事典とは言えない内容[編集]

全てにわたって一方的な話で書かれているので、誰の証言なのかを全て明確にしてください。--61.45.44.248 2010年5月6日 (木) 02:05 (UTC)

関連書籍に記載されてますし根拠としては問題ないのでは?むしろ実名を出さなければ根拠にならないという理屈の根拠がわかりませんが。Wiki方針としてそれは新しく出来たんですか?それともアナタの自分ルールですか?自分ルールだったら恥かく前に消しておいたほうがいいですよ。むしろ可変IPで責任を持たない形で書き込んでいるアナタの編集姿勢をまず改めるべきかとは思いますが。ついでに言うと、あなたの書いた記述も根拠未記載です。まずは自分の記載の出典を明らかにしてから[要出典]を張りませう。とりあえずIP編集で付与した要出典は削除します。編集合戦の要因となりますので。--GF 2010年5月7日 (金) 18:05 (UTC)
出典があるからといってだれの証言か不明なものを、そのまま書籍を丸写しでは、そんなものは特定の書籍のコピーでしかないし著作権の侵害でもある。匿名者の証言ならば匿名者の証言だとわかるようにしてもらいたい。--61.45.40.80 2010年5月7日 (金) 19:29 (UTC)
可能であれば、検証容易性の観点から、どの本の何ページで述べられていた出典であるか、明示して頂きたく思います。もっとも余りにも有名な(どんな関連文献でも大抵書いてある)部分には、とりたてて必要ないかもしれません。「生涯」の部分で、必要と思われる箇所に{{要出典}}、{{要検証}}を貼らせて頂きましたが、いかがでしょうか?エピソードに関しましても、可能であれば、将来的には出典元を明確にお示し頂きたく思います。出典とは別に、「雑多な内容の箇条書き」感が有るのが気になる所ですが。--Hman 2010年5月7日 (金) 22:00 (UTC)
明らかな虚偽を削除しました。証言者の名前は高木の『抗命』には切腹問答の証言を残した中井悟四郎中尉(『抗命 インパールⅡ』277ページ)などちゃんと実名が出ている。何故、「匿名」などと見出しを付け虚偽を書くのか?--Miwa.SS 2010年5月14日 (金) 15:23 (UTC)
ではそれぞれ証言者をわかるようにしてください。誰の証言なのか匿名なのかどうなのか全くわかりません。中世の歴史ならまだしも、近代史においては匿名者による証言なんかでは基本的に資料の価値はありません。--122.29.146.53 2010年5月15日 (土) 05:48 (UTC)
で?結局書籍一冊も読まずに決めつけていたんでしょ。独自研究と虚偽記載にもほどがある。--Miwa.SS 2010年5月15日 (土) 06:18 (UTC)
私はまだ当該書籍を読んでいませんので何とも申し上げられませんが(すぐに入手と言うわけにもなかなか・・・)、見出しに{{要検証}}に大きな違和感を感じましたので(スタイルマニュアルで明確に禁止はされていない様ですが)、本文に組み込み体裁を整えました。ご確認下さい。--Hman 2010年5月15日 (土) 08:26 (UTC)

インパール作戦の強行[編集]

牟田口が強行したと言われていますが、実際には寺内寿一元帥が「早くやれ」と言って強行しています。それを許可したのは東条ではなく杉山参謀総長です。寺内元帥は杉山よりも格上で参謀本部も止められません。人事に関しても寺内の意向です。牟田口は単に命令に従って作戦を立案実行したという立場です。--61.45.40.80 2010年5月8日 (土) 05:10 (UTC)

やや古い本ですが、伊藤正徳の『帝国陸軍の最後 3―死闘編』には擁護論がありますね。伊藤は、「インパール作戦は、一人の牟田口廉也が策案強行したように一般に解され、遺族の恨みいまだに同中将のうえに凝集する実情であるが、それはいささか酷に失するであろう」(角川文庫5版、99頁)といいます。牟田口が最有力当事者ではあるが、チャンドラ・ボース=東條英機=河辺正三の3者の政戦略上の意向も強く、特に河辺は作戦終期に牟田口に活を入れた事実があるとまとめています。アッサムへの積極侵攻まで手を出すかは別として、インパールまでの攻勢防御は方面軍や南方軍、東條あたりまで一致した見解だったとします。軍事的妥当性については狭い戦術眼からの誤りとしつつも、無謀な作戦がされた責任は牟田口と大本営が少なくとも五分五分と評しています(角川文庫5版、199頁)。
牟田口が積極的だった理由についても、あくまで彼のビルマ戦の長い体験に基づく戦術的な結論とします。「牟田口が一将の功をあせり、ひそかに大将昇進を夢みて野望の一戦を賭した」という後世の非難は、割引して聞くべきと(角川文庫5版、198-199頁)。
戸部良一ほか『失敗の本質』でも、方面軍以上の趣旨はインパール限定の積極防御だったのに対し、第15軍は牟田口のアッサム侵攻論を捨て切れず、止めるべき河辺は努力を欠いたという伊藤に似た分析をしています(中公文庫3版、156-157頁)。杉山・寺内の関与に関しては、大本営の大勢は反対だったのに、寺内のたっての希望ならと杉山が人情論で裁可させたとしています(中公文庫3版、161頁)。東條については、作戦後半になって中止を示唆した秦彦三郎参謀次長を、叱責したという話が出ています(中公文庫3版、172頁)。--Snlf1 2010年9月5日 (日) 07:38 (UTC)
とりあえず、少し伊藤から足しました。(2010年9月25日 (土) 10:23 Snlf1によるコメント--Snlf1 2010年9月25日 (土) 11:23 (UTC)

出典として不適切[編集]

高木俊朗氏のインパール作戦に関する書籍ですが、殆どが誰だか不明の関係者の証言だとして語られています。これは「悪魔の飽食」と同じで小説と同じレベルであり出典としては不適切です。--58.98.104.109 2010年5月10日 (月) 02:40 (UTC)

その考え方だと今の法律で言うと内部告発も根拠が無かったことになるんだよなぁ。そんな事言ったらあなたの加筆した
>従って南方総軍配下の牟田口や東条らの要望のみによって作戦が強行されたとする話は誤りである。また緒戦を除けば太平洋上での作戦(サイパン、フィリピン、硫黄島、沖縄等)は殆ど全てが輸送も補給も考えない全滅玉砕することを覚悟した作戦ばかりであり、インパール作戦のみが他に比べて特別無謀な作戦だったというわけではない。殆どが玉砕した太平洋上での海軍主体の無謀な作戦に比べれば、陸軍のインパール作戦の方がインド独立支援という大儀もあり、まだ無謀ではかったとする意見もある
という件でさえ、「誰の意見?」って話になるんじゃないの?言っている事とやっている事が矛盾だらけだよ、アナタ。--GF 2010年5月10日 (月) 17:42 (UTC)
GFさんのご指摘の引用部分は、{{要出典}}でしょう。更に申し上げれば、ウィキペディアは百科事典であり論文ではないので、IP氏は是非ともその点にもお気を付け下さい。「○○と言う本によれば・・・・・・・である」、これがウィキペディアの基本であるかと存じます。
また、牟田口が愚将であったか否かは我々がここで議論をして結論付ける問題ではなく、まあ大方の書籍においては「愚将」とされているでしょうが、少数ながら「それほどでもない」とする資料もあるはずです。この様な場合は「両論併記」がよろしい様です。ややこしい問題でもあり、資料も分厚かったり入手困難だったりするかもしれませんが、記事を今日明日完成させねばならないと言うわけでもありません。Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:出典を明記するを肝に、徐々にいい形に仕上げていこうではありませんか。
なお、匿名の証言は匿名の証言と明記されていれば、問題は無いかと思います。時代モノの記事ではある程度やむを得ないでしょう。ですが私も、もしその様な出典が有れば、牟田口寄りの資料を探し、両論併記に持って行きたいと考えています(何ヶ月後、何年後になるかはわかりませんが)。どうしても納得しかねる、と仰るなら、Wikipedia:コメント依頼で、広く意見を募る事も可能となっております。ご参考まで。--Hman 2010年5月10日 (月) 19:01 (UTC)
「インパール作戦はまだ無謀ではない」という意見は佐藤 晃氏が書籍で書いていることで出典は提示してあります。あくまで海軍の作戦との相対比較での話です。サイパンなどの作戦は(陸軍も海軍の指揮下)最初から全滅をすることはわかって兵を派兵しているわけで、こちらは無謀を通り越えています。なのになぜインパール作戦がけが特別に批判されるのかというのが自分には第一にあります。牟田口を生贄にして批判の目を他へ向けさせたくないという戦後の日本人の無責任さの象徴で恥ずかしい歴史認識だと思います。自分も両論併記で行くのがよいと思います。--124.44.47.235 2010年5月11日 (火) 12:45 (UTC)
サイパン、沖縄などに関しては、孤立した島嶼の絶望的な防衛戦であり、大前提は時間稼ぎ。一応は攻勢作戦であるインパール作戦と単純に比較することはどうかと思います(問題とされるべくは当局間の秘密主義・・・・・)。もっともこれも私のいち見解でしかなく、恐らく牟田口愚将派が多数とは思いますが、牟田口それほどでもない派も比較的少数ながら、論をお持ちの方もいらっしゃれば、文献資料もあるでしょう。我々素人研究家がウィキペディアで成せる事は、無難に出典を積み重ね、中立的な(時として両論併記の)記事を、最終的に仕上げることであります。今後ともご協力の程、よろしくお願い致します。私も微力ながら(何年かかるかわかりませんが)お手伝いしていきたいと思います。ただし海軍の各作戦が著しく無謀であったとしても、牟田口の記事であまりに詳細に記述するのも本末転倒かもしれません。別途、より相応しい場に記述を移す方が好ましい可能性もあります。まあ、色々考えて行きましょう。--Hman 2010年5月11日 (火) 12:56 (UTC)
単なる右翼系の荒しさん。東條英機の項で首尾よくかき回せたことを奇貨として、本項にも同様の荒しをしているにすぎない。迅速に対処しないと、今後他の記事にも拡大していく可能性が高い。--1052 2010年5月11日 (火) 12:23 (UTC)
IP氏を「右翼系荒らしさん」と仮定して、具体的にどの様に対処すべきなのでしょう。コメント依頼と言う形になりますでしょうか?両論併記の方向でご納得頂けておりますので、私個人は、すぐにアクションを起こそうとは考えておりませんが・・・・。私は他の記事での議論にはリアルタイムで関わっておりませんので、その辺りは当時の関係者にお任せ致したく存じます。--Hman 2010年5月11日 (火) 12:56 (UTC)
このIP氏の編集は虚偽と独自研究が多すぎます。独自研究の自説を書く→要出典要求→ネットで概要かじったくらいの書籍を出典として書く→こっちがその書籍で確認すると載ってなかったり内容が違ったりで、→要検証タグを貼る→別の出典提示→またも虚偽。これの繰り返し。竹槍事件のノートでの態度でも明白。--Miwa.SS 2010年5月16日 (日) 06:07 (UTC)
IP氏には一度、この記事をどの様な記事に仕上げたいのか、現状でどんな問題があるのか、入手可能な資料にはどの様な今後どの様な加筆を行っていきたいのか、などの大演説を、このノートで行って頂きたいなあ、と考えています。現時点では性急且つ大胆な編集は避け、できるだけノートでの合意形成を心がけ頂きたく存じます。これはお互いに気を付けましょう。
ただし、IP氏の編集には、要出典の貼付など、妥当なものもあります。現状でも検証可能性は満たしていると考えられますが、検証容易性も保っているに越したことは無いからです。そういう意味でこの牟田口の記事はまだまだ未完成と言えましょう。ただし、ご自分の記述にも、是非とも出典元のページ数を付記してください。この記事はデリケートな記事であり、綿密に検証が行われる事に越したことはありません。私を含めた第三者による検証が、非常に楽になります。斜め読みとは言え通して読み直さねばならぬ所が、数ページで済むからです。恐らく執筆時に、文献はお手元にあるはずですから、容易に可能と推察します。強くお願いします。ここまで申し上げてもご理解頂けないなら、私も諦めて別の方策を採る可能性を考慮せねばなりません。実際には、IP氏のこれまでの編集についてよりお詳しいと思われるMiwa.SSさん、GFさん、1052さんにお願いする事になるかと思いますが…。--Hman 2010年5月16日 (日) 09:02 (UTC)

現状では何もかも牟田口のしでかした事で、悪いのは全て牟田口だと読者に思わせるような一方的な内容になっています。全体の組織的な問題もあるわけで、中立的な観点から、そういった別の視点からの見解も追加(両論併記)する必要があると思います。現状では一方的に多数派が断罪、罵倒した人民裁判のようなものです。そう思いませんか? 出展に関しては残念ながら立ち読みしたものしかなく手元にはありません。しかし適当に捏造して書いているわけではありません。--118.8.165.115 2010年5月16日 (日) 13:15 (UTC)

中立的な表記は大変結構ですが、今後立ち読みをなされた際には、是非ページ数もご記憶くださいませ。何分、デリケートな記事ですので・・・。私も加筆修正の際には、心がけていきます。もうひとつ。もしかしたら、「定説に対する反論」などのセクションを新たに設ける形で両論を併記した方が読み易いと言う考え方もできます。ご一考頂けましたら幸いです。何分旧陸海軍の将軍の中でもかなりの有名人ですから、表記も長くなりがちで、なかなか難しい所です。--Hman 2010年5月16日 (日) 13:42 (UTC)
私も「定説に対する反論」のセクションを設けることに賛成です。(今の「インパール作戦に関して」の題名を変えるだけです)その方が両者の衝突が少なくなり、後は読者が読んで判断するという公平な物になるのではないでしょうか。現状ではそれがベターだと思います。--118.8.165.115 2010年5月16日 (日) 14:53 (UTC)
もし他の方の同意も得られる様でしたら、反論に類する情報を多くお持ちと思われます、IP様の手で語編集頂くのがよろしいかと存じます。セクション名が変われば若干、言葉のニュアンスを変えるべき所も出てくるかもしれませんし。位置は私個人は、軍歴、反論、エピソード の順に変更するのがいいのかな、と思っております。もっとも順序自体はあまり大きな問題ではありませんので、一つの意見として聞いて頂ければそれで結構かと存じます。私も現在関わっている記事が一段落着きましたら、もし可能であれば愚将論、反論共に、編集に関わって行きたいと思っております。図書館の取り寄せ期間や貸出期間の関係で、ディープな問題を並列に、という訳にもいかず、相すいません。--Hman 2010年5月16日 (日) 14:59 (UTC)
では特に反論が無ければ後日変えます。私自身は反論は今の所これくらいで十分ではと考えます。反論ばかりをこれ以上そんなに拡張する気はありません。--118.8.165.115 2010年5月16日 (日) 15:22 (UTC)

インデント戻します。検証可能性を満たした出典資料をちゃんとページ数まで書かれることを条件に賛成しますよ。独自研究でないことも条件です。独自研究はもちろん不可。また、今度ネットで拾った記事まんまもってきたら著作権違反で特定版削除申請します。また、定説に対する反論が定説と同ボリュームならそれは百科事典としてどうなのか?と思いますがね。そもそもそれは信頼できる情報源を満たしますか?満たしていれば無問題です。加筆してください。満たさなければ要検証貼るだけです。--Miwa.SS 2010年5月16日 (日) 23:04 (UTC)

確認したけど、「風評」って何ですかね?それに結局ちゃんとした出典は提示されないのですね。いつまでもページ数提示がされなければ全面削除しますよ。--Miwa.SS 2010年5月18日 (火) 23:07 (UTC)

ページを示さなくてはならないという決まりはない。Wikipedia:引用のガイドライン--122.18.210.187 2010年5月19日 (水) 12:07 (UTC)
全くその通りで、推奨されてはいますが必須ではありません。どちらかと言えば「Wikipedia:出典を明記する」ですか。よって、それのみを理由にした編集除去は好ましくないと思われます。ですが、繰り返しになりますが、特にページ数の多い本では、可能な限り付けた方が、便利としたものです。よろしくご考慮くださいませ。また、出典が明瞭であっても、記事の反映時に曲解や恣意的な解釈、或いは著作権云々で、もしくは出典として不適切・・・・などの問題が発生しておりましたら、それを理由に編集除去される場合が有ります(要出典、要検証が貼られていますし、読者もそれなりの取り方をするでしょう)。とにかく編集を急がずに、のんびりと完成に近づけていく事を提案したいと思います。どうか穏便にお願い致します。コメント依頼を出して、第三者の意見を募るのもよろしいかと存じます。なお、私は「風評」か「定説」か、どちらの見出しが適切かと問われれば、どちらかと言えば定説寄りです。
また、下のセクション、「出典とされる書籍にその記述が認められない件について」の様に、「どこに書いてあるのかわからないので検証できない」、もしくは「調べてみたがどうにも見あたらない」場合は、是非ともページ数をお示し頂いた上で、じっくり議論を行ってください。このままお返事無しと言う事であれば、当該箇所の除去に反対は致しません。後日、私が文献を入手できれば、確認の上で記述を復活させる可能性もありますが。--Hman 2010年5月19日 (水) 12:21 (UTC)
勘違いされているようですが、出典が怪しいからページ数を示せなければ削除だと言っているのですよ。IP氏の出典は怪しすぎる。だいたいが、元の書籍を参考に書かれた個人のブログなどの記述にさらに自分の独自研究を重ねたかの如き記載が多すぎますし、かと思うと元の本どうやって見たのか疑問な点もありすぎる。例えばIP氏が出典として『抗命--インパール作戦烈師団長発狂す』を書いたけど、この本本当に読んだことがあるのか?言うまでもなく、この本は1966年初版の本で70年代には大幅改訂&改題があって今では絶版です。それを平然と出典として書いてきた。[1]『抗名 インパールⅡ』に改題されているこの本をよくもまあこんな短期で。ゆえに、本当に出典書籍を読んでいるか怪しすぎるからページ数出してみなさいといっている。ページを示せない=出典を確認しない捏造かどっかのブログ写した著作権侵害か適当に読み散らしたことを自分の主観で書いた独自研究かだから即削除でも無問題。それを待つから出典をちゃんと示せと言っている。高木のインパール五部作を読んでもいないのにそれに対する自分の評価まで書いたIP氏は当然できるだろう。--Miwa.SS 2010年5月20日 (木) 01:09 (UTC)
勘違いはしていないつもりです。一応、建前と言うのも大事だと言うスタンスです。それはさて置き、『抗名』は1972年の第五刷が手元にあり、IP氏が大体のページ数お示し下されば、比較的早期に検証が可能です。お示し頂けない場合、私も何とか時間を作って最初から最後まで300ページ弱を読み直した上で、虚偽の出典に基づく記述と言うことで、当該記述の削除に賛成します。--Hman 2010年5月20日 (木) 01:54 (UTC)

そもそも論になるのですが、高木俊朗の一連の著作は参考文献になりうるのでしょうか? 基礎は史実でも、あくまで小説と評価するのが妥当な気がします。例えば、『全滅』(文春文庫、1987年)の36-42頁には、「瀬古大隊長は、地形も敵情もわからなかったが、その発火点を目標にしようと考えた」などと瀬古大隊長の思考が生き生きと描かれています。しかし、瀬古大隊長はこの戦闘で直後に即死してしまっており、何を考えていたのか細かくわかるはずがありません。この種の創作が明示なく混入している以上、全体として使い物にならないでしょう。ここは生存者の発言だから史実に違いないなどと取捨して使えば、もはや独自研究になってきます。結局、『坂の上の雲』に拠って日露戦争の記事を書くのと同程度に不適当と考えます。--Snlf1 2010年9月6日 (月) 09:00 (UTC)

高木氏の書籍は基本は小説です。しかし資料も豊富に併記されてますので、これは価値があります。また日時や経過説明などは正確ですので資料の価値はあります。しかし登場人物を描いたものやその証言で、注釈の無いものは創作でしょうが、相当注意して読まないと騙されます。--Dosok-3 2010年9月6日 (月) 13:11 (UTC)
とりあえず佐藤幸徳に手をつけましたので報告がてらに一言。この本に影響されて様々な説が流布された事を紹介する上では、脚注つきを条件に掲載は認められるべきでしょう。その辺の事情は『レイテ戦記』や『海軍乙事件』等と同じです。ただし、高木氏(および秋山修道氏と文藝春秋社)は北杜夫氏やゆうきゆう氏のように本職ではないのに一度は「発狂す」と明記したのですから、その顛末は明記する必要がありますし、鑑定した軍医がその点に言及している以上、出来ることです。また、高木氏の本に関する信憑性を取り扱う際の証左にもなるでしょう。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年10月11日 (月) 08:02 (UTC)

出典とされる書籍にその記述が認められない件について[編集]

出典として提示されている「帝国海軍が日本を破滅させた」についてペーパーバックの上下巻の下巻と推察しますが、それを出典とした場合、現在の記事のような内容が記されていません。似たような内容は記されていますが、それだと大幅に個人の意見の入った編集で独自研究だと思われます。まあページ数も多いですしこちらの見落としかもしれませんが。ページ数と上下巻のいずれかを提示していただきたく要検証タグを貼らせていただきました。--Miwa.SS 2010年5月14日 (金) 00:45 (UTC) インパール作戦についての項目の出典とされる『インパール作戦-- ビルマ方面軍第十五軍敗因の真相』を入手して読みましたが、見落としているのか出典が違うのかどうも書かれている内容と違うようです。ページ数500ページを超える本ですし、見落としているのかもしれません。ページ数は何ページですか?また、高木の書籍といってもドキュメンタリーから小説まであるわけで。書籍を指定しないのは問題なので要出典とさせていただきました。IP氏は過去にも読んでいないものの内容を書かれていますし問題が多すぎます。出典をお示しください。--Miwa.SS 2010年5月16日 (日) 08:43 (UTC) IP氏へ。再読しましたが、第2編と第4編の記事を合わせたものですか?--Miwa.SS 2010年5月16日 (日) 11:51 (UTC)

そろそろ保護申請でいいような気がします。--119.107.234.251 2010年6月22日 (火) 10:43 (UTC)

「ページ数も多いですしこちらの見落としかもしれませんが。」「ページ数500ページを超える本ですし、見落としているのかもしれません。」横槍失礼だが、いい加減な検証で「虚偽」などとして除去しないこと。虚偽である証明をしてください。人の行為は善意に取る必要がるため、とりあえず出典記載があり中立的記載とします。--218.217.154.104 2010年6月23日 (水) 01:10 (UTC)

貴方が何もページ数も示さず独自研究に基づく虚偽記事を多数掲載していることは明白ですし合意事項も全く守りもしない演説を記事中で繰り返す限り差し戻します。--Miwa.SS 2010年6月23日 (水) 02:09 (UTC)

虚偽である証明以前に、虚偽でない証明が求められます。手っ取り早いのは、死ぬほど<ref>を貼り付けて、徹頭徹尾ページ番号を明記して頂くことです。書かれた。めくった。有った。これなら誰も文句を挟む余地はありません。ページ数さえ明記して頂ければ、そしてもちろん私が確認の上で記述が見つかれば、IP氏の編集は大歓迎であり、むしろMiwa.SSさんが言論封殺の廉で追求される可能性さえ出てくる所です。ウィキペディアは論文の発表の場ではなく、既存の論を集めてくる場ですので、この様な姿勢が好ましいでしょう。編集者の考えは、一切入ってはいけません。
また、ウィキペディアではこの様な場合、内容の記載を求める方に出典の明記が義務づけられています。厳密にはページ番号の記述自体は義務化されていないのですが、IP氏は手元に出典をお持ちの様で、確認の上で記述されているとのこと。是非とも検証を容易にするために、ご協力ください。図書館で他府県から取り寄せた場合などでは、改めてページ番号を明記するのは結構時間がかかりますが(というわけで、今後は最初からページ番号を明記しておくことをIP氏に限らず皆様にお勧めしたいと思います)。以上を受け入れて頂けない場合、保護依頼その他の手段を検討する必要を感じています。
文中IP氏と言う言葉を用いましたが、当該のIP氏でないIP編集者の皆様、ひとつご理解を頂きたく思います。他に良い呼び方も思いつきませんで。--Hman 2010年6月23日 (水) 11:42 (UTC)

出典にページ数を示す義務はない。「虚偽」ばらば細かくページ数と引用をしてどこが虚偽なのか立証してください。出典が出ている以上、それができないのであれば現状としておくことしかありません。ところで、119.107.234.251はモバイルIPだが、Miwa.SS氏は以前、モバイルも使用しているとの発言を見た覚えがあります。まさか違いますよね?--218.217.130.51 2010年6月23日 (水) 13:34 (UTC)

先ほどの人のように、おかしい箇所があるというならば具体的にその箇所を指摘すれば言い訳で、それならば対応できます。出典とは情報源であり、引用とは違います。あちこちの散らばった内容をまとめて要旨を書いているわけで、漠然とページ数を示せといわれてもそれは出来ません。--124.45.123.166 2010年6月23日 (水) 15:10 (UTC)
124.45.123.166さんの主張に同意します。引用等、証拠をしっかり出して、此処はこれこれこうだからこう表現すべきと言う提案もなく、出典ある記載のオール強行除去は問題ありと考えます。--218.217.130.51 2010年6月23日 (水) 15:15 (UTC)

反論の部分の削除(古い編集へ差し替え)の理由を具体的に示してもらいたい[編集]

Miwa.SSは大量に削除しているが、相手が気に食わないという理由による。 そうでないと言うなら、具体的にどこがどうおかしいのか、詳細に示してもらいたい。 尚、個人攻撃なら書かなくていいです。あくまでもここの項目に限定して、話を拡散させないでもらいたい。--124.45.193.128 2010年6月23日 (水) 02:55 (UTC)

貴方が何もページ数も示さず独自研究に基づく虚偽記事を多数掲載していることは明白ですし合意事項も全く守りもしない演説を記事中で繰り返す限り差し戻します。--Miwa.SS 2010年6月23日 (水) 03:37 (UTC)

そんな抽象的な話では大量改変の理由にはならない。--124.45.193.128 2010年6月23日 (水) 03:57 (UTC)

「出典として示された書籍の記述が実物と違う。IP氏の虚偽記載の独自研究」 Miwa.SSこのように言ってるが、それは具体的にどの記載がどれに当たると言ってるのかまったく不明。個々に明確に示されたし。--124.45.193.128 2010年6月23日 (水) 04:04 (UTC)

事実として虚偽を書いている。大田の『インパール戦争』も、著書名も著者名も間違えるようじゃあまともに読んでいないのも明白。高木の著書にしても何度も改訂があった『抗名』の最初期希少本1966年版を出典にする段階で嘘。項目名も独自主張の改題。そもそもWikipediaは演説の場じゃない。出典合成改ざんによる独自研究の発表は不可。書いてないものは書いてないし。ページ数示されたものは全然ページが違う。これも虚偽。--Miwa.SS 2010年6月23日 (水) 06:30 (UTC)
そもそも、IP氏は独自研究が過ぎる。独自研究を削除するのにWikipediaのルール上で何の問題もない。--Miwa.SS 2010年6月23日 (水) 06:32 (UTC)
大田氏の名前の間違いは修正する。
希少本を出典にしているというが希少本だろうがなんだろうが、佐藤の回想録の引用をしたまでの話で、回想録は複数の本で引用されているが、どれを出典としようが大きな問題ではない。
項目名が独自主張だと言うが、これは本文の内容の要旨を示したまでで、その方読む方はわかりやすい。
出典の合成だと言うが、それはその通りだが、反論は反論をピックアップしたのだからそうなるのは当然。前半の批判一辺倒に対して両論併記の形態なのだから問題ではない。
独自研究とは、具体的にどれをさすのか?
おかしい個所があるというならば、まずは個々にそれを指摘するのがルールのはず。--124.45.193.128 2010年6月23日 (水) 06:49 (UTC)

あとページ数が違うと言うが、どこが違うのか?出典で示したページ数に間違いは無い。--124.45.193.128 2010年6月23日 (水) 06:57 (UTC)

確認したが、こちらで特にページ数を示した出典は無い。したがってMiwa.SSの虚偽--124.45.193.128 2010年6月23日 (水) 07:08 (UTC)

あと今気づいたが、そっちこそ「抗命」を「抗名」と出典が全部間違っている。虚偽だらけなのは、そちらの側--124.45.193.128 2010年6月23日 (水) 07:16 (UTC)

Miwa.SSはここで議論せよ。--124.45.193.128 2010年6月23日 (水) 08:01 (UTC)

出典の合成を認めた段階でもはや論議の余地も無いですな。IP:InfoWeb&IP:Wakwak氏は、Wikipediaのルールを全く守る気が無いのは他の記事でも明白でしたが、出典の合成を認めたうえに、販路なるものは、出典の内容に自身の反論を意見として加えたものでしかない。まあ、他の記事のようにやたらと外部リンクを張ってWikipediaのルールを敢然と無視するのよりはマシですがね。--Miwa.SS 2010年6月24日 (木) 05:46 (UTC)

えーと、途中から参加したのですが、あなたの主張は「虚偽だ」のみで、詳細な説明がないのですよ。虚偽ならば、こちらで[2]指摘したように、第三者でもわかるように実際の出典には何が書いてあるかなど細かく引用等して説明してください。現状では出典が出ている以上、POVの観点からも一方の論を除去することはできません。--218.217.154.202 2010年6月26日 (土) 16:35 (UTC)
載ってないものは載ってない。載っていると主張するほうが確認できるように何版の何ページか提示すべき。証明責任は載っていると主張する方にある。こちらは文庫第1刷を出典提示されてから全部入手し持っている(大田著書は軍事研究版とハードカバー版両方手元にある)。そちらは出典主張通りならハードカバーを持っているはずだから正しいページ数を出せるはず。全然違うページ数を出して出典主張したり、著者が重版で間違いとして外したものまで出典主張した挙句、正しいページ数ひとつ出せないというのがおかしい。--Miwa.SS 2010年6月27日 (日) 09:33 (UTC)
何が虚偽・載っていないというのか、具体的に示してもらいたい。そちらは複数の出典と複数の項目を、一度に全部いきなり削除という暴挙をやっているわけなのだから。こちらは念入りに出典を確認した上で編集している。--219.103.228.140 2010年6月27日 (日) 10:44 (UTC)
間違いでないと主張するほうに説明責任はある。何なら大田の著書どちらでもいいからちゃんと出してみろ。高木の著書でもいい。高木なら複数版持っている。引用時に文面変える真似までして結論逆にしたり、引用文つかっての独自研究はいい加減にしてもらいたい。特に大田は結論としてインパール作戦について擁護していない。弁明する牟田口よりも沈黙を守り解脱している河辺のほうを批判しているだけ。大田の『インパール作戦』最終章や第4章を読んでいればわかるはず。よって大田の引用は完全に独自研究。--Miwa.SS 2010年6月27日 (日) 12:05 (UTC)

どの部分が、どのように間違いだというのか、何一つ具体的に示せないとはどういう事か?そのような抽象的な指摘では答えようがない。 「引用時に文面変える真似までして結論逆にしたり」とは、どれを指すのか具体的に示してもらいたい。デタラメな指摘はいい加減にしてもらいたい。--219.103.228.140 2010年6月27日 (日) 14:40 (UTC)

白々しいことを言うもんだ。じゃあ、具体的に42行目、75行目、高木の抗命インパール2と文面変えているし、勝手に匿名発言って書いているよなあ。83行中の上層部の総意云々以後は完全に独自研究。113行目の大田氏以後『インパール作戦 ビルマ方面軍第十五軍敗因の真相』よりの引用文も酷いもんだ。--Miwa.SS 2010年6月28日 (月) 01:24 (UTC)
問題の発端は、編集を繰り返しているIPユーザー氏が説得力ある論拠・出典を提示できていないことにあり、「相手が気に食わない」などの理由ではないように思われます。まずは独自研究でないという主張を裏付けるに十分かつ具体的な出典をお示しください。現時点ではMiwa.SS氏の主張のほうが具体的な説得力があります。--Botellón 2010年6月28日 (月) 13:15 (UTC)
出展とされている書物に記述が「存在しない」ことを該当部分を引用して証明しろ、って……。まさかノートに目次から奥付まで全文引用しろと?--STMRX 2010年6月29日 (火) 06:07 (UTC)
一昨日初めてこちらの記事を見ましたが、Miwa.SSさんが述べているのが正論です。脚注でページ数まで注記しつくせばいいだけです。それが出来なければ記述が外されても文句は言えません。--rshiba 2010年6月29日 (火) 10:16 (UTC)

ここでの編集合戦と全く同じ、独自研究に基づく編集の強行が「富永恭次」の項目でも発生しておりますので、ご参照ください。--Botellón 2010年7月2日 (金) 16:47 (UTC)

あなたは編集傾向・出現時期からして、どう見てもMiwa.SSと同一の人物ですね。--124.45.120.236 2010年7月3日 (土) 05:06 (UTC)
そう妄想されるんなら、Botellón氏と私が同一人物かどうかチェックユーサー申請でもしたらどうですか?--Miwa.SS 2010年7月3日 (土) 05:41 (UTC)

「15軍の牟田口よりむしろ、その上部組織(方面軍・総軍・大本営)に対して強く批判している」[編集]

上記記述の根拠はどこにあるのでしょうか?もし記述の通りであるとすると、佐藤幸徳中将の手記にある「馬鹿の四乗」には一つ足りませんが、消えた「一乗」はどちらに行ってしまったのでしょうか。まさか、都合のいいところだけ切り継ぎしていたりしませんよね。ソースを切り継ぎして都合のいいように解釈したり、編集者が独自の解釈を加えることは禁止されていたはずですが、まさかそうではありませんよね。--119.107.234.251 2010年6月23日 (水) 10:58 (UTC)

修正した。上部組織ほど責任が強く問われるべきだという現代でも常識的な話。さらによい文章があるというならそちらで編集対応してもらいたい。--124.45.123.166 2010年6月23日 (水) 11:42 (UTC)
「上部組織ほど責任が強く問われるべきだ」というのが、本来この編集者の主張したいところのようです。しかし残念ながら佐藤中将の手記には該当する部分がなく、この趣旨で編集されている節そのものが独自研究の可能性が高そうです。もし、佐藤中将がその旨述べられた資料がありましたら、是非ご提示ください。歴史的資料性も高く注目したいと思います。しかし、それが単に124.45.123.166氏の「現代でも常識的な話」という個人的価値判断に基づく主張にとどまるものでしたら、検証に耐えられなかったものとして節を削除させていただきたいと思います。

--Ring5ring5 2010年7月19日 (月) 10:19 (UTC)

ジンギスカン作戦[編集]

「ジンギスカン作戦」をバカにしてますが、牟田口は現地住民の協力を得て牛だけでなくゾウや羊も使って、渡河訓練など様々な努力を賢明にやっており、本来は大本営の責任である駄馬の後方支援隊は前線まで行けず全く約に立たなかったが、それを補完する役目の自軍のジンギスカン部隊は、ある程度の食料補完の成果は出しました。--Dosok-3 2010年7月26日 (月) 15:19 (UTC)


あなたがどのような認識を持とうと自由ですが、現状の書き方では、存続させるに値しませんね。何故なら、「15軍が自ら編成した駄牛隊は戦場へ到達できたのはわずかであったが、大本営が送った12個駄馬中隊は様々な障害によりその多くを失いながらも、前線へ到達した隊もある」という言い方もできるからです。明らかに中立性が欠けています。 そもそも、前線へ到達したと言っても、牛が辿り着いたというより人力で輸送した物品の中に牛が含まれていたと言う方が事実に近いのではないでしょうか? 牛を押して歩いたという兵士の証言が、いちいち出典を示すのが不可能なほど多数あるのは常識です。 更に言えば、農耕に必要であった牛を事実上略奪(違うとおっしゃるなら、紙切れ同然の南発券ではなく、日本円か、せめて軍票で対価を支払った例を一つでも挙げて下さい)したことが、ビルマが離反する一因になったという指摘もあります。 編集合戦は避けますが、あなたの記述は史実に基づいているとは言い難いので、書き改めて頂きたいですね。特に、「牟田口の指令を正しかったとする英国側の見解」なんて、日本側の実情が知られていなかったからこその発言ばかりじゃないですか。近年のまともな研究者が、誰か一人でもそんなスタンスを採っていますか?--

インパール作戦は元々1ヶ月以内に終了する作戦であり、31・33両師団があまりにも消極的で、もし両師団が手際よく侵攻さえしていれば、インパール攻略は成功したという見解は、英国側に限らず日本側の軍関係者も一致した見解です。作戦に反対した参謀ですら、インパール攻略は可能だったと言っています。補給が尽きたのはそれ以降で大分後になってからの話です。作戦の失敗と補給の問題は全く関係ありません。コヒマの主力の宮崎隊など、敵の物資を次々と獲得し、敵が空から投下する物資も全部横取りして、全く物資に困っていません。(佐藤師団長が全く前進しないためイライラして待っている)15軍配下の師団長が有能な人物だったら作戦は成功していたという見解は、日英の軍関係者の一致した見解です。(インパールを攻略して、ではその後どうなったかに関しては、それはわからないと言う意見が殆ど)--Dosok-3 2010年8月3日 (火) 17:40 (UTC)
利用者:Dosok-3氏の編集された「後方(補給)を軽視したわけではない」の節ですが、この項の文脈から貴殿の編集を理解すると、作戦実施に向けた兵站部門の増強ができないまま作戦が強行され、その補完となるはずだった牟田口軍司令官肝入りの「ジンギスカン作戦」も大した成果を挙げなかったということになりますので、むしろ補給を軽視した作戦であったことの裏付けにしかならないと思われます。また、補給面での不安からインパール作戦に反対していた小畑参謀長が解任されたこと、「ジンギスカン作戦」の駄牛隊の多くが前線に到達するまでに脱落したことは、要出典としている部分を含めて高木俊朗氏の著作その他で明らかにされていますが、「作戦の失敗と補給の問題は全く関係ありません」という貴殿の主張はかなり異なりますので、独自研究とみなされないようもう少し出典を詳しくお書きいただけませんか。--Botellón 2010年8月3日 (火) 22:18 (UTC)
1ヶ月以内に終わらせる予定の作戦を3ヶ月も継続したのが失敗の全て。予定通り1ヶ月で攻略していれば補給は問題とはならなかった(携行物資と捕獲した物資で十分)。参謀で賛成派も反対派も、インパール攻略自体は問題なく出来ると考えており、意見が分かれたのはその後の展開が、英国が苦境に立たされるか、日本が苦境に立たされるかという攻略後の予測の違い。柳田師団長の失態(統制前進で10日間のロス)がなければ作戦は一旦は成功していたというのが軍関係者の見解。高木氏や山岡氏などインパール作戦を有名にした書籍は(中身の内容はまるきり同じ)、牟田口氏が亡くなるのに合わせて出てきており、かなり偏向した作為的な内容。牟田口は撤退の判断の遅れは批判されるべきだが、奇襲による攻略作戦自体は批判されるようなものではない。--61.125.36.38 2010年8月4日 (水) 03:25 (UTC)

またですか?『インパール作戦』のうち肯定論だけでまとめられた既存の見方に対する反論のページだけでさも事実のように書かないでもらいたいもんですねえ。今のだって英側の証言は40年代の日本側の実態知らなかった時期までのものがほとんどなのに。--Miwa.SS 2010年8月4日 (水) 04:32 (UTC)

大田氏の書籍を持ってるなら知ってるはずだが、氏が英国の資料を複数調べた結果、その見解は殆どが一致しており、今後もそれは普遍的に変わる可能性は無いだろうと断じている。高木氏の批評を公正中立だと思う人間もいるだろうが、そうは思わない人間もいるわけで、ここに挙げた英国の一次資料は今後も永遠に重要な第一級の資料であり、それをどう見るかは各自の判断による。--61.125.36.38 2010年8月4日 (水) 08:00 (UTC)
「出典が有れば何を書いてもいい」と言う訳では断じてございませんが、事実、インパール作戦に対してこの様な肯定的見解を述べた文献資料が存在するのであれば、それを紹介することには何ら問題は無いかと存じます。余程のもので無い限り、その文献の内容が事実かどうかは読者が判断すればよろしい事でございまして、現在の版であれば、「分別を持った大人」がこの記事を読み、ああ、牟田口は名将だったんだ、などと、安直には理解しない状況にあるのではないでしょうか(読者が分別を持った大人ばかりとも限らない所がインターネットの怖い所ですが)。差し当たっては、出典元とされる『インパール作戦』の諸元を加筆頂きたく思います(著者、出版年など)。牟田口に対する肯定的見解が纏められている文献である様で、私も非常に興味を持っていますし、今後読者諸氏が興味を持たれる事も、大いにあるでしょうから。加筆頂いた後には、是非とも入手を試んでみたく存じます。
なお、先刻若干のスタイル修正を行いました。お手数ですがご確認ください。また、この記事は牟田口廉也の記事であり、インパール作戦の記事ではないのですから、その辺りにも一定のご配慮をお願い致したく存じます。将来的に一段落付きましたら、何らかの措置を検討する必要があるかもしれません。--Hman 2010年8月4日 (水) 09:06 (UTC)
大田 嘉弘『インパール作戦』は、作戦を肯定した本ではありません。主に軍事的な側面から公正中立に資料を集めて執筆されています。批判も擁護もあります。氏が一番驚いたと言っているのは、英国側の複数の資料は一致した見解を示しており、奇襲によって大変な苦境に陥っていたことです。また、片倉大佐など当時作戦に反対した参謀に話を聞き「日本が決意すれば、インパール占領は出来た」との答えに驚いたとしています。結論としては作戦開始時期が遅すぎたとしています。--Dosok-3 2010年8月4日 (水) 12:44 (UTC)
出典の加筆、ありがとうございます。入手を試みた上で、後日、可能であれば記事の品質の向上を試みたいと思います。将来的には「出典」「参考資料」「関連資料」は厳密に分けて表記したい所ではございますね。デリケートな記事ですから・・・。--Hman 2010年8月4日 (水) 13:44 (UTC)

インデント戻します。まず、英側のそれは英側の意見であって「批判に対する反論ではありません」ので「イギリス側の評価」と見出しを変えさせていただきます。違うというなら、これが日本側の牟田口批判に対する英側の反論である出典を示してくださいね。--Miwa.SS 2010年8月4日 (水) 23:45 (UTC)

本項上位にも記載されていますが「大本営が送った12個駄馬中隊は様々な障害により、戦場へ到達できたのは作戦末期にわずか1個中隊だけであった。15軍の駄牛隊の牛もその多くは途中で失った。」等、著しく客観性を欠いた記述が多すぎます。たとえばこの記述は、どちらも「客観的に破綻した補給計画」であり、それは15軍、南方総軍、大本営の参謀たちが危惧した通りの結果を招いたことで事実として証明されています。本項筆者が「どうにかして牟田口を擁護したい」という目的に沿って編集しているようですが、それは客観性を旨とするウィキペディアの趣旨に反する行為です。上記記述については論理的に客観性を欠くため、主観を前提とした「後方(補給)を軽視したわけではない」という項目は、大変残念ですが削除させていただきたいと思います。--Ring5ring5 2010年8月8日 (日) 02:49 (UTC)

同意します。本項の記述は当初から補給に深刻な問題を抱えていたことの説明にはなりえますが、「後方(補給)を軽視したわけではない」ということを論理的に説明できる内容ではありません。また、「日本と異なる英国側の見解」についても冗長ですので、この項目全体とともに、折を見て編集させていただきます。--Botellón 2010年8月8日 (日) 08:28 (UTC)
いきなり削除するのはルール違反ですが?しかもちゃんと出典が示された記事であり読者にも有益な情報でもある。--Dosok-3 2010年8月10日 (火) 14:21 (UTC)
牟田口が補給を軽視したわけではないという評がある文献として、伊藤正徳『帝国陸軍の最後 3―死闘編』(角川文庫5版)を挙げておきます。伊藤によると、「牟田口廉也は、『補給ばかり心配していたらインパール作戦は成立せぬ』といい放ったが、これはおこりッぽい彼の一面の現われであって、他の一面においては、軍の兵站参謀をして鋭意補給の道を講じさせていた」(137頁)といいます。道路構築、自動車調達の必死の催促、牛やゾウによる輸送実験・訓練、獣医部長を中心とした食用野草の研究などを牟田口が進めたことを挙げ、「後方補給機関の不備を用心し、なんとか自分の手で補給の道を講じようと、半年にわたって苦心経営してきたことは、彼を評する場合に無視してはならない事実であろう」(139頁)と結論付けます。なお、伊藤も結果として牛の利用が失敗に終わったことは否定しません。--Snlf1 2010年9月5日 (日) 07:59 (UTC)
大変結構な情報、ありがとうございます。編集方針の合意が成立し、保護が明けました暁には入手を試み、可能であれば適切に記事に反映して行きたいと思います。その節にはひとつご協力の程をよろしくお願い申し上げます。--Hman 2010年9月5日 (日) 10:48 (UTC)
光人社NF文庫から再版されていますし、図書館でもそれなりに手に入ろうかと思います。解除の暁には微力ですがお手伝いします。--Snlf1 2010年9月8日 (水) 11:53 (UTC)
(追記)あんまり大きく加筆するのはまずいかなとは思ったのですが、とりあえず孫引きになっている個所など手を入れました。--Snlf1 2010年9月25日 (土) 10:23 (UTC)