ノート:機動戦士ガンダムΖΖ/過去ログ1

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記事名に実体参照[編集]

記事名に実体参照が使われていたため、正規の文字を使用した記事名にコピペ移動しました(通常の移動を試みましたが失敗しました)。以下、コピペ元の記事に関する履歴。

(最新版) (前の版) . . 19:58 2004年3月28日 . . 220.214.77.207
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PiaCarrot 11:22 2004年3月28日 (UTC)(署名入れ忘れ)

「機動戦士ガンダムΖΖの登場人物」作成の提案[編集]

「機動戦士ガンダムΖΖの登場人物」の作成を提案します。今のところイリア・パゾムエマリー・オンスオウギュスト・ギダンデザート・ロンメルニー・ギーレンラカン・ダカランあたりが統合対象になると思われます。ご意見をお願いいたします。--shikai shaw 2006年3月12日 (日) 16:59 (UTC)

(賛成)賛成します。--タケナカ 2006年3月13日 (月) 00:25 (UTC)
ゴットン・ゴーを追加し統合依頼に提出しました。--shikai shaw 2006年3月23日 (木) 06:03 (UTC)
遅くなってしまいましたが、機動戦士ガンダムΖΖの登場人物を作成しました。ご賛成ありがとうございました。--shikai shaw 2006年6月6日 (火) 16:11 (UTC)

記事名について[編集]

「ZZ」が全角ですが、半角の「ZZ」に移動した方がいいのでは?--ライトノベル文学 2007年1月3日 (水) 10:33 (UTC)

ラテン文字の「Z」(ゼット)ではなく、ギリシア文字の「Ζ」(ゼータ)ですよ。確か、2003年末から2004年初頭頃に既に整理されているはずです。--shikai shaw 2007年1月3日 (水) 16:22 (UTC)

位置付けについて[編集]

「位置付け」という項目がありますが、正直この項目自体が独自研究色が強いように思います。Wikipediaのガイドラインを細かく読んでいれば自明ですが、「○○が××と発言した」という事実は(検証可能性を満たしていれば)記載できても「○○が××と発言したことと別の~~を併せて考えると、即ち△△だと言える」というのは投稿者の主観が入りますからアウトです。

もし「△△だと言える」というのが何らかの書籍等に掲載されたというなら話は別ですが、であれば出典を示してください。そういうことでなければ、「○○が××と発言した」などの事実の列挙に留めるのがよいかと思います。詳しくはWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成を。--Yoh-yoh 2007年7月19日 (木) 23:50 (UTC)

位置付けの項目自体を独自研究の疑いから削除すれば済む話かもしれませんが、 > ある意味「Gアーマー」のような位置づけであるといえよう。 の部分が百科事典としてはふさわしくありません。「Gアーマー」のリンクのリダイレクト先の「Gファイター」を読んでも、「Gアーマー」のような位置づけ、がどんな位置付けなのかがわかりません。--Ftp 2008年2月24日 (日) 02:51 (UTC)

Ftpさんのご意見を受けて、「位置付け」の項目を削除し、作品解説の中に主観をまじえない形で移動しました。ふくたろう 2008年2月26日 (火) 09:00 (UTC)

恣意的な文脈の入れ替え[編集]

>後に富野は「ΖΖは遠藤(明吾)くんの作品」「たまには
>僕がコンテくらい切れば良かったんだけどね」と語ってい
>る[5]が、本作のスタッフロールの「ストーリーボード(=絵コンテ)」
>には富野の変名「斧谷稔」が多くクレジットされている。

この記事なのですが。建前であるオンエアされたスタッフロールに対して、番組終了後のインタビューで富野監督が実態を告白しているのに、その時系列を逆転させて記述しています。以前の記述はそうなっていなかったので、明らかに富野監督のZZという作品への冷淡さを認めたくない記述者による印象操作だと思います。 --59.146.34.89 2008年10月31日 (金) 15:07 (UTC)

村上氏のコメントについて[編集]

村上克司氏のコメントは、作品の評価ではなく玩具販促上の評価なので、作品上の評価との差別化をわざわざ追記するのは明らかに蛇足なので削除しました。ただし、今後も作品上の評価と玩具販促上の評価が混同される事態を防ぐために、項目を別にしました。個人的には本来作品の優劣判断などは事典に記述するべきではないと考えますが、本作への辛らつな評価も村上氏の分析もともに出典が示されていますので、単に事実のみの表記にとどめておくべきでしょう。それに対して「このコメントは○○を意味しない」などという類いの注釈をつけることは事典の範疇を明らかに逸脱しています。議論の余地はないと思われます。--ふくたろう 2008年12月5日 (金) 05:05 (UTC)


個人的には玩具販促に失敗しても名作という評価もありだと思いますが、売るために頑張って作って、売れなかったら失敗作と感じるクリエイターもいるのです。特にサンライズだと視聴率を取ることよりも、スポンサーの玩具が売れるかどうかで作品の成否を決めているそうです(ガンダム者より)。だから作品上の評価と玩具販促上の評価を分離するかどうかは議論の余地のあることだと思います。--Godsigma 2008年12月5日 (金) 14:18 (UTC)


Godsigmaさんのおっしゃることは、作品の評価などというものは立場によって変わる、ということにほかなりません。「○○なクリエイターもいる」という言い方は、同時に「○○でないクリエイターもいる」ということを意味します。さらには「クリエイターでない人」の存在も忘れてはなりません(視聴者やウィキペディア読者の多くはサンライズやスポンサーの関係者ではありませんから)。だからこそ、「単に事実のみを記す」ことが重要なのです。それと、「議論の余地はない」というのは作品の評価の話ではなく、私が削除した主観的な記述の件についてです。わざわざコメントアウトした文章で「削除するな。ノートで議論を」などと断っておられたので。--ふくたろう 2008年12月7日 (日) 14:30 (UTC)


主観的な記述に関しては自分も削除してもいいと思います。議論の余地があるのは玩具販促上の評価と作品上の評価の方ですよ。おっしゃるとおり立場によって評価が変わる場合もあるでしょうが、視聴者やwikipediaの読者でも玩具販促と作品の評価を一体として見る向きはあると思います。wikipediaの他のアニメ・特撮の記事では一体としている場合も見受けられます。(例えば恐竜戦隊ジュウレンジャー#評価)。それに本項の「ガンダムは終わった」というのは商業的不振が原因とはいえ作品への評価です。機動戦士ガンダム大全集によると本作もバンダイが制作に関与しており、バンダイはスポンサーであり作り手でもあるのです。作り手からの評価は「作品解説」に入れるべきではないでしょうか。--Godsigma 2008年12月7日 (日) 21:52 (UTC)


>視聴者やwikipediaの読者でも玩具販促と作品の評価を一体として見る向きはあると思います。

ちょっとこれには首を傾げてしまいます。娯楽作品である以上、多くの視聴者にとってアニメとして見て面白いかそうでないかが評価の基準では?極端な話、作品のクオリティが低いと感じたのに「玩具が売れている」という情報を得たからといって「やっぱり名作だったんだ」と考えを変える人はいるでしょうか。 いずれにせよ「面白い面白くない」とか「名作駄作」などというのは何度も言うようですが人や立場によっていくらでも変わるものですから事典に載せるべきものではありません。単に「作品としては(作劇上・演出上)批判が多い」「玩具販促上は評価されている」という二点の事実のみを併記しておけば事足りる話だと思います。ただし、この二点の事実は異なる立場からの評価ですから、混同されないようにしておくべきだということです。 …といいつつも、おそらくこの議論は平行線でしょう。他の皆さんのご意見を伺いたいところですね。--ふくたろう 2008年12月8日 (月) 07:55 (UTC)


>娯楽作品である以上、多くの視聴者にとってアニメとして見て面白いかそうでないかが評価の基準では?

それはそうかもしれませんが、面白ければ玩具を買うでしょう。ガンダム神話によるとファーストガンダムの本放映時の玩具不振は、小学生以下の男子に評価されなかったからだそうです。本放映時のガンダムのように人気があるのに玩具が売れないという現象は、玩具をあまり買わない層(中学生以上の男子など)にファンが多い場合に起きることで、玩具購買層である小学生以下の男子なら人気があれば大抵は売れるものです。 自分の見たところファンに玩具購買層が多い傾向にある特撮・スーパーロボットアニメの記事では、玩具販促と作品評価を一体化しても異論はでないみたいです。しかしリアルロボットアニメに関しては、どうも異論が出やすいようです。おそらくガンダムのようにファンが玩具購買層でない場合が多いからでしょう。しかしだからといってそういったアニメファンによった記述でいいのかは議論の余地があるでしょう。 ガンダムのように玩具メーカーが投資しているロボットアニメは、玩具販促を目的として作られます。本記事にあるように玩具販促効果がないと判断されたためにガンダムシリーズのテレビはしばらくの間なくなってしまったのです。ガンダムのようなロボットアニメは玩具販促効果が備わっていなければ存在できません。その存在意義である玩具販促を、まるで傍流であるかのように扱うべきではないと思います。玩具メーカーの関与が薄い作品なら、おっしゃるとおり玩具販促と作品評価を分離してもいいと思います。--Godsigma 2008年12月10日 (水) 01:29 (UTC)


…??? 私は「異なる立場からの異なる評価を混同しないように併記すべき」と言っているだけですよ。理由は作品の評価などというものは人や立場によって変わるからです。(だから本来なら作品評価などは事典に載せるべきではないのです)傍流などとは言っていませんが?--ふくたろう 2008年12月10日 (水) 03:57 (UTC)


ちょっと言葉足らずだったような気がします。どうもwikipediaだと短く纏めるのを要求されていたんで、ここでもそれをやりすぎた気がしますね。傍流と表現したのは玩具販促絡みの記事をふくたろうさんが「作品解説」の所から「商品展開」の所に分離したことをいっているんですよ。「作品解説」という「本流」から離されたから「傍流」としたわけです。自分に言わせるとそれは「併記」(並べて記すこと)ではなく「付記」(付け加えて記すこと)なんですよ。「併記」とするならファンの評価とかも「ファンの評価」という感じにして「作品解説」から分離するか、玩具販促絡みを「作品解説」に戻すべきではないでしょうか。 自分としては上で言ったように作品の存在意義である玩具販促絡みは「作品解説」に含めるべきだと思います。大体、「バンダイから」とか一々書いてあるんだし混同しないと思いますよ。なにより「ガンダムは終わった」の所がないと後番組がガンダムではなくドラグナーになった理由を「作品解説」に書けない。これを「商品展開」とするのはかなり異論があります。せめて「商業的事情」とかにするべきでしょう。作り手ではないプラモ業界からの評価は分離してもいいかもしれません。--Godsigma 2008年12月11日 (木) 12:48 (UTC)


まず「本流」「傍流」「付記」という価値観がまったく理解できません。Godsigmaさんの思い込みではないでしょうか。「ファンの評価」についても私は何も言及していませんしそもそもそのような記述がありません。作品上の評価(出典にあるもの)は作品解説、玩具販促上の評価は商品展開(別に商業的事情でもかまいませんが)、何もおかしいところはないと思います。後番組がドラグナーになった理由は「作品解説」ではなく「商業的事情」でしょう。「作品解説」とはあくまで作品そのものについて、「どのような内容の作品だったか」を知らない人のために解説する項ではないでしょうか。たんに項ごとの内容の違いだけであり、本流だの傍流だのというのはまったく関係ないと思います。--ふくたろう 2008年12月11日 (木) 16:19 (UTC)


「商業的事情」の意見を受け入れてくれてありがとうございます。でもそれでも自分はそもそも分離するのに反対ですよ。

>作品上の評価(出典にあるもの)は作品解説、玩具販促上の評価は商品展開

どうもここで自分とふくたろうさんとの見解が別れている気がしますね。トイジャーナル1993年2月号によるとバンダイはキャラクター商品において「キャラクター力」なるものを重視しているそうです。キャラクター力ってのはそのキャラクターの人気です。厳密には他にも色々ファクターがあるんですが、基本的には「キャラクター人気=キャラクター商品の売上」と考えているわけです。バンダイはふくたろうさんの言うように玩具販促と作品評価を完全に切り離して考えていないのです。くどいようですが「ガンダムは終わった」というのは作品への評価ですよ。プラモ業界からの評価の所も売れたどうこうの所を抜き出してますが、出典元ではガンダムの人気があるから売れたように書いてあるんですよ。 実はふくたろうさんの言う玩具販促上の評価というのが何を指しているのか、よく解らないのです。上に書いたように売り手の人達には作品評価と売上をはっきりと区別している人が少ないのです。おそらくふくたろうさんの主張する「混同」というのはこの作品評価と売上の統合をさしているのでしょう。この間からここを巡って議論をしているわけですな。 それと「作品解説」がどこまでを含むのかでも見解が別れているようですね。自分の定義としては「作品解説」は「どのような作品か」ですね。この定義だからこそ商業絡みを分離することは、作品を語る上で商業絡みが必要がない物であるとされたように思えたのです。(この気持ちを「傍流」としたわけですね。たしかに思い込みのような気もしてきました)。 ふくたろうさんは「作品解説」を「どのような内容の作品だったか」としていますが、この場合の「内容」とはどういうものなのでしょう。作品のストーリーでしょうか?、映像から受ける印象でしょうか?。視聴者に玩具の購買意欲をそそらせる内容だったと解説するわけにはいかないのでしょうか。--Godsigma 2008年12月12日 (金) 22:10 (UTC)


バンダイが何をどう考えていようが、それはバンダイの立場からの(商品が売れた売れないの)評価であって、さまざまな立場からの評価のたった一つにすぎません(バンダイが商品が売れた作品を「よい作品」とするのは当たり前です営利企業なのですから)。それと視聴者の立場から作劇・演出上評価できる作品であったかどうかは当然また別の評価です。ただし、私は商業的評価を「必要がない」などと一言も言っていません(必要がなければ削除します)。作劇・演出上の評価と玩具の売上による評価はそもそも基準が違うのですから「この立場からはこう、この立場からはこう」と分けて書かないと、そもそもの発端となった感情的な主観的記述のような誤解を招くことになります。どっちが必要とか不必要とか本流とか傍流とかではなく、単に項目の内容の違いだと前にも書きました。作品の内容は作品の内容であってそれ以上でもそれ以下でもありません。「玩具の購買意欲をそそった内容」というのは具体的に作品のどういう点が玩具の購買意欲に結びついたかを明確に示す信頼できる出典がない限りは独自研究にあたります。「ガンダムは終わった」は単に「ガンダム関連の商品が売れなくなった」という結果を端的に表した多分に主観的なコメントに過ぎず、「ZZという作品のどこがどう悪くて購買欲に結びつかなかったか」というように作品の内容を語る言葉ではありません。--ふくたろう 2008年12月13日 (土) 15:40 (UTC)


なぜそこまで立場別に、それもバンダイ絡みだけ分離せねばならないのか結局よく解りません。立場別に評価を分けたら、評価の一つ一つを分けなければならないでしょう。本記事の場合、ホビージャパン、アニメ批評、アニメージュ、ガンダム神話、トイジャーナル、バンダイと分けることになりますよ。それぞれ模型誌、最近のアニメ誌、本放映時のアニメ誌、キャラクター研究本、玩具業界紙、玩具メーカーと立場が違いますよ。アニメ誌や模型誌の評価は客観的でバンダイや玩具業界紙は主観的なのでしょうか?。 それとバンダイ以外でも作品人気=売上とする見解はそれなりにあって、ガンダム神話や日本のおもちゃ遊びなどキャラクター玩具について述べた本なら、たいてい作品人気=売上のように書いてあります。 自分に言わせると売上で人気を測るのは、視聴率測定器や人気投票でするのと大差は有りません。ただテレビがついていれば、誰も見ていなくても「視聴」あつかいになる測定器や、宮崎駿が不自然に高評価なアニメグランプリより客観的かもしれません。 もちろん玩具売上にも問題はあります。上で書いたように玩具ユーザーでないファン、特に女性ファンの評価を測るのには不適切です。 とりあえず本記事ではどれが主観的なのか客観的なのかを議論せず、「評価」という所にでも統合すべきではないでしょうか。スーパーロボットアニメ、特撮、少女向けアニメなどではそうしているのが多いですよ。

>作品の内容は作品の内容であってそれ以上でもそれ以下でもありません。

それじゃあ、よく解らないままですよ。具体的にお願いします。内容というのが作品のキャラやストーリーや場面などを指すのなら、他にも逸脱した記述があると思いますし、ガンダムというキャラクターについての商業的評価は内容に入れるべきのように思えます。とりあえずおっしゃる通り内容を解説するのなら「作品解説」ではなく「内容解説」にすべきでしょう。--Godsigma 2008年12月14日 (日) 20:09 (UTC)


Godsigmaさんは、まず私が言ってもいないことを思い込みで語るのをおやめ下さい。私は「作劇・演出上の評価」と「玩具売り上げ上の評価」の二点についてしか語っていません。立場別に全部分けろなどと一言も言っていません。玩具が売れなくても面白い作品はあるし(ファーストガンダム?)玩具が多少売れても内容的に評価できない作品だってあるでしょう(あくまでも例えばですが、私個人の話をすると、本作について内容はひどい出来だと思いますが登場するMSは好きでプラモも買っています)。評価の基準が違うのです。同じ基準で違う評価なら同じ項目に併記すべきでしょうが、そもそも評価の内容というか次元が違うのですから混同しないように項を分けただけです何度も言うようですが。あとアニメ誌は客観的でバンダイは主観的などとも言っていませんし(多分に主観的といったのは「ガンダムは終わった」というコメントのことだけです)…言っていないことで反駁されても困惑するばかりです。それと「作劇・演出上の評価」と「人気」は100%同じではないと思います。「人気」と「売り上げ」はそりゃ比例するかもしれませんがね。いずれにせよ「評価」などという項目をたてるぐらいなら前からいっているとおり「評価」などというものを事典に載せるべきでは本来ないのですから削除すべきです。それと「逸脱した記述」というのはGodsigmaさんから見て具体的にどれでしょうか。私は現在の作品解説の記述は全て作品に描かれた内容に関するものだと思っていますので、ご教示いただければ幸いです。強いて言えばアニメグランプリの結果くらいですかねえ。--ふくたろう 2008年12月15日 (月) 03:08 (UTC)


とりあえず評価の基準別に分けるということでしょうか?。しかし上にも書きましたが玩具販促の評価と作品の評価を明確に区別しているような意見は少ないのです。現在、「商業的事情」に分類されている記述で売れた売れないのみを述べているのは「商業的には前作よりも不振」の所くらいですよ。他は区別がついていません。「ファミコンに人気を取られた」や「ガンダムは人気がある」なら作品解説の方に入れていいのでしょうか?。 それに「評価の基準」とは言っても、誰がいちいち何の基準で言ったのか、はっきりとは解らないのです。バンダイが言ったからといって玩具販促を語ったとも限らない。「ガンダムは終わった」であって「ガンダムは売れなくなった」ではないのです。 富野氏も商業的事情ぬきに語っているとも限らないでしょう。上に書いたようにサンライズという会社は玩具販促に重点を置いており、ガンダム者の安彦良和によると富野氏にもその視点があったように言われています。 もちろん本記事の富野氏のコメントが商業的事情によるものという根拠はありません。しかし富野氏が語れば自動的に「作劇・演出上の評価」になり、バンダイが語れば自動的に「玩具販促上の評価」になるというのには異論がありますね。

>「逸脱した記述」

富野氏のコメントとかは作中のキャラにもストーリーにも場面にも触れていないように見えます。年齢層のターゲットや辛辣な所についても同様でしょう。しかしこれはもう重箱の隅をつついているような気がします。 ふくたろうさんの定義する「作品解説」とは「作劇・演出上における一般視聴者からの観点での解説」とでもすべきもので、「商業的事情」以外のこともはみ出すことが多くなると思います。その受け皿はどうする気なのでしょうか?。「作品解説」という曖昧な言葉が今まで使われていたのは幅広い記述を受け入れるためだったのではないのでしょうか。 もし、ふくたろうさんが自説の定義にこだわるのなら自分のように混同する者を増やさないためにも「作品解説」という言葉を誤解のないように変えるべきだと思います。--Godsigma 2008年12月24日 (水) 10:01 (UTC)


「ファミコンにとられた」のは小学生の「購買層」であり、戦隊ロボに奪われたのは「シェア」なので、いずれも商品の売れ具合を示す記述です。人気についても、本作の内容に関することなら作品解説の範疇でしょう(アニメグランプリがそれですね)。ただし単に「人気がある」だけでは商品の人気なのか作品の人気なのかわからないのでそれだけを記述すべきではありません。バンダイが言おうが富野氏が言おうが、言っている内容が商品についてなら商業的事情でしょうし、作品についてなら作品解説でしょう。それだけの話です(また「自動的に」などと私が言ってもいないことを語っていますね)。「ガンダムは終わった」は商業的に不振に終わったという記述を受けたコメントであり、明らかに商業的事情を語ったコメントです。単にガンダムシリーズが終了したことを表すコメントなら、わざわざ商業的不振の文脈でバンダイの評として記述する意味がありません。だいぶ以前のように、作品解説のほうにテレビのガンダムシリーズが本作でいったん終了した事実のみを記述すればいい話です。現在記述されている富野氏のコメントは脚本家と絵コンテに関するもので、明らかに商品ではなく作品についてのものです。ターゲットの年齢層は、その年齢層にあわせた内容の作品を作るわけですから作品の話です。例えばファーストガンダムのように、作品は中高生むけに作っても商品は低年齢層向けに作るということがあります。同じターゲットでも作品と商品は別の話です。辛らつな評についても、現在は記述されていませんが出典にあったのは「誰にも感情移入できない物語」という評であり、明らかに作品の話です(玩具の出来が悪いとかプラモのプロポーションが悪いとかいう話ではありませんね)。以上のように、「作品」について「解説」している記述を「作品解説」とするのに何も問題を感じません。「作品解説」「商業的事情」、普通に文字の意味がわかれば混同することはないと思います。--ふくたろう 2008年12月25日 (木) 04:21 (UTC)


>いずれも商品の売れ具合を示す記述です
それは言葉尻の問題ですよ。出典元では戦隊に子供の人気を取られた結果、玩具のシェアを奪われたようにあります。ファミコンにしてもガンプラユーザーがファミコンに流れた結果、ガンダムシリーズのファンが減ったように書いてあります。前者は子供人気=玩具売上で、後者はガンプラユーザー=ガンダムファンとする見解なわけです。ですから戦隊に子供の人気を取られた、ファミコンにファンが流れたとしてもいいわけです。どうも、ふくたろうさんは商品の売れ具合を作品と切り離しているようですが、ファンが買っているのだから、売上の増減=作品ファンの増減とする見解もあるわけです。

>単に「人気がある」だけでは商品の人気なのか作品の人気なのかわからない
おっしゃるとおり両者の区別は難しいですね。前述のように基本的には作品人気が商品人気になることはたしかですが、商品人気が作品人気に影響する場合もあるのです。マーチャンダイジングライツレポートによると商品が出回る時期になると視聴率が上がる傾向にあり、視聴率=人気と考えるテレビ局でも商品化は重視されるようです。また商品の出来が悪いと作品の人気も落ちるのでテレビ局などの版権元も商品化するさい、メーカーに粗製濫造させないよう目を光らせているそうです。またバンダイキャラクタープラモ年代記によればガンプラを作っているとガンダムへの思い入れが深まるようにあります。逆に言えば超合金のような完成品のみの商品展開ではガンダムへの思い入れが浅くて、ガンダムの人気は短命の物になったかもしれません。このように作品人気のどこまでが作品によるものなのか、商品によるものなのかは結構、曖昧なのです。商品人気に関しても同様です。作品と商品が発生させる影響は重なり合って、はっきりと区別することはできません。だから両者を統合して「ガンダム」と考える人もいるわけです。ふくたろうさんの主張する両者をばっさりと分離する見解自体が議論の余地があるわけです。だから分離できないなら記述してはいけないというのにも異論のあるところです。自分としては特に断りがなければ作品のこととしています。ふくたろうさんの主張どおり、商品について言及している時のみ「商業的事情」にすればいいでしょう。それに本記事に限らず、「ガンダム」という言葉が作品を指しているのか商品を指しているのか、全て判定するのは難しいことでしょう。バンダイ以外が言ったからといって作品のことを指しているとは限らないのですから。

>「ガンダムは終わった」は商業的に不振に終わったという記述を受けたコメント
ここがどうも誤解のある所だと思います。出典元ではZZが売れなくなった後で、そう言われたというだけで、発言したバンダイの人が何をもってそう言ったのかまでは書いてないのです。文脈からすれば多分そうなのかもしれませんが、それは独自研究というものでしょう。本記事でも「この結果を受けて」とか書いていません。ひょっとしたら視聴率なりアンケートなりを考慮した総合的な判断かもしれない。だからバンダイの発言をふくたろうさんが「自動的」に玩具販促の発言にしたと言ってるわけです。…どうも自分の書き方が悪かったような気がしてきました。今度、誤解のないような記述にしようと思います。

>ターゲットの年齢層は、その年齢層にあわせた内容の作品を作るわけですから
それは拡大解釈じゃないんでしょうか?。ターゲット層が決まっているからといって、どのような内容になるかは解らないと思います。ファーストガンダムもスポンサーは小学生向けのつもりだったのに内容は中高生向けにされています。

>富野氏のコメントは脚本家と絵コンテに関するもので、明らかに商品ではなく作品についてのものです
「内容」というのは作品のキャラやストーリーや場面のことを言うのではないのですか?。富野氏のコメントは舞台裏についてであり、どれにも触れていないように見えます。

>「誰にも感情移入できない物語」
元々は作品の内容についての記述だったのですね。しかしやはり「辛辣に評されることが多い作品」のみでは内容を解説したことにはならないでしょう。「ZZという作品のどこがどう辛辣に評されたのか」という感じにすべきだと思います。まぁ、やっぱり重箱の隅をつついている気がします。自分は単に「作品解説」の定義をもうちょっとは広げた方がいいのではないかと言いたいだけなのです。

>本作の内容に関することなら作品解説の範疇でしょう(アニメグランプリがそれですね)
ファンが作品を好きになってアニメ誌に投票するのと、ファンが作品を好きになって商品を買うのとはどう違うのでしょう?。アニメグランプリが内容に関することなら、商品の売上も内容に関することでしょう。

>「作品」について「解説」している記述を「作品解説」とするのに何も問題を感じません。
これでは結局、なぜ「ZZは関連商品が売れなかった作品である」を「作品解説」に入れてはいけないのか解らずじまいですよ。現在、「商業的事情」に分類されている記述は商品についてではなく、マーチャンダイジング上の視点から作品を解説したものだと考えています。それでも「内容」からは外れている所が多いから分離したのではなかったのでしょうか?どうもふくたろうさんも「作品解説」の定義が明確に定まっていないような印象ですな。前は「内容」を解説することだとしておきながら、今度は「作品」を解説することだと言っている。しかも「内容」と「作品」の定義も曖昧のまま。これでは混乱が生じるというものでしょう。--Godsigma 2009年1月2日 (金) 08:34 (UTC)


ですから戦隊やファミコンにシェアを奪われた原因は「作品のこれこれこういう点が悪かったから」という記述なら作品解説でいいのです。前にそう申し上げたではありませんか。単に「シェアを奪われた」だけではやはり商業的事情の範疇を超えません。ファミコンの大ブームはファーストガンダム時代にはなかったことで、作品の出来不出来にかかわらず商品の売れ行きに大きな影響を及ぼしたでしょう。だから作品の評価と売上は別の基準だと言っているのです。例えば商品の不振の原因が、本作のコメディ路線が嫌われたからだとかストーリーが稚拙だからだとかいう作品の内容に関する出典があるのなら明記したうえで作品解説に入れればよろしいでしょう(でも確か不振は当時のロボアニメに共通した問題で、本作のみの問題ではないのですよね?)。人気が作品のものなのか商品のものなのかは明確に分離できない。誠にそのとおりです。ですから「人気」などというあいまいな基準は採用すべきではないのです。前述のように、作品が素晴らしい出来でもファミコンに人気は奪われたでしょうし、逆にファミコンがなければ駄作でもガンダムの看板で売上は伸びたかもしれません。「作劇・演出上の評価」は「人気」と100%イコールではないと前にも言いましたね。やさしく言い換えると「作品の出来不出来」イコール(100%)「人気」ではないということです。バンダイの人が何をもって「ガンダムは終わった」と言ったのかわからない?そんな曖昧なコメントを事典に載せていいのでしょうか。商業的不振を受けたコメントでないのだとしたら現在の記述は明らかに不適切です。前に書いたとおり、ガンダムシリーズが本作でいったん終了した事実のみを記述することにしましょう。スタッフがターゲット層に合わせて作品を作ろうとするのは当然ですから、最終的に作品がどのような作品になろうが作品の話であることに変わりはありません(ところでファーストガンダムはサンライズ側はヤマトにならって中学生をターゲットに作ろうとしたのではなかったのですか?)。もし狙ったターゲット層と異なる作品になったとしても、それは(『異なる作品になった』という分析の明確な出典があれば)作品の話には違いありませんから作品解説で問題ないと思います。作品の内容をキャラとストーリーと場面に限定しているのはGodsigmaさんだけで私はそんなこと一言も言っていません。言うまでもなく脚本と絵コンテは作品を作るための重要な製作過程であり、富野氏のコメントからは本作の内容作りに遠藤明吾氏の関与が大きく、逆に富野氏自身の関与が薄かったことがわかります。その結果としてああいう作品になったということですから明らかに作品の話です。アニメグランプリの結果が純粋に作品の評価につながるかどうかはおっしゃる通りですね(以前、逸脱する記述がもしあるとしたらアニメグランプリでしょうかと書いたとおり)、作品解説には不適切な内容です。「ZZは関連商品が売れなかった作品である」だけでは作品解説になりません。前述のとおり、そこには作品の出来不出来とは直接関係ない事象の影響があるからです。「本作は○○な作品であった結果、関連商品の不振につながった」なら作品解説になっていると思います。作品を解説する項の中に、内容を解説する記述が含まれるのは当然のことです。内容とは「作品の内容」なのですから。--ふくたろう 2009年1月2日 (金) 10:37 (UTC)


>例えば商品の不振の原因が、本作のコメディ路線が嫌われたからだとかストーリーが稚拙だからだとかいう作品の内容
>「本作は○○な作品であった結果、関連商品の不振につながった」なら作品解説になっていると思います。作品を解説する項の中に、内容を解説する記述が含まれるのは当然のことです。
すいませんが、これだとやっぱり「内容解説」なのか「作品解説」なのかよく解らないのですが。とりあえず「本作がファミコンより人気が得られないような作品であった結果、関連商品の不振につながった」というような感じならいいということですね。

>ファミコンの大ブームはファーストガンダム時代にはなかったことで、作品の出来不出来にかかわらず商品の売れ行きに大きな影響を及ぼしたでしょう。だから作品の評価と売上は別の基準だと言っているのです。
どういう外的要因があったにせよ売上という数字が出せない以上は、失敗作だったという見解もあるのですよ。どんな困難な状況でも与えられた任務を達成するのがプロではないでしょうか?。前述のようにバンダイやサンライズといった作り手側は、このようなプロ意識を持って作品を作っています。大体、作品が外的要因に振り回されたことも含めて解説してもいいでしょう。内的要因のみしか「作品解説」には書いてはいけないのですか。

>でも確か不振は当時のロボアニメに共通した問題で、本作のみの問題ではないのですよね?。
それはそうですが、ZZの内的要因が影響していたふしもあるようなんですよ。あくまで外的要因が強かったというだけです。

>ですから「人気」などというあいまいな基準は採用すべきではないのです。
いやいや、ここで問題なのは「人気」に限らず、作品と商品の発生させた影響全般のことです。本作にコメントしている人達が一度もガンダムの関連商品を見たことがなければ、商品の影響がないと言えるかもしれませんが、それを証明できるでしょうか?。そうでなければ純粋に作品が原因で作品を評価したとは言えないでしょう。

最近の話ですがガンダムの商品化権は音楽と出版を除くと、ほとんどバンダイグループが独占しています。バンダイの上野和典によるとこうした独占によりガンダムの世界観を完全にコントロールできるとしています。くどいようですが作品と商品を統合して「ガンダムワールド」とする考えもあるのです。

それとここまで述べたように「人気」とは言っても実際にそれを評価するには売上、視聴率、アンケートなどの数字が元であり、実ははっきりとした基準です。バンダイなどの企業がアニメ誌のライターの評価に左右されると思いますか?。これらの数字が出た原因が作品によるものなのか商品によるものなのかが曖昧なだけです。これらのはっきりとした基準をそのまま作品の評価とすべきかどうかが議論の余地があるわけですが。

>そんな曖昧なコメントを事典に載せていいのでしょうか。
そんなこと言ったら富野氏のコメントとかも何をもっていったのか解りません。自分はZZがそう言われたという事実のみを書いただけです。

>スタッフがターゲット層に合わせて作品を作ろうとするのは当然ですから
むしろその「当然」に出典元がほしいところです。自分に言わせれば商業アニメーションの評価に売上を加えるのも「当然」です。ふくたろうさんが「当然」とすることが出典がいらず、「当然じゃない」ことが出典がいるというのは不自然に思えますな。「当然」を決めるのは一体、誰なのでしょう。

>私はそんなこと一言も言っていません。
ふくたろうさんが「内容」を定義しなかったから、自分が言ったんでしょう。特に反対されなかったから、それを前提に書いたまでです。異論があるなら、そろそろ「内容」を定義してくださいよ。不透明な基準をもって、ふくたろうさんが一々、これは「内容」だ、これは「内容」じゃないとするようでは困ります。重箱の隅のつっつきあいが問題なのではなく、方針が決まっていないことが問題なのだと思います。

>ところでファーストガンダムはサンライズ側はヤマトにならって中学生をターゲットに作ろうとしたのではなかったのですか?
サンライズ側はその通りですがクローバー側はそう考えていなかったのです。どうもサンライズとしては中高生向けを作りたいが、それではスポンサーがつかないので小学生向けと説明していたようです。つまり本記事のターゲットの記述も対外的にそう述べているだけか、製作側の上層部がそう考えているだけの可能性もあるというわけです。

>作品を作るための重要な製作過程
ほほうすると、商品が売れないと作品が打ち切られてしまうから、製作上、重要なことである商品の売行きも作品解説に書かねばいけませんな。まあつまり、どこまでが「重要な製作過程」であるかも見解が別れているということです。

>「作品の出来不出来」イコール(100%)「人気」ではないということです。
では作品の出来不出来を何で判断するのでするのでしょう。一人のアニメ誌のライターと一人の模型誌のライターが一言づつ、悪口を書けば作品の出来不出来を的確に述べたことになるのでしょうか?。大体、「作品の出来不出来」も曖昧な言葉ですよ。「作品の評価」同様、評価の基準によって大きく変化するからです。

どうも、曖昧な言葉を説明しようとして、さらに曖昧な言葉を使うというループ状態になっている印象です。思った以上に私たちの間では作品に対する認識が違うようです。もうちょっと解釈の別れない言葉はないものですかね。

>富野氏のコメントからは本作の内容作りに遠藤明吾氏の関与が大きく、逆に富野氏自身の関与が薄かったことがわかります。
それは富野氏がそう主張しているだけでしょう。GREAT MECHANICS 6によれば大いに関与していたように書いてあります。内容のことを言ってるんじゃなく、単なる責任逃れの可能性もあるってことです。

>「ZZは関連商品が売れなかった作品である」だけでは作品解説になりません。前述のとおり、そこには作品の出来不出来とは直接関係ない事象の影響があるからです。
ここのところがよく解らないのですが。作品の出来不出来に関係ないことが絡んでいたとしても作品のことを解説しているじゃないですか。前述のように外的要因による影響も含めて作品を解説するべきでしょう。

それに富野氏やアニメ誌だって「作品の出来不出来とは直接関係ない事象」が絡んでいないとは言い切れないでしょう。富野氏が責任逃れのような発言をするのもZZが売れなかったからの可能性もあります。アニメ誌は広告主に不都合なことが書けません。外的要因に左右されずに作品の出来不出来を純粋に評価できる人間がどこにいるのでしょう。またそれをどうやって証明するのでしょう?。--Godsigma 2009年1月4日 (日) 10:14 (UTC)

「ファミコンより人気が得られないような作品であった」というのは何度も言うように「作品がこれこれこういう内容であったため、ファミコンに人気を奪われた」(出典あり)なら作品解説になっていると思います。前に言ったように、外的要因は作品の出来不出来と直接関係ない事象ですから(作品が名作でも外的要因の影響は受ける)、作品の出来不出来と混同しないように項をわけただけです。項をわけたからといって情報の価値に差が出るわけではなく(本流だの傍流だのという価値観が理解できないと言ったのはそういうことです)、読者にわかりやすく伝えるためにはベターであると思っています。本作の内的要因が商品の不振に影響しているふしがあるというのは明確な出典があるのならどうぞ作品解説のほうに加筆してください。売上・視聴率・アンケートなどの数字がそのまま作品の評価になるかどうか議論の余地がある。まことにそのとおりですね(ファーストガンダムの当初の売上や視聴率を考えたら…ねえ。ですからファーストが現在名作として評価されているその評価と、それらの数字とは分けて考えないと)。富野氏のコメントが何をもって言ったのか?普通に読めば当時の人的配置をもって言ったとしか思えませんが…その言葉を疑う資料があるのならぜひ加筆していただきたいと思います(私も責任逃れだと個人的には思っていますが、出典がないのでそう書けないのです)。商品の売り上げが作品の内容に及ぼした具体的な影響(例えば打ち切りとか、物語の方針変更とか)ならどうぞ作品解説の方に加筆してください。ライターの評価が必ずしも的確な評価ではない。そのとおりで、だからこそ具体的な悪口の引用を避け、辛辣に評価されることが多いことのみを記述し、ライターの評価は出典として扱うように編集しています。前にも言いましたが本来作品の個人的な評価などというものを事典に載せる必要はないと思っていますので、他の方から異論がなければ実は削除したいくらいなのですが。外的要因による影響も含めて作品を解説するべき…異論はありませんが、では本作の商品の不振は本作にどういう影響を与えたのでしょうか。現在の記述は本作への具体的な影響ではなく、当時のロボットアニメをとりまく商業的状況についての解説になっているので(決して貶める意味はなく)項を分けた、それだけのことなのですが。言葉の示す意味合いに差が出るからこそ議論に意味があるのですが、「内容」などという基本的な単語についてまで意味合いを議論するとは思わなかったのでいささか当惑しています。普通に「内容」といったときに通じる範囲にそんなに差があるとは思えないのですが…それこそ重箱の隅というものでは。--ふくたろう 2009年1月4日 (日) 11:32 (UTC)


>「ファミコンより人気が得られないような作品であった」というのは何度も言うように「作品がこれこれこういう内容であったため、ファミコンに人気を奪われた」(出典あり)なら作品解説になっていると思います。
うーん、自分としては「人気の得られない内容だった」ということで内容を説明しているように思えますがね。その「これこれ」とか「どこがどう」ってのは一体なんなんでしょう。具体的にZZのどこのシーンがファミコンより人気を得ていない原因なのかまでは、さすがに解りませんな。解っているのはZZが対象とした子供達がファミコンをやっていたのでZZのファンになってくれなかったということだけです。じゃあ「ZZの対象年齢がファミコンの対象年齢と重なって競合したので人気が得られなかった」ってのはどうでしょう。自分は違うように言っちゃいましたが、ふくたろうさんの話では対象年齢どうこうはたしか「内容」の話でしたね。

まあ仮定の話ですがZZがZに引き続き、ハイターゲットを狙っていたら、商業的に失敗しなかったかもしれませんな。当時のファミコンは中学生以上には人気がなかったからです。いずれにせよ、そこまで出典にこだわるなら、なんで他の「作品解説」には出典がついてないのが多いんでしょう。自分に言わせるとロリコンブームを取り入れたどうこうとかもあやふやに思えるのですが。

>外的要因は作品の出来不出来と直接関係ない事象ですから(作品が名作でも外的要因の影響は受ける)、 作品の出来不出来と混同しないように項をわけただけです。
だから「作品の出来不出来」自体が曖昧なのに多用しないでくださいよ。自分の目には「個人的な作品の評価」と「ふくたろうさんが主張する作品の出来不出来」は区別がつきません。

>本作の内的要因が商品の不振に影響しているふしがあるというのは明確な出典があるのならどうぞ作品解説のほうに加筆してください。
自分の考えとしては外的要因と内的要因の両方が作用して結果(売上)が出ると考えているので、両者をバラバラに書くのは反対なのですよ。

>ファーストガンダムの当初の売上や視聴率を考えたら…ねえ。
いやいや、夕方五時台の視聴者は子供が主なので、ファーストのような難しい話は受けなくて当然なのですよ 。子供向けになった後番組のトライダーG7は視聴率も玩具売上も上昇しました。どちらの数字も当時の子供の評価としては、むしろ妥当なのです。またファーストガンダムでもアニメファン向けの商品は売れていたので、アニメファンの評価を測る上でも売上でいいと思います。

>ですからファーストが現在名作として評価されているその評価と、それらの数字とは分けて考えないと
その現在の評価ってものが、何でできているのか考えて下さいよ。大人のガンダムによると近年では「VSシリーズ」「スパロボ」「SDガンダム」などのゲーム、またはDVDなどでガンダムのファンになる人が増えているそうです。逆に言うとゲーム化、DVD化されない作品は人気を拡大するチャンスが少ないのです。では商品化されない作品が不出来なのかというと多分、ふくたろうさんはそう考えないでしょう。くどいようですが作品人気が作品によるものなのか、商品によるものなのかは曖昧なのです。近年、ガンダムの関連商品は増加しており、作品による影響は下がっているものと思われます。むしろ商品の少なかった本放映時の数字の方がガンダムの「作品の出来不出来」を的確に表していると思います。後世の人間の評価の方こそ分けて考えるべきでしょう。

>私も責任逃れだと個人的には思っていますが
ほほう、ようやく一致する見解が…。出典がないとは困りましたな。

>普通に「内容」といったときに通じる範囲にそんなに差があるとは思えないのですが…
そう思わずはっきりと説明して下さいよ。この間から謎解きをしているような気分ですよ。 ふくたろうさんがしっかりと決めてくれれば重箱の隅をつっつく必要はなくなると思います。 ふくたろうさんが決めないのなら自分的な「作品解説」の定義で書こうかと思います。

>いささか当惑しています
正直な所、自分も当惑しています。ZZのような人気のない作品だと多少、大胆な編集をしても見逃されるように考えていましたな。ここまでZZの記事の編集にこだわりがある方がいるとは思ってもみませんでした。--Godsigma 2009年1月7日 (水) 11:04 (UTC)

「一体なんなんでしょう」「解りませんな」では書けません。それだけのことです。Godsigmaさんの提示された書き方については、それと同じことを述べている出典があればそれでも結構ですが、現在の出典では商品の不振についてしか述べていませんのでやはり作品内容とは直接関係ない話と考えざるを得ません。Godsigmaさんの書かれたアニメグランプリや視聴率の順位ではそれなりに人気があったことになりますし、やはり「人気」というのはあいまいな、どうとでもとれる基準で事典にはふさわしくないと思います。すべての記述に出典が必要なのではなく、読者が検証可能な情報であることが求められているだけです。作品そのものを見れば検証可能である記述に関しては文献などの出典が示される必要はありません。外的要因であろうが内的要因であろうが、作品の内容に与えた影響なら作品解説(別に内容解説でも結構ですがね)、商品の売上に与えた影響なら商業的事情。それだけの話です。--ふくたろう 2009年1月8日 (木) 00:25 (UTC)


うーん、結局ふくたろうさんは「内容がなんなのか決めないけど内容について書きましょう」というポジションを維持したままという感じですかね。おそらくふくたろうさんは定義というかルールを決めたくないのでしょう。誰もが納得するルールを構築する自信がないのかもしれません。まあ自分もそれがなかったから、ふくたろうさんに決めてもらいたかったような気もします。それなのに定義を要求してばかりなのは良くなかったように思えてきました。じゃあもう深くは追及しないことにします。ここまでの議論で多少は「内容」が解ってきた様な気もしますし、大事なことは誤解のない記述にすることでしょう。

>Godsigmaさんの書かれたアニメグランプリや視聴率の順位ではそれなりに人気があったことになります
アニメージュに限ったことじゃあないのですが、当時のアニメ誌ってのは中高生向けなんですよ。そこで人気があるからといって子供に人気があるわけじゃあないのです。アニメ誌で大絶賛して、玩具不振ってのは当時よくあったことでは。視聴率に関して言えば一度、『Z』と『ZZ』の世代別視聴率を見たことがあるのですが、『ZZ』の方がTEN視聴率(13-19才男女)は高いもののKID視聴率(4-12才男女)が低いんですよ。子供に関して言えば人気があったとは言い難いようです。

>作品の内容に与えた影響なら作品解説
はて。たしか関係があればよかったんじゃなかったでしたっけ。内容が受けた影響だけではなく内容が与えた影響も入れてよかったのでは?。ZZが売上に与えた影響のみならず、売上からZZが受けた影響も多少解ってきたので分離したくないのですが。まあ深くは追及しないことにしましたし、商業的事情に統一した方が無難かなと考えています。

>内容解説でも結構ですがね
まあ「作品解説」なのに、なぜ「内容を解説する」なのかが一番引っかかっていたことなので、それを認めて下されば別にいいですがね。--Godsigma 2009年1月9日 (金) 12:58 (UTC)

売上から本作の内容が受けた影響について資料があるのなら、ぜひ内容解説の方に加筆してください。内容が売上に与えた影響も同様です。それらはすべて内容にかかわることですから。現在の商業的事情の項の記述は内容に直接関わっていないので誤解を避けるために項を分けた。ただそれだけだと何度も申し上げました。人気についてはさらに年代によっても差があることがわかり、ひとくくりに「人気」としてしまっては曖昧すぎて事典にふさわしくないという確信が深まりました。また玩具の売上と内容の評価が別の基準であることの証左であるとも思われます。○○だから人気がある、○○だから人気がない、という分析をせずに、事実のみを記述するのが一番無難だと思われます。最後に、言葉の意味やwikipediaでのルールなど、私個人で決められることではありません。言葉の意味は長い年月かけて築き上げられた共通認識のもとに成り立っていますし、公共の場ですからルールは多くの人で話し合いながら醸成されるものです。もちろん、人によって認識の多少の差はあるでしょう。だからこそ議論が有効なのです。--ふくたろう 2009年1月9日 (金) 14:18 (UTC)


>ぜひ内容解説の方に加筆してください。
しかしまたどこまでが「内容」かで揉めるかと思うと躊躇してしまいますよ。とりあえずは「商業的事情」にまとめるので、何か異論があるなら編集して下さい。

>ひとくくりに「人気」としてしまっては曖昧すぎて事典にふさわしくないという確信が深まりました。また玩具の売上と内容の評価が別の基準であることの証左であるとも思われます。
これはいささか話を蒸し返しているような。絶対的な内容の評価(「作品の評価」でも「作品の出来不出来」でもいいですが)なぞ存在せず、「人や立場によっていくらでも変わるもの」だったのではないのですか。ふくたろうさんのおっしゃっているのは「人や立場や時代によって」に変更すべきではないかという程度のことだと思います。

>言葉の意味やwikipediaでのルールなど、私個人で決められることではありません。
これはちょっと自分が大げさに言いすぎた気がします。ここで問題となっているのは、ふくたろうさんが主張するところの「内容」についてなので、ふくたろうさん自身が決められないと、むしろ困りますよ。「誰もが納得する」とは言っちゃいましたが、この問題は私たちの間だけで起きていることですし、こちらを納得させられるようなものであれば十分だったと思います。--Godsigma 2009年1月14日 (水) 07:32 (UTC)

ですから何度もいう様ですが、私は一般的に「内容」といったときに普通に通じる意味でしか使っていません。それがわからないとおっしゃるならそれはもうGodsigmaさん個人の問題ではないでしょうか。ファミコンや戦隊ロボのブームは(それが作品内容に与えた具体的な影響が記述されない限り)本作の内容の話ではありません。それは何も細かく定義しなくても自明のことではないでしょうか。確かに私は評価などというものは人や立場によっていくらでも変わるといいました。そして、最初から「評価などというものは事典にふさわしくない」と何度も書いています。人気も同様だというだけの話です。現在ある作品評価に関する記述も削除したいくらいですと前にも言いました(ただ現在の記述は出典が明確ですし、その出典をもとにした編集者の勝手な分析などでない限り実際に削除までは考えていません)。内容の定義がわからなくて書けないとおっしゃるならそれはそれでGodsigmaさんのご自由ですから私がとやかく言うことではありません。今後も読者に(本作について知りたいと思う人に)わかりやすい記述をこころがけるのみです。ありがとうございました。--ふくたろう 2009年1月15日 (木) 06:25 (UTC)


とりあえずインターネットの辞書で「内容」をひいてみました。すると「なかみ」「そのものを成り立たせている事柄」「価値」「実質」「意味」など色々な意味がありました。(ちなみに対義語は「形式」らしいです。「そとみ」ってことですかね)。言葉の意味は複数あり、誰でも同じに考えるものではないでしょう。個人的にしっくりくると思ったのはYahoo和英辞典の「著作物などで表現されたこと」ですね。英語のcontentにあたるそうです。なぜか国語辞典では見つけられませんでした。

>ファミコンや戦隊ロボのブーム
自分的にもこれらはZZの「内容」ではありません。しかし購買層がバッティングしていなければ、パイの取り合いにはなりません。ZZがファミコンと同じ客を取り合って負けたというと、やはり「内容」のことに思えます。やっぱり揉める気がしますな。

>今後も読者に(本作について知りたいと思う人に)わかりやすい記述をこころがけるのみです。ありがとうございました。
自分もそうするつもりです。この議論を通じて、自分が曖昧にしていたことや誤解のある記述をしていたことも解ってきました。こちらこそありがとうございました。 --Godsigma 2009年1月15日 (木) 11:21 (UTC)

「商業効果」の記載に関して[編集]

Banagher links gundamさんが「機動戦士ガンダムΖΖ」と「機動戦士Ζガンダム」において「単一商品でミリオン=100万個以上のプラモデル売上を達成している五つのガンダムの一つである。(2013年2月現在)」との記載をしています[1][2][3]。その件に対して削除すべきでは、という提案をいたします。なお、Banagher links gundamさんと私を含む3名が別件においても意見対立している為、先に削除編集した場合、差し戻し・取り消しの繰り返しによる編集合戦になる恐れがあると考え、現時点では削除をしていません。

出典として提示してある「模型情報1988年7月号」を確認しましたところ、「100万個以上の販売個数(生産数量)」の「ガンダム」は6機種・7商品(1/144ガンダム、1/100ガンダム、1/144プロトタイプガンダム、1/144ガンダムフルアーマータイプ、1/250パーフェクトガンダム【出典の記述のまま、1/144の間違い】、1/144ガンダムMk-II、1/144Ζガンダム)(+Gアーマー)となっていました。「1/144ΖΖガンダム」は「模型情報1988年7月号」では「96万個」とありましたので、編集で書かれていた数値は「B-CLUB1995年9月号」記載の数値と思われます(納屋の奥深くにありますが、すぐには確認できません)。ガンダムフルアーマータイプとパーフェクトガンダムについて書かれていないのは、Banagher links gundamさんの主張「本編のソースが当然優先され、本編のおかげで存在できている外伝のソース、非公式ソースを、最大限譲歩してサブ記述とする[4][5]」により意図的に記載しなかったのでは、という疑念があります。「非ガンダムのガンプラ」で「100万個以上の販売個数(生産数量)」物が31商品ありました。また、この出典を用いて「2013年2月現在」と記載することがおかしいと考えます。百歩譲っても「1995年9月(B-CLUBでの記述によっては2-3ヶ月前になるでしょう)」でしょう。なお「1/144ストライクガンダム」は2002年10月発売ですので、提示してある出典での記述はできません。

方針への無理解・理解不足、独自研究的な方針理解に基づいて記述されたと思われるBanagher links gundamさんの今回の編集は削除すべきかと考えます。だからといって、現在の表現を「『100万個以上の販売個数(生産数量)のあるガンプラ』が39商品あり(模型情報1988年7月号からの数値、B-CLUB1995年9月号ではふえているかも)、「その中の一つである」というような表現に変更して残す、または個々の機体の記事において「100万個以上のプラモデル売上を達成している」とすることを記載することにも反対いたします。--ステイシア・ボーダー会話2013年2月15日 (金) 11:15 (UTC)

コメント コメント依頼から参りました。ガンダム~ZZは全話見て、ガンプラもそれなりに作っている者です。非ガンダム商品(ザクとかでしょうか)のミリオンセールスが39商品ある時点で、記述は不要だと判断します(もちろん『39商品がミリオンでそのうち「ガンダム」は~』という記述も不要)。商業効果として書くのであれば、「Zガンダムシリーズのプラモデルが累計~個」と書くべきでしょう(とは言え、MSVなどはどこに含めるのか難しいですが)。一方、ガンプラの記事に何がどの程度売れたのかがわかる記述があっても良いかと思います(個人的に知りたいですし)。--JapaneseA会話2013年2月15日 (金) 13:36 (UTC)

ちょっと話がそれることを承知でコメントしますが、該当箇所を編集したBanagher links gundam氏の別の編集(サンライズフェスティバル部分)の削除依頼に同意しておきました。私はBanagher links gundam氏とは編集が対立している状態ですし、そもそも彼の編集は私が引き出した感じがするので、あまりこういう形で対抗をしたくなかったのですが、ルール違反はしょうがないです。

ただ、これで済む問題と思えません。ガンプラの売れ行きだけでなく、ガンダムエースの矢尾氏・池田氏の対談、グレートメカニックの富野発言、彼の付け足した箇所は似たような感じの引用ばかりで、意図も不明、必然性もありません。(思うにZZをヨイショしたいのか。しかしやり方がどうも良くない。彼の編集態度、対話に応じない姿勢にも大いに問題を感じる)私は自分がこだわっている部分以外はあまり手を出さないようにしていましたが、本音で言うと記事が冗長になるだけなので、ガンプラ部分も含めて全部カットのほうが適切かと思います。あるいは他の引用も削除対象レベルの可能性もあるんじゃないですかね。できれば彼からの反論も聞いてみたいですが…本人はまたしばらく現れない気がしますね。--Higasikatatom会話2013年2月22日 (金) 13:03 (UTC)

『「商業効果」の記載』(その後頭痛さんにより『9.6プラモデル』となっていました)を削除しました。また、「機動戦士Ζガンダム」でHigasikatatomさんにより削除された記述と同内容の箇所[6]も削除しました。--ステイシア・ボーダー会話2013年3月10日 (日) 11:01 (UTC)
こちらのページも後で消すつもりでしたが、代わりにやっていただきどうもすみません。平均視聴率も残していますが、こちらもいらないのでは。--Higasikatatom会話2013年3月10日 (日) 12:13 (UTC)