ノート:東京拘置所

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記事についての質問[編集]

収監者の氏名の記載について[編集]

端くれの錬金術師 さんが、現在の収監者についての記述を削除されていますが、最近収監された被告等のうち著名な者については、いくつか記載したら良かろうかと思いますが規定上まずいのでしょうか?--Seihonda 2006年3月17日 (金) 01:39 (UTC)[返信]

拘置所に収監されている人物は未決囚であり、記載する必要はないものと考えます。また、誰を記載して誰を記載しないかで揉める可能性も考えられます。さらにWikipedia:削除の方針ケース B-2に抵触する恐れもあります。--端くれの錬金術師 2006年3月18日 (土) 15:21 (UTC)[返信]

死刑判決確定者は既決囚ですが、拘置所の管理下に置かれています。そして、テロリスト等の人名に関しては、Wikipedia:削除の方針で削除対象としないことが定められている故、一部の収監者に関しては氏名を記載して問題ないと考えます。--Arpeggio 2006年4月23日 (日) 22:26 (UTC)[返信]

暴力行為・イジメ行為について[編集]

看守による「暴力行為・イジメ行為」が絶えずとあるが、みたのか?証拠でもあるのか?
--以上の署名のないコメントは、122.17.170.214会話/Whois)さんが 2006年11月6日 (月) 05:27 (UTC) に投稿したものです。[返信]

とりあえず要出典扱いにして様子をみてみましょうか。。。--ぽえこ 2006年11月27日 (月) 13:21 (UTC)[返信]

「建物の老朽化」について[編集]

あのー、写真みても、どうみてもハイテクビルなんですが
--以上の署名のないコメントは、218.128.77.99会話/Whois)さんが 2006年12月3日 (日) 03:33 (UTC) に投稿したものです。[返信]

「内情」の下記文章について[編集]

他の施設とくらべて、生活上の待遇が格段に悪いとされる。他の施設だと小学校の給食並みの食事なのに、東京拘置所では残飯なみの味であった…という感想が聞かれる。その他、建物の老朽化により、冬は寒いらしく、夏はゴキブリが繁殖するらしい。

「…らしい」、「聞かれる」など憶測や噂の又聞きで文章を作成されていませんか?
裏付けされた事実の出典を望みます。
--以上の署名のないコメントは、124.255.101.10会話/Whois)さんが 2006年12月27日 (水) 11:25 (UTC) に投稿したものです。 東京拘置所の食事は、最低でした、味がないのです、施設も今年の3月に、旧公舎から新庁舎に移り、大分良くなりましたよ、新庁舎は完全な要塞で、絶対に脱獄は不可能です。[返信]

建物は地上11F建てでその上に屋上運動場があります。ちなみに女区(女性を収容する場所)の多くは2Fです。--123.223.167.244 2008年6月27日 (金) 09:51 (UTC)[返信]

小菅監獄[編集]

(近くの?)煉瓦製造所(銀座煉瓦街の煉瓦を作った)を買い上げ、収容者が煉瓦製造を行う(桜印の煉瓦)。
  • 明治33年 内務省から司法省の所管に…「監獄事務の所管を司法省に移す」(公文書館:内務省官制、司法省官制の改正、明治33年4月26日):明治33年職員録[1](54/444)では内務省所管、34年職員録[2](303/475)では司法省所管
  • 明治36年 集治監から監獄に改称…監獄官制(明治36年3月、勅令35):明治37年職員録[3](200/365)

 確認中 --2013年10月20日 (日) 15:34 (UTC) --忠太会話2013年10月21日 (月) 14:14 (UTC)(一部直し)[返信]

東京拘置所と小菅刑務所[編集]

1945年、東京拘置所が接収されたため、小菅刑務所に東京拘置所が移転してきた(?)。昭和21年9月の「司法部職員録」[4]では、小菅刑務所と東京拘置所が同じ小菅にあり、東京拘置所の職員が小菅刑務所の職員を兼務していたようだ(所長も同じ)。職員数は東拘が多く、小菅刑務所は5人のみ? 昭和33年5月20日、小菅の東京拘置所が巣鴨に復元された。(「豊島区史」通史編3 P594) --忠太会話2013年10月24日 (木) 13:47 (UTC)[返信]

本文記述の整理(2013.10)[編集]

以下の記述は東京拘置所と直接の関係がないので、本文から削除しました。

「東京拘置所」の説明というより、巣鴨プリズンの説明になっており、くどい部分があったので、本文から削除しました。

  • 1948年8月28日東京拘置所および小菅刑務所が、東京都葛飾区に置かれる(同日、政令第268号「刑務所及び拘置所令」)。
  • (1958年)5月15日:東京拘置所が、スガモプリズン所在地へ移転する(同日、法律第154号「法務省設置法の一部を改正する法律」)。巣鴨刑務所の在所者(いわゆる戦犯)が数十名を残すばかりとなったことに伴い、同所を以前のとおり東京拘置所とするため、東京拘置所の位置を、葛飾区から豊島区に移した(同年6月2日、官報第9430号付録『官報資料版』9ページ)。
  • 1971年3月20日首都圏整備計画の一環として(1970年(昭和45年)3月18日、官報第13217号付録『官報資料版』9ページ)、葛飾区小菅の小菅拘置所を廃止し、同地に東京拘置所を移転する(1970年(昭和45年)12月24日、法律第129号「法務省設置法の一部を改正する法律」、1971年(昭和46年)3月19日、政令第28号「法務省設置法の一部を改正する法律の一部の施行期日を定める政令」)。

 --忠太会話2013年10月30日 (水) 13:46 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

東京拘置所」上の2個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月7日 (土) 16:42 (UTC)[返信]