ノート:大都会 PARTIII

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石原プロモーション制作の刑事ドラマで「大都会 PARTIII」が1978年10月3日から1979年9月11日まで日本テレビ系列で毎週火曜日21:00 - 21:54に全49話放映されましたが、その直後、関西の関西テレビでは、22:00~ゴールデンタイムに再放送(関西テレビにとっては初回放送ですが)をやっていたように思いますが、その事実を証明するものがありません。その頃の新聞テレビ欄でもあればよいのですが、どなたかその事実をご存知の方いらっしゃいますか。 --以上の署名のないコメントは、61.121.107.145会話/Whois)さんが 2007年2月18日 (日) 05:21 (UTC) に投稿したものです。[返信]

西部警察に否定的なユーザーによる、大都会 PARTIII至上的な編集は問題ではないのか[編集]

IPユーザーによる、テレビ朝日西部警察に否定的な編集が目に付きます。具体的に、問題点を上げますと、

  • 「本作のヒットに肖り、各テレビ局はこぞって「西部警察」「警視庁殺人課」など同様のアクション刑事ドラマの制作に乗り出し始めた。だがそれらの多くは本作の二番煎じの域を出ず、短命に終わってしまった番組も少なくない」
    • 具体例として、2つのドラマが上げられていますが、2つともテレビ朝日系のドラマです。各社平等に上げるのであればまだしも、テレビ朝日系のみを上げるのは中立性に欠ける様に思います。また、西部警察ですが、大河ドラマの裏で20%もの視聴率を上げ、成功した刑事ドラマに上げられると思います(20年前の大河ドラマは現在よりも視聴率を取っていました)。よって、具体例を上げない方が問題にならないと思います。
  • 「1979年10月より石原プロモーションはテレビ朝日に局を移し、西部警察が作られる事になった。設定の変更は有るが、大都会シリーズの企画書を元にして作られた作品である。」の削除
    • 削除が繰り返されていますが、事実に基づいて記述しております。

何か意見が有るようでしたら、頂きたいと思います。その意見を元に、意見を纏めていく事で記事を作る事が出来ればいいと思います。--Taisyo 2006年10月27日 (金) 12:43 (UTC)[返信]

  • 大都会シリーズの企画書について

改めて書き込ませていただきます

基本的に大都会シリーズの企画書はこの時間枠の担当者山口剛氏と石原プロモーションの製作責任者である石野憲助氏が脚本家やメインになる監督陣と事前に度重ねた企画会議を基にして共同で制作し、局の編成会議に提出した物です。

従いまして、「大都会シリーズの企画書を元にして作られた作品である」といった簡単な記述ではこの項目を読んだ人間に対し誤解を与えてしまうと考えました。  

大都会シリーズは石原プロが単独で企画書を作成したものではありません。ネットというのは不思議なツールです。こういった資料的なページにいったん載ってしまうとそれが常識として通用してしまう怖さがあります。 つまり、書き込む内容によってその書き込んだ人間の考えの如何に関係なく製作者側の熱意や事前の苦労といった事実が一瞬にして「無」になってしまう事があります。例えば片方が魔法の紙をポンっと出せば作品がすぐに出来るという誤解にもつながりかねません。 この項目に限らずネット上の記事をを読む方々はそこまで深く考えて読んではくれません。 そういった点を踏まえ、ちゃんと考えて書き込むべきだ、と考え削除しました。

大都会シリーズを下敷きに西部警察の企画書を作成したのはあくまでもそれは石原プロモーションのその後であり、もしこの内容を書き込むのであれば、石原プロモーションや西部警察の項目へその制作姿勢として書き込むべきであり、それが自然です。少なくともこのNTV火曜9時の前後番組の変遷の項目では不自然だと考えます。

決して西部警察を否定するわけではないので誤解の無い様に願います--以上の署名のないコメントは、210.131.43.55会話/Whois)さんが 2006年11月2日 (木) 03:05 (UTC) に投稿したものです。[返信]

わかりました。その様な理由での削除ですね。今回書き込まれた内容を纏め直して、記事にしたらいいのではと思います。なぜ、西部警察に触れない理由も分かる様になり無用なトラブルを避ける事が出来るのではと思います。「ネット情報の中には~とあるが、それは誤りである」と書き込む事でも良いと思います。色々工夫の余地が有るみたいですね。先の問題提起で、言葉が過ぎた事を謝りたいと思います。--Taisyo 2006年11月2日 (木) 16:01 (UTC)[返信]