ノート:外山恒一

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プロフィールの主張と客観性について[編集]

荒唐無稽な話ですが、外山恒一氏は選挙ポスターにおいて、「カリスマ的指導者には伝説的な出自がつきものである」という考えから「一970年に鹿児島県隼人町の熊襲の穴の中で、「造反有理革命無罪」と唱えながら、処女の馬から生まれた」(「」内原文ママ・原文は縦書き)という出自を思いつき、主張しているようです。こういった主張は認められるべきなのでしょうか? 選挙ポスターに書いてあるので検証可能性は満たすとは思うのですが、客観的に正しいのか立証でき(るわけが)ないです。Wikipedia:存命人物の伝記を参照しても、この例が特異すぎるために参考になる文が見当たりません。鳥肌実の場合はプロフィールに本人が主張する荒唐無稽なプロフィールが記載されていますが、今回はどう取り扱いましょうか? --femtowaros 2007年4月9日 (月) 11:30 (UTC)[返信]

本人がそのように主張しているということがきちんと伝わる書き方であれば、記述して構わないのではないでしょうか。--Aotake 2007年4月10日 (火) 08:33 (UTC)[返信]

評論文の削除[編集]

記事本文の推敲をしましたが、以下の記述は主観的な記述で、中立的な観点にたち、かつ出典のある百科事典の記述として救うことが難しかったので、ノートに移動しました。

他にも外山の文章には「運動の高揚」「最左派」「若い世代の政治的な運動」「活動家」といった言葉が散見されるが、正確に表現しようとすれば、次のとおりとなる。

「運動の高揚 → 参加者が可能性の広がりを感じた。外部にもそれが伝わっているかは問われない」 「若い世代の政治的な運動 → 動物実験反対から、私服登校まで、確かに広い意味では「政治」ではあるが「政治運動」の語感から程遠いものも含む」 「最左派 → 左翼の陣営では一般的に右より左が格好いいものとされるので、単なる自画自賛の言葉。はねかえり」 「活動家 → 活動家としての覚悟を必ずしも持たない、『心情反体制』の青年も含める」

編者は外山の唱える「青いムーブメント」の意味を貶める意図はない。規模や影響力が小さくても、歴史的意義の深い運動は確かにある。だからといって、規模や影響力について、オーバーな表現を用いることは正当化されないはずだ。wikiで、外山恒一について説明する場合、外山の著述は重要な資料となるだろう。「外山の著述領域は他に文献が少ないこと」「外山の著述に客観性への配慮が少ないこと」から、外山の過剰表現に自覚的であることの必要性は高いと考える。(IP:220.152.99.129会話/履歴、2007年3月23日 (金) 19:32投稿

「外山の「異色」さについての考察」

外山の9冊の著作は、同時代の反体制の立場にたった刊行物と比較すると、その独自性が印象深い。この背景には外山が行った運動の独自性が関係しているように思われる。全共闘運動の敗北以降も、現在に至るまで、大学における学生運動(新左翼セクトによるもの、無党派によるものいずれも)はひらすら縮小再生産を繰り返しながらも存続している。ただそれらの世代交代は、先輩による後輩のリクルーティングが大きな要素を占める。大学以外を舞台とした社会運動も、運動未経験者を中心で成立しているものは少ない。勿論外山も新左翼文化圏の空気を吸っていたわけだが、彼の運動圏には、同年代の同志は大勢いても、先輩が存在しなかった。(唯一、秋好悌一を師と仰いでいたが、外山とは同一の運動を展開したことはない)外山は「先輩の指導」があれば簡単に避けられる、「失敗する事が容易に想像できる愚行」を、これでもかこれでもかと度重ねている。頭で「行動の説得力の強弱」を理解するのと、身をもって「行動の説得力の強弱」を理解するのでは、後者のほうが「行動の説得力」についての骨身に染みた知見を得る事ができる。(これを否定的に見れば、「いつまでもお山の大将をやっている」と切り捨てることも可能であろう)外山の半生は「独りよがりの正当化」の歴史の印象を受けるやもしれないが、彼の主観的立場に立てば、自分の行動(結果的に説得力を持てなかったことを含め)を「自己否定」的に検証し続けた結果=最終的にファシズムに至ったと理解することもできる。同時に徹頭徹尾、「自前の」「手作り」の思想であることが、(その正誤は別として)社会常識から大きくかけ離れた主義を主張をする上で、外山の自信となっていることは想像に難くない。(IP:220.152.99.129会話/履歴、2007年3月23日 (金) 19:32投稿

(すでに(本人による記述と思われる珍弁明 」としてコメントアウト済みであったもの)

外山は後のプロフィールなどで、この裁判について、「裁判闘争を徹底的にエンタテインメント化する戦術が功を奏して、事実上『法廷侮辱』の罪で2年間の(註。後述)獄中生活を勝ち取り」などのレトリックで「実質的勝利」を強調するが、たしかに外山の起こした「傷害事件」の実際の中身は、2年間の交際末期の修羅場で突発的に殴打し、鼓膜が破れる怪我を負わせたというもので、是非はともかく通常ではそもそも立件されることすら珍しい事例であり、外山の、自らの法廷パフォーマンスは「たしかに非常識ではあったろうが、違法ではない」、「刑事裁判の法廷は違法行為を裁く場であって、非常識な言動に制裁を加える場所ではない」、「通常ではあり得ないような常軌を逸した重刑を科すことで、プライドを傷つけられた裁判官が被告に報復するなど言語道断」、「これは裁判を装った裁判官個人による私刑である」などの主張は妥当だとする他ないし、また通常ならこうした「不当判決」を徹底的に糾弾するであろう「人権派」の活動家たちさえもがむしろ外山を「弾圧」する側に回っているという特異な状況をも加味すれば、外山が「日本国憲法下最大の思想弾圧事件」とまで自慢げに書くことも一概に誇大妄想の類と片付けることはできない。

そもそもこの一連の経緯に関する外山の言動は歪曲されて伝えられることが多く、「痴話喧嘩裁判」と揶揄したり、「単なる痴話喧嘩裁判を思想裁判・政治裁判と強弁している」などと非難する者は後を絶たなかったが、実際には外山は当時から、「そもそもは単なる痴話喧嘩」だったと認めており、「しかし単なる痴話喧嘩に『女性差別だ』『ドメスティック・バイオレンスだ』などと介入することを政治的な運動と称しておこなう連中を批判し、これと闘うことは政治的・思想的な闘争である」とのロジックで、自らの裁判闘争を政治的・思想的なものと位置づけていたのである。そもそも外山はこの裁判闘争以前から「反PC」的な問題意識を公言してきたのであり、それに賛同するかどうかはともかく、外山のスタンスが一貫しており少しもブレてはいないことだけは確かである。

外山は2002年5月14日、傷害事件とは別の、「名誉毀損」の容疑で突然逮捕される。一連の裁判闘争の一環として、それを詳細に報告するサイトの中で、民事裁判での相手方弁護士を誹謗する内容の記述をしたというのがその「名誉毀損容疑」の中身であり、これもまた通常では「逮捕」など考えられないケースであり、当局の対応は異様であるとしか言いようがない。しかもこの「容疑」に対しても、福岡地裁は(なんとしかも検察側の求刑どおりの)「懲役1年」の実刑判決を言い渡しており、さすがに気が引けたのか二審の福岡高裁判決は同8ヶ月に「減軽」としたものの、いずれにせよ史上稀に見る異常な司法事件であることに変わりはない。(IP:210.196.142.230会話/履歴、2007年2月28日 (水) 15:18投稿

ウィキペディアは、個人の見解を書く場ではありませんので、「考察」の発表や評論は別の媒体でお願いします。--Aotake 2007年4月10日 (火) 08:33 (UTC)[返信]

出典がなく信憑性・信頼性のない記事[編集]

全く信憑性がないので大幅に削除しました。--Timesought 2007年5月1日 (火) 16:42 (UTC)[返信]

すでに差し戻されていますが、Timesoughtさんが確認できなかったという理由で「全く信憑性がない」と断定して大幅な編集を加えるのはやりすぎと思います。外山恒一の項目については、関係者による宣伝投稿と(私は)疑ってしまう記述、記述が長すぎて見通しが悪い、という問題があるとは思います。ですがTimesoughtさんが確認できなくとも客観的に信憑性があり中立と思われる記述も見受けられます、編集は議論を経てマターリと行うのが良いかと思います。ますめ 2007年5月4日 (金) 07:10 (UTC)[返信]

保護しました[編集]

リバートを繰り返す状況でしたので3ヶ月の保護としました。このノートで記述内容が合意されれば、早期解除もします。なお執筆に際してはWikipediaの公式方針であるWikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないや、ガイドラインWikipedia:存命人物の伝記などをお読み頂きますようお願いいたします。Miya.m 2007年5月6日 (日) 08:09 (UTC)[返信]

Wikipedia:自己参照を避ける[編集]

Wikipedia:自己参照を避けるからだいぶはみ出していますね。--220.144.146.177 2007年7月30日 (月) 05:26 (UTC)[返信]

出典のない記述[編集]

差し戻すユーザーがいますが、Wikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去を読んでください。--X-jap 2007年8月25日 (土) 02:14 (UTC)[返信]

出典元に対してわざわざ注釈をつけたにも関わらず、内容を破壊する行為は荒らしです。また荒らし対処は3rrの例外事項となります。GcG / avatar of femtowaros 2007年8月25日 (土) 02:18 (UTC)[返信]
荒らしの対処であろうとも履歴をむやみやたらに増やすのでリバート合戦はおやめ下さい。--Seseragi 2007年8月25日 (土) 02:29 (UTC)[返信]
出典が示されていない記述のみを除去したに過ぎません。出展が示されているものは残してあります。--X-jap 2007年8月25日 (土) 02:35 (UTC)[返信]
活動履歴は一貫して著書ないし公式ホームページ([1])に明記されています、言いがかりはやめて下さい。GcG / avatar of femtowaros 2007年8月25日 (土) 02:38 (UTC)[返信]

喧嘩腰に議論するのはやめて下さい。ブロック依頼ではなく、コメント依頼に提出することをおすすめします。--Seseragi 2007年8月25日 (土) 02:46 (UTC)[返信]

特にこちらは喧嘩腰ではないですが。wikipediaにおいて、生存する人物の項目では記事を載せる段階でそれぞれの記述について出典が明らかにされていなければ意味がありません。というかwikipediaの方針では記述してはいけません。現状ではごく一部に出典があるに過ぎない。出典を明らかにしてから記述すべきです。--X-jap 2007年8月25日 (土) 02:51 (UTC)[返信]
ええ、べつに私も喧嘩腰なわけではなく、淡々と作業を行っていただけでございます。別に各項目ごとに<ref>著書名</ref>と書いても良かったんですが、冗長なのでそれを避けたに過ぎません。出典は明らかにされています。GcG / avatar of femtowaros 2007年8月25日 (土) 03:13 (UTC)[返信]

出典が出せない内容はウィキペディアとしては、ルール違反であり他でやれという話。ここは自己紹介の場ではない。出典がない場合、反対者がいる場合は削除して良い事となっている。X-jap氏が正論。210.252.203.182 2007年10月14日 (日) 03:57 (UTC)[返信]

高校生新聞編集者関東会議の名称の変遷について。[編集]

首都圏の新聞編集者の集まりは、発足当初から後に「高校生」と「新聞編集者」に分裂するわりと直前ぐらいまでは、「高校生新聞編集者連絡会 略称:高新連」と呼ばれていましたよね。 その後、全国会議に相応させるために「高校生新聞編集者関東会議」と名前を変えたはずだったと記憶しています。 このことを適当な場所に付け加えたいと考えるのですが、皆様いかがでしょうか?--以上の署名のないコメントは、春暁会話投稿記録)さんが 2007年8月31日 (金) 17:00 (UTC) に投稿したものです。[返信]

道交法違反の件[編集]

鹿児島地裁が、道交法違反の罪に問われていた外山に対して、「悪法には従う必要はないとは身勝手」として、検察官の求刑の8倍の額である罰金12万円の判決を出しました。外山は控訴の意向だそうです。ソース

ですので、保護が解除されたら「その他」のところにでも書き足しておいてください。--準特橋本Talk/Contribs2007年10月5日 (金) 03:40 (UTC)[返信]

自己宣伝のようなページ[編集]

この自己宣伝のようなページは必要なのでしょうか?出典もほとんどなく、単に都知事に立候補したナルシストのページは必要ないように思えます。210.231.15.121 2007年11月3日 (土) 10:12 (UTC)[返信]

出典がない大量の記述は問題です。誰かが創作した可能性もあり、名誉毀損にも関わってくるので削除すべきです。とりあえず保護解除依頼をしておきました。--マルコヴィッチ 2007年12月28日 (金) 19:10 (UTC)[返信]

カテゴリ追加提案[編集]

Category:知事選挙立候補経験者に入っていないので、管理者伝言板で依頼したいと思います。保護解除が望めない状況なので。--Andro4 2008年5月21日 (水) 07:17 (UTC)[返信]

保護解除提案[編集]

2007年8月より編集合戦として無期限全保護になりましたが、その後ノートにおいて長期間議論が止まっていることから保護の方針にある保護を解除してもいい場合の5.「しばらくの間議論がない、仲裁の試みが進行中など、解除しても問題が再発しないのではないかと思われる場合」に該当すると思われるため、保護の解除を提案いたします。特に反対が無ければ保護解除依頼を提出いたします。--Web comic 2009年4月12日 (日) 03:25 (UTC)[返信]

公平性に疑問[編集]

客観的な事実が書かれた部分がある一方で、外山氏の主張をそのまま載せただけの部分や、氏を肯定的に評価するのみの記述が多いように見受けられます。特に、2.2「2000年代」の部分は、外山氏を全面的に擁護し、これに反対する者を一方的に批判(あるいは罵倒)するだけの文章となっています。全体を通じて外山氏の宣伝ページと化しており、wikipediaの基本理念である「中立的な観点」から大幅に逸脱するように思われるため、大幅な修正が必要と考えますが、いかがでしょうか。テンプレートを付けさせていただきました。--Ban5han 2009年9月2日 (水) 16:13 (UTC)[返信]

しかしそれは除去・リバート理由にはならず、反論も載せればよいだけではないでしょうか。選挙前の情報まで戻す行為がなされて、大量に記述が除去されてたので戻しました。--220.147.7.177 2009年9月10日 (木) 11:55 (UTC)[返信]

特筆性?[編集]

出典要求は兎も角、特筆性タグが貼られた事には「?」としか…。これだけ著書があって政治活動実績がそれなりにある人に特筆性云々というのは…。何を以て特筆性に疑義ありとされたのでしょう?--Kinno Angel会話2015年9月24日 (木) 16:33 (UTC)[返信]

取り敢えず、幾つかのニュース記事を外部リンクに盛り込む事で、特筆性タグを外しておきました。存命人物としての出典要求についてはもちろん拡充が必要ですから残しておきました。--Kinno Angel会話2015年9月25日 (金) 12:05 (UTC)[返信]
あと、もちろん他言語版ウィキペディアは「参考」程度にしかなりませんが、にしても、日本語以外に七言語版ある人物の記事に、「特筆性無し」とするのは、相当無理があるのではないかとも思います。--Kinno Angel会話2015年9月25日 (金) 12:07 (UTC)[返信]