ノート:品川司

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修正の報告[編集]

1949年12月16日朝日新聞に、大森ホテル事件の詳細な言及があったので、それに基づいて記述を修正しました。 --杉山真大 2007年9月28日 (金) 09:02 (UTC)可読性を考慮し節レベルの修正。--Damena会話2015年6月19日 (金) 11:29 (UTC)[返信]

大赦?[編集]

あくまでも自称であって、正確な事実関係ではないのかもしれませんが、

1950年 講和条約大赦で刑期満了前に仮出所後、藤戸某と養子縁組して日本に帰化。

この行は以下の理由から不正確です。

  • 日本国との平和条約の締結は1951年、発効は1952年なので、それより前の講和条約大赦はありえない。
  • そもそも、大赦は刑罰権を消滅させることをその効果とするから、大赦による出所はありえない。
  • 1950年当時は日本国籍を有していたはずなので、1950年に帰化することはあり得ない。

著者です[編集]

  • 参考に挙げた最高裁昭和41年6月23日第1小法廷判決(名誉毀損)の対象になっている読売新聞の記事(発効年月日不明)に見える記述をそのまま引用していますが、時制的に辻褄が合わない点、出所の件に就いては、双方共私も気付いています。本件は引き続き調査しますので、暫しご猶予下さい。
  • 「1950年当時は日本国籍を有していたはず」の件、詳細ご教示下さい。
  • (追記)矛盾のない形で妥協、暫時訂正しましたので、「正確性」を解除しました。

日本国籍の件ですが、1950年当時は既に韓国政府や北朝鮮政府は成立していたものの、朝鮮半島が日本の領土の一部であったことは否定できず、いわゆる朝鮮人も日本国籍を保有していたのです。日本国との平和条約の発効により初めて日本国籍を離脱することになります。もし、1950年に内地人と養子縁組したのであれば、地域籍が朝鮮から内地に移ったことにはなっても、そもそも日本人だったので帰化自体ありえません。この点は条約発効後に養子縁組をした後に国籍法の規定に基づき帰化したというのであれば辻褄は合いますが、事実関係を知らないのでそのように書き換えるわけにもいきません。それから、「殺害」というのが殺人罪が適用された事案であれば、そもそも大赦の対象にはなっていないはずであり、おそらく減刑の誤りでしょう。この点についても事実関係が不明なので、そのように書き換えることは私としてはできません。--Koha 2007年9月2日 (日) 21:52 (UTC)[返信]

なお、条約発効に伴う大赦は、昭和27年4月28日政令第117号に基づく大赦なので、1951年というのはやはり辻褄が合いません。そもそも、大赦ではなくて減刑の可能性が高いと思いますが。--Koha 2007年9月2日 (日) 21:54 (UTC)[返信]

  • Kohaさんご教示有り難うございます。上記の上告審中、品川の殺人~服役の事実に就いては争いがなく、従って1945~1950(或いは51年)の間品川が懲役刑に服していた事、出所と前後して日本人と養子縁組した事は間違い有りません。即ち、特段の事情が無い限り、獄中にあった1947年の時点で品川は自動的に朝鮮籍に移行していた可能性が最も高いのですが、この点に関して自ら語る履歴も当該讀賣新聞記事も曖昧で、補完資料も見当たらないため、更に記述をぼかす事にしました。