ノート:剣術

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歴史[編集]

2004年11月1日 (月) 03:31の版で追加の歴史は剣道2004年10月27日 (水) 03:59の版の歴史を移動させたものです。Izayohi 2006年1月25日 (水) 14:35 (UTC)[返信]
鹿島神宮(武甕槌大神)は武芸の神様ではなく、武芸は芸能・技能の分野で天売受女命が司っており、神楽や伎芸の祖とされ仏教の弁才天(弁財天)が歌舞音曲を司る神として信仰を集めたのが有名。鹿島神宮の御祭神は「建御雷之男神」ですが、高崎正秀博士は「神剣考」で『建御雷之男神は古事記には亦名「建布都神」ともあり建・豊は美称と見て残る布都は韴霊のふつと同語、霊剣そのものの神格化であったことを見せている。即ち語名義からは厳槌であり同時に刀剣である為には凡そ鉞の形に近づくより外はないであろう。中略、併し御形体が鉞に近いものとすれば、一方に頭槌、剣、勾鶩都々があるのであるから、そのかふつ、くふつともなんらかの連関が存する称故なのかも知れぬ。これが鹿島・香取と古来対句的に並び立ち給ふ経津主神の御名と因みあることだけは論断してもよかろう。』と論考され御祭神の御神体が鉞に近い形である事とされています。
以前の本文記事の文章は、日高繁高、本朝武芸小伝が根拠になっています。本朝武芸小伝巻三一「刀術」の前書きに日高繁高自身の記紀神話の世界観を述べています。『刀術(剣術)は建御雷・経津主命の「神術」から始まるとし、景行天皇の皇子日本武尊・源義家・源為朝・肥後尾伊手次朗則高・源義経と伝わり、常陸鹿島神人七人に伝わり関東七流となるとして刀術の中興、飯篠氏の天真正の刀術が興る』としています。
今の定説は、今村嘉雄氏の「日本体育史」に掲載されている論考ですので本文記載を改めました。--青剣 2009年6月17日 (水) 23:09 (UTC)[返信]
関東七流・京八流執筆者の方へ
出典として提示されている、綿谷雪、山田忠史編『増補大改訂版 武芸流派大事典』ですが、この出典を以て剣術の歴史項目の本論として記載するのは強引ではないでしょうか。民族学や神道学について造詣があるとは思われない出典であり、また、明らかに的が外れた出典です。--TEKEBARU 2009年7月4日 (土) 15:04 (UTC)[返信]
該当記事は剣道2004-05-03T20:23:41版で219.97.86.175氏によって記述なれています。219.97.86.175氏の投稿記録をみれば2004年5月以降は執筆されていないようです。当時のウィキペディアは出典による記述が厳密にはなされていない時代でした。私が出典としたのは手持ちの資料で確認できたものを記載しただけのことです。ふさわしくないというのであれば削除されればよろしいのではないでしょうか。なお、記事を残す場合は江戸時代にそのような伝説(開祖の神の場合は天眞正の流派がほとんどのようですが。)があったとすればよろしいと存じます。--Izayohi 2009年7月5日 (日) 14:05 (UTC)[返信]

鹿島香取、五輪書 [編集]

TAKEBARUさま
『「刀術」の「武芸の神」としてあり明らかに間違った伝承である。』という意味がよくわかりません。軍神であり武芸の神では無い、とおっしゃっているのでしょうか?もう少し意味を取りやすく書いていただけませんか?
それから、武蔵の文章では、「鹿島香取の神人が(鹿島香取の)神の流儀である、と刀術を教えはじめたのは最近の事だ」程度の意味にとれます。軍神や武芸の神が云々と言った意味には取りにくいと感じました。この項目の軍神と武芸の神についての参考文献を教えてください。--Hakusai 2009年6月26日 (金) 11:14 (UTC)[返信]
戦・軍、と芸能の違いが良く解らないとの事ですが、、剣術や弓術等が武芸十八般の一つであり、これ等が「武者」としてたしなむべき「芸」であることは言うまでもない事です。「中世遍歴民と芸能」網野善彦著によると、「武者」は「官人的職能芸」に分類され、「相撲」は囲碁、双六、呪師等の「遊戯芸能」に属すと考察されています。同じく剣術ノート欄で既に記述されている、青剣さんから御提示のあった「神剣考」高崎正秀著の記述も合わせて御参考にされてはいかがでしょうか。--TEKEBARU 2009年7月20日 (月) 07:35 (UTC)[返信]
古文書等の発見においてはWikipedia:検証可能性にもある通り、まず、学会、或いは学位を有する研究者、少なくとも県の教育委員会等に依って、紙質、墨質の鑑定は最小限しなければなりません。何ら検証されていない資料を使ってwikipediaの編集は避けて下さい。古武道史の基礎的知識を備えて下さい。--TEKEBARU 2011年5月21日 (土) 06:40 (UTC)[返信]
Wikipedia:検証可能性はそういうものではないですよ。「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」であって、あくまで検証できるか出来ないかです。学問的な話とは違います。学会、研究機関のものでなくても一般の出版物から引用する事は問題ありません。削除された記事部分の話になりますが、日豊風雲録は一般の出版物ではないですが、延岡市や大分県の助成を受けた研究結果で、延岡市や佐伯市の文化機関や教育委員会で販売されていたものですので十分引用するに値すると思います。ただ引用された方は知らなかったようですが、新聞記事では1400年代の剣術伝書とありますが、書籍の中に写真が記載されているものは永禄八年(1581年)に発行された伝書です。--Hakusai 2011年5月23日 (月) 14:10 (UTC)[返信]

流派には詳しくないのですが、今書いてある流派は、日本の剣術のものなのでしょうか? もしそうなら、レイピアなどにも流派があると思うので、「日本剣術の流派」などと改めた方がよいのではないかと思いますが、いかがでしょうか?--すぐり 2004年10月28日 (木) 07:20 (UTC)[返信]

剣術と西洋剣術?[編集]

厳密にいうと「剣術」とは日本の剣術、少し譲って「中国武術」の剣術をさします。 ネット上でサーフィンしていると、西洋剣術をしている人も、確かに見受けられます。 ただ、ここが、百科事典なので・・・。 私も中国、西洋のはよく知らないので、専門家参加されたときに修正すればいいのでは、とも思います。Izayohi 2004年10月28日 (木) 07:28 (UTC)[返信]

この項目で言う「剣術」は『日本の武術』と記事内で特定されていますので、特に問題は無いかと。もっとも、日本の剣術でない「剣術」についても言及されるべきかもしれませんね。 NiKe 2004年10月28日 (木) 07:31 (UTC)[返信]

お返事ありがとうございます。
国語事典ではなく百科事典ですから、他に訳語もないと思いますし西洋剣術などもいるかなと思ったのですが、たしかに「中国剣術」「西洋剣術」で事足りそうですね。(西洋剣術はひょっとすると、フランス流とかイギリス流とかあるのかもしれませんが)納得しました。ありがとうございます--すぐり 2004年10月28日 (木) 07:56 (UTC)[返信]

今枝流と理方一流は記事中区別しております。(赤リンクを分けてあります。)Izayohi 2005年5月29日 (日) 22:29 (UTC)[返信]

袈裟切り[編集]

それは、薩摩藩の示現流の特徴じゃないの?61.210.161.11 2005年10月9日 (日) 05:00 (UTC)[返信]

「袈裟切り」自体は、様々な流派で使われるので、示現流の特徴とは言い難いと思います。「主流である。」と断定していないため、問題ないでしょう。Pluto 2005年10月12日 (水) 19:57 (UTC)[返信]

禅と剣術?[編集]

さっきIP氏によって「禅文化研究所」へのリンクが貼られたのですが、剣術と禅文化って、そんなに強い関連性があるのでしょうか?? もちろん、全く関係ないとは言いませんが、外部リンクとしてはあまり適当でないような気がするのですがいかがでしょう??--すぐり 2006年10月7日 (土) 02:14 (UTC)[返信]

当該のIP氏の履歴を追いかけたところ、大相撲文化など明らかに不適切な記事にまでリンクを貼っていたので、spammerと見なしてリバートしました。--すぐり 2006年10月7日 (土) 02:24 (UTC)[返信]
「剣禅一如」という言葉があるぐらいの、それなりに深い関係があります。とはいえWikipediaにもという項目があるわけですから、剣術の項目からはそこへリンクし、「禅文化研究所」とやらは禅の項目からリンクすべきだとは思いますが。…と思ったら、禅文化研究所まであるのですね。剣術→禅→禅文化研究所→禅文化研究所のサイトへのリンクで充分ですね。Bit 2006年10月7日 (土) 03:30 (UTC)[返信]