ノート:偽薬

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プラシーボかプラセボか、ノーシーボかノセボか、そこが思案のしどころぢゃ[編集]

 ネット上で見るとノーシーボの方が使用例が多く、訳書でもそう使われている例 (ISBN 4393360265) があたので、そちらを優先したのですが、そうなるとプラセボもプラシーボ優先にした方が良いようにも思います。皆様のご意見はいかがですか? Kadzuwo 2004年9月22日 (水) 09:28 (UTC)[返信]

ラテン語起源の言葉だとのことですので、プラセボ&ノセボ優先にしました。アキレウスをアッチリーズと呼ばなくてはならないような義理は無いと思いますので (^^;)。 Kadzuwo 2004年9月22日 (水) 09:36 (UTC)[返信]
とりあえず、うちの病院(東京)では、プラセボと言ってる人の数の方が圧倒的に多い気がします。プラシーボは英語読みなんですかね。Naruto 2004年9月24日 (金) 03:13 (UTC)[返信]
私の病院でもプラセボと呼んでます。大学の先生たちも基本的にプラセボと呼んでましたよ。プラセボのほうが呼称としても中立的ですし、ウィキペディアの中立性の原則とも合致していますよ。偽薬という呼称で押し切ってしまってはまずい面が若干ある。あとプラセボの使用をめぐる倫理的な議論についての記述をもう少し増やしてもいいかも知れないね。--221.188.19.127 2011年2月25日 (金) 05:44 (UTC)[返信]

カテゴリ整理[編集]

Category‐ノート:精神医学の議論の従い、この記事を一端Category:精神医学から外してCategory:医学に集めた後、どのように再分類すれば整合性が良いか考えて参りたいと存じます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。--Tanadesuka 2005年1月17日 (月) 10:33 (UTC)[返信]

項目名について[編集]

「プラセボ」あるいは「プラシーボ」という概念は、そもそも薬に限っておらず、手術も含んでいる。さらに言えば医者が「必ず治りますよ」と声をかけることも含む。つまり、「プラセボ=偽薬」ではない。(そのあたりは『プラシーボの治癒力』の前半を熟読すれば分かる。はっきりと書いてある)   項目名として「偽薬」という表現を使ってしまっていること自体が、ある意味で、初期段階での理解不足を露呈している。項目名自体に理解不足・偏見・妙な反感が練りこまれてしまっている形だ。

このwikipediaにおいて項目名を「偽薬」としておくのは良くない。読者にも先入観・誤解・偏見をまねく。項目名は「プラセボ」か「プラシーボ」にするべきだろう。

英語慣れしている現代の日本人全般を読者と想定すれば「プラシーボ」でも良いような気もするが、百科事典の項目名としてはあえて堅苦しく「プラセボ」にするのが妥当かも知れない。「プラセボ」のほうが、ラテン語発音相当であり、すなわち学術用語としても使われており、発音も短いし、医療関係者もどちらかと言えば「プラセボ」と言う傾向があるから。 ただし、記事の本文まで「プラセボ」に統一する必要はないだろう。あれこれ文献を読んでみると、一般読者向けの本では英語風に「プラシーボ」と表記していることが多い。(特に治療の場におけるプラシーボについては)出典にもとづいて書いてゆけば自然に「プラシーボ」の表記が多くなるはず。まあ、「プラシーボ」と「プラセボ」が多少混じっていてもいいのでは。--DanCan 2009年8月10日 (月) 17:11 (UTC)[返信]

中立的な立場による記事 / (返答)バカな思い込みにとらわれず、自身で文献を複数読み、勉強すべし[編集]

DanCanによる一連の編集はプラセボが有効な治療行為であるという仮説に基づくものです。そしてそれは参考文献のNew England Journal of Medicine掲載のAsbjorn Hrobjartsson and Peter C. Gotzscheによる記事において否定されています。この論文は、DanCanによる記事においてはハワード・ブローディによる(当然ながら査読すらされていない)本一冊を重ねて参照することのみで「トンデモ論文」と評されています。 アカデミックな立場に立てばむしろ後者がトンデモ本であるという議論をせずとも、一連の編集が中立的な立場とは異なる立場で書かれていることは明白です。 そこで、一度中立的な記事へ戻す処理をいたしました。 パトロールカーには、DanCanの記事を支持する中立的な理由あるいは私の編集が「違反である」とする根拠を示して欲しいと思います。--Bunnymesh 2009年10月8日 (木) 15:46 (UTC)[返信]


DanCanだ。

Bunnymesh君なあ、いい加減にしなさい。上記の文章からすると、Bunnymesh君の主な主張、ひっかかっている点は、以下の2点だな。

  • プラセボが有効な治療行為であるという仮説は、New England Journal of Medicine掲載のAsbjorn Hrobjartsson and Peter C. Gotzscheによる記事において否定されたので根拠がない。
  • 私DanCanが、ハワード・ブローディによる本一冊ばかりを根拠に、狭い知識で書いたのだろう。

Bunnymesh君のこだわりは、どちらも間違っているよ。

アスビヨルン・フロバーヤトソンとペーター・ゴッチェ(略してH&G)の論文にかなり問題がある、とんでも論文だ、と判断しているは、私個人ではなく、米国ジョージ・メイソン大学物理学教授のロバート・アーリック氏など多数の研究者たちだ。私も、ロバート・アーリック氏の書籍を出典としてきちんと示しているだろう。

私は、H & G論文に関する記述の箇所は、ハワード・ブローディの本は根拠にしているわけではないぞ。よく読みなさい。Bunnymesh君、君は感情的になって編集するタイプだな。Bunnymesh君は、Wikipediaの記事を編集する前に、きちんと読んでもいないし、きちんと出典まで確認していないんじゃないか?

  • ロバート・アーリックの『怪しい科学の見抜きかた』草思社 p.276-326

これは、H&Gの論文の後に出版された書籍だ。ロバート・アーリック氏は物理学教授だ。『怪しい科学の見抜きかた』において、物理学教授として学者生命をかけて(そして米国で他人の説を論破・批判するのだから訴訟されることすら覚悟で)疑似科学批判本を書いているだけあって、かなり緻密に、統計学もきちんと踏まえたうえで、様々な論文や仮説を検証している。その本の中で、ロバート・アーリック氏H&Gのプラセボに関する論文も、再検討した結果、問題がある、と指摘しているのだ。Bunnymesh君も図書館か書店にでも行って、早くロバート・アーリックの本の該当の章を自分自身の眼で見て、熟読して、一晩頭を冷やしなさい。

私が今回たまたま大量に出典として活用した書籍の著者ハワード・ブローディだって、ミシガン州立大学教授で、研究者であると同時に開業医として実際の診療にあたっている人物だ。いかがわしい人物ではない。ブローディなりに、研究者生命がかかった状態で出版している、きちんとした書籍だ。

それと、君は、もしかして君自身はプラセボに関する書籍をきちんと読んだことが無いんじゃないか? 

私はプラセボの記事を投稿する前にわざわざプラセボ関連の書籍を4~5冊は読み返したぞ。他に、論文類も。Wikipediaの他国語版も数ヶ国語で。たまたま、今回の私がWikipediaの記事の出典として示したのが2冊だった、というだけだ。Bunnymesh君が、プラセボの書籍を自身でよく読んでいただけばわかるはずだが、結局、似たような説明・引用・論文参照をしていることは多い。それをいちいち複数の書名で挙げるのが面倒だったから、今回私は、比較的内容が量的にも質的にも充実していて、論理的に良く構成されているハワード・ブローディの書籍を出典として用いたというだけだ。

Bunnymesh君は、日本語のwikipediaのプラセボの記事にだけ影響されすぎて信じこんで、変になっているんじゃないか? 感情的にならずに、Wikipediaの外国語版を熟読してみなさい。例えば、全世界の大量の人々・科学者・医学者がアクセスし、きちんと出典を付加し、誤りを修正しているWikipedia英語版のPlaceboの記事 en:Placeboのほうを、冒頭から末尾までしっかり熟読してみなさい。以下のような章立てが含まれている。

  • history (歴史)
  • Mechanism of the effect (効果が生まれる仕組みと、効果の程度)
  • Clinical utility (臨床での活用)
  • The individual (プラセボの効果が出やすいタイプの人)
  • Symptoms and conditions (症候群と条件)

私もだいたい英語版の方向に編集してゆこうとしていたのだ。まあ、誰が考えても、おおよそそういう方向になるだろう。およそ何十パーセントの人にプラセボは効果がでるのか、等々、まだまだ加筆しなければいけない情報が山ほどあったのだ。

Bunnymesh君、馬鹿なことをするな。

英語圏のWikipedianたち、読者・編集者の科学者・医学者らだって、当然H &Gによるメタ分析の論文の存在のことはよく知っている。一時期、かなり話題になったからね。だが、その後、H & Gの論文は多くの人々から、論理的な誤謬だとか、統計学的な手続きの不備や、母集団の不足、傾向性が統計データに出ているのに恣意的に効果を無視した記述をしている点などを指摘されたんだ。やはり、H & Gの論文にはかなり問題がある。(一部は、参考になる指摘も含まれてはいるが)H & Gの論文は問題含みだった。それで結局、英語版のWikipediaも現在の構成になっている。

英語版のなかほどあたりをよく読んでみなさい。H & Gの論文は批判されている、とはっきり書いてあるんだよ。

Hróbjartsson and Gøtzsche's conclusion has been criticised on several grounds. Their meta-analysis covered studies into a highly mixed group of conditions: the placebo effect does occur with peripheral disease processes (such as Hypertension, asthma, prostatic hyperplasia, anal fissure, bronchitis) though not for processes reflecting physical disease (such as venous leg ulcers, Crohn’s disease, urinary tract infection chronic heart failure.[92] Placebos also do not work as strongly in clinical trials because the subjects do not know whether they might be getting a real treatment or a sham one. Where studies are made of placebos in which people think they are receiving actual treatment (rather than merely its possibility) the placebo effect has been observed.[93] Other writers have argued that the placebo effect can be reliably demonstrated under appropriate conditions.[94]

(→ en:Placebo )

Bunnymesh君は、これすら読んでいないんじゃないか?

それと、Bunnymesh君にはよく反省してもらいたいのだが、最近は、科学雑誌NatureやScienceなどの査読つき専門誌でも、査読を簡単にすり抜けて、おかしな論文が掲載されることが増えている。例えば、ヘンドリック・シェーンの捏造論文はScienceやNatureに20以上も掲載されてしまった。結局、専門誌に掲載されているからといって、(相対的に信用できる確率は増えるが)、全てを頭から信用してはだめだ。専門誌の記事を信用しきってしまっては「専門誌信仰」みたいなもので、専門誌の活字を絶対的と見なす点ではまるで根本主義者、原理主義者みたいな心理状態だ。やはり、専門誌掲載論文も、当該文献についてコメントした他の論文、そこでの評価を参照して、慎重に検討しないと。

結局、New England Journal of Medicineに掲載されたアスビヨルン・フロバーヤトソンとペーター・ゴッチェの論文も、専門誌に掲載されてしまったそういう「問題ある論文」のひとつということなんだよ。


まあ、ともかく、Bunnymesh君の乱暴な編集のしかたは、最近のWikipediaらしからぬ異常なやり方だ。仮に、Bunnymesh君が個人的な事情で気に入らない記述があったとしたら、全体を荒らすのではなく、その箇所だけにだけ要出典タグなどを貼ればよかったのだよ。例えば、歴史の記述、大統領のセリフの引用などは、どの書籍をとっても、ほぼ同じことが書いてあるのだから。そこまで含めて、全部削除したがるというのは、あまりに感情的で異常だ。Bunnymesh君は、何か個人史的にプラセボにまつわるこだわりや妙な思い出、辛い思い出でもあるのか? Wikipediaにそういう個人的な感情を持ち込んではダメだ。

まあ、ともかく、例えば、H & Gの論文のくだりで気にさわる言い回しがあったとしたら、そこだけに要出典タグを貼りそこだけコメントアウトで非表示化するのがWikipediaのマナーというものだ。そうすれば、こちらも、出典を補強したり、類似説や他の説等も併記したり、加筆したりできるのだから。

Wikipediaの各国語版は、英語版も、ドイツ語版も、フランス語版も、しっかりと充実した情報を載せているぞ。Bunnymesh君のせいで、日本語版のプラセボの記事ばかりが異常に貧弱な状態に逆戻りしてしまった。情けない。まったく情けない。日本のWikipediaに集っている若者は、なんと無教養、不勉強な者ばかりなのだ。というより、端的に言えば、こうなったのはBunnymesh君個人の責任だ。Bunnymesh君は責任をもって、「プラセボ」および「偽薬」のブロックを解除する手続きを進めなさい。 --DanCan 2009年10月10日 (土) 07:40 (UTC)[返信]

コメント コメント依頼から来ました。1) まずノートを一読してDanCanさんの態度の悪さに驚きました。Bunnymeshさんに対する罵詈雑言は目に余るものがあります。Wikipedia:礼儀を忘れないなど「利用者の行動のルール」を守った発言をお願いします。2) 本文での争いの元もDanCanさんが原因でしょう。2009年8月9日 (日) 19:23から突然に始まった大規模な書き換え。2009年8月10日 (月) 17:19の合意なきリダイレクト化は、ウィキペディアのルールや慣例に反しています。DanCanさんは御自分の記述の正しさに自信をお持ちなのだと思いますが、ウィキペディアは共同作業の場です。Wikipedia:ページの改名などのルールを守り、必要な手続きや合意を得て、作業をしなければなりません。3) パトロールカーさんも同罪です。4) 結論としては、Bunnymeshさんは当然の対応をしていると思います。DanCanさんやパトロールカーさんはもう少し冷静になりましょう。まずは「/ (返答)バカな思い込みにとらわれず、自身で文献を複数読み、勉強すべし」という無礼な節の名称を変更する所から始めてください。--長島左近 2009年10月11日 (日) 00:39 (UTC)[返信]

何が問題か[編集]

DanCanさん、リスポンスありがとう。私はDanCanさんがバカな思い込みをしているだとか感情的に書いているだとか勉強不足だとか言うつもりはありません。DanCanさんの編集について問題点を議論しています。その問題点は、科学的説明が乏しいプラセボという現象に対する学術的議論を無視し批判意見にとんでも論文のレッテル貼りし、その仕組みについて尤もらしく比喩(仮説)や西洋医学批判で説明しようとしている点です。すなわち冒頭の語源以外の部分全てです。結果的に批判議論の葬り去りと非科学的な説明付けによってあたかもプラセボは根拠のある治療行為であるかのように描かれています。

学術的議論というのは例えば英語版の記事に見られるようなものことを指しています。DanCanさんが引用した前の段落には、プラセボに対してH&Gがどういう批判をしたのかが書かれ、引用した段落には当該論文の批判、すなわち病理の直接的症状には効かないが副次的症状には効くといった条件付きでなら効果があるといった批判が記載されています。

この手のプラセボの効果の限定性もDanCanさんの編集から消された部分ですよね。元記事では具体的な例を書く事で範囲を限定していますが、DanCanさんの記事ではありとあらゆる治療に用いられる万能治療法であるかのように読めます。例えばこの記事からはホメオパシーなどの偽医療でも、プラセボ効果があるから正当な治療だと結論できてしまいますよね。百科事典の充実・貧弱は文章の量ではありません。誤謬を招くようなDanCanさんの編集のしかたでは百科事典の記事として「充実した」どころか「貧弱」となってしまうわけです。

--Bunnymesh 2009年10月11日 (日) 09:11 (UTC)[返信]

議論は無駄でしょう[編集]

医者ではないし、個人的な考えであるが、プラシーボに効果があるなら実験で有効性が確認され厚生労働省に薬として承認される筈であり、1955年に「効く」という論文が出て半世紀以上も経ってまだ効くか効かないか議論されているなら効果が無いのは明白であり、手を変え品を変え効果があると言い張るのはプラシーボに対する信仰であり、科学ではない。よってここで議論するのは、牧師や神官に神を、僧侶に仏を信じるのをやめるように説得するのに似たような行為で時間が無駄なだけである。

砂糖のツブ (プラシーボの事だが、今後は金平糖と呼ぶ) に何かの治療効果が確認されたという話は聞いていないので、効くというのであれば代替療法の範疇であろう。「自分は効果の確認された医学ではなく代替療法に頼りたい」というのは各自の自由と考える。しかし新型インフルエンザにかかった子供にプラシーボを万能薬のように信仰する親が、医師から処方されたタミフルの代わりに金平糖を子供に手渡し「これはタミフルだよ」と嘘をついて飲ますのは是か非か、そして子供がタミフルだと信じたために、実は金平糖を飲んだにも関わらず窓から飛んじゃったとか道路に飛び出しちゃった、のような異常行動が副作用として現れる、すなわちノセボ効果はあるのか、と考えれば容易に判断がつくであろう。もっとも、タミフルを飲まなくても治る子もいるので、プラシーボを信仰する親は「やっぱりタミフルなんか飲ませなくて良かった」と一層、信仰心を強くするかもしれないが。

2001年の論文であるが、NEJM からIs the Placebo Powerless?? An Analysis of Clinical Trials Comparing Placebo with No Treatment でアブストラクトぐらいは表示されるし、それで大体の事は判るのでリンクを張って欲しい。それから、調査したのは百余りではなく We identified 130 trials とあるので、数字は正確に示して議論して欲しい。

一方、NEJM を検索するとPlacebo Effects: Understanding the Mechanisms in Health and Disease もヒットし、今年 ISBN 978-0-19-955912-1本が出ていて、某オンライン書店で一部中身を見ると、どういう本か察しはつく。中立的な観点からは、効果があると言い張って本を出す側の意見も載せなければいけない事になる (全面否定はできない)。

編集合戦に関して:2009年8月9日 (日) 19:23の差分を見ると2001年のNEJMの論文が「==とんでも論文==」に書き換えられており、確かに酷いと思う。また、これは8月9日19:23に書き加えられた内容ではないが、この時点の版の「歴史」の節を見ると

心の治癒力について最初に記述した著名人は古代ギリシャのプラトンだった、とも言われている。プラトンは、言葉には癒しの力があり、病人に向けて語られた言葉の力は治癒をもたらすという考え方をとっていた。

のような内容が『プラシーボの治癒力』を出典にして書かれており、こうなると医療というより、宗教・哲学の範疇に入れたほうがふさわしいと思われる。実際、この本についてはプラシーボ反応の哲学的解釈--「Metaphysical Healing」への可能性 Howard Brodyの医療観をめぐって(その1)などという記事もあるようだ。

英語版のなかほどあたりをよく読んでみなさい。H & Gの論文は批判されている、とはっきり書いてあるんだよ。

DanCan さんは英語版を読んでも理解できないのか、理解した上で故意に議論を捻じ曲げているのかのどれかであろうが、英語版は単に批判がある事を述べているに過ぎない。それは論文が間違っている事を意味しないし、論文が価値が無いわけでも、論文が否定された事を証明したわけでもない。

私見であるが、プラシーボ信仰がアメリカで特に根が深いのは、20世紀半ばに猛威を振るったプラス思考の影響であろう。これは『積極的考え方の力―ポジティブ思考が人生を変える』ISBN-13 978-4478732588 などの成功哲学本がもてはやされた時代、「効くと信じて飲めば偽薬だって効いてしまうのだ」と、願うことは神様が何でもかなえてくださるという単純で短絡的な考えが、清教徒が建国した国だけあって大衆に蔓延した。三十四丁目の奇蹟なども「夢は何でもかなう」という考えである。その影響は長く続き、プラシーボは科学的に正確に評価されるというより、プラス思考の科学的証明材料であるかのように扱われ「プラシーボは効く」というのは、すっかり定説になっていた。21世紀になってようやく現実が見えてきたのか、過去の「プラシーボは効く」という「データ」を出してきた実験が精査された。その結果、効くというのは根拠が乏しく、偽薬はやはり偽薬であるという、当たり前の結果が発表された。これが2001のNEJMの論文である。しかしながら、日本では「そうだったのか」程度の扱われかたでも、キリスト教文化の強いアメリカでは「信じて飲めば効く」という信仰を否定する論文に対し強い批判がなされ、「効くのだ!」という反論も根強い。プラシーボ信者が2001年の論文を何が何でも、あるとあらゆる手段を使ってでも全面否定しようとするのは、それを受け入れればプラシーボ信仰は成り立たない以上当然である。とはいえ信仰の自由は日本の憲法で保障されており、「信じるな」とは言えない。プラシーボだけでなく、アロマセラピーやホメオパシーに関しても同様である。

今後に関して:Bunnymesh さん、この記事はもうダメではないかと思う。対処は不能という事である。プラシーボを支持する意見としない意見と両方が公平に扱われればまだしも、編集合戦になって相手の意見を全面否定し、対話が成立していない。しかしながら利用者は全て平等であり議論の相手が納得しなければ何一つ書けないというのはWikipediaの宿命であり、「議論しろ」と求められれば、際限なく議論に付き合わなければならない。私はかつて毎日2~4時間を対話のための文章作成に費やす、ということを約1ヶ月続けた。睡眠時間を削り、ストレスが溜まった。あれから2年経つが、まだ「大きな負の遺産」を引きずっている。この経験から、私としては、この記事は諦める事をすすめたい。この議論に専門知識のある人間が参加するのはもちろん期待できず、英語版を読んで理解できる利用者も、NEJMのアブストラクトだけでも読もうという利用者さえも皆無に等しいであろうから、どちらの言い分が正しいかなどは判断できない。ましてプラシーボの支持側は複数存在する。Wikipediaは百科事典であり専門書ではないという事です。(誰でもわかる一般的な事しか書けず、専門的な正誤の判断などは不可能) よって味方をする人はおらず「辛抱強く対話しろ」と言われるだけ。しかし対話が実を結ぶ見込みはゼロであるから、この記事に良い内容を書きたいという志は評価しますが、生活を犠牲にするほどにノートでの議論に膨大な時間を費やして相手をした所で解決には至らず、結局記事は書けないので、そうであればこの記事の執筆からは撤退せざるを得ない。 -- Tolena 2009年10月11日 (日) 15:43 (UTC)[返信]

コメントアメリカにおけるプラセボに関する私見、面白いと思いました。機会があったら調べてみたいです。今後に関してのアドバイスもありがとうございます。最終的に反社会的な記事でなくなれば良いという程度の期待でやっています--Bunnymesh 2009年10月11日 (日) 18:37 (UTC)[返信]
コメント単に名前を聞いたことのあるというだけの理由で、クリスチャン・サイエンス・モニターというところのWebから Placebo で検索するとこういうのが見つかりました。アメリカにはキリスト教系の団体は沢山あり、クリスチャン・サイエンスにせよ、他の団体についてもコメントする立場にはありませんが、もし偽薬は効果があるという間違った考えを、幾つかの団体が、各自が解釈する教義に結び付けて過去に成員に教えてきたなら、2001年のNEJMは天動説を否定するような反響を呼び、学者や教授をしている成員が「偽薬は効く」という”証拠”を、何が何でも探し出すかもしれません。そして「信じる物は癒される」という教義は正しいと、偽薬は効くとの考えを「布教」するために宣伝したり本を出したりするかもしれませんし、「都合の良い」データだけを集める事さえするかもしれません。それらの本は、相当に科学に詳しくないと「ちょっと信用できないな」と見分けられないものから、支離滅裂で「何じゃ、これは?」的な物まであるでしょうが、質に関わらず売れれば商売になりますから、代替療法のブームを受けて翻訳され、販売され、日本でも信じる人が現れるわけです。
偽薬は効くか効かないかは、あと50年経っても議論しているでしょうね。天動説も法王が公式に認めたのは2008年との事ですから。 -- Tolena 2009年10月12日 (月) 06:14 (UTC)[返信]
コメント根拠に基づいた医療医療行為とは異なります。根拠に基づいた医療では著しい効果の再現性が存在することが求められます。実際のところ、動物実験で再現性が認められてFDAや厚生労働省の新薬承認試験(治験)に年間数十件ほど審査に掛けられますが、約2/3の治験薬は再現性が現在使用されている薬よりも著しく上回らないという理由で新薬として認可されません(たとえば歴史的な丸山ワクチンが認可されなかったのは再現性がなかったためではなく、著しい再現性がなかったためです)。いいかえると再現性のないプラセボ薬は既存薬や新薬以下の信頼性しかないという点は認識すべきです。医療行為はすべてやりつくすべきであるという主張からみれば、過去に治療実績のある方法を採用しない理由はないという倫理的な主張は否定しませんが、信頼性の低い治療法(プラセボ治療)を信頼性の高い治療法より先に実施すべきであるというのは医療専門家としては道義的責任を欠いた主張であると考えます。--あら金 2009年10月20日 (火) 07:46 (UTC)[返信]