ノート:五島勉

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コメントアウトした点について[編集]

五島氏の著書、特に『大予言』シリーズについては、ノンフィクション作品として捉え、その捏造を批判する立場と、純粋に創作として捉え、そのエンターテインメント性を評価する立場(山本弘氏、酒見賢一氏など)の二通りがありえます。本文中の「虚構」「フィクション」などを「捏造」と書き換えた方がおられますが、その表現は前者の立場にしか当てはまりません(歴史小説などに創作を織り込むことについて、史実の捏造と表現するのはナンセンスです)。である以上、「五島氏の著書には史実ではないことが含まれている」という事実をWikipedia:中立的な観点に適合するように書く場合、「捏造」と表現するのは問題があると考えます。 また、安藤氏のインタビューですが、

>「予言はあたりませんでしたね」という問いかけに対し、五島は「この予言は警告だったのだ」という的外れな言い訳をし、安藤を失笑させた。

というくだりは不要ではないでしょうか。本文中に「1980年代後半以降には、滅亡を回避できる可能性や、予言がもつ警告としての意義を強調するようになった」と書いたとおり、五島氏は80年代後半以降、「滅亡はないかもしれない、あれは警告だ」という主旨の発言を様々な本でしています(個人的にはそれは単なる責任逃れの布石だったのだろうと思いますが)。ですので、2004年の五島氏の発言は従来の流れに沿ったものに過ぎません。1999年以降に変節したかのように読める安藤氏の問いかけとコメントは、単に五島氏の著書に対する認識不足から来るものであって、内容的にあえてこの記事で特記すべきものであるとは思えないのです(インタビューしたという事実自体を残したのは、五島氏がメディアでとりあげられた恐らく最も新しい事例という点を勘案しているためです)。

加えて、「反省の色がない」とする記述は削りました。予言を信じた人々への謝罪の意志は何度か示しているからです。個人的には、フィクションを多く盛り込んだことなどへの批判に真っ向から向き合う釈明を一度も示していない以上、謝意を本心からのものとは受け止められないだろうとは思いますが、そうした主観的評価は百科事典に記載すべきではないと考えるからです。--Sumaru 2006年12月22日 (金) 13:08 (UTC)微調整--Sumaru 2006年12月22日 (金) 13:41 (UTC)[返信]


ノストラダムス氏の著作者人格権はどうなるのでしょう。--ハエ叩きと虱潰し 2007年9月11日 (火) 22:30 (UTC)[返信]

質問の趣旨がよく分からないのですが・・・。ノストラダムスの時代には著作権やそれに隣接する概念は確立していません(当時の「特認」「出版許可」は、出版業者の権益や異端審問の観点に基づくものです)。確立していたとしても500年前の人物ですから既に消滅しています。子孫に継承できる類の隣接する権利についても、直系の子孫は17世紀までしか辿れないため、考慮の必要はないと思います。--Sumaru 2007年9月12日 (水) 04:27 (UTC)[返信]

ご教示ありがとうございました。ただ、著作権は消滅しているのですが、著作者人格権は人格権と同質の権利ですので消滅することはありません。まさか泉下の著作者が訴えてくることはないでしょうが。--ハエ叩きと虱潰し 2007年9月13日 (木) 03:24 (UTC)[返信]

一般的には、著作者人格権は著作者の死亡と同時に消滅していると考えます。死者の名誉やプライバシーについての議論はありまして、「死者の人格権」が判例で肯定されたことはありますが。但し、著作権法第60条は著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為を禁止しており、第120条には罰則規定(五百万円以下の罰金)があります。親告罪ではありません。ベルヌ条約は「内国民待遇」「遡及効」を定めていますから、500年前の外国人の著作物といえども著作権法第60条、第120条による保護と無関係ではありません。--黄金もち 2007年9月13日 (木) 08:12 (UTC)[返信]

『1999年以後』について[編集]

ラウシュニング云々について、「よく読むと五島自身は著書の中で複数のソースを明記している。」とする反論が記載されていますが、これは反論として意味があるのでしょうか。反論として意味を持たせるためには、明記されている複数のソースの中に五島氏が紹介している予言が確かにある、ということが示されなければならないはずですが、そういう事実はあるのでしょうか。

五島氏が、ありもしない史料(例「ブロワ城の問答」「ダレルの証言」)を捏造したり、実在の文献から引用したように見せかけた架空の史料(例「デュペーブの本に基づくノストラダムスの手紙」。五島氏が引用した手紙に、デュペーブの本に実際に掲載されているものは1通もない)を引っ張り出すという手法はノストラダムス関連で散々見ていますので、単に「複数のソース」を明記しているということには特記する意味はないと思います。

というか、そもそも大ベストセラーになった『大予言』以外の著書への批判やそれへの反論を連ねるのは、文脈から少々浮いているようにも思えます。--Sumaru 2007年4月14日 (土) 11:08 (UTC)[返信]

反応がなかったため、コメントアウトしました。--Sumaru 2007年4月23日 (月) 13:37 (UTC)[返信]

2012年滅亡説に関して[編集]

この版で加筆された部分をコメントアウトしました。まず「逆に2008年に行われた週刊文春等のインタビューに対しても拒絶するなどメディアから逃避する傾向が目立ってきている。」とある点について、出典が示されておらず、この1件だけなのか他にもあるのかが分かりません。仮にこの1件しかないのなら、傾向が目立つというのは明らかに言いすぎです。

当然のことながらマヤ文明2012年12月22日人類滅亡説、フォトンベルト説に対しても無視の態度を取り続けている。」についてですが、御健在なのだとしてもかなり高齢のはずで著書を執筆するのはかなりきつい可能性もありますし、無視と決め付けるのは妥当でないように思います。

実際のところ彼がこれら2005年以降の終末論ブームに対してどのような見解を持っているのか興味深いことである。」については加筆者の主観ですから、本文に書くべきことでないと判断しました。--Sumaru 2009年4月12日 (日) 02:02 (UTC)[返信]


ANS 五島勉が2012年問題に対してシカトを決め込むのは最近に限ったことではない。 2004年には確か日蓮関係本を書いていたはずだが当時すでにフォトンベルト関係で広くこの問題が取り上げられていたのに一切無視。 そもそもこの問題は1999年前後に発行された出版物にすら取り上げられているのにだ。

彼がマヤ・インカ文明に関して注目していないならまだ分かる。 しかし90年代に出版された「大予言」の中でエルニーニョ現象を取り上げる際にインカ文明を中心に取り上げているのにだ!

だいたい昔パレンケ遺跡の石版を題材に取り上げていながらアステカカレンダーについては知りませんとは言えないだろう。

そもそも彼自身、大予言中東編でこの年号を取り上げている。 ただしマヤ暦についての記述はなく彼には珍しく「ポジティブ」な「予言」のしかただったが・・・

彼は何かアステカカレンダーに恨みでもあるのだろうか?

ところでインタビュー蹴りについては文春そのものが出典。 号数については失念ご容赦。 ただし2月ごろ発行された号の中にあったはずだからバックナンバーを検索してみれば・・・ 編集部がインタビューしようにもほとんど門前払いの扱いだったとのこと。

しかし2007年の双葉社発行EX大衆の予言特集号に対しては「非常に暖かい」コメントを寄せているのにねー。

まあ「ご高齢」だから最近急に「弱られた」のかもしれない。 文春編集部を叩き出す「お元気」はあるようだけども・・・ prt 2009年4月13日 (月)

コメントありがとうございます。ですが、疑問点が多かったため、再びコメントアウトさせていただきました。
まず確認しておきたいのですが、五島氏には滅亡説がブームになったときに逐一コメントする義務はありません。
ファティマでローマ教皇関連を扱ったときにも聖マラキの予言をほとんどスルーしたり、聖書預言をくり返し扱っているのに死海文書ナグ・ハマディ文書をスルーしたり、聖徳太子の予言に触れてもそれ以外の日本の予言書(出口王仁三郎日月神示)を扱わないなど、彼の扱うテーマに偏りがあるのは前からのことです。いまさらそこに一例加わったからといって、特筆する意味があるのでしょうか。
文春についてですが、あなたが嘘を言っているとは申しておりません。「『2012年』についてコメントを1度拒否した」というのは事実でしょう。ですが、そこから「メディアから逃避する傾向が目立ってきている」と結論付けるのはあなた個人の論評でしかありません。まして、他の雑誌でコメントしたというのなら、事実に反していませんか?
「興味深いことである」を「興味が持たれる」に変えたところで、あなた個人の感想であることにかわりありません。Wikipedia:言葉を濁さないをご覧下さい。
上に述べたように、私はこの件を加える必要があると思いませんが、「『2012年』についてコメントを1度拒否した」という事実を簡潔にかつ淡々と述べるにとどめるのならば、譲歩案として賛成します。もちろん、それも出典を示す責任は掲載を希望する側にが満たされた上でですが。--Sumaru 2009年4月13日 (月) 13:55 (UTC)[返信]

RE まず誤りを一つ指摘させて頂く。

聖マラキの予言について彼ははスルーするどころか非常に重要視している。

(「ファテイマ第3の秘密」を読まれたし。出口王仁三郎についても確か日蓮関係で取り上げていたはず・・・大きな扱いではなかったが・・) さて、「『2012年』と五島勉」について再び語らせてもらう。

何故この問題にこだわるのかと言うと、1999年の予言が外れ非難、嘲笑の渦にも関わらず執筆を続行してきた彼が、この問題が世間に大きくクローズアップされ始めると同時にまるで見計らったかのごとくフェイドアウトしてしまったからだ。

良く指摘されることだが、1999年に何も起きないことは五島勉が一番知っていたと言われる。

事実1983年「大予言4」以降はシリーズの中で彼自身がこのことを直接、間接を問わず表明している。

このことはノストラダムス自身にもいえることなのだが1999年にこだわるあまり後世の人間がかってに曲解していたに過ぎないと言われる。

彼にしても同じことで「1999年には人類は滅亡しない」と何度も主張してきたのは他ならぬ五島勉なのだ。

ただ大きな鍵となることが起きることは匂わせているが・・・

また偏りというが彼の著作を見てみると「予言関係」で一般受けする著名なところはあらかた「手を出している」

ファテイマしかりマラキしかりケイシーしかり・・(日月神示など幾分マニアックなもの、そして「2012年アステカカレンダー」を除いては・・・)


ならば彼は何を目的としていたのだろうか・・・

小生が感じるに年代ごとの彼の著作を振り返って見ると、彼がなにかしら一つの役割を果たしているのではないかという疑念だ。

考えてもらいたい。

例の1999年の詩なくしてノストラダムスの各作品を今現在再検証してみると、外れどころかより真実に迫って来ている。

何時までも続くどん底の大不況、格差社会、悪化する地球環境、国際情勢・・・

しかし1999年が外れた、というただそれだけでその後のノストラダムス研究はすべては停止というより封印をされた状態になっている・・・

世間一般表向きは・・ ・ これが五島勉、いやさ彼の背後にいるものの狙いとするならば・・・

となると「2012年アステカカレンダー」についての言及を避ける彼の姿勢にも何かしら興味深いものも感じられるのだが・・・

幾分陰謀史観じみたが、例え高齢や他の理由があるとするなら本文の「2006年以降も執筆活動は続けている」の箇所は「2004年以降は執筆も滞りがちにになっている」に訂正すべきだろう。

2004年日蓮関係の書籍を最後に最近彼が「筆を絶っている」ことは事実なのだから・・

ただ当方としては彼のタイミングを見計らったような「執筆計画」に非常に興味深いものを感じるので再度追加させていただく。

「2004年以降は執筆も滞りがちにになっている。ただ最近注目されているマヤ暦2012年については何故か以前から言及を避けてきている」

prt 2009年4月14日 (火)

追伸

聖マラキの予言で思い出したが、五島勉が「筆を絶って」程なくして「労働者の太陽」ヨハネパウロ2世がお亡くなりになり「オリーブの栄光」ベネディクト16世が111代めのローマ法王になられた。

これも彼の「筆が重くなる」原因でなければ良いのだが・・・

prt 2009年4月14日 (火)

>まず誤りを一つ指摘させて頂く。
>聖マラキの予言について彼ははスルーするどころか非常に重要視している。
>(「ファテイマ第3の秘密」を読まれたし。
当然読んでおります。該当箇所を引用しましょう。
抽象的なうえ、一節ずつが短いので、いろんな解釈はあるが、よく意味が分からない。また、さほど問題とする内容とも思えない。旧約聖書やイエスや仏教やノストラダムスの予言を見てきた目で見ると、「マラキは二流品だ」というのが私の感想である。
ただ、恐ろしいのは、この「マラキの予言」、あとがあまりないのだ。(五島勉『ファティマ・第三の秘密』祥伝社pp.137-138. 強調は引用者)
どこが「非常に重要視している」のでしょうか。たんに残り少ないということをファティマの予言と強引に結び付けているだけで、マラキの予言にどんなものがあるのかを一切紹介していません
あなたがどういう御見解を持とうとそれは勝手ですが、ウィキペディアで編集をなさる以上、その基本方針とガイドラインを尊重していただかなくてはなりません
たった1件のインタビューを元に「逃避する傾向が目立ってきている」と評価したのはどなたですか。あなたですよね。
「どのような見解を持っているのか興味が持たれるところ」なのはどなたですか。あなたですよね。
こうしたことはWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:言葉を濁さないに反するのです。
そもそも文春のインタビュー自体、あなたのうろ覚えでは話になりません。出典を示す責任は掲載を希望する側にを満たしてください。上のマラキの1件を認識した後ではなおさらあなたのご記憶を無条件に信頼するわけにはいきません。しかるべき根拠が挙げられないまま引き続き記事のコメントアウトが解除されるようなら、Wikipedia:保護依頼を出すことも検討しなければなりません。--Sumaru 2009年4月15日 (水) 14:06 (UTC)微修正--Sumaru 2009年4月15日 (水) 14:07 (UTC)[返信]

2010年夏、長きに渡った執筆停止期間を経て突然活動を再開した点について[編集]

この時点においてSumrau氏が以前述べられていた「最近ご高齢のため執筆活動は困難」云々というご指摘は根拠を失った訳だが、 何故今更この時期に「ご高齢」である彼が「老骨に鞭打ち」執筆活動を再開したのか、その真意は何なのか かつての虚報に対してどのような弁明をするのか探っていきたい。--以上の署名のないコメントは、222.3.0.158会話/Whois)さんが 2010年8月22日 (日) 12:51,12:57,12:59(UTC) に投稿したものです(Sumaruによる付記)。

私の指摘はあくまでも以前のIPユーザー氏の指摘が勝手な思い込みであることを示すために、一つの可能性として「御健在なのだとしてもかなり高齢のはずで著書を執筆するのはかなりきつい可能性もありますし、無視と決め付けるのは妥当でないように思います」と述べたにすぎません。それが誤っていたとしても、IPユーザー氏の思い込みが正当化されるわけでは全くない、という点ははっきり強調しておきたいと思います。そもそも、執筆がきつくなっているからこそ執筆ペースが落ちているだけという見方だってできるわけですしね(苦笑)。
そもそも貴方はきちんと下調べをし、件の著書をお読みになりましたか。2010年7月に出たなどと加筆しておいでですし、上でも「夏」と書いていらっしゃいますが、『未来仏ミロクの~』は2010年3月に出ています。『ムー』先月号や今月号のインタビューあたりしか読まずに、早合点なさったのではないかという可能性も想定できるのですが、どうなのでしょうか。
根本的な点として上でも「興味深いことである」を「興味が持たれる」に変えたところで、あなた個人の感想であることにかわりありません。Wikipedia:言葉を濁さないをご覧下さい。と述べてありますが、ウィキペディアは貴方個人の「興味」ある点を「探って」いく場ではありません。納得いかないのなら、Wikipedia:独自研究は載せないあたりを理解できるまで熟読なさってください。--Sumaru 2010年8月23日 (月) 12:27 (UTC)[返信]
3月だろうが7月だろうが6年以上の空白後、しかも高齢でありながら活動を再開されたことは間違いないだろう。前の版だと貴方の思い込みが目立たないしね・・「独自研究」という決まり文句ご自分の間違いをお認めにならないとはこちらこそ苦笑を禁じえない。
>>御健在なのだとしてもかなり高齢のはずで著書を執筆するのはかなりきつい可能性もありますし、無視と決め付けるのは妥当でないように思います」と述べたにすぎません。それが誤っていたとしても、
それこそ貴方の思い込みの最たるものだろう。他人は「独自研究」でこきおろし、自分のミスについては自己弁護の後スルーですか?
大体、後半部分については名誉毀損スレスレというよりもろ該当の記事の満載のご様子。
少し中立的・客観的見地からご自分の記事を見直されたらどうか?
五島氏のことを笑えませんよ。--以上の署名のないコメントは、222.5.10.141会話/Whois)さんが 2010年8月24日 (火) 11:14,11:25(UTC) に投稿したものです。ついでに段下げを調整させていただきました。--Sumaru 2010年8月24日 (火) 12:38 (UTC)。曜日の間違いを修正--Sumaru 2010年8月25日 (水) 12:03 (UTC)[返信]
なにを仰りたいのだかよく分かりません。私は「彼は高齢だから今後二度と出版しない」などと申し上げたわけではありませんし、それを間違いなどと決め付けられ続けるいわれは全くありません。
だいたい他人に対して「間違いを認めろ」と主張する方が、発売された月という客観的に検証可能な事実を間違えたことについて「3月だろうが7月だろうが」だけで押し切るのですか(苦笑)。
名誉毀損スレスレというよりもろ該当」というのも何のことか分かりません。貴方が本を読んでいない可能性に触れたことが名誉毀損に当たるというのなら、本を読んだことがあるということでよろしいのでしょうか。だとすれば、貴方は1ヶ月程度以内に読んだ本の奥付すら確認せずに記事本文の加筆をするという、極めて粗雑な行為を行ったと判断せざるをえませんが、それでよいのでしょうか。
貴方の加筆を独自研究だと申し上げているのは、貴方がそれを記事本文に書いているからです。私は五島氏の執筆ペースと年齢の関係について記事本文に書いたことはありません。あるというのなら、いつそうしたのかお示しください。
なお、貴方(であろうIPユーザー氏)が上で書いていることが正しいのなら、雑誌のインタビューには応じていたのでしょう。「沈黙を破って」などという表現は失当でしょうね。仮になおも「沈黙を破った」などという表現にこだわるのなら、まずは上で書いていたことの「間違いを認めて」いただきたいものです。
「突然」などという大仰な表現も不要ですから再度差し戻させていただきました。そもそも「活動を再開」などともお書きですが、この1冊の後、再び活発な執筆活動を行われるであろうことを確信させる信頼できる情報源はお持ちですか。現時点で客観的に確認できるのは、6年ぶりに新著を1冊出した(またそれに関連して雑誌のインタビューに応じた)ということだけでしょう。--Sumaru 2010年8月24日 (火) 12:38 (UTC)[返信]

本名について[編集]

羽仁礼『超常現象大事典』p.258に「本名力(つとむ)」とあります([1])。本名は後藤力ではなく五島力では? --Nodo gordiano 2011年2月15日 (火) 14:48 (UTC) 自己解決しました。著者自身が「本名後藤力」と訂正していたのですね([2])。失礼しました。--Nodo gordiano 2011年2月15日 (火) 14:52 (UTC)[返信]

先日の加筆について[編集]

2013年4月27日の加筆で、黒沼氏を怒らせたという加筆がなされましたが、削りました。五島氏の一方的な主張であり、しかも黒沼氏本人でなくファンからそう言われたと五島氏が主張しているだけでは、あえて書く必要性に乏しい情報だと思います。なお、黒沼氏の『予言物語』(河出文庫、1987年)の志水一夫氏の巻末解説には「先年日本のある人が書いた本をきっかけに、唐突にブームになった時には、もうお年のせいで以前ほど筆が早く進まなくなってしまっておられたため、大変にくやしい思いをされたと伝え聞いている」(同書p.251)とあり、別に黒沼氏が五島氏個人に不快感を抱いていたようには読めません。

それと予言詩を逐一引き合いに出し、個人サイトへの外部リンクまで貼るのは明らかに不適切な編集ですから、恐怖の大王を9・11に結びつけるようになっているという事実のみ示すように書き換えました。

また、別の方の加筆では、安藤氏とのインタビューが長々と引用されましたが、1999年7月以降だけでも10近く確認できるインタビュー類の中で、あれだけをあえて長文で引用する必然性がまったく分からなかったので削りました。その辺はこのノートの一番上の#コメントアウトした点についてと重なります。とりあえず事実関係自体は残しましたが、すでに一番新しいメディア露出の例ですらなくなって久しいので、個人的には安藤氏とのインタビューのくだり自体削除してもいいくらいだと考えています。--Sumaru会話2013年4月28日 (日) 03:20 (UTC)[返信]

2013年11月25日の差し戻しについて[編集]

この版を再び差し戻しました。理由は以下の通りです。

  • 五島氏の執筆分野は幅広いので「超常現象作家」などという限定は不適切ですし、どうしても書きたいというのなら、そのように規定している信頼できる情報源を挙げるべきでしょう。なお、「小説」は普通フィクションですから、「フィクション小説」などという表現は冗長だと思います。
  • 創価学会は当時も現在も五島流の終末思想を必要としておらず、『ノストラダムスの大予言』の内容は教義や理念と真っ向から対立するため、上記の『噂の真相』の記事は論理的根拠が欠落してる」は、出典がなければWikipedia:独自研究は載せないに抵触します。
  • 過多に誇張した見方がごく一部に見られる」などという書き換えは不適切です。ほかにも山本弘氏などもそう位置づけていますし、「ごく一部に」などと限定するのなら、両者の関連性を認めない(あるいは希薄であるとする)見方がどれだけ存在するのかを具体的に示すべきでしょう。
  • しかしながら本書や科学的根拠のある専門書ではなく超常現象解説書であるので、フィクションがあっても当然である」「ただし五島の著書は根拠のある専門書ではなく、商業的成功を目的として書かれた超常現象のトンデモ本であるので、内容の虚構に対する批判は範疇外であり不適切であるとも言える」なども、出典がなければWikipedia:独自研究は載せないに抵触します。まして、五島氏の『大予言』シリーズはトーハンや日販のベストセラーランキングでも常に「新書・ノンフィクション」部門に分類されていたわけですし、むしろ虚構性への批判がなければ、そのフィクション性は広く認知されることがなかったという見方も出来ますから、フィクションであることを所与として、その批判の不適切さを指摘することには、しかるべき出典が求められるはずです。また、「商業的成功を目的として書かれた」という出版意図の断定にも、当然出典が必要でしょう。

以上です。--Sumaru会話2013年11月25日 (月) 03:38 (UTC)[返信]