ノート:中華民国の歴史

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【ただし、中華民国は建国直後から国内が終止分裂状態にあり、1949年中華人民共和国が成立するまでに、国家主権を全国内で行使することができる「統一政府」が最後まで存在することは無かった。】

「統一政府」の定義が不明ですが、帝政運動以前の袁世凱政権や、張学良易幟後の南京国民政府は、モンゴルとチベットを除く各地に対し、「中央政府」としての権威を確立していましたので、それに合わせ、本文を訂正しておきました。(Dalaibaaturさん)

はじめまして、Dalaibaaturさん。そうですね。表現の仕方の問題かもしれませんが、そのとおりかと思います。
ところで、書き込みとハンドル名から察するに、近世以降のモンゴル史にお詳しいかたかと存じます。現在こちらの記事の内容には中国内地の問題はカバーされているものの、中華民国時代に大きな問題となり、現在まで続く非漢族地域の問題(外モンゴルの独立、内蒙古・チベットの独立失敗...etc)の記述を欠いている状態です。もしご余裕がありましたらということで、加筆の勧誘をさせていただきます(私自身書こう書こうと思っても、知識も現実的な時間の余裕もなく)。
そうそう、署名はチルダ4つを打ち込むと(~~~~)執筆時間つきで表示されますので、ノートに書き込まれる際にはご利用ください。では、今後ともよろしくお願いいたします。Aboshi 2005年1月20日 (木) 04:56 (UTC)[返信]


Aboshi 様。 いろいろアドヴァイスありがとうございました。さっそく、中華民国の項に補足をいたしました。

60.35.168.95 様。 【チベットモンゴルでは「文殊皇帝」の退陣を理由に独自の民族政権樹立を目指す動きが起きた為、】というご記述についてですが、独自の民族政権はすでに樹立されており(チベットのダライ・ラマ政権は1642年から、モンゴルジェプツンダンパ政権ボグド・ゲゲーン政権)は、1910年ごろから)、彼らが目指したのは、中国とは別個の国家としての国際的承認でした。

清国の遺領上に成立した諸政権のうち、漢人の諸政権が「中国の中央政府」の地位を目指して互いに抗争しつつも、「中国」の枠組みについては、「清国の遺領」全体を領域とする点で一致していたのに対し、チベットとモンゴル(のちに東トルキスタンも)の民族政権はこれらとはことなり、中国とは別個の独立国としての地位を求めて行動した、という点がポイントになるかと思います。

最低限の修訂をくわえるとするなら、【チベットモンゴルの民族政権は、それぞれイギリスロシアの支援を受けながら、「中国とは別個の独立国家」としての国際的承認を目指す動きを取った為、】となろうかと思います。 ご自身で修正を貫徹させるということですので、ご参考までに。 Dalaibaatur 2005年2月2日 (水) 06:03 (UTC)

疑問のある記述

【北伐を展開していた革命軍は国民党と共産党に分裂し】 国民党の右派が、「個人の立場で国民党に入党」していた共産党員たちの追放を図ったもの。

【更には革命軍に参加した一部の旧軍閥も元通りに戻った為】 意味不明。軍閥たちが中央政府の地位獲得をめざして、抗争し合う状況は終息したはず。

【革命軍の制圧地域内は支配者によって分断され】 意味不明。「分断され」とはなにか。

【北伐は結果的に失敗に終わった。】 軍閥混戦が終息し、全国的権威を有する中央政府が確立されたことは、ひとつの大きな成果である、という見方も可能。「失敗」という価値判断を抽象的に、一方的に押し付けるのではなく、何を達成し、何を達成しなかったかを、個別的、具体的に描写すべき。--Dalaibaatur 2005年7月7日 (木) 16:31 (UTC)[返信]

記事の整理

「北京政府時期」記事のなかに非漢民族についての詳細な記述がありますが、小見出しとして「中華民国と非漢民族 」があげられている以上、「北京政府」記述内の該当部を削除し、「中華民国と非漢民族 」部分に統一したほうが読みやすい記事になると考えます。 いかがでしようか。--sower05 2006年8月7日 (月) 00:11 (UTC)[返信]

sower05 氏の2006年8月11日 (金) 09:19の編集で削除した文面について、削除理由を上記では「非漢民族についての記述」、履歴の要約欄では「重複」をあげていますが、どちらも誤りであるので、sower05 氏のいう「統一」には反対し、もとの文面をもとの位置に復元しておきます

sower05 氏の「非漢民族についての記述」という理解にについて キャフタ会議シムラ会議は辛亥革命以来はじめて、中国の枠組みに一応の国際的了解をみたできごとで、英、露などの列強を巻き込んで展開されています。すなわち単なる「非漢民族について」の記述どころか、 袁世凱政権期の一大事件です。したがって袁政権以降の歴代政権の「非漢民族」の記事と並べて埋没させるのではなく、袁世凱政権時期の重要な国際的トピックとして、袁世凱政権期の記述のなかにこそ置くべきだと考えます。--Dalaibaatur 2006年8月12日 (土) 19:09 (UTC)[返信]

sower05 氏の「重複」という理解にについて sower05 氏は、履歴に記入した削除理由では「重複」を挙げておりますが、実際には氏のいう【北京政府期(1912~1928) - モンゴル、チベットについての記述】と、【「中華民国と非漢民族」部】とで、「内容が重複する」部分はほとんどありません。ゆえに氏が削除した文章のうち、実際には内容が重複していないものについては、もとの位置に復元しました。結果的には「元の文章を全文復活」となりました。

  1. 「北京政府期(1912~1928)」で扱われている内容は、上記でもふれている「キャフタ会議」、「シムラ会議」などでうす。
  2. 「民族問題」であつかわれているのは、【清朝の遺領配分をめぐる中国とモンゴル、チベットの立場】および中華民国における「民族業務処理機関」の概要です。

このように、内容的にはまったく「重複」などありません。--Dalaibaatur 2006年8月12日 (土) 19:09 (UTC)[返信]

Dalaibaaturさんの意見は、「民族問題」内で、すべての民族問題を取り扱うことについて問題があるというものと理解してよろしいでしょうか。 「民族問題」をとりあつかっている項目がある以上、また読みやすさということから、民族問題はそれをもっぱら記述している箇所にまとめた方がよいのではないでしょうか。 それを「埋没」ととるかどうか、意見がわかれる箇所ではあります。 もちろん、Dalaibaaturさんが述べておられるように、袁世凱治下での重要なできごととして記述すべきという意見も参考にあたいするものであるとおもいます。 ただ、現行の記述ほど詳細なものでなくとも、たとえば、「中華民国の成立によって、清に従属していたモンゴル、チベットの独立の気運が高まった。これにモンゴルへの進出をねらうロシア、チベットへの進出をねらうイギリスの思惑が重なり、両地域を自国領土とす中華民国との対立が生じた。この解決をはかりキャフタ会議、シムラ会議が開かれた結果、両地域の独立はおさえられ、中華民国の宗主権が認められることになった。」、程度の簡単な紹介でよいのではないかとおもいます。事の詳細は各記事にまかせ、おおまかな流れをつかむことができればよいのではないでしょうか。--sower05 2006年8月21日 (月) 01:18 (UTC)[返信]

Dalaibaaturさんの意見は、「民族問題」内で、すべての民族問題を取り扱うことについて問題があるというものと理解してよろしいでしょうか。】とのことですが、私の「意見」に対するご理解としてはまったく誤りですので、そのようには理解しないでいただきたいですね。キャフタ会議シムラ会議ロシア英国という中国の南北に当事隣接していた2大列強と、中華民国政府とが【中国の枠組み】について合意を形成しようとした近代中国史上の一大事件であって、たんなる「民族問題」にはとどまらない意義をもつ事件ですので、「民族問題をもっぱらあつかう節」のなかに埋没させることにはまったく反対します。
この事件を「民族問題」としかご覧になれない方には「詳細」すぎるように思えるのかもしれませんが、私としては、現状でも簡潔すぎて説明不足であると感じておりますので、要約はご遠慮もうしあげたいと思います。先の編集ではまったく重複がないにもかかわらず「重複」を理由に根こそぎ削除されましたが、再度の根こそぎ削除その他の「記事の整理」を強行なさらないようあらかじめお願いしておきます。--Dalaibaatur 2006年8月23日 (水) 22:08 (UTC)[返信]

Dalaibaaturさんのご意見、民族問題と外交問題についての別をしている、と理解しました。 ただ、現状の記述は、やはり北京政府の説明としてはモンゴル、チベット問題に偏りすぎており、それ以外の外交問題(片馬問題、間島問題、不平等条約撤廃への動きなどなど)についての理解が考慮されていませんし、それらを記述する場合にはもちろん全体のバランスを考えねばならず、結果的にひとつひとつの記述がDalaibaaturさんにとって「簡潔すぎて説明不足」に陥る可能性があることをご配慮くださるようお願いします。 Dalaibaaturさんが満足するような詳細な記述は、本記事のような概略を説明する項目よりも、リンク先それぞれにおいてなされるほうが有効だと考えます。--sower05 2006年8月24日 (木) 05:16 (UTC)[返信]

sower05さんもしくはその他の方が、「それ以外の外交問題(片馬問題、間島問題、不平等条約撤廃への動きなどなど)についての」記事を充実させることに取り組むことには大賛成です。それにより【モンゴル、チベット問題に偏りすぎ】という問題は解消されます。記事の文面のバランスの回復は、記事の充実によって是正すべきであって、現行の文面の根こそぎ削除要約は、特にご自分が執筆したのではない文章でない場合には、慎重に行っていただきたいと思います。--Dalaibaatur 2006年8月26日 (土) 07:34 (UTC)[返信]
2007年に、sower05の主張する削除を強行したIP氏がおられるようですが、とりあえず不同意を表明しておきます。--Dalaibaatur 2010年2月10日 (水) 07:38 (UTC)[返信]

シムラ会議とキャフタ会議

上節で、繰り返し「シムラ会議とキャフタ会議」の記述について削除しないよう述べているにもかかわらず、「 2007年9月26日 (水) 16:35」のIP[202.250.174.200]による削除が行われました。そこで「重複を削りたい」というIP氏の願望も尊重し、「民族問題」の記事を増補する形で「シムラ会議とキャフタ会議」の記述を復活させました。--Dalaibaatur 2010年2月8日 (月) 21:53 (UTC)[返信]