ノート:三十三間堂

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正式名称が蓮華王院本堂なら、蓮華王院で項目を立てたほうがよいのではないでしょうか。霧木諒二 2004年7月14日 (水) 09:31 (UTC)[返信]

正式名称の蓮華王院本堂よりも三十三間堂のほうが、よく知られています。検索するときも、ほとんど三十三間堂ではないでしょうか。蓮華王院本堂での検索にかからないというのならば、リダイレクトという方法もあります。百楽天 2004年7月15日 (木) 17:22 (UTC)[返信]

三十三間堂は江戸深川にもあったから、こちらは「蓮華王院本堂」へ移動して、「三十三間堂」は曖昧さ回避にする手もありますかね。 2005年11月14日 (月) 14:24 (UTC) でも、りょうほうあると、混乱しますよね。[返信]

Toki-hoと申します。表題の件について、画像のノート、および、コモンズの当該画像のページに問い合わせをしております。ご参照のうえ、御異見ありましたら、お書き入れくださいませ。よろしくお願いいたします。Toki-ho 2006年3月15日 (水) 03:54 (UTC)[返信]

ご提案より一ヶ月がたちましたが、被写体の人物の肖像権について、コモンズの当該画像のノートページ撮影者のノートページになんの反応もありませんので、残念ながら、この記事からとりのぞかせていただきます。Toki-ho 2006年4月17日 (月) 02:33 (UTC)[返信]
個人的な意見だと通し矢の情景として撮っているもののようだけど?であれば人に見られる事が前提の行事を撮影したもので準パブリックスペースと思われるけど。個人的な意見なので詳しいことわわからんけど。--Nnn 2006年6月17日 (土) 18:13 (UTC)[返信]

とりあえず画像に{{Personality rights}}を張りました--Nnn 2007年5月31日 (木) 11:51 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

  • 三十三間堂から正式名称の蓮華王院本堂に改名を提案。金閣寺も正式名称になっているのだから、こちらも正式名称にすべき。「三十三間堂」はこちらへのリダイレクトとし、曖昧さ回避に誘導したい。--まっきんりい会話2015年6月13日 (土) 04:30 (UTC)[返信]
反対 今のところどなたからも賛否がありませんが、本項目は日本史、なかでも建築史、美術史、仏教史に関わる重要項目であり、「一週間待って意見がつかないので改名」ということではなく、今しばらく識者のご意見をお待ちして、慎重に取り扱うべきものと考えます。そのうえで、各位からの改名賛同意見が多数であればやむをえませんが、私としては現時点では改名「反対」を表明いたします。
「三十三間堂」という表記は江戸時代の地誌類でも使用されているもので、じゅうぶんに社会的な認知があり、「一般的である」「見つけやすい」ことや、リンク元の現状からして、現状維持のほうが無難と考えます。また、「蓮華王院」で検索すると、リダイレクトで本ページに転送されますし、記事冒頭で「建物の正式名称は蓮華王院本堂」と明記されており、10年以上前からこの名称で存在していて、これまで特に問題視されていないページ名を、あえて改名しなければならないほどの意義はなさそうに思います。
改名の理由として挙げられているのは、「金閣寺も正式名になっている」ということだけで、これでは十分な理由になっていないと考えます。寺院や神社の記事名では、通称が記事名になっているものは多数あります。寺院では柴又帝釈天豊川稲荷須磨寺など、神社では神田明神伊勢神宮滝尻王子などがそれで、これらの社寺の正式名をすらすら言える人はあまり多くないでしょう。「須磨寺が通称なのだから、三十三間堂も通称でよい」という考えも成り立ちます。
この問題については、寺院関係ではプロジェクト:仏教/寺院名についてに議論があり、神社関係では、最近ではノート:神田明神ノート:厳島神社などで議論されています。これらでおおむね支持されている意見は、少なくとも社寺のページ名については、「正式名称」を使用することは絶対的なルールではなく、もっぱら通称で呼ばれていて、正式名称が一般に知られていないものについては通称表記を認めてよいということです。プロジェクト:仏教/寺院名についてにおける議論はほぼ10年前のもので、その後これといった異論は出ておらず、日本の寺院の記事名については、現行のものがほぼ認知されていると考えます。金閣寺については、歴史の教科書や学習参考書にも正式寺号の「鹿苑寺」が登場し、「金閣寺」が通称であるということは常識レベルのことと思われるため、「鹿苑寺」でよいように思います。さらに言えば、三十三間堂の場合は、単独の寺院ではなく、「妙法院」というお寺の一部であるという特殊事情があります。三十三間堂は妙法院の「子院」とか「末寺」ではなく、妙法院の一部であって、三十三間堂自体には法人格はありません。記事冒頭で「建物の正式名称は」とわざわざ断っているのはそのためで、宗教法人としての正式名称は「妙法院」です。--Urania会話2015年6月17日 (水) 12:29 (UTC)[返信]
コメントShikiHでございます。改名するのはもったいない気がします。現在のウィキペディアでは三十三間堂と言えばこの蓮華王院本堂のこと。これを平等な曖昧さ回避にしてしまうと、三十三間堂の本家本元であるってことを放棄することになりませんか? まっきんりいさんは「「三十三間堂」はこちらへのリダイレクトとし」とおっしゃってますが、当分はそうなるとしても、リダイレクトのページは記事に書き換えてよいことになってますから、江戸深川の三十三間堂に書き換えられるかもしれない。そうすると三十三間堂は江戸、京都のは蓮華王院となってしまいます。--ShikiH会話2015年6月17日 (水) 14:38 (UTC)[返信]
報告それでは、今回はリダイレクトの解除による混乱を避けるために、改名することを取りやめます。--まっきんりい会話2015年6月20日 (土) 04:48 (UTC)[返信]
もはや不要かと思いますが、リダイレクトを普通の記事に変えても良い旨、書いてあるのはここです。Help:リダイレクト#リダイレクトの編集。みつかったので、書いておきます。--ShikiH会話2015年7月31日 (金) 15:32 (UTC)[返信]

三十三間堂の浮世絵について[編集]

表題の通し矢の浮世絵ですが、「御江戸富賀川(深川)三十三間堂」と記載されているので、京都の三十三間堂を模して、江戸に作られた方の三十三間堂を描いたものでは? (江戸三十三間堂のページを参照下さい) 矢は南から北へ放つので、北側の、奥の高い建物は方広寺大仏殿となりますが、そうすると、屋根形状が異なる(方広寺大仏殿は寄棟屋根ですが、絵では入母屋屋根のため)ので、その点が不自然です。(単なる作画ミスかもしれませんが) --Kyoto history会話2023年1月2日 (月) 05:05 (UTC)[返信]

画像ページの詳細を確認してみると、other versionとして、全く同じ構図で「京都三拾三間堂之図」と画中に記載されているものがありますね(File:Utagawa Toyoharu 04.jpg)。おそらく同じ板木を使いまわして、表題だけ京都、深川と変えたのだと思います(周囲には山が描かれていることから、景色自体は京都かと思います。)。リンクされている画像は御指摘の通り江戸と記載されているので、京都のものに差し替えておきます。--MizunoH会話2023年1月2日 (月) 06:25 (UTC)[返信]
元画像のFile:Toshi-ya 00.jpgも京都版のものに変えていただけたようです(御指摘のとおり当該浮世絵は京都版と江戸版があるようで、File:Toshi-ya 00.jpgは、当初京都版でしたが、ある方がより高画質なものに差し替えた際に、誤って江戸版になってしまい不整合となっていたようです)。お騒がせして大変失礼いたしました。--Kyoto history会話2023年1月4日 (水) 01:16 (UTC)[返信]