ノート:ホモソーシャル

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「萌え=ホモソーシャル」?[編集]

萌え=ホモソーシャルという趣旨の記述が含まれる節が初版より含まれています。初版投稿者によれば独自研究ではないとの事なので、さしあたり当該の主張を"セジウィック自身が"言ったかのように誤解させかねない構成のみを改めますが、そのような主張の出典はどこなのでしょうか?

セジウィックの学説をそのように展開をできる可能性はあるでしょうし、興味深いかも知れませんが、いまのところネット上のブログや個人サイトしか見つかりません。念のために申し添えると、Wikiepdiaにおける「出典がある」とは、社会的に権威あるものと認められた人物・機関等によって執筆・編纂された公刊物にさかのぼって記述が確認できることであり、個人サイトやブログは認められていません。--ikedat76 2006年5月21日 (日) 01:49 (UTC)[返信]

セジウィックの学説の一例を例え話として載せただけです--Diana 2006年5月21日 (日) 07:49 (UTC)--2006-05-21 10:09:28 (UTC) 利用者:Daina会話 / 投稿記録(履歴より署名・時刻を追加--ikedat76 2006年5月21日 (日) 15:18 (UTC)[返信]

  • ミソジニーからのリンクができたので、「異性愛者同士の友情かつ現実の異性に対する蔑視」の男性版という意味では、ホモソーシャルに例えた事を「なるほど」と思ったのですが、萌えとミソジニー、萌えとホモソーシャルの関連付けに関しては、本来の意味ではない事を強調すべきだと思います。私自身、「萌えと少女殺人」という大谷昭宏氏の独自概念を批判する有識者の言論を収集し、また私自身も批判していますので、この件についても慎重になるべきだと思います。古鳥羽護 2006年5月21日 (日) 06:48 (UTC)[返信]
萌えとホモソーシャルを関連付けるという見解について、繰り返しになりますが検証可能(en:Verifiability)かつ信頼できる情報源(en:Reliable sources)の伴った見解であれば、記載されてもかまいません。例えば、そういう概念の使い方をした論文が査読のある学術誌に載った…なんていう場合です。その一方で、ikedat76であれ古鳥さんであれ、個々のWikipediaユーザーがどう考えるか(批判的であれ賛同するのであれ)は、記載を妥当とするか否かを決める上で参照すべき基準ではありません。--ikedat76 2006年5月21日 (日) 06:59 (UTC)[返信]
「査読のある学術誌に載った事」まで、記載の基準を絞り込んでしまうと、流行や風俗に関わる事象の殆ど全部が書けなくなってしまいます。勿論、「利用者個人がどの様に考えるか」まで基準を緩めるべきではない事には同意します。ゲーム脳」は確かに森昭雄氏が発表した論文に端を発する事象なのですが、「フィギュア萌え族」は論文が元になった事象ではありません。「殺人事件の専門家」として広く認識されている大谷昭宏氏が主張した事で議論になったり、その話題性からネット上のスラングになったりした事などが項目として残された理由です。「ゲーム脳」についても、森氏の論文よりも「ゲーム脳の恐怖」という著作が議論になっているからこそ項目になっているのでは? よって「個人サイト、個人ブログ、掲示板」は論外としても、「著名人による放送や出版」は記載の対象としても良いのではないでしょうか?またそうだからこそ、「ノートで議論して合意を形成する」というプロセスが必要になるのでは? 「萌え」と「ホモソーシャル」や「ミソジニー」を関連付ける主張が、公のメディアに起因して話題になっているかどうかが問題なのだと思います。古鳥羽護 2006年5月21日 (日) 11:02 (UTC)[返信]
Dianaさん、お返事ありがとうございます。しかし残念ながら、満足のいくお返事ではありません。(1) 萌えがホモソーシャルの1例だとして、その例えの適切性はどこで担保されているのでしょうか。この適切性の担保として、上にも記したとおりverifiableかつreliableな情報源が求められているのですが、それについてお知らせいただいていません。(2)また、Dianaさんの編集では、セジウィックが萌え=ホモソーシャルと言ったかのように読者をミスリードしかねない構成になっているように思い、またその旨を編集要約で指摘いたしました。セジウィックがそのような例えを用いたのでしょうか? そうでないなら、誰が用いたたとえなのかはともかく、発言主体の混乱をまねくような構成は改めていただけないでしょうか。

セジウィックの学説が一部の女性嫌悪を抱くオタク男性に当てはまるという事を説明しただけで、「セジウィックが萌え=ホモソーシャルと言ったかのように読者をミスリードしかねない」というのは無理があるのではないでしょうか。Daina 2006年5月21日 (日) 16:19 (UTC)[返信]

古鳥さん
「査読のある…」はverifiableかつreliableな情報源の1つの例であり、学術誌でなければいけないとは私は主張していません。また、大谷氏についても、本件との関連性が理解できません。文芸理論家(セジウィック)によって提唱された文芸理論上の概念(ホモソーシャル)についての解説としての、本記事の記述の適切性を問題にしています。大谷氏の主張への批判は、大谷氏の記事、または適切な場所でお願いできないでしょうか。
ついでながら申し添えると、verifiableかつreliableな情報源に基づく記述のみを、という命題は私や古鳥さんの間で同意したりしなかったりできる問題ではありません。Wikipedia:基本方針とガイドラインにおいて中立性の指針などとともに「議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではない」と記されていることにご注意ください。--ikedat76 2006年5月21日 (日) 11:52 (UTC)[返信]
ご返答ありがとうございます。「学術誌」とは「検証可能かつ信頼性のある情報源」の一例だったのですね。読解力がなくてすいませんでした。大谷氏の主張については、この項目との直接の関係はありませんが、「萌え」を「女性蔑視」と主張する人に記事を壊されてしまいましたので、思わず書いてしまいました。すいませんでした。この項目に戻って話をしますと、「論争に参加するのではなく、論争それ自体を記述する」という姿勢で書くのだとしても、「ホモソーシャル」という項目が、学術的に論争されている項目なのか、流行や風俗の分野で論争されている項目なのかを考慮しないと、記事としての品質が悪くなると思います。私も、ikedat76さんがご指摘された様に、セジウィックが直接的に「萌え」を論じたわけではないという事に同意しますし、「ホモソーシャル」が流行や風俗における話題の中の用語になって本来の意味から転じて「萌え」について用いられてきているとも認識していません。現時点での「萌え」との関連付けは不適切ではないかと思います。古鳥羽護 2006年5月21日 (日) 12:29 (UTC)[返信]
ご理解いただけたようで幸いです。ただ、ホモソーシャルという概念は、文芸理論=学術における概念であり、それが「流行や風俗」に適用されたとしても、それはあくまでも「流行や風俗」に関する学術研究上の用法であると考えるべきでしょう。--ikedat76 2006年5月21日 (日) 12:41 (UTC)[返信]
そうですね。確かに流行や風俗に適用されたとしても、その有様については「検証可能かつ信頼性のある情報源」に基づいて書かないといけないですね。セジウィック本人でないにしても、「萌え」を愛好する男性オタク同士にホモソーシャルと表現する事が妥当な関係が生じているという事を、学術的に指摘した人が居ない事にはまずいですね。私自身、一度は「なるほど」と思いましたが、私自身が男性のオタクとして美少女趣味関係の「同好の士」との間で経験した感情を、「はたしてホモソーシャル的な感情だったのか?」と考えると、そうなのかもしれないし、違うのかもしれません。仮にセジウィックの学説の一例が「萌え」に当てはなるのならば、「女性芸能人のファンクラブの男性たちが感じている連帯感」にも当てはまってしまいます。なぜ流行や風俗のなかで「萌え」にだけ当てはまるのかという事が学術的に指摘されていないとおかしいと思います。古鳥羽護 2006年5月21日 (日) 14:56 (UTC)[返信]

(インテンド戻し)Wikipedia:検証可能性をお読みください。「萌え=ホモソーシャル」という命題が真である必要はなく、単にこの命題が“社会的に権威ある(=信頼性のある)”出典にさかのぼることができることを意味し、それ以外のことを意味しません。したがって、「学術的に指摘した人が居」さえすれば書くことは許容されます。ともかくDianaさんの応答を待ちましょう。--ikedat76 2006年5月21日 (日) 15:14 (UTC)[返信]

了解しました。勉強になりました。なるほど、独自の調査の禁止の点から見ても、検証可能性は大事ですね。「萌え=ホモソーシャル」という命題が偽であるとしても、検証可能な情報源で発表されたものなれば書くべきなのです。勿論それへの反論が、検証可能な情報源で発表されているのならば、それも書く必要があるわけですね。それでは、Dianaさんの応答を待ちましょう。古鳥羽護 2006年5月21日 (日) 16:09 (UTC)[返信]

正確には「萌え=ホモソーシャル」ではなく、萌えとホモソーシャルの関連性です。Daina 2006年5月21日 (日) 16:19 (UTC)[返信]

ご返答ありがとうございます。Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自調査の禁止をお読み下さい。「萌えとホモソーシャルの関連性」が真であれ偽であれ、「検証可能(みんながそれを読める)かつ信頼性のある(偏った事やいい加減な事を書かないと信用されている)情報源」が、「萌えとホモソーシャルの関連」についての情報を公にしていないとまずいのですよ。--古鳥羽護 2006年5月21日 (日) 16:47 (UTC)[返信]

Dainaさん 議論の流れを追うのが困難になるので、コメントは順次 最下部にお願いします。 繰り返しになりますが

  1. Dainaさんがお書きになっているのが「萌えとホモソーシャルの関連性」であるということは承知しています。その上で、“萌えとホモソーシャルとに関連性がある”という見解の適切性はどこで担保されているのでしょうか。この適切性の担保として、上にも記したとおりverifiableかつreliableな情報源が求められているのですが、それについてお知らせいただいていません。繰り返しになりますがDainaさんが関連性があると思う、ではWikipediaでは充分な典拠とはみなされません。もちろん私ikedat76が思う、でもだめです。
  2. 上記の条件が満たされたとしても、文章の構成の仕方として誤読を導くものとおもわれますので改善をお勧めしなければならないように思います。というのも(1)「ホモソーシャルの概念を提唱した〔中略〕ことを指摘した」というくだりは、ホモソーシャルという概念の核心部分を説明しているものであり、冒頭の定義部分におくことが適切と思われ、(2) 萌えとの関連性を説く節に(現行のように)不用意に接近させると、私やDainaさんは知識があるから誤読しませんが、(誰でもそのように知識があるわけではないので)知識のない読者は“セジウィックが萌えとホモソーシャルとの関連性を指摘したかのように”誤読をするかも知れません。そうした読者に配慮していただきたいのですが。
  3. さらに言えば、これらすべてをクリアしたとしても、文芸理論上の概念についての解説で萌えが引き合いに出され、その記述中にかくも大きな比率を示させなければならない理由がよく理解できません。概念について学説に忠実な説明をもっと充実させるのが先決ではないでしょうか。

--ikedat76 2006年5月21日 (日) 18:21 (UTC)[返信]

例え話を書く時点で間違ってると思う。両方とも情報ソースがないし。 --yasaikyo 2006年5月22日

やおいにおける二次創作は、ホモソーシャルをホモセクシャルに読み替えて楽しむことであると指摘される。 って誰が指摘したんでしょうか?(Zawa13 2006年5月24日 (水) 17:16 (UTC))(日時順に移動--ikedat76 2006年5月24日 (水) 17:20 (UTC)[返信]

218.225.42.15さんの書いた事が変だと思うのでしたら、書き換えればよろしいかと。 でもIPユーザーの書き逃げなのだとしたら、返事をしてくれないDainaさんと同じで、そう主張したいだけなのだと思います。 でも一応、cproさんが呼びかけているので、返事が来るまで待ってみるのが良いと思います。 既にIPが切り替わっていて読めないのかもしれませんが、218.225.42.15さんがノートに参加しないなら、時間切れでリバートすれば良いと思います。古鳥羽護 2006年5月24日 (水) 17:53 (UTC)[返信]

編集案[編集]

最後に私が質問を投げかけてから1週間がもうすぐ経過します。古鳥さんが記事本文にUnreferencedを貼っていただきましたが、初稿執筆者からも応答がないこともあり、以下の修正を加えることを提案します。

  1. 「萌えとホモソーシャル」の節全体の削除
  2. 同じく「宗教とホモソーシャル」の節を削除

前者については既に指摘済みです。後者についても、フェミニズムの議論としてはともかく、文芸理論上の概念としてのホモソーシャルの解説としての関連性は疑問なものと思われます。記述のが多ければよいというものではありません。いずれにせよ、書かれるべき事柄が依然として貧弱なままです。その状態のままに、関連性のない/乏しい周辺事項ばかりが書かれている、もしくは関連性があっても核心ではない記述ばかりの現状が改善されるべき状態なのは確かでしょう。

2006年5月末日まで待って反対がない限り、上記編集を実行いたします。ご意見をどうぞ。

それと(蛇足ながら)、サブカルチャー関連の記事でどんな論争があるのか知りませんが、他分野での論争を余計なところに持ち込むのはお控えいただきたいと思います。議論は適切な場所でどうぞ。--ikedat76 2006年5月25日 (木) 21:49 (UTC)[返信]

賛成です。また、了解しました。私自身が親オタク文化的な男性である事は利用者ページでも公言していますが、男女差別関連の議論に巻き込まれる事は本意ではありません。「萌え」に対する「女性蔑視」との批判は、「萌え」に関するところで行うべきでしょう。当然、それへの再反論も対等にできる項目でです。また、Wikipediaにおける議論は、あくまでもWikipediaに書くべき事かどうか、もしくはどう書くべきかについての議論であって、特定の言い分の正当性を争うためのものではありません。また、一キリスト教徒として「キリスト教では(中略)女性を男性の所有物とする制度が存在する」という記述には納得いきません。私はカトリックの成人受洗者ですが、求道中に読んだ「カトリック要理」にその様な制度が書かれていれば、自らの良識に照らし合わせて信者になる事を拒んだでしょう。よって、その様な記述はキリスト教に対する中立的な記述ではないと思います。また、それが「キリスト教の制度」ではなく「キリスト教の実態に対する批判として『制度』と言われている」のだとすれば、出典を明記するべきです。また、「ホモソーシャル」ではなく、「フェミニズム」の関連項目や「キリスト教」の項目に記述するべきでしょう。そもそも、あまり聞かない言葉だけに「ホモソーシャル」とはどういう事象を指すのかを、一般的な日本語の読み書きのできる人が理解できる形で記事を充実させていくべきであって、そうして得た知識を読者が様々な事象について考える際に役立つ様にする事こそが、百科事典の使命でしょう。--古鳥羽護 2006年5月26日 (金) 13:43 (UTC)[返信]

宗教とホモソーシャル[編集]

上記から、「宗教とホモソーシャル」の問題点を再掲載させてもらう。

問題点

キリスト教では同性愛の禁止による強制的異性愛、及び家父長制による女性を男性の所有物とする制度が存在する。
そんな事実はない! そういう実態を「制度」と呼んで批判しているやつが居るなら、ソースを示せ。
女性が司祭として採用される例はほとんどなく、
少なくともカトリックに関しては、「ほとんど」ではなく、「まったく」ない。牧師を「司祭」と呼んでいる他の教派で、女性が司祭に叙階されたのは、聖公会のみ。
男性のみの男尊女卑的な社会が構築されている。
マザー・テレサが尊敬されていないとでも? 役職についているかどうかと尊敬されているかどうかは無関係。また、宗教上の叙階はなくても、女子修道会のリーダーとかにはなっているし、列福列聖もされている。大体、聖人のトップの聖母マリアは女性だぞ?
現在もイスラム教の影響の強い国の一部では、女性蔑視と同性愛否定にもとづいた男性同士の絆を強調する傾向が強い文化が根強い。
イスラム教の事は良く知らんが、「ブルカで顔を覆う」とか「一夫多妻制」とかも、女性保護、戦争未亡人保護の観点から出てきた習慣。

とにかく、そういう電波系な主張をするのはやめてくれ! 「ホモソーシャル」が何なのか、日本語が判る人らに説明するページをつくろうや! 以上、2006年5月末日までに、妥当な論拠を示せなかったら削除させてもらう。 --古鳥羽護 2006年5月27日 (土) 06:24 (UTC)[返信]

あなたはキリスト教徒ですし否定したくなる気持ちはわかりますが、正しく書き換えれば済む話でしょう。--Dposse 2006年5月28日 (日) 01:24 (UTC)[返信]

POV的な事を書いて対話に応じない、Dainaと、218.225.42.15と、Bieliznaに言ってる。急進的なフェミニズムやウーマンリブ運動が、反キリスト教、反イスラム教の立場を主張している事は確かだが、文芸理論としてのホモソーシャルの項目で、そういう政治的主張をするなって事。「ホモソーシャル」とは何かを書こうや。 --古鳥羽護 2006年5月28日 (日) 02:29 (UTC)[返信]