ノート:ベトナムに平和を!市民連合

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岡本太郎の「殺すな」について[編集]

>岡本太郎・筆の“殺すな”と大書された文字の下に英文メッセージ
岡本太郎の「殺すな」は、1965年のニューヨーク・タイムズ[1]ではなく1967年のワシントン・ポスト[2]なので訂正しました。Jazzy 2005年5月1日 (日) 05:02 (UTC)[返信]

小田実について[編集]

“KGBのエージェント”とありますが、これは“工作員”とも受け取れる表現です。本人の項にはそのような記述はありません。評価を貶めるものであり、表現を変えさせて頂きたいと思います。--202.208.156.246 2006年6月13日 (火) 15:42 (UTC)[返信]

小田実本人の項目に書かれていないならば、書き加えればいいだけではないですか?72.232.196.138 2006年10月21日 (土) 04:30 (UTC)[返信]
>ソ連側機密文書によって、小田実と吉川勇一がKGBのエージェントだったことが暴露された。しかしこの事実を報道した日本のマスメディアは、統一協会系新聞の世界日報、産経新聞・・・

とありますが、G-searchで確認したところ、産経新聞は

>「ベ平連、KGBと接触し資金援助求める。旧ソ連極秘文書で報告」産経新聞1993.01.18 

とは報じているものの、同時に

>「ベ平連、KGBと接触し資金援助求める。ベ平連事務局長だった吉川勇一さんの話」産経新聞 1993.01.18

で、吉川氏が「ソ連大使館員と会談」したことはあるがそれがKGBだったかどうか分かるわけがないし、「反戦米脱走兵の援助」は各方面に依頼しているとした談話を掲載しています。産経新聞ですらこれですから、“KGBのエージェント”とするのは不適切でしょう。もし書くとしても、

・・・ソ連側機密文書によって、小田実と吉川勇一が接触していたソ連大使館職員がKGBのエージェントだったことが暴露された

と書くほうが正確でしょう。なお、1993年当時の世界日報は「信頼できる情報源」とは言いがたいと思います(現在はともかく)。読売新聞については、私は調べられませんでした。--miya 2006年10月13日 (金) 04:22 (UTC)補足2006年10月13日 (金) 04:28 (UTC)[返信]

>吉川氏が「ソ連大使館員と会談」したことはあるがそれがKGBだったかどうか分かるわけがないし
なぜそう決め付けることが可能なのでしょうか? 吉川勇一は共産党の専従活動家歴が長かったから、当時のソ連大使館の内部事情にある程度通じていたはずだという見方もされています。
>産経新聞ですらこれですから
新聞記者に「あなたはKGBのエージェントですか?」と尋ねられて、素直に「はい、そうです」と答える人間がいるとは思えませんが。
>ソ連側機密文書によって、小田実と吉川勇一が接触していたソ連大使館職員がKGBのエージェントだったことが暴露された
miyaさんが、この記述の出典としているKoenker, Diane P., and Ronald D. Bachman (ed.),Revelations from the Russian archives : Documents in English Translation, Washington, D.C. : Library of Congress, 1997.収録のベ平連に関する旧ソ連共産党機密文書には、ベ平連指導部とKGBとの間に"secret contact"があったこと、アメリカ軍脱走兵の件、吉川勇一がKGBに活動資金の援助を要求した件、小田実のカンボジア、ソ連視察旅行の件、プロパガンダ活動支援の件などしか書かれておらず、「小田実と吉川勇一が接触していたソ連大使館職員がKGBのエージェントだったことが暴露された」というニュアンスの記述は一切ありません。ソ連共産党中央委員会とアンドロポフKGB議長の承認を得て、そうした活動をしていた人物のことを、普通は“KGBのエージェント”と呼ぶのではないですか。もしmiyaさんが Revelations from the Russian archives を御覧になっているのなら、そこには書かれていない「小田実と吉川勇一が接触していたソ連大使館職員がKGBのエージェントだったことが暴露された」という記述になるはずはないのですが。アメリカの議会図書館が出版した英訳版にはない記述ですから、英訳された以外の旧ソ連共産党機密文書を、ロシア語の原本で読まれたのでしょうね。出典を明らかにして下さい。ここまで断言されているのですから、まさか産経新聞と毎日新聞しか見ていないということはないですよね。72.232.196.138 2006年10月21日 (土) 04:30 (UTC)[返信]
新聞記事を「出典」としています。それらの記事はお読みいただけましたよね? 
御自分で Revelations from the Russian archives を出典とする一文の中で「小田実と吉川勇一が接触していたソ連大使館職員がKGBのエージェントだったことが暴露された」と書いておきながら、今さらそれはないでしょう。書くのならば、旧ソ連共産党の公文書ではこう書かれているそうだけれども、産経新聞や毎日新聞で吉川本人が否定しているので、そのような事実はない、とでも書けばよかったのではないですか。72.232.196.138 2006年10月21日 (土) 11:49 (UTC)[返信]
自分が「KGBの一員である」と自覚していない人間は、“KGBのエージェント”とは(厳密には)言わないでしょう。
吉川勇一には、自分が「KGBの手先である」という自覚は十分にあったと思われますが。でなければ、KGBに活動資金の援助を要求したりしますか。「手先」と「エージェント」の違いを示して下さい。72.232.196.138 2006年10月21日 (土) 11:49 (UTC)[返信]
72.232.196.138さんが示された資料でも、小田実と吉川勇一がagentであった、という記述は無かったと理解していますが、いかがでしょうか。別に、べ平連の肩を持ちたいわけではありません。言葉は正確に使うべきだということです。なんなら
「旧ソ連共産党機密文書には、ベ平連指導部とKGBの間には接触があり、アメリカ軍脱走兵への支援と資金援助を吉川勇一がKGBの人間に要請したことが書かれていた。<ref>Koenker, Diane P., and Ronald D. Bachman (ed.),Revelations from the Russian archives : Documents in English Translation, Washington, D.C. : Library of Congress, 1997.</ref>
と書くなら、良いかもしれません。
アンドロポフKGB議長の報告書では、アメリカ軍脱走兵への支援と吉川勇一のKGBへの活動資金要求・小田実のカンボジア、ソ連などへの視察旅行が並列で扱われており、「アメリカ軍脱走兵への支援と資金援助を吉川勇一がKGBの人間に要請した」というのでは、吉川勇一がKGBに要求したベ平連への資金援助が、アメリカ軍脱走兵にかかわるものであるかのような誤解を与えかねません。だいたい、一度は御自分で出典としたソ連側公文書の英訳を読んでいない人が、原文のニュアンスの問題についてとやかく言う資格がおありになるのでしょうか。72.232.196.138 2006年10月21日 (土) 11:49 (UTC)[返信]
しかし彼らが相手をKGBだと認識していたという証拠が無い以上、「エージェントであった」と書くべきではないでしょう。(私見ですが、「平和運動」に関わるような理想主義な人達は、相手がKGBだと知ったら逃げ出すのではなかろうかと想像しています)--miya 2006年10月21日 (土) 08:12 (UTC)[返信]
吉川勇一が共産党の山村工作隊に参加していた暴力革命路線の活動家出身という事実を御存知でしょうか? それにそもそも、アメリカの議会図書館という公共性の高いところから英訳が出版された、ソ連共産党の機密公文書を出典とするかのごとく装いながら、伝聞情報にしか過ぎない日本の新聞記事を出典として加筆すること自体、Wikipedia管理者の執筆態度としていかがなものかと思いますが。72.232.196.138 2006年10月21日 (土) 11:49 (UTC)[返信]
あのねぇ、勘違いもたいがいにしてください。ちゃんと「ref:毎日・産経」としていま72.232.196.138さんの要約「Miya氏が出典を偽って加筆したことを認めた」の「偽って加筆って、どの版のどの部分なんですか?「装った」ことはないはずです。
2006年9月28日 (木) 05:30の版まで、Revelations from the Russian archivesを出典に、「ソ連崩壊で公開されたソ連側機密文書によって、小田実と吉川勇一がKGBのエージェントだったことが暴露された」と書かれていた本文を、miyaさんは2006年10月13日 (金) 10:46の版で、やはりRevelations from the Russian archivesを出典として、「ソ連崩壊で公開されたソ連側機密文書によって、小田実と吉川勇一が良心的脱走兵の支援に際して接触していたソ連大使館職員が実はKGBのエージェントだったということが暴露された」と書き換えましたね。この加筆部分の注は、Revelations from the Russian archivesとなっており、毎日・産経が出典と読むことは不可能です。だからRevelations from the Russian archivesのどこにそのような記述があるのかをお尋ねしたところ、「新聞記事を「出典」としています」との御回答に唖然としたのです。毎日と産経の注は、当該加筆部分に付けられていません。最大限に好意的に見ても、注の付け方が間違っています。72.232.196.138 2006年11月7日 (火) 03:23 (UTC)[返信]
ところで、72.232.196.138さんは「エ-ジェント」という言葉をどういう意味で使っておられるのでしょうか。"agent"には「職員」「代理人」「工作員」「スパイ」など、いろいろな意味があります。
>普通は“KGBのエージェント”と呼ぶのではないですか。
と書いておられますが、紛らわしい「エージェント」という言葉を使うべきではありません。もう一度書きます。「接触した」とは書いてあっても「小田稔がagentだった」という表現は、Revelations from the Russian archivesにあったのですか? もしなかったら「小田稔がagentだった」は72.232.196.138さんの独自の解釈ということになりますので、「エージェント」という言葉ははずすべきです。
繰り返してお尋ねします。「エージェント」という言葉がお嫌いなようですが、「KGBの手先」と「KGBのエージェント」の違いは何ですか?72.232.196.138 2006年11月7日 (火) 03:23 (UTC)[返信]
確認ですが、72.232.196.138さんの挙げておられる英訳出典"Revelations from the Russian archives" の本文中に文字通り「小田稔がagentだった」という表現があったのでしょうか。もしあったら、ご提示いただければ幸いです。でも実際には「接触した」「要求した」という言葉しかなかったのではありませんか?
そもそもアンドロポフKGB議長のソ連共産党中央委員会宛て機密報告書は、小田実、吉川勇一がKGBのエージェントであるという事実を報告するものではなく、すでにKGBとsecret contactを持っていて、資金援助などを要求してくる小田、吉川らベ平連指導部を、KGBとして今後どのように操っていくべきかについてrecommendするものであり、小田と吉川がKGBの「手先」「工作員」「スパイ」であることを自明の前提とする論理構造になっています。「エージェント」という言葉がお嫌いでしたら、「KGBの工作員」と書き換えても構わないでしょう。情報収集ではなく、日本国内での世論工作を主目的としていましたから、日本語の語感としては、「スパイ」 より「工作員」ですかね。「手先」は品がない。「エージェント」が一番無難だと思いますが。72.232.196.138 2006年11月7日 (火) 03:23 (UTC)[返信]
繰り返します。私はべ平連を擁護したいわけではなく、72.232.196.138さんの独自の解釈は困る、と申し上げているのです。実際に原典にその通りの記述があることが確認できれば、それで納得します。--miya 2006年11月5日 (日) 00:05 (UTC)[返信]
すでに活字化されている文書ですから、御自分で御覧になるのが一番でしょう。2006年10月13日 (金) 10:46の版での加筆の出典をRevelations from the Russian archivesとされていましたから、その時点でとっくに御覧になっていると思ったのですが。毎日と産経の記事を楯に取る限り、「旧ソ連共産党の公文書ではこう書かれているそうだけれども、産経新聞や毎日新聞で吉川本人が否定しているので、そのような事実はない」、とでも書くしかないでしょう。ウィキペディアを百科事典とお考えになるのであれば、公文書よりも新聞記事の方を優先させる執筆態度は、管理者としていかがなものかと思いますが。72.232.196.138 2006年11月7日 (火) 03:23 (UTC)[返信]

"いわゆる「非合法活動」"について[編集]

上記の節について「ただし、「日米地位協定第9条」は、脱走米軍兵士についての国内法の適用除外を定めており、これらの活動は厳密には「非合法活動」ではない。」という補足をつけ加えたのですが、「アメリカの法律において「非合法」」というコメントつきで、匿名の方(124.39.100.134さん)に削除されました。日本で日本人が行った活動について、「アメリカの法律において非合法」という理由で、記述を一方的に削除する理由がわからないのですが? Kokada jnet 2008年7月1日 (火) 22:39 (UTC)[返信]

米兵の入国・出国については安保条約優先で、国内法が適用されないとして問題なしとされて公式に結着した、日本国内で行われたことの、法的な評価に、日本国内には適用されない「アメリカの法律」を持 すのが間違いでしょうね。 卑近な例では、日本国内では禁止されている銃器の扱いや、薬物摂取が、合法である国が複数有って、その合法国内での使用は、それが日本人であっても、日本国内法の適用外領域だから違法を問われることは無い。 「国外犯」として処罰されるには、両方の国で違法であることが必須条件ということですね。日本国内での日本人の閉じた行為に、アメリカ国内法が適用できないのは当然に過ぎます。

1945年9月に独立を宣言したヴェトナムに対して、フランスがフエ王朝の末裔を押し立てて、「フランス版満州国」を作ろうとして独立戦争に敗北、統一選挙を定めたジュネーブ協定を締結。 今度はアメリカが協定を無視してヴェトナム侵略の傀儡政権を維持。その侵略の不正義に脱走した米兵を安全地帯に逃したことが、支援側の行動形式としては密出国の幇助だったけれど、身分が米兵だったために国内法適用除外で全くの無罪で結着。

プーチンのウクライナ侵略を大きく上回る軍事侵略を、アメリカが行っていて、50万人を大きく越えるヴェトナム人がその侵略戦争の犠牲になった! 現在のロシア軍のニセはた作戦他の行動は当時の米軍をほぼなぞるもの。プーチンも「アメリカをなぞっただけなのに、なぜ俺だけ全世界から糾弾されるのだ?」と思ってるのかも? 世の中の基準を変える戦いの一翼を、ベ平連運動も担ってきたのでしょう。 その侵略の不当を糾弾する運動を「反米運動」とレッテル貼りするのは公正ではありません。ロシアのウクライナ侵略糾弾に「反ロ運動」というレッテルを貼れないのと全く同じです。--2400:2411:9143:3400:DD6E:89DA:2568:4CE 2022年5月2日 (月) 15:03 (UTC)[返信]

略称の修正について[編集]

略称である「ベ平連」の「ベ」がひらがなになっていた記事の修正を行いました[3]。ただし吉川勇一については、外部リンク先もひらがなの「べ」となっていましたので修正しませんでした。--ぬるぽん 2011年11月10日 (木) 09:23 (UTC)[返信]

脚注の1(現在は脚注16)について[編集]

脚注1の文献を当たってみたのですが、様々ある資料のうち、当該脚注で参照されている資料(仮にAと呼びます)は、ソースに疑問符がついていました。出自不明の資料だということです。 この文献全体をみても、ソース不明のものは多くなく、見た限り、Aに言及した資料はありませんでした(相互言及は情報の信頼性にとって大切なことです)。 この種の情報を判断するときの定石として、この資料は、扱いに注意すべきです。なので、少なくとも、Aによって、「ソ連KGBからの資金援助を受けていたことが冷戦終結後に判明している」とは言えないでしょう。 しかも、Aをよく読むと、「資金提供を頼まれた」としか、この資料には記載されていません。 脚注1を根拠にした冒頭の一節は、確からしさに欠けると思われます。

他の脚注についても若干怪しいものもありましたが、さしあたり明らかに根拠に乏しい二つを、議論の俎上にのせておきます。

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脚注4(現在の脚注6)について、参照先にない情報を参照していた件については解決済なので、わかりやすさのため修正しておきました。--ミルチャ会話2018年11月2日 (金) 05:16 (UTC)[返信]

脚注1、Koenker, Diane P., and Ronald D. Bachman (ed.), Revelations from the Russian archives : Documents in English Translation, Washington, D.C. : Library of Congress, 1997, pp699-700.について。ウェブ上に公開されいてるようなので該当箇所を見てみました。確かに、ソースに疑問符がついています。また、英文を読む限り、YOSHIKAWA(吉川勇一)が金銭を求めたとKGB側が書いているものの、KGB側の提案には、金銭に関する箇所がありませんでした。そうした事実とソースの根拠の薄さを考慮して、「吉川勇一は、ロシア当局に金銭援助を求めたと疑われる文書があるものの、定かではない。」くらいが妥当な線ではないかと思います。以上を踏まえ、脚注1(現在の脚注16)について、文面を文書から最低限読み取ることができるものに限定し、文章自体も、内容を鑑みて冒頭ではなく後半に移動しました。--ミルチャ会話2018年11月2日 (金) 05:46 (UTC)[返信]