ノート:ナポレオン3世

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改名の提案[編集]

「ナポレオン3世」への移動を提案します。曖昧さ回避の必要はありませんし、1世がナポレオン・ボナパルト、2世がナポレオン2世、4世がナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルトでは形式の統一にもなっていません。--Uraios 2007年3月13日 (火) 20:57 (UTC)[返信]

(コメント)反対はしないのですが、フランスの君主はほとんど全員ご丁寧に「ルイxx世 (フランス国王)」とついてるんですよね。君主・貴族の記事名のガイドラインを一度どこかで検討しませんか?--Cave cattumWikiMiniAtlasのご紹介 2007年3月17日 (土) 01:00 (UTC)[返信]

明確な賛否の意見がないので、ひとまず現状維持ということにします。--Uraios 2007年6月23日 (土) 10:12 (UTC)[返信]

ナポレオン3世の肉親[編集]

ナポレオン3世の母は、ジョゼフィーヌの娘オルタンスです。--以上の署名のないコメントは、203.160.31.211会話/Whois)さんが 2007年10月4日 (木) 05:54 (UTC) に投稿したものです。[返信]

ナポレオン3世の父親がルイではなく父親不詳のオルタンスの愛人という説は有力な説だと思いますがその説を記載するのはまずいんですかね? あと3世の兄は実は銃弾で死んだはずですが。 どちらもボナパルト家とボーアルネ家からクレーム付きそうですけど・・・--以上の署名のないコメントは、219.196.98.243会話/Whois)さんが 2007年12月2日 (日) 02:02 (UTC) に投稿したものです。[返信]

見出しを付けておきました。--Uraios 2008年2月7日 (木) 11:28 (UTC)[返信]

改名の提案(再提案)[編集]

先の提案を再度提起したいと思います。他に「(フランス皇帝)」を付けている記事はありませんし、なくて不都合があるとも思えません。--Uraios 2008年2月7日 (木) 11:28 (UTC)[返信]

賛成です。--Flénu 2008年2月8日 (金) 07:09 (UTC)[返信]
項目名はウジェニー・ド・モンティジョでしょうか。ファーストネーム (~の王)の様な曖昧さ回避は好きではないので、()を外すのは賛成です。--Flénu 2008年2月8日 (金) 08:27 (UTC)[返信]

では、移動依頼を出すことにします。--Uraios 2008年2月15日 (金) 23:58 (UTC)[返信]


ナポレオン3世の称号について[編集]

コメント Clausewitz vonさん、こんばんは。Ashtrayと申します。記事 "ナポレオン3世" におけるこの編集の件で参りました。「フランス共和国第二帝政の皇帝」って何ですか?。ジョークなら他でやってください。真面目にやっているならば、出典を以て記してください。そもそも私の記憶が確かならば、彼の称号は、伯父のナポレオン1世と同じ "empereur des Français"(フランス人の皇帝)だったと思いますが。--Ashtray (talk) 2016年1月16日 (土) 13:33 (UTC)[返信]


ジョークだとあせらずにお互いに勉強しましょう。お答えします。後掲のフランス語条文はウィキソースにあります。

  ・叔父のナポレオン一世については次のとおり。憲法修正に相当した『1804年5月18日元老院Senat決議』“Senatus-consulte organique du 28 floréal an XII 18 mai   1804”(決議とあるが内容はフランス共和国第1帝政憲法Constitution du 18 mai 1804)

  「第1条 フランス人の皇帝という称号titreを持つひとりの皇帝へ、フランス共和国の統治は委任されるLe Gouvernement de la République(共和国) est confié à un   Empereur, qui prend le titre d'Empereur des Français.(フランス革命後国家主権者となっていたフランス共和国国民は主権をフランス共和国皇帝へ委任する意味)

   第2条 フランス共和国の現在の(終身)第1統領であるナポレオン・ボナパルトが、フランス人の皇帝となる Napoléon Bonaparte, Premier consul actuel de la    République(共和国), est Empereur des Français.(ナポレオン・ボナパルト終身第1統領がフランス共和国の皇帝に即位するという意味)

   第142条 国民投票の規定。

   その後その第142条によってフランス共和国国民有権者による国民投票が、1804年11月おこなわれ過半数の可決によって承認された。

   1804年12月皇帝ナポレオン1世の戴冠式(即位式)がおこなわれた。フランス共和国第一帝政開始。

   皇帝ナポレオン1世の称号titreはフランス人の皇帝、意味はフランス共和国第一帝政の皇帝です。

   ・ナポレオン三世については次のとおり。『1852年12月2日の皇帝の勅令』“Décret impérial du 2 décembre 1852"。

  「第1条 11月21日と22日の国民投票によって『1852年11月7日の元老院決議』は承認ratifié parされた。Le Senatus-consulte du 7 novembre 1852, ratifié par le     plébiscite des 21 et 22 novembre, est promulgué et devient loi de l'Etat.

   第2条 ルイ・ボナパルトはフランス人の皇帝となりナポレオン3世の称号を持つ。Louis Napoléon Bonaparte est Empereur des Français sous le nom de

   NapoléonIII.

  (国民投票による承認を根拠にルイ・ボナパルトは自分で勅令を発し1852年12月2日フランス共和国皇帝ナポレオン3世に即位)。フランス共和国第二帝政開始。

   皇帝ナポレオン三世の称号sous le nom de はフランス人の皇帝、意味はフランス共和国第二帝政の皇帝です。

なおナポレオン一世やナポレオン三世が皇帝へ即位したとは言っても、その帝位は国家主権者が皇帝であった神聖ローマ帝国皇帝やロシア皇帝の帝位とは全く別です。フランス革命後、国家主権者はフランス革命の勝利者だったフランス共和国国民となっていた。ナポレオン一世やナポレオン三世の皇帝即位は、その国家主権者のフランス国民有権者による、憲法を根拠とした国民投票によって承認され皇帝へ国民の国家主権が委任されたという形式です。--Clausewitz von会話2016年1月16日 (土) 18:59 (UTC)[返信]

コメント Clausewitz vonさんへ。
あなたの言わんとしている事は、解らなくもありません。確かに、革命により成立した共和国の連続として帝政があり、共和国大統領を引き継ぐ形で皇帝の位が設けられました。
歴史家・専門家の中には、ひょっとすれば「共和政的な帝政であった」 とか、「大統領的な皇帝であった」 などと形容する人もいるかもしれません。
しかし、Clausewitz vonさんが勝手に「共和国帝政」や「共和国皇帝」などという単語を創作してはいけません。それは、典型的な独自研究であり、Wikipediaでは禁止される行為です。--Ashtray (talk) 2016年1月17日 (日) 11:38 (UTC)[返信]


Ashtrayさんへ。

私は勝手に単語を創作していません。「ナポレオン三世」の本記事の冒頭に「フランス第二帝政の皇帝(在位:1852年 - 1870年)」とあります。このフランス第二帝政とはフランス共和国第二帝政ということです。「共和国皇帝」とは、正確には「共和国第二帝政の皇帝」と言うことです。 私は本記事「ナポレオン三世」の文意を生かし「フランス共和国第二帝政の皇帝」と正確に書いております。通常語のままで創作語はなく独自研究とは無関係。

貴殿はフランス憲法史と、フランス共和国の共和政と帝政についての理解が必要で、それを理解しようとする際には国家主権者が誰であるかという視点が重要です。今後も共に勉強しましょう。--Clausewitz von会話2016年1月17日 (日) 12:42 (UTC)[返信]

>文意を生かし
いやいや。この時点でNGです。
私もフランスの憲政史について、そこまで詳しいわけではないですが(Clausewitz vonさんの方が詳しいかも)、さすがに上のはダメです。ウィキペディアは、どんなに出来が良い記事でも、それ自体を出典にはできないのです。
出典にできるのは法令などの一次資料や、専門家の書いた論文などの二次資料です。
「ナポレオン3世の称号」という話に戻りますが、ナポレオン3世に関して現在貴方が提示されているのは "Décret impérial du 2 décembre 1852"(1852年12月2日の皇帝の勅令)だけです。(←帝国宣言or帝政宣言と訳したほうが良さそう)
ウィキソースにはなかったのですが、下記サイトで原文を確認しました。ページの真ん中あたり。
http://www.conseil-constitutionnel.fr/conseil-constitutionnel/francais/la-constitution/les-constitutions-de-la-france/constitution-de-1852-second-empire.5107.html
そこには、こうあるだけです。
"Article 2. - Louis Napoléon Bonaparte est Empereur des Français sous le nom de Napoléon III."
(第2条 ルイ・ナポレオン・ボナパルトは、ナポレオン3世の名の下、フランスの(フランス人の)皇帝である。)
この勅令だけを出典とするならば、「フランス皇帝」「フランスの皇帝」「フランス人の皇帝」としか、ウィキペディアには記すことが出来ません。--Ashtray (talk) 2016年1月17日 (日) 13:42 (UTC)[返信]

横から失礼します。どうやら議論が止まっている様ですが、一つ口を挟ませて下さい。確かにフランスの帝政は共和政の延長線上に有ると見受けられますが、しかし条文の称号だけではフランス「共和国」皇帝とは訳せないのでは思いました。又、フランス第一帝政フランス第二帝政フランス帝国などの記事ではフランス帝国の表現が用いられ、混乱を生じます。結論がどうであれ、この表記の揺れはどちらかに統一するべきだと考えます。因みにこちらで取り敢えず適当な高校用の教科書を当たった所、フランス帝国と明記されていましたのでこの時期のフランスは帝国であると認識されている様です。個人的にはフランス帝国が適切かと考えます(少なくとも文部科学省の見解はその様です)。--122.135.80.196 2016年2月13日 (土) 09:44 (UTC)[返信]

コメント IP:122.135.80.196さん、こんばんは。コメントありがとうございます。正直、Clausewitz vonさんがどこまで本気なのか(或いは、単なる悪戯なのか)、測りかねていました。
ただ、これを機会に色々と調べてみて分かったことですが、叔父ナポレオン1世の時代(第一帝政)の初期においては、皇帝を戴きつつ、「共和国」を名のっていたようです。例えば、1804-1808年の発行金貨には、 "NAPOLEON EMPEREUR(皇帝ナポレオン)" の文字と同時に、"REPUBLIQUE FRANÇAISE(フランス共和国)" の文字が刻まれていました[1]
それでも、3世の時代は、1852年の即位から一貫して「帝国」を名のっていたようですし、「共和国皇帝」なる称号はありえない、というのが結論です。
とりあえず、一週間を待ちまして、Clausewitz vonさんや他の方から異論・反論がなければ、表記を元の「フランス皇帝」「フランス帝国」に直したいと思います。
なお「フランス第二帝政」と「フランス帝国」は、前者が歴史学上の区分名であり、後者は当時の正式な国名ですので、ムリに統一せず、文脈から使い分けるのがよろしいかと存じます。--Ashtray (talk) 2016年2月13日 (土) 11:15 (UTC)[返信]
迅速なコメント有り難うございます。確かにナポレオン1世の時代は共和国の皇帝を名乗っていた様ですね。こちらの記事は1週間待ってから変更するというので良いと思います。ただ私が参考に見た物は帝国書院の教科書なのですが、これにはナポレオン1世の時代をフランス共和国ではなくフランス帝国と表現してあったのです。この点に関しては私にはどちらが良いのか判断しかねます。--122.135.80.196 2016年2月14日 (日) 02:27 (UTC)[返信]
コメント コメントありがとうございます。3世につきましては、上記の出典を加えた上で元の「フランス皇帝」に戻しました。1世につきましても、後ほど直したいと思います。ただ「共和国」云々につきましては、まだこれといった確定情報が乏しいため、もうすこし考えてみます。--Ashtray (talk) 2016年2月25日 (木) 03:08 (UTC)[返信]