ノート:アラトリステ (映画)/過去ログ3

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『誤訳』の事実を雑誌に掲載するための作業について[編集]

61.192.170.63です。まず、前章『ヴィゴ・モーテンセンの発言に関して』の私の文章の独断的な部分について、お詫びいたします。コメント依頼を申請しましたが、書き込みをいただけないまま、説明が加速いたしました。前章の文章を理由に私をブロックすることは、どうぞ少しお待ち下さい。書かなければ、嘘がまかり通り、海外の俳優さんにまで迷惑が及ぶ案件がございます。

表の『批評』という記事中の『誤訳の内容に関する部分』は削除されました。履歴のない人物に次々と記事を削除される状態には対処しきれないと書きましたが、それは無視されました。そもそもの引用元が『検証可能ではない』という私の前章の文章も無視されました。

このノート・ページには『ウィキペディアは初めてですか?』というテンプレートが貼り付けられました。確かにそうですね。私には、ウィキペディアの専門家になる気持ちがありません。

また長い文章を書いてしまいましたので、初めに管理者の皆様、お読み下さる皆様にお願い致します。

私は、表のページに『コメント依頼』を添付した上で、現在の削除された状態の、一つ前の状態まで『批評』の記事を書き込みました。これは、他の方々にもお手伝い頂いた記事です。そして『要出典』の部分を埋めるための『検証可能な雑誌記事』の用意を始めると、ノート・ページに書きました。

私は、一つ前の状態まで、表の『批評』の記事を戻すことをお願い致します。『要出典』を外すために必要な記事については、ノート・ページで確認しつつ、掲載できる媒体を選ぶ作業を始めると書き込みました。削除は、それを無視して行われました。

一部のファンは8年前に、『誤訳ではない』という主張の根拠とされる加藤康生さんのブログが操作される現場を見ていました。DVDに関するファンからの誤訳の指摘のコメントが削除され、ブログの地の文章が書き直され、Uniontourさんがその記事を引用して、ウィキペディアで『誤訳ではない』という主張を始めました。それ以来、誤訳の記事は全て削除されています。

引用元のブログがウィキペディアで保護されていると言う方の発言は『検証可能』ですか? 言葉のトリックではありませんか? その部分から目を逸らすなら、ウィキペディアは百科事典たり得ません。

Uniontourさんの会話ページで論議しろとのご指摘もありますが、それは、この問題を人目から逸らす勧めです。

大学教授の『条件法』の指摘の後、Uniontourさんはひっそりと、あらすじ欄を正しい形に書き改めました。しかし、『間違っていた』という言葉はありません。それを認めると、『誤訳ではない』という主張が崩れるからです。そのために、もはや意地のような削除が続けられています。

加藤康生さんも事実を認めません。比較的新しく主演俳優のファンになった女性が、最近、誤訳の問題をツイートしたところ、フォロワーでもない加藤康生さんから速攻で話しかけられ、訳の分からないことを言われたという話が、ファン伝いに聞こえてきました。キーワードを常に検索しているのですね。

加藤康生さん Uniontourさんの主張は、空し過ぎます。主演俳優にまで届いた以上、いずれは世間にバレる虚構です。Uniontourさんはそれに気づいたのか、最近はこのページで沈黙しています。

私はウィキペディアの編集には興味がありません。百科事典の編集が純粋に好きなわけではなく、自分の主張で他人を言い負かすことは面倒なだけだからです。しがし、知的に優位に立つことが何より好きという人にとって、現実世界の階級に囚われないこの仮想空間は麻薬なのでしょう。

そういう人物が、相手によって対応を使い分けて行くうちに、アカウントが複数になることは容易に想像できます。

私の会話ページには、大切なのは『事実』ではなく『ルール』だと書き込まれました。『事実』の証明の努力すら関係ないという意味に受け取りました。

Uniontourさんの会話ページで「やめなさい」と不毛な訴えを続けることには意味がありません。非難されることが『注目を浴びる快感』にすり替わる心理状態が存在するそうです。悪いのは自分を攻撃する人間で、それを排除することは正義なのです。事実の記載はもはや雲の彼方です。

私の会話ページに書き込んだ人物は Uniontourさんではありませんが、ここではまとめて話しています。もちろん、全てが同一人物だなどと、被害妄想で言っているのではありません。私に初期のメンバーの氏名を尋ねた管理者の方は、たぶん声優さんでも混じっていないかと、興味を持たれただけなのでしょう。

加藤康生さんの行ったこと、失敗したこと、『誤訳ではない』という主張を生み出したことが、この問題の根本です。レンタルビデオ屋の無数のパッケージの中の、たった一本の裏の字幕スタッフ欄の、監修者という数文字のための、哀しくも無謀な主張なのですが。

スペイン映画の『アラトリステ』は確かに馴染みが薄く難解ですが、一般大衆向けの娯楽作品です。人並みの読解力があれば「あれ? ここで結婚を決めるか?」と、誤訳に気付くレベルの話です。DVD字幕制作の現場担当者さんは、誤訳に気づかなかったのではありません。言い負かされ、それを上司に伝えずに通してしまったのです。

皆さんは本当に、これまでの資料では誤訳の事実を証明不能だと思われますか? 

主人公が『求婚を決意した』という日本側の誤った解釈に、プレスシートという証拠があります。

「この場面、主人公は結婚を即決で断ってるよね?」という視聴者の疑問に、2008年の主演俳優のインタビュー記事という根拠があります。

『将来を共にするため(の贈り物ですね)?』というセリフに、「そりゃ条件法だから、逆だよ」という証拠があります。

『結婚を断る』という同じ方向を向いている証拠が『三つもある』ということです。

当然です。結婚にまつわる別々の場面に、全て間違いがあるのですから。別々のミスにそれぞれ証拠があるのです。

これをツギハギの作り上げた証拠だと言う主張は、言葉のトリックです、これら全てをまとめて記載した雑誌記事がなくては証明不能だという主張は間違っています。

ルールを振りかざす人を相手に、あえてこの問題に参加しようという方がいらっしゃらないことは、当然だと思いつつ申し上げています。

無数にある『要出典』の記事は、本当に削除の対象ですか? 育てて行くことが前提で、その末に、どうしようもないものを削除するのが実際の現場ではありませんか?

『加藤晃生さんのブログの全てが保護されるのはおかしい』という私の指摘に対する回答もいただけていません。文法的な証拠を示せという指摘も無視されたままです。

誰がが「保護だ!」と言えば、それがルールになるのですか?

ジャッジする方が存在しなければ、声の大きい人は言いたい放題です。現実世界でもこういう人はいますね。うまくやれば大物です。残念な例はゴミ屋敷の主です。どちらも、自分が顰蹙の対象であることには無到着です。

『誤訳ではない』という主張には、もともと何の根拠もないのです。根拠のない空しい主張に8年も振り回されているのが、このページです。

それでも、私は「そうですか 雑誌に書けばいいのですね」と言いました。

これは、主演俳優さんにこれ以上の迷惑をかけないための選択です。いずれ実現する『来日』の際に、こんな問題で煩わせたくはありません。後始末は完了しましたと報告しなければなりません。

せっかく記事を発表しても『不十分だ。独自研究だ』と言われない為に、このページで必要事項を揃えようとしています。

検証可能な雑誌記事の制作に必要な内容については、前章『ヴィゴ・モーテンセンの発言に関して』で質問を並べさせて頂きました。これについても、わざとハードルの高い注文を出されては困ります。皆様に目を向けていただく必要がございます。

私に対してウィキペディアの中で、「何でウィキペディアにばかり拘るんだ?」と言った方がおられました。それは自虐的発言ですね。ウィキペディアは検索のトップでヒットする媒体です。そこに記事があるからとしかお答えできません。

ウィキペディアが、話し合いで完成を目指す試行錯誤の媒体だということは、素人の私にも分かって来ました。この先の展開を多くの方と管理者の皆様にご覧いただき、雑誌に掲載する記事の完成にご協力いただきたく、お願い申し上げます。--61.192.170.63 2016年2月24日 (水) 11:51 (UTC)

  • こんにちは、153.204.177.76です。私は61.192.170.63さんに「Uniontourさんの会話ページで『やめなさい』と不毛な訴えを続ける」ことを求めているわけではなく、Twitterや「ゴミ屋敷の主」など、この記事の編集と関係のないことはノートページではなく利用者の会話ページで伝えてほしいと言っているのです。それでも埒が明かない場合はコメント依頼、あるいはアカウントを取得した上で投稿ブロック依頼を提出してください。同じことをいくら説明しても理解していただけないようなら、投稿ブロックの対象となります。
  • 「これをツギハギの作り上げた証拠だと言う主張は、言葉のトリックです、これら全てをまとめて記載した雑誌記事がなくては証明不能だという主張は間違っています」と言われましても、Wikipedia:五本の柱に書いてあるように「すべての項目は、独自の研究を認めない方針に従う必要があり、正確となるよう努力しなければなりません。ウィキペディアは、個人の意見・経験・議論を書き込み、自説を披露する演説台ではありません」。ウィキペディアには独自研究は載せないという方針があるのですから、誤訳の箇所を具体的に指摘している文献が示されない現状では、誤訳の箇所を具体的に指摘するような加筆は認められません。「いずれは世間にバレる虚構」なら、「世間にバレ」たあと、出典を示してウィキペディアに加筆すればよいのです。上で書いたように、ウィキペディアは出典ありきであって、世の中に先んじて物事を発信する場所ではないです。
  • 「確保できる記事のスペースもまだ分かりません」と書いているところを見ると、61.192.170.63さんが「雑誌に掲載」しようとしている記事は持ち込み原稿のようですけれども、利用者‐会話:61.192.170.63で案内した文書を読めば、どのような内容、どのような媒体のものがウィキペディアで情報源として用いることができるかは分かるはずです。その文案を考えたり媒体を名指しで指定したりはしません。いずれにせよ、ウィキペディアに書き込んでから公表、ではなく、公表してからウィキペディアに書き込む、という流れだと理解してください。--153.207.140.88 2016年2月24日 (水) 23:58 (UTC)
加藤康生氏について、ウィキペディア上にページを作成し、ブログへのリンクも加藤康生氏の経歴に貼ることを提案する。ただし、加藤康生氏のブログ『アラトリステ隊長代理とツイてない仲間たち』には、人権蹂躙の恐れのある記述が見受けられる。加藤康生氏は、本来の翻訳者(翻訳出版の経験者)の日本語原稿の大半で、センテンスごとに別の日本語に置き換える作業を行い、自身の文章だとブログ中で表明している。小説『アラトリステ』翻訳者による翻訳作業の記録ではなく、一個人のブログであり、加藤康生氏が生業とする製品の通販ページへ誘導する記述も見受けられる。
映画『アラトリステ』スペイン版DVDがウィキペディアの資料として認められないという主張は誤りである。スペイン版DVDはアマゾン等の通信販売で入手可能であり、日本における視聴可能リージョンで英語字幕も含まれる。ウィキペディアの基準にそぐわないのは、誤訳が含まれる日本版DVDであり、過去に誤訳ではないとする誤った主張の根拠とされた事実が存在する。今後も予想される同様の混乱回避の趣旨からも誤訳の情報は重要である。
資料。条件法の取り違えによって意味が反転し、アラトリステが『求婚のため』の贈り物を買う根拠とされた宝石商の台詞。
英語字幕。
I would not abuse your trust...but would I be mistaken in assuming that with this gift Your Worship is thinking of,shall we say...a future with this lovely lady?
同じセリフのスペイン語字幕。
A lo mejor, abuso de vuestra confianza. Pero... ¿estaría equivocada si pensara que con este obsequio vuestra merced está pensando en, digamos... un futuro con esa dama tan hermosa? --61.192.170.63 2016年2月27日 (土) 13:05 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。加藤康生さんの記事をウィキペディアに作成するかどうかの判断はお任せしますが、事前にWikipedia:存命人物の伝記Wikipedia:独立記事作成の目安は読んでおくことをおすすめします。これらの方針やガイドラインに従っていないと削除されるおそれがあります。
  • これまで再三にわたり説明してきたように、ウィキペディアの編集者がDVDの英語字幕と日本語字幕を比較して「この箇所が誤訳である」と記述したり、出典を示さずに「字幕に歴史的人名の誤表記などミスが目立った」と記述したりする2016年2月27日 (土) 13:17 (UTC)の編集は、独自研究にあたります。ここで言う「出典」とは、「字幕に歴史的人名の誤表記などミスが目立った」という趣旨のことが書いてある文献を指します。『アラトリステ』のDVDは、たとえば付録のリーフレットに「『A』という字幕は誤訳であり、実際は『B』と訳すべきでした」などと書いてあったり字幕の正誤表が掲載されていたりしない限り、DVDそれ自体を「誤訳」の出典として用いることはできないです。61.192.170.63さんが加筆しようとしている記述は、『アラトリステ』の日本での配給に関わった組織や人物にとっては否定的な内容でしょう。そういう否定的な内容の記述を加筆したいなら、その宝石商の台詞が誤訳だと具体的に指摘している信頼できる情報源を提示してほしい、と申し上げているのです。
  • 最低限、ここで今まで述べてきたウィキペディアの方針については理解してほしいと切に願っていますが、61.192.170.63さんが今後も編集の強行を続ける場合、次の段階へ移行することも視野に入ってきます。なお、私のほうから61.192.170.63さんへ利用者‐会話:61.192.170.63で一点、質問しております。読まれているかどうか分からないので、ノー・コメントなら「ノー・コメント」と一言だけで結構ですので、会話ページで返信していただけますか。--153.173.68.114 2016年2月27日 (土) 14:47 (UTC)
2016年2月28日現在、『DVDの内容が正しい』と読める記述は削除されました。ありがとうございました。
主演俳優の発言については、最後まで正確に書かせていただきたく、追加の文章を記入しました。これは、一連の削除の過程で消えてしまった文章です。ヴィゴ・モーテンセンはこれまでも、インタビューの一部だけをピックアップすることで不正確な情報を流され、身に覚えのない批判を受けたことがあるために、正確を期したいと思いました。
主演俳優は非常に知的で穏やかな人物であり、今回の発言も「ストーリーを理解してくれたと思う」と続けています。ウィキペディアから『誤訳はDVDで訂正済み』という記述さえ削除されれば、私には騒ぐ理由もなくなります。
誤訳だという証拠の雑誌等の記事については、この先、『DVDが正しい』という記述が再びウィキペディアに掲載されるならば、蒸し返させていただきます。
大変にお騒がせをいたしました。コメント依頼も、もはや新たな書き込みはないと判断して、削除させていただきます。ありがとうございました--61.192.170.63 2016年2月28日 (日) 08:41 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。2016年2月27日 (土) 13:17 (UTC)の編集で加藤晃生さんのブログが除去されていましたが、過度に自己を美化しているとまでは言えないものであり、また日本語字幕に関わった当事者の発言として触れておく意義はあると思いますので、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点の方針に従って、これを戻します。以前の版でも、必ずしも「DVDの内容が正しい」「誤訳はDVDで訂正済み」と受け取られるとは限らない記述だったのですから、これを除去する必要はなかったはずです。-153.206.178.167 2016年2月28日 (日) 09:45 (UTC)
『映画にとって重要な内容があるか、映画にとって特別な意味をもつのでない限り、リンクするべきではない』というルールがあると教えて頂きました。
加藤康生氏の氏名は、他の字幕作者や吹き替え演出家の氏名と共に、ウィキペディアの『映画作品スタイルガイド』によって一旦、削除されました。先達の言葉をお借りするならば『翻訳版』『派生的な話題』だからです。
加藤康生氏が字幕監修をしたことは、失敗したという事実を省いても、ウィキペディアに記入する価値がありません。ミスの多かった字幕が修正されるのは『当たり前』のことです。それは、字幕制作会社の『通常業務』です。修正した字幕に、元の字幕と違うセリフが含まれるのは『当たり前』です。
字幕監修が一大事だったのは、加藤康生氏にとってだけです。スペイン映画『アラトリステ』には何の関わりもありません。
皆様にお願い致します。現在の『批評』の欄をご覧ください。いびつではありませんか? 加藤康生氏が字幕監修をしたことに、意味がありますか? 加えて、加藤康生氏のブログには人権蹂躙の恐れのある行為の記述が含まれると、すでに書きました。
私は、加藤康生氏に関する記述を、『アラトリステ』(映画)から削除することを提案いたします。--61.192.170.63 2016年2月29日 (月) 04:57 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。その作品の日本語字幕の翻訳や監修を誰が手がけたか、というだけの話なら、その氏名を記載する必要はないと思います。けれども、今回の場合、コメント依頼で書かれていたような「特定の人物の氏名に記載する価値があるか否か」という話ではなく、日本語字幕の監修者の特定の発言を記載するかどうかという話でしょう。簡潔に状況を整理しておくと、一方では主演俳優のヴィゴ・モーテンセンさんが日本語字幕の誤訳に腹を立てたと発言し、もう一方では日本語字幕の監修を担当した加藤晃生さんがDVD版は劇場版とは別物に近い字幕になると発言している。61.192.170.63さんは後者の発言のみを除去しようと提案しているわけですけれども、この提案には賛成しかねます。
  • ヴィゴ・モーテンセンさんが劇場版とDVD版、どちらかだけを見て日本語字幕に誤訳があると判断したのか、両方の日本語字幕を見て両方とも誤訳があると判断したのか、その辺りは分かりませんが、いずれにせよ、加藤晃生さんのブログは、何らかのミスを指摘されている当事者からの発言であり、Wikipedia:中立的な観点に書かれているように「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」のですから、記載しておく必要があります。
  • その節が「いびつ」だと感じられるなら、たとえば「批評」という節名を「公開」という節名に変えるなど、除去以外の手段で改善すれば済むことだと思います。また、加藤晃生さんのブログには「人権蹂躙の恐れのある行為」と判断しうるような記述は見当たりませんし、Wikipedia:検証可能性に書いてあるように、当事者の発言を情報源として使用できることはできます。--153.204.170.113 2016年2月29日 (月) 16:42 (UTC)

153.204.170.113さんの書き込みは、誹謗中傷に当たります。加藤康生氏のミスを利用して、加藤康生氏という個人を貶めようとしています。

ウィキペディアが『事実ではなくルール』であっても、事実は書き込めます。書き込むための形式を整えるだけです。条件法の取り違えによる誤訳は、どう抗弁しようと覆せません。 この時点で加藤康生氏の氏名を消すことが、加藤康生氏に対する温情となります。

加藤康生氏は当初、『誤訳ではない』と本気で思い込んでいた節が見受けられます。ミスに気付いた後は、嘘つき呼ばわりを避けたい一心で『誤訳ではない』と無茶な主張を続けてしまったのでしょう。

これ以上、加藤康生氏のミスを曝け出すのは残酷です。加藤康生氏の氏名とブログを表の記事に書き込んだ 153.204.170.113さんの行為には、更に多くの人の目に加藤康生氏のミスを晒し、恥をかかせようという意図が伺われます。

引くに引けなくなった人物には、思いやりを持って接するのが常識人の務めです。

表の誤訳に関する記事は、主演俳優の言葉だけに留め、ミスの犯人探しは書き込まずに収めることを提案いたします。--61.192.170.63 2016年3月1日 (火) 16:05 (UTC)

表の『批判』の記事への、新たな『加藤康生氏に関する書き込み』には、主演俳優の言葉に対応するセンテンスが存在しません。以下で、その意味を解説します。
加藤康生氏のブログには、『誤訳ではない』という明確な記述は存在しません。あえてはっきり書かないことで、Uniontourさんが『誤訳ではない』と『解釈』し、ウィキペディアで削除を続けたのです。
『誤訳ではない』と主張して『いない』加藤康生氏の記事を、主演俳優の誤訳の指摘の前に配しても、意味がつながりません。
加藤康生氏に関してこれ以上、記載すべきでない理由は、一つ前の文章で述べました。
DVDの字幕は修正されたのですから、別物になるのは『当たり前』です。元は同じスペイン語ですが、別人が担当すれば当然『別物』になります。
洋画DVDの大半には『日本語字幕』と『吹き替え字幕』という別物の字幕が収録されています。別物は『当たり前』です。
『別物』であることは、誤訳が『ない』ことの証明にも、『ある』ことの証明にもなりません
ウィキペディアの洋画ページに日本語字幕の欄は存在しません。私は先日、表の記事に以下のように書き込み、不要だとして削除されました。
-- DVD日本語版スタッフ --
  • 本編翻訳 : 佐藤恵子
  • 吹替台詞 : 小島さやか
  • 吹替演出 : 依田孝利
  • 字幕監修 : 加藤康生
加藤康生氏の氏名も、作業内容も、このように書き込まれるだけの情報です。
『批判』の記事に書き込まれた加藤康生氏に関する文章は、主演俳優の言葉に全く対応していません。単に『加藤康生という人がDVDの字幕修正に関わった』という不要な文章が加えられただけです。加藤康生氏のブログには、プロの制作した日本語の翻訳原稿をセンテンスごとに書き変えて、『自分の文章』と主張するという問題行動も記録されています。
映画にとって重要な内容があるか、映画にとって特別な意味をもつのでない限り、リンクするべきではない』というルールが存在することも、すでに述べました。
ゆえに、加藤康生氏に関する文章を『批判』の記事から削除することを提案します。--61.192.170.63 2016年3月1日 (火) 16:05 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。「153.204.170.113さんの書き込みは、誹謗中傷に当たります。加藤康生氏のミスを利用して、加藤康生氏という個人を貶めようとしています」「加藤康生氏の氏名とブログを表の記事に書き込んだ 153.204.170.113さんの行為には、更に多くの人の目に加藤康生氏のミスを晒し、恥をかかせようという意図が伺われます」というコメントは看過できません。61.192.170.63さんには発言の撤回と謝罪を求めます。今後の対応の如何によっては、次の段階へ移行するつもりでおります。
  • 上でも述べた通り、ヴィゴ・モーテンセンさんの発言では、どの部分を誤訳と判断したのか、劇場版とDVD版のどちら(もしくは両方)の日本語字幕に誤訳があると判断したのかは分かりません。加藤晃生さんが「DVD版は劇場版とは別物に近い字幕になる」と発言している以上、その発言を示しておくことが、中立的な観点に沿って書くということです。加藤晃生さんの発言とヴィゴ・モーテンセンさんの発言は直接に意味がつながっていなくても良いのです。日本語字幕についての発言である限り、同じ節、同じ段落に配置するのは自然なことです。
  • 試みに、61.192.170.63さんのコメントから、加藤晃生さんについて言及されている箇所を抜粋してみます。「スペイン語の知識がない」「この人物を『専門家』と認めているのは本人だけなのです」「この人物の監修は失敗し、DVDには最大の誤訳が残りました」「この人物が畑違いの小説の翻訳に関わり、誤字・脱字・脱行まである本を出版させた」「ウィキペディアが無条件に受け入れて良い『専門家』ではありません」「この方は更に、不十分だった映画字幕にも口を出し、最大の誤訳を見逃して、DVDを欠陥の状態で発売させてしまいました」「実は加藤氏は『翻訳者とは名ばかり』である」「『翻訳者/監修者』のブログに、保護に値しない部分がある」「本来ならば、書籍とDVDを欠陥の状態で世に出した本人が、ブログやウィキペディアに『間違えた』と書き込むべきでしょう」「加藤康生さんも事実を認めません」「加藤康生さんの行ったこと、失敗したこと、『誤訳ではない』という主張を生み出したことが、この問題の根本です」「加藤康生氏のブログ『アラトリステ隊長代理とツイてない仲間たち』には、人権蹂躙の恐れのある記述が見受けられる」「一個人のブログであり、加藤康生氏が生業とする製品の通販ページへ誘導する記述も見受けられる」。このように、61.192.170.63さんは加藤晃生さんと彼のブログについて否定的なコメントを書き続けてきました。61.192.170.63さんは、加藤晃生さんが監修を担当した日本語字幕について、独自研究をウィキペディアに載せようとしてきたわけですが、それが認められないとなったから、今度は加藤晃生さんの氏名と発言、ブログを除去しようとしているのではないですか。「加藤康生氏に対する温情」などと太字で書かれても、今までの発言を撤回されていない以上、61.192.170.63さんの本心がどこにあるかは誰の目にも明らかです。
  • 「加藤康生氏は当初、『誤訳ではない』と本気で思い込んでいた節が見受けられます。ミスに気付いた後は、嘘つき呼ばわりを避けたい一心で『誤訳ではない』と無茶な主張を続けてしまったのでしょう」とコメントされていますが、加藤晃生さんが「誤訳ではない」と主張している文献があるなら、それを提示していただけますか。それはおそらく記事の充実に役立つものだと思います。
  • 「映画にとって重要な内容があるか、映画にとって特別な意味をもつのでない限り、リンクするべきではない」というのは、おそらくプロジェクト:映画/映画作品スタイルガイド#日付記事へのリンクのことだろうと思いますけれども、それは日付に関する文書です。--153.229.79.245 2016年3月2日 (水) 09:53 (UTC)

投票の提案[編集]

議論が平行線を辿る場合は、投票をお願いできると教えていただきました。61.192.170.63 は投票による裁定をお願いいたします。

閲覧して下さる皆様へ。

このノート・ページにおける最近の経緯は、この章の二つ上の『ヴィゴ・モーテンセンの発言に関して』から始まっています。大変に長文ですので、改めて、まとめから書き始め、発言者 61.192.170.63 の側の意見を述べさせていただきます。

投票をお願いしたいポイントは、『加藤康生氏の氏名、及び同氏のブログ』の、ウィキペディアへの掲載の可否です。加藤康生氏に関する記事が削除されれば、日本語版DVDの誤訳に関するパラドックスが解決します。

まず、ここに至る経緯からご説明します。

このノート・ページには8年に及ぶ書き込みがあり、いくつかの問題点が語られています。過去にこのノート・ページで『誤訳がある』という書き込みを行った方々は、お互いに無関係の個人です。日本には主演俳優のファン・クラブ等の団体は存在せず、個々人が不条理な記載に憤り、書き込みを行ってきました。

2008年暮れに公開されたスペイン映画『アラトリステ』は、日本語字幕が稚拙で、多くの誤訳がありました。DVDでは当然のことながら字幕の修正作業が行われ、加藤康生氏という一般人が『監修者』として臨時で雇われました。

しかし、DVDでも最大の誤訳が見落とされ、残ったまま発売される結果となりました。

その誤訳とは『主人公がプロポーズの決意をする』というものです。実際には、主人公は恋人との結婚を断ります。そうせざるを得ない悲恋が、物語の重要な伏線となっています。この誤訳は『条件法の取り違え』によるもので、意味が逆転しました。条件法は中学校を卒業していれば誰でも説明する資格があります。

このノート・ページの論点は、『DVDの誤訳が事実でも、ウィキペディアには書けない』という初期の問題から、現在は『加藤康生氏に関する記述の是非』へと移行しています。

投票をお願いしたい論点。

1.加藤康生氏の氏名を『誤訳は犯していない』として記載する。(=現実の世界では誤訳なので、更なる批判は避けられない)

2.逆に、誤訳を犯した張本人として、無名の一般人である加藤康生氏の氏名を記載し、世に晒す。(=加藤氏に関する記事を削除することで避けられる)

3.他の発言者の方には、そのどちらでもないご意見がおありで、ご本人からの説明があるかと思われます。

論争が全くの平行線のまま、投票をお願いすることになりますが、閲覧をどうぞ宜しくお願いいたします。

過去に表のページに対して行われたこと。

加藤康生氏は、映画『アラトリステ』の原作小説の出版作業に関わった人物であり、その縁で映画の字幕修正の監修者として雇われた。しかし、DVDには重大な誤訳が見逃されて残った。これは、現実の世界では証明可能な事実である。

問題となっている『監修者』加藤康生氏のブログには、2009年のDVD発売直後に閲覧者から『プロポーズの誤訳を見逃している。ストーリーが劇場版と同様に変質したままだ』という趣旨の指摘が書き込まれた。

加藤康生氏は、その誤訳の指摘を削除した上で、ブログの記事を書き変え、『DVD字幕の誤訳は(別の)些細な部分だけ』という趣旨の文章を記入した。この作業は一部のブログ閲覧者が目撃している。

現実の世界で誤訳は明確に存在する。その事実が消えたのは、加藤康生氏のブログの中のみである。

ウィキペディアの表のページでは、加藤康生氏の『誤訳は(別の)部分のみ』という文章を根拠として、『プロポーズは誤訳ではない』との主張が生まれ、誤訳の指摘が削除され続けた。

例・『主人公は迷った末に求婚を決意した』という趣旨の Uniontour氏によるノート・ページの文章。


2010年にようやく『あらすじ』が現在の正しい形に落ち着いた。これは、国立大学のスペイン語学科教授による『条件法の取り違え』という指摘を受けた後の訂正である。教授のブログは、ウィキペディアへの掲載を拒否されたが、それでも、一つの『誤った情報』がウィキペディアから取り去られた。

『プロポーズの誤訳』には複数の証拠が存在する。ただし、『それらを一つにまとめた雑誌等の記事がない限り、ウィキペディアには掲載できない』との主張によって書き込みを止められている。

しかし、証拠は現実の世界に存在する。現実に『事実』が存在する以上、表のページには事実に沿った記事が現われる。それは道理である。事実に反する記事には齟齬があると疑うべきである。

表の記事のパラドックス。

『あらすじ』は訂正された。本来ならば、この訂正をもって誤訳の問題は収束できた。しかし、表のページには『DVDの字幕が修正された』という記述が存在した。加藤康生氏に関する記事である。

これでは、DVDに『プロポーズの誤訳』が存在しないことになる。これは看過できないパラドックスである。

『条件法の取り違え』によって文意が逆転する現象は、数学と同様に不変の事実である。 ウィキペディアが『事実ではなくルール』であり、事実の掲載を認めずとも、現実の世界ではDVDに誤訳が存在する。加藤康生氏の記事には『修正に失敗した』という事実が欠けている。


61.192.170.63 はすでに加藤康生氏の記事をページから除去することを提案している。加藤康生氏の氏名を削除すれば、『誤訳を犯した人物』として名指しで批判する必要はなくなり、パラドックスも解消される。


加藤康生氏は、ブログの中では『プロポーズの誤訳』を認めていない。閲覧者からの誤訳の指摘を削除したことは、すでに記した。ただし、その否定は『誤訳は(別の)些細な場所』という曖昧な表現である。

現実の世界の加藤康生氏は『誤訳ではない』と決して口にできないのだ。現実の世界には『条件法』という事実が存在するためである。現実の世界では、加藤氏は『プロポーズの誤訳』を見逃したことを『否定できない』。それが現実の加藤康生氏の立場である。 誤訳の部分の原文を提示しても、加藤康生氏は翻訳文を答えることが出来ない。

誤訳の原文(英語版)。I would not abuse your trust...but would I be mistaken in assuming that with this gift Your Worship is thinking of,shall we say...a future with this lovely lady?

加藤康生氏が、DVDと同じ日本語翻訳を答えれば、それは条件法の取り違えによる誤訳となる。正しい回答ならば、DVDの誤訳の告白である。

現実の世界で真実を語れない人物は、ウィキペディアの『信頼出来る情報源』たり得ない。

加藤康生氏には現実の世界で好きにブログを書く自由がある。不愉快な誤訳の指摘を削除し、文章を書き変える自由がある。しかし、肝心の『DVDに関する記述』の部分が現実と遊離している加藤氏のブログは、ウィキペディアの『信頼できる情報源』として不適格である。記事として取り上げた初めの選択が誤りであり、加藤康生氏のブログをウィキペディアが『保護』しているとの主張は誤謬である。

『誤訳』があることの証明。

日本の誤訳問題は海外の多くの主演俳優ファンにも伝わり、情報が主演俳優の耳に届くに至った。主演俳優であるヴィゴ・モーテンセンは、2015年に日本の雑誌で「日本語字幕に誤訳がある」と発言した。主演俳優がこの問題を何年も忘れず、日本からの非常に稀な直接インタビューの機会を捉えて発言したことは、現実に映画『アラトリステ』を作り上げた人々の怒りを表している。

ヴィゴ・モーテンセンの発言によって、表のページの誤訳問題は解決へ向かった。誤訳の個所の説明は不要である。『プロポーズの誤訳』は劇場版・DVD本編・アフレコ台詞の全てに共通して存在する。主人公が『プライドゆえに恋人と結ばれない』と主演俳優が語る日本語の記事は2008年から存在している。

現在の表のページの『批判』の記事は、加藤康生氏が修正をしたという記事の後に、主演俳優の『誤訳がある』という発言が続く。この場合、主演俳優の言葉に相対する位置には、『誤訳ではない』という主張がこなければ文章が成立しない。

あるいは、加藤康生氏が誤訳を『犯した』。加えて『主演俳優も腹を立てた』という並列の構文が必要である。

『誤訳を犯した』とも『誤訳ではない』とも明記されない現在の加藤康生氏の記事は文意が不明である。


加藤康生氏は自身のブログに『誤訳は(他の)些細な部分のみ』と書くことで、指摘を受けた『プロポーズの誤訳』の存在を消去した。

それをアカウントの人物が解釈することで、ウィキペディアの中で『誤訳ではない』という虚構が作り上げられた。

『成功した加藤氏の監修作業』『誤訳のないDVD』はウィキペディアの中だけの架空の存在である。

ウィキペディアは、この操作を認めるか。現実の世界で加藤康生氏は監修に失敗している。失敗したという事実を認識して記事を検証しなければ、ウィキペディアは百科事典として機能しない。

『犯人探し』は無用である。『加藤康生氏に関する記事』の削除によって、誤訳の問題は解消する。

字幕修正作業は表の記事への掲載に値するか。

洋画において重要なのは、あくまで原語の台詞である。翻訳者は淡々と作業をこなし、クレジットに氏名が残るのみである。

現在のウィキペディアには日本語の字幕翻訳・アフレコ演出等の氏名は掲載されない。将来的に記載されても、それは『全ての映画情報ページのスタッフ欄』と同等の、人物名の一覧である。

劇場版の字幕に誤りがあった場合、DVDで字幕修正作業が行われることは当然である。誤訳を放置しては『売り物』にならない。

現在のDVDは、字幕を焼き付けた映画フィルムの複製ではない。字幕データはデジタル入力される。字幕修正作業は、DVD製作業務の一環である。たとえ制作スタッフのブログが存在しても、それをウィキペディアに記載する者はいない。演出家もプロデューサーも、誰もブログをリンクしない。加藤康生氏は末端の臨時雇いである。映画配給のトップである配給会社は、加藤康生氏の言動について一切関知しないと発言している。加藤康生氏の発言は『監修者』の言葉と認められていない。

『別物』の字幕に関する記事は、掲載に値するか。

洋画には多数の『別物』の字幕が存在する。担当者が異なれば同じ場面の字幕も『別物』となる。

例・映画『ザ・ロード』で、コーラを飲む子供の台詞。公開前のTVスポット「シュワシュワする」。劇場版「弾けてる」。

同一の原点の翻訳を別の翻訳者が担当すれば『別物』である。全てが完全に一致する翻訳は有り得ない。劇場版と担当者の異なるDVD字幕が『別物』であることは特筆に値しない。原点のスペイン語台詞が『不変』故である。

アフレコ台詞も本編字幕とは『別物』である。『エイリアン』には5本の日本語吹替が存在する。新たな字幕が制作された際に、自分が『別物』を制作したと主張してウィキペディアに記事を書き、ブログを貼る担当者は存在しない。

字幕の修正作業は、記事自体がウィキペディアの掲載に値しない。

加藤康生氏のブログの信憑性。

リンクされている加藤康生氏のブログを閲覧すれば、『原作翻訳者の記録』でないことは歴然である。加藤康生氏はスペイン語を解せず、出版作業のスタッフである。ブログの内容は、加藤康生氏によって原作翻訳本が誤字・脱字・脱行のある欠陥品とされた顛末の記録である。DVD監修においても、加藤氏は(認めずとも事実として)失敗した。ブログの一部分のピックアップは無意味である。全体の検証なくしてウィキペディアの資料とは認め難い。加藤康生氏が誤訳の指摘をブログから削除したことはすでに述べた。

字幕制作会社は、臨時雇いの加藤康生氏に『監修者』という名目しか与えていない。加藤康生氏が字幕の日本語を全て置き換える作業を行っても、本編字幕とクレジットされるのは佐藤恵子氏である。加藤康生氏には字幕制作料が支払われておらず、字幕を自分の作品と主張する権利はない。映画配給会社が加藤康生氏の言動に『関知しない』と発言したことは、すでに記した。

加藤康生氏の本来の役目は誤訳のチェックであり、全力を注いで『条件法の取り違え』に気付くべき立場だった。しかし、誤訳の責任は統括責任者の佐藤恵子氏にある。臨時雇いの加藤康生氏には、責任を取ることすら許されない。

加藤康生氏の氏名は、ウィキペディアにおいて、誤訳を見逃した張本人という場合のみ意味を持ち、その責任を持つ『資格がない』という時点で掲載の価値を失っている。

監修さえ十分であれば、DVD字幕の誤訳は回避されたミスであった。

61.192.170.63 の主張は以上です。--61.192.170.63 2016年3月5日 (土) 20:36 (UTC)

加藤康生氏って知ってる。翻訳家って聞いたぞ。何かの取り説を翻訳したから翻訳家(笑)。少し前は ビオトープ作家だったはずだけど生き物はどうしたんだ生き物は。ブログも違ってた。非常勤講師をクビになった頃は自己紹介に主夫だと書いて教師仲間に「社会学者が作るバッグ」が売りのバッグを売ってたのに、今みたら高級店のHPかって変わってた。家のおかんだってバッグ作ってたぞ。胸張って内職って言ってたぞ。卒論書いた人がみんな社会学者なら会社の名刺は学者だらけだな。人を言い負かそうとする人だ。自分の都合の悪いことからずらそうとする。俺でも、そりゃ人が離れてくって思ったね。学生に人気がなくてクビになったのも、いつも間にか「先生としての仕事をやりきった」に変わってる。これぞ加藤康生~~~!。自分で信じてるんだな。学者でもバッグ屋でもいいけどウィキペディアはHPみたいに盛っちゃまずいしょ。いや、自分で書いたとは俺は言わないですよ。腐ってもクビになっても社会学者なら悪い記事は自分で削除してくれ。先生。。--以上の署名のないコメントは、120.51.211.204会話/Whois)さんが 2016年3月6日 (日) 15:36 (UTC) に投稿したものです(64.183.2.50による付記)。

どなたも発言されないようなので、書かせていただきます。『アラトリステ』は不条理映画かと思える騒ぎでしたね。『あらすじ』は正確だそうですし、「誤訳がある」という線で落ち着けば、とりあえずヴィゴ・モーテンセンのファンは納得できるのでしょう。条件法の解説までは無理としても、そこは加藤氏に関する記事の削除と引き換えで、三方一両損の痛み分けではいかがでしょう。加藤康生さんには、立派なご自分のページが開設されるよう頑張って生きていただくということで。偉そうに書いていますが、今回は私もアカウントを隠しています。臆病者と呼んで下さい。
投票を提案された61.192.170.63さんは、第三の選択肢が提示されるはずとされていますが、まだのようです。そこで僭越ですが、表のページから加藤氏の部分を削除させていただきました。これで何も起こらなければ、円満解決ということですね。
1+1が2にならないのが人の世ですしね。ウィキペディアに詳しい人ほど、そこは穏便にと言いにくいから困ってしまいますよね。心から、これで論争が終結することを祈っています。--221.255.147.10 2016年3月8日 (火) 12:10 (UTC)
221.255.147.10です。先ほど私が削除した加藤康生さんに関する記述は取り消され、復元されてしまいました。153で始まるIPアドレスの方は、たぶん同一人物なのでしょうね。悲しい方ですね。--221.255.147.10 2016年3月8日 (火) 15:46 (UTC)
同じ221.255.147.10です。私の会話ページに、取り消しを行った153.161.22.104さんからの書き込みがあり、叱られてしまいました。悲しい方ですね。--221.255.147.10 2016年3月8日 (火) 16:07 (UTC)

221.255.147.10 さん、ありがとうございました。 61.192.170.63です。私も悲しく残念なことだと思います。お言葉の通り、不条理なことが起こっています。『153で始まるIPアドレス』の方は、いったい何をしているのでしょう。

221.255.147.10 さんのページには、差し戻した153.161.22.104 さんから、「説明なしにいきなり除去するな」という趣旨の書き込みがありました。それが差し戻しの理由ですか? 221.255.147.10 さんはノート・ページに「論争を収めるため」と書き込みを行った上で削除を実行しました。『加藤氏の氏名』に対する『153 のIPアドレス』の方や他の方の執着は、何なのでしょう。加藤康生氏が『アラトリステ』の翻訳本とDVDを欠陥品にした人物であることは、すでに述べました。現在の『加藤氏の氏名』を記入した方は、必要な質問に全く答えぬまま、加藤氏に関する記事を既成事実として扱い、差し戻しを行いました。

現在の『批判』の記事の加藤康生氏の文章は、文意が不明であると申し上げました。監修をしたから何なのだ、何が言いたいのだ? という意味不明な文章です。221.255.147.10 さんの仰る通り、『批判』の記事が主演俳優の「誤訳がある」という言葉だけになれば、私はウィキペディアから立ち去ります。しかし、文意が不明でも、監修が行われたという文章があることで、『批判』の記事全体が乱れています。監修が『失敗した』という説明が欠けているからです。153.161.22.104 さんの差し戻しの行為は、失敗という事実をウィキペディアに書けないことを承知で『誤認』を狙った『不適切な編集』です。

書けないことは『なかったこと』ではないと、何度も申し上げてきました。ウィキペディアの中だけで、『DVDが正しく監修された』という虚構をつくりだすことは、ウィキペディアを貶める『不適切な編集』です。誤訳の指摘に対する感情的な抵抗ならば『問題編集』です。皆さんの投票を受けようという申し出に対しても返答がなく、『建設的な合意形成』も望めません。『153 のIPアドレス』の方は、何も答えずにルールを振りかざし、正しい側のように振る舞い続け、非常にアンバランスです。

スペイン映画『アラトリステ』にとって、日本での字幕の誤訳は、末端の困った事故です。「誤訳があった」という文章だけで十分で、その経緯(修正作業)は説明不要です。作業者の氏名に至っては些末の些末。しかも加藤康生氏は責任を負うべき立場ですらないと申し上げました。

削除を行った『153 のIPアドレス』の方は、私 61.192.170.63 に対しては、まだ『ブログは出典として保護されている』という言葉を使っています。これは、そう主張する方々が信じているだけの虚構なのですね。そもそも内容に偏りのあるブログは、それ自体が独自研究で掲載に相応しくないことは何度も申し上げました。

このノート・ページには他の方の書き込みも行われ、ますます加藤康生氏という一般人が晒されて行きます。全てブログや自己紹介に書かれている(いた)ことではありますが、加藤康生氏が非常勤講師の職を失ったことまで書く必要はないと控えて来ました。しかし、人権侵害になると私が書くと、逆に私はブロックすると警告を受けました。『153 のIPアドレス』さんは、全てを晒すことが目的なのでしょうか。スペイン映画『アラトリステ』のページには全く不要な情報です。何年もかかって書いたブログであっても、『アラトリステ』に何の貢献もしていない、『欠陥品にした記録なのに間違いを認めていない独自研究のブログ』は不要です。主演俳優の「誤訳がある」の言葉だけで十分です。

今の『153 のIPアドレス』さんは、他の方のルール面での不備をあげつらい、それを『加藤康生氏』の氏名を残すことの理由に転嫁しています。自分への指摘には一切答えず、そもそも『加藤康生氏』の名前が不要だという解説は、なかったことにしています。これはいったい何なのでしょう。『153 のIPアドレス』さんは、いったい何をしているのでしょう。

私は今は、アカウントを取得して記事の保護やブロックを申請しようとは思えません。たぶん『153 のIPアドレス』さんは、語句のミスや自分なりの解釈を見つけて不十分だと主張し、『加藤氏』を残すのでしょう。すでに人間対人間の対話ですらなくなっています。PCの記入ミスなら、やり直しで正解が見つかりますが、『加藤氏を残す』という意思だけが肥大し、ディベートが目的の人が相手では、試みるだけ無駄です。「いらないですよ、それ」としか私には答えられません。

現実の世界で裁判が何年も続くのは、規則や法律だけでは決まらず、会話が必要だからです。『153 のIPアドレス』さんには会話の意思すらありません。自分に対する批判が聞こえておらず、会話しているように見せかけているだけです。繰り返しますが、『加藤氏の氏名』に対する『153 のIPアドレス』の方や他の方の執着は、いったい何なのでしょう。--61.192.170.63 2016年3月9日 (水) 11:24 (UTC)

61.192.170.63さんへ。以前、間違えて訂正をしてしまったBompkinです。その節は失礼をいたしました。61.192.170.63さんがブロックではなく相手を納得させて止めさせようとされるのは分かりますが、納得する人ならば、こんな問題は起こさないと思います。あのブログを閉じずに誇る時点で、考え方が根本的に違う人ですよ。
私は映画好きで、「あらすじ」を書き込んでいるだけの人間です。その縁で今回の問題を知りました。「あらすじ」だけでルールに詳しくないのですが、宜しければ私が153.161.22.104 さんのブロックを依頼します。管理者の方のご意見も大切だと思うのです。といっても、私にできるのはそれぐらいで、全く頼りになりませんが。恨まれても別に困りませんので、ご遠慮なくお使いください。
警告する必要があるそうですので、ここで153で始まるIPアドレスの人に警告します。加藤康生氏の記事が必要な理由を語って下さい。--Bompkin会話2016年3月10日 (木) 02:41 (UTC)
Bompkinです。お許しをいただいてから動くつもりだったのですが、警告しますと書いてしまったので、153の人に注意される前に、153の方全員の会話ページに警告文を貼らせていただきました。加藤康生氏の氏名を書き込む理由を尋ねる文章です。ルールの説明ではなく、それを答えていただきたいのですよね。勝手な真似をしてすみませんでした。--Bompkin会話2016年3月10日 (木) 03:47 (UTC)
Bompkin さん、お申し出をありがとうございます。留守にしてお礼が遅れてしまい申し訳ございません。たいへんな長文の書き込みなのに、要点をズバリと指摘していただき、本当に嬉しいです。
何度も書いてきましたが、管理者の方に申し上げたいことは、次の通りです。
誤った素材(言葉の足りないブログ)を用意し、規約の言葉を駆使すれば、Uniontour 氏のように何年間も偽物のストーリーを主張し続けられる。加藤康生氏のブログには、故意に操作された部分がある。
加藤康生氏の氏名を記入したいと考える人物は、これまでの経緯を鑑みても本人以外に考えられない。しかし、加藤氏の監修が失敗したことは(まだウィキペディアに記入できないだけで)現実の世界の事実である。
『主演俳優が「誤訳がある」と発言した』という記事で十分なところに、実は字幕修正作業をしたが失敗し云々の話は無意味であり、その作業に臨時雇いの監修者がいたことは些末過ぎる事柄である。
加藤康生氏がなぜ表のページへの氏名の記入に固執するのか、その意図が全く不明である。
だいたい、これで良いかと思います。依頼のご参考になりますでしょうか。どうか宜しくお願い致します。--61.192.170.63 2016年3月10日 (木) 11:30 (UTC)
ああ良かった。認めていただけて有り難いです。加藤康生さんは先生だったのですよね。なぜ、こんなことをするのでしょうね。警告に回答があるかも知れないので、少し待ってから依頼します。ブロックなど初めてで頼りないですが、判断するのは経験のある管理者さんたちですから。ただ、61.192.170.63さんの文章を読んで少し心配なのは、ウィキペディアのルール大好きなこの人が、実は管理者になっているなんてことはないですよね……。--Bompkin会話2016年3月10日 (木) 13:23 (UTC)
皆さん署名付きで会話されますし、却下されても訴え続けるだけです。私がブロックされても、不条理だと感じる次の方がきっと出てきてくれます。Bompkin さんも助けにきてくださいましたし。--61.192.170.63 2016年3月10日 (木) 14:06 (UTC)
もっと詳しい方が名乗り出て下さるのを待っていたのですが。では、153の方の回答を少し待つと致しましょう。--Bompkin会話2016年3月10日 (木) 14:27 (UTC)

『加藤康生』氏の氏名の記載について[編集]

Bompkinです。『153で始まるIPアドレス』の方へのブロックを依頼しました。複雑な展開なので、ここで纏めます。

  • 61.192.170.63さんの記述が『独自研究』であるか否かは問題ではない。問題は、加藤康生氏の氏名の記載の可否である。
  • 『153で始まるIPアドレス』の方は、なぜ『加藤康生』という氏名が必要かという問いには決して答えない。61.192.170.63さんを『独自研究』と指摘することに問題をすり替えている。なぜ『加藤康生』が必要なのか?
  • 『加藤康生が「別物の字幕」と語った』という文章は、『批判』の記事に記載する意味がない。監修が成功したのか、失敗したのかを特定しない(できない)文章は、『批判』の記事に必要がない。
  • 加藤康生氏は『映画字幕』に関して、プロではない臨時雇い(アルバイト)である。本来は『別物であることが当然』のDVD用の字幕を、初体験のアルバイトがさも一大事であるかのように自身のブログで語ったというだけの、全く価値のない文章である。この記事を記載するという事は、加藤康生なる人物名の『宣伝』以外の何物でもない。
  • 価値のない『加藤康生』という氏名の記載に固執する『153で始まるIPアドレスの人物』は、加藤氏当人と断定せざるを得ない。ゆえにブロックを申請する。

『加藤康生』という人物が何者なのか、『アラトリステ』に対して何をしたのかは、今回のブロック依頼とは関係がありません。『批判』の記事に記入することに意味がないというだけです。この数か月の記事の変化の中で、加藤氏の氏名は何度も消え去りましたが、『153で始まるIPアドレス』の方が復元し、最後は現在のように文意の不明な文章にまで退化しました。それでも氏名を残そうとする『153で始まるIPアドレス』の方の固執にご注目下さい--Bompkin会話2016年3月12日 (土) 00:03 (UTC) 

加藤さんは大きな嘘をついています。DVDの字幕が別物に近いことは証明できません。劇場版の字幕は現在は非公開です。劇場版の字幕とDVDの字幕を比較できる資料は公開されていません。それは内部資料です。加藤さんの手元に資料が残っていても、それは61.192.170.63さんがお持ちの配給会社の証言と同じ個人の情報です。加藤さんはご自分の手元の資料を公の雑誌などで発表しなければウィキペディアで使えません。そして発表は許されません。加藤さんは大勢の者に迷惑をかけていることを認識していただきたいと思います。--María de Castro会話2016年3月13日 (日) 15:06 (UTC)

↑アカウント作成16分後の最初の発言。でやってることは単なる尻馬。--240F:65:92C9:1:8D3C:3BB0:9A25:E47C 2016年3月13日 (日) 17:44 (UTC)
María de Castro さん、ありがとうございました。確かにおっしゃるとおりです。気づかなかった私は、Bompkin さんや管理者の方に謝らなければなりません。私の分かり難い文章しか材料のない方々には、知りようのない情報でした。『153 で始まるIPアドレス』の方や他の方が反論されるかも知れませんので、しばらく様子を見ますが、ご証言いただきまして心からありがたく思っております。--61.192.170.63 2016年3月13日 (日) 17:14 (UTC)
二つ上の240f:65で始まるアドレスも、『153のアドレス』と同じ方で、表のページで操作を行っています。すでに加藤康生氏の氏名を記入しようとする方は、まともな議論もできない様子です。加藤康生氏は字幕修正が失敗か成功かを語らず、DVDが別物に近い字幕であることも証明できず、そのブログはプロでもない臨時雇いによる無責任な記述で、事実であるとの証明もありません。検証可能ではなく信頼できる情報源にも当たりません。加藤康生氏の氏名を記入した方は、他人に削除されるのがお嫌ならば、早急にご自分の手での削除をお願い致します。--Bompkin会話2016年3月14日 (月) 03:30 (UTC)
  • コメント この件は、検証可能性も信頼できる情報源にも、問題はありません。「⚪︎⚪︎は『××』と言った」ということの情報源としては、その発言したことが事実であることが確認できるだけで十分です。当事者情報については、他の情報源と矛盾がないか確認することになっていますが、この発言は本人の予想として述べられたものなので、そうする意味がありません。また、発言そのもののについて批評することは独自研究であり、Wikipediaでは禁止されています。そういう批評はノートページで行うことも、禁止されていますので、ここではなく、あなたのブログなり、他の投稿サイトでやってください。
    なお、解説として必要かどうかを評価することは、問題ありませんので、153.ーさんと、仲良く話し合って決めてください。Yhiroyuki会話) 2016年3月14日 (月) 03:59 (UTC)--Yhiroyuki会話2016年3月14日 (月) 08:58 (UTC)修正
都合の良い出典(加藤氏のブログ)を用意して書き込めるのであれば、誰でも自己宣伝を書きます。失礼ながらYhiroyukiさんが「問題はない」とお書きになっても、それがお墨付きとなるものでもありません。Yhiroyukiさんにお願い致します。加藤康生氏が信頼できる情報源であり、そのブログが『検証可能』である具体的なポイントをお示し下さい。信頼できない部分は、すでに何人もの方が語っています。具体的なご指摘をいただけなければ、残念ながらせっかくのお言葉も意味を成しません。--Bompkin会話2016年3月14日 (月) 09:59 (UTC)
この場合の検証可能性というのは、「⚪︎⚪︎は『××』と言った」ことについて検証できるだけで十分です。『××』が正しいことを検証する必要はありませんし、してもいけません。また、ある情報源が信頼できる情報源かどうかは、その利用の仕方によって変わります。とくに、情報源そのものの内容について言及する場合は、それが信頼できる情報源である必要はありません。映画それ自体も信頼できる情報源ではなく歴史項目の情報源として利用したりはできませんが、それ自身を情報源としてあらすじを書くことができるのは、このためです。対象のブログも同様で、映画同様に信頼できる情報源ではないが、映画に関係する当事者の情報としてのみであれば使用できます。他の映画やアニメの項目を見ていただければ、関係者の発言が記載されているのを見かけたはずです。中には、当事者が都合のいいように発言している疑いがかかっているものもありましたが、Wikipediaではそれを正したりはしません(そういうのを正したければ、Wikipediaの外でやってください)。
ただし、これは出典を用意できればなんでも書き込めるということを意味しません。どんな情報源を使う場合でも同じですが、とくに当事者情報を用いる場合は、適切な説明になっているか、過大な表現になっていないか、他の情報源と矛盾がないか、観点に問題がないか、言及する必要があるかといったことを評価する必要があります。私もこの点で問題があるとは思っていますが、現時点においては、除去しようとしているあなたが153ーさんと話し合う必要があります。--Yhiroyuki会話2016年3月14日 (月) 12:08 (UTC)
要は件のブログを根拠にこの映画について『××である』と断定するのはだめだけど、『加藤は自身のブログで○○と述べた』と記述する限りでは検証可能性や信頼できる情報源の問題にはならないということ。ただし他の観点から百科事典の解説として必要かどうか議論する余地はあるので、その話し合いをノートでしてくださいなということかと。最終的な証明のしようがない本人疑惑を取り沙汰するよりも、Yhiroyuki氏の挙げる諸点から記述の要不要を問題にするほうが進展しやすいのではないだろうか。--240F:65:92C9:1:F421:5A64:76CF:4B76 2016年3月14日 (月) 13:13 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。ヴィゴ・モーテンセンさんが「日本語字幕に誤訳がある」と判断したのは、およそ3つの可能性が考えられると思います。劇場版とDVD版の両方の日本語字幕に誤訳があると判断した(ケースa)、劇場版ではなくDVD版の日本語字幕に誤訳があると判断した(ケースb)、DVD版ではなく劇場版の日本語字幕に誤訳があると判断した(ケースc)。ケースaなら「加藤晃生さんが『DVD版は劇場版とは別物に近い字幕になる』と述べるほどの改変にも関わらず、誤訳が改善されなかった」という話になります。ケースbなら「加藤晃生さんが『DVD版は劇場版とは別物に近い字幕になる』と述べるほどの改変のせいで、逆に誤訳が生まれた」という話になります。ケースcなら「加藤晃生さんが『DVD版は劇場版とは別物に近い字幕になる』と述べるほどの改変のおかげで、誤訳が解消された」という話になります。
61.192.170.63さんの「劇場版とDVD版の日本語字幕は別物であるのが当然だ」という見解が常識として社会一般に広く受け入れられている様子は確認できません。だからこそ、加藤晃生さんもわざわざ「DVD版は劇場版とは別物に近い字幕になる」とブログに書いたわけでしょう。ヴィゴ・モーテンセンさんの発言を残して加藤晃生さんの発言を除去すれば、実際にはケースbやケースcの可能性があるにもかかわらず、「劇場版とDVD版の日本語字幕は同じものだ」と考える閲覧者にはケースa一択であるかのような印象を与えることになります。ケースaが真実であるとはっきりしているなら、「加藤晃生さんの発言は記載する必要がない」とする意見も分かるのですが、そのあたりがはっきりしていない現状では、ケースbやケースcの可能性を排除しないという意味でも、中立的な観点に沿って当事者の言い分を記載するという意味でも、加藤晃生さんの発言を除去すべきではないと思います。
  • アンドレイ・ルブリョフ (映画)のように日本版字幕に関わった人物の氏名を記載していない映画作品の記事もある一方、イングロリアス・バスターズのように記載している映画作品の記事もあり、良質な記事でも判断が分かれているようなので、「加藤晃生さんの氏名だけを記載するのは不公平だ、宣伝的だ」という懸念があるのであれば、本記事の「スタッフ」節の末尾に佐藤恵子さん、小島さやかさん、依田孝利さんの氏名も記載することには反対しません。
  • 「このノートページは、誰かを告発したり糾弾したりする場所ではありません」と申し上げたはずですが、その後も「学生に人気がなくてクビになった」「そもそも内容に偏りのあるブログは、それ自体が独自研究で掲載に相応しくない」「価値のない『加藤康生』という氏名」「加藤さんは大きな嘘をついています」など、存命人物に対する過度にネガティヴな発言が目につきます。関連するウィキペディアの方針とガイドラインの文書は既に案内しました。発言を撤回されなければ、あるいは言動に改善が見られなければ、まとめて次の段階へ移行します。--153.202.129.34 2016年3月14日 (月) 17:36 (UTC)
8年前、加藤康生さんの記事を書き込んだ Uniontour さんが最初の2年間、明らかに誤ったストーリーに固執されていたことは、すでに述べました。故意に書き変えたブログを参照した結果です。Yhiroyuki さんも同じ頃に『誤訳についての検証ブログ』や『大学教授の証言』を否定された方です。その頃もご意見に賛同したわけではありませんでしたが、主演俳優が来日した際に日本語の記事で誤訳だと発言すれば済むことだと、海外に情報を発信することに力を入れて来ました。
残念ながら来日はありませんでしたが、出演作を大切にするヴィゴ・モーテンセンは、誤訳の情報を何年も忘れず、非常に稀な日本からの直接インタビューの機会を捉えて「誤訳だ」と発言して下さいました。何度も同じ説明の繰り返しで恐縮ですが、そのために今回、「誤訳がある」との発言の書き込みを行っております。
現実との乖離があると、これほど語った後にも、まだ誤訳を犯した張本人である加藤康生氏の氏名を記載しようとされる動きは、正直、理解が出来ません。加藤氏以外の方がなさっているならば、一般人である加藤氏の罪を暴き、徹底的に貶めようとする行為です。それは止めるように申し上げて来ました。153 で始まるアカウントの方の仰る『加藤氏に対する誹謗』は、その結果、複数の方からもたらされたものです。加藤康生氏は記載に値しないという証言であって、中傷ではありません。153 の方は上のコメントで、どこに誤訳があるかと『ケースabc』と列挙されていますが、検証はウィキペディアで行うべきではないと、書かれているではありませんか。検証するまでもありません。現実の世界で条件法の誤訳は事実です。153 さんは、DVD修正が成功した可能性があると、まだ信じておられるのですか?
ケース2として、加藤氏本人が何が何でも氏名を残そうとしているなら、加藤氏はこれまでの失敗を、本当に忘れていることになります。ブログの自己紹介に現在、実際に書き込まれているように、『翻訳の仕事をやりきった』と心から信じておられるのでしょう。自分が正しいと信じていれば、削除しようとする動きに徹底的に対抗するのは当然の反応です。しかし現実の世界には欠陥本と条件法の取り違えが存在します。このパラドックスにご注目下さい。
この8年間、掲載されていた加藤康生氏に関する記事は、字幕の修正が成功したと『思わせる』内容でした。『修正した』と書かれていれば、誰も失敗したとは思いません。実際は失敗なのだとノート・ページで繰り返し申し上げても、ウィキペディアには書けないの一点張りで、誤った記事が8年間も掲載されていました。これは百科事典として恥ずかしいことではないのですか? 
現在の加藤康生氏の記事は、文意も不明な文章に退化しながら、しがみつくように残されています。ここまで来て何事もないように、「問題はない」と仰る Yhiroyuki さんには、疑問を感じずにはいられません。『他の情報源と矛盾がないか確認することになっていますが、この発言は本人の予想として述べられたものなので、そうする意味がありません』などと、 Yhiroyuki さんはご自分の文章ですでに自己崩壊されています。矛盾の検証が出来ないことも、予想の文章であることも、アウトです。
240Fで始まるアカウントの方は、María de Castro さんに対して非常に失礼な書き込みをされました。確信を突かれて腹を立てられましたか。時間軸まで無視した割り込みのコメントです。María de Castro さんの仰る通り、加藤康生氏は『別物に近い字幕』と発言する根拠も示せません。加藤康生氏は、もともとウィキペディアに掲載すべき人物ではないのです。Uniontour さんが8年前に書き込んだ時点で間違いでした。都合よく書き直したブログを参照した Uniontour さんが、すでにアウトです。
Yhiroyuki さん、240F で始まるアカウントの方、153 の方も勢揃いしました。この文章をご覧いただいている全ての方に申し上げます。やはりこの問題は、加藤康生氏自身の多重アカウントによって翻弄されてきたようです。しかも加藤康生氏は論理破綻し、それに気づけない状態に陥っています。
管理者の方に申し上げます。けんか両成敗で記事を保護される場合は、加藤康生氏に関する部分の削除をお忘れなくお願い致します。加藤氏の文章は、主演俳優の言葉に何らかの齟齬があるかに見せかけており、明らかに悪意のある書き込みです。--61.192.170.63 2016年3月15日 (火) 00:36 (UTC)
Bompkinです。建設的な意見は出尽くしたようです。DVDの監修について書き込んでいるのが、8年前から加藤康生氏自身であったことはもはや明白です。国立大のスペイン語学科の教授の証言をウィキペディアが否定するという奇妙な現象も、加藤氏が多重アカウントで操作したのですね。 
(現在、書き込みを行っていないアカウントについては、多重アカウントのブロック依頼には記入しませんでした。ウィキペディアで活動されることを止めるつもりはありません)。
かつて教師を務め、100人の教え子がいるとブログに書いている方には、立場を認識して頂きたいと思います。書けば書くほど「失敗の事実」が拡散してしまうことに気づいて下さい。すでに学校関係や、DVDの関係者らしい方まで、コメントを寄せられたではありませんか。「ウィキペディアに嘘を書くヤツ」の話は一人歩きで拡散していくと気付いて下さい。私が知ったのも、そのように茶化したルートからでした。大真面目な議論も全て吉本新喜劇のように小ばかにされているのです。
加藤氏が現実の世界で翻訳家と名乗るのは自由です。しかし、『アラトリステ(映画)』のページで失敗を隠そうとすれば、未来永劫、ファンに阻止されます。ヴィゴ・モーテンセンの「誤訳がある」という言葉の邪魔をする限り、加藤氏の失敗は暴かれ続けます。表のページで加藤氏に書き込む権利があるのは、字幕翻訳・吹替台詞・字幕監修と氏名を併記する「スタッフ欄」だけです。DVD監修が成功したかに見せかけることは、ウィキペディアでは無理です。それを書いて良いのはご自分のブログだけです。
本当は大学教授の証言は書き込めるのでしょう。ダメだと言ったのは加藤氏の多重アカウントなのですから。しかし、三方一両損で良いのではと穏やかに忠告して下さった方もおられます。会話ページに嫌味なコメントを記入されても、悲しいと表現された寛大な方です。61.192.170.63 6さんも、主演俳優の言葉と正しい「あらすじ」があれば良いとの意見です。
これ以上、無理な反論を続けなければ、「DVD監修の失敗」や「誤訳の具体的な説明」について記載されることはありません。現実の世界で、加藤氏が「字幕監修をした」と誇ることは誰も妨げません。ウィキペディアに「監修成功と思わせる虚偽の文章」を書くことだけは、ファンが断固阻止するということです。『アラトリステ』の主演がヴィゴ・モーテンセンだったことを不運と呪って下さい。
『批判』の項目の加藤康生という部分は削除させていただきます。以上の文章を理解していただくために、三日後に削除いたします。上から目線なギャラリーに舞台のサルのように観察されることは、もうやめましょう。(ギャラリーというのは管理者さんではありません。もっと残酷な視線を感じて下さい)--Bompkin会話2016年3月16日 (水) 01:48 (UTC)
  • コメント お詳しくない閲覧者の皆様にご覧いただくために、ここに書きます。別人でも外部で連絡を取り口裏を合わせれば多重アカウントと疑われます。口裏ではないという反論も困ります。投稿ブロック解除依頼作成の手引きAppealing a blockをご参照ください。
  • 加藤晃生さんのリンク先は拝読いたしましたが、加藤晃生さんの発言は、153.202.129.34さんのコメント通り検証可能性に問題があります。掲載を希望する側の方は加藤康生さんに対して論拠の提示をご依頼ください。本人以外がウィキペディア内で論争するのは全く無意味であります。
加藤康生さんのブログは一次資料であります。ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきとなっております。信頼できる情報源において発表・出版されたことがない情報は、それが真実であるか否かにかかわらず、採用しない決まりとなっております。議論している分野において、修士以上の学位、もしくは実証可能な形で公表された専門知識を有する人によるものを情報源に使うことが求められております。加藤康生さんは社会学の修士をお持ちのようですが、映画産業に関する著作は表示されておりませんので「議論している分野において」の専門知識ではありません。「実証可能な形で公表された専門知識」においても、ご本人の言葉以外はパッケージの氏名のみとのことであります。しかし、二次資料を提示されれば問題は解決されます。部外秘ではない実証可能な公表された情報をお持ちならば、それの提示を依頼すれば良いわけです。これは、ご本人でなければ分からないことであります。
  • 153.202.129.34さんのコメント通りケースabcの検証が必要な記事は、適切な典拠・情報源を用意し検証を済ませた後に記事を掲載しなければなりません。ウィキペディアは検証の場ではありません。他のスタッフの氏名を記載すれば可という問題でもありません。スタッフ名のみでは著名人であっても実証可能ではありません。加藤康生さんの氏名をスタッフ欄以外に記載するためには、他の情報源と矛盾がないか確認する必要があり、出典を示す責任は掲載を希望する側にあります。すなわち加藤康生さんに二次資料の有無をお尋ねする以外にないのであります。修士の学位をお持ちの方ならば、その重要性は理解されるはずです。証明可能な材料のない「予測の文章」であるならば、加藤康生さんがウィキペディアの外で自由に語られた文章でありますので掲載は不可となります。掲載を希望する皆様はWikipedia:ウィキペディアは何ではないかをご説明するまでもないとお見受けいたしますので記事は削除させていただきます。同じ話が信頼に足る第三者の情報源によって掲載されていることを確認されるまで、再度の記載はお控え下さい。論拠の有無の返答のない間は、[要出典]・[未検証]・[出典の明記]等のテンプレート付での掲載もお控え下さい。検証を済ませた後に記事を掲載しなければならないからであります。検証中に記載することは違反となります。加藤康生さんの文章がウィキペディアの基準に沿うならば、加藤さんご自身によって検証は可能であり、難しいことではないはずです。
なお私は61.192.170.63さんの多重アカウントではありません。栃木在住のしがないWikiゴロであります。ブロック中の61.192.170.63さんに罪を着せぬように願います。--210.167.235.18 2016年3月20日 (日) 16:38 (UTC)
  • コメント 上の210.167.235.18の続きです。驚きました。私の削除した「批判」の文章は6分で復元されました! 夜中の2時だったのですが…。復元した153.205.40.239さんは153で始まるので、これまでと同じ人物であるはずです。寝ずに番をされてるのでしょうかね。
  • 戻しを繰り返し、自分の編集を押し通そうとすることは「編集合戦」であります。ウィキペディア日本語版では、編集合戦は禁止されております。
私はもう論争はいらないと良い提案をしたと思うのですが。加藤康生さん本人にお任せすることが最良であります。加藤康生さんに証明できないのであれば、ウィキペディアの検証可能な記事とはならず、ウィキペディアの外で書かれた自由なブログであります。私からリンク先の加藤康生さんのブログに、検証のための情報を提示するお願いのメッセージを送りました。「Wikipedia:検証可能性」に則った第三者による二次資料の提示のお願いを書きました。コメント欄は閉鎖されていましたが、ファン申請のメッセージ欄に書き込むことができましたので、ご本人には情報が届いているはずです。きっと何か情報を書いて下さるでありましょう。何もなければ記事は「検証可能」ではないことになります。
(追伸)加藤康生さんにはリンク先のページへの書き込みをお願いいたしました。--210.167.235.18 2016年3月21日 (月) 00:06 (UTC)
  1. Wikipediaの記述で、適切に資料が扱われているかを議論するのは、意味があります。
  2. しかしながら、資料の中身が正しいかどうかを議論するのは、Wikipediaの領分ではありません。ましてや、当事者との議論の場として利用しようとするのは、完全に目的外利用です。
  3. 1,2の区別が つかないのであれば、Wikipediaが何をする場所かをあなたは理解できていません。
  4. あなたが加藤氏と議論したいのなら、Wikipedia以外の場所を利用してください。例えば、Twitterが使えます。Twitterでの議論を残すにはtogetterが便利です。ここにはアクティブな人が多いので、コメントもつきやすいかと思います。
    ニコニコ大百科であれば、持論を述べることが許されます。また、動画を使った解説、例えばDVDから場面を引用して説明を行うことが可能です。映画本編の視聴も可能です(有料)。なお、ニコニコ大百科に「アラトリステ」の項目はまだありません。

私にできる助言はこれで最後です。 --Yhiroyuki会話2016年3月21日 (月) 04:37 (UTC)

61.192.170.63 です。今回のブロックを無期限とされなかったのは、上記の長く複雑な文章をお読みいただいた結果と受け止めております。ありがとうございます。210.167.235.18 さんにも感謝いたします。確かに仰る通りだと思います。
加藤康生氏の記事はabcと複数の検証が可能です。そしてウィキペディアは検証の場ではありません。つまり、検証は事前に、ウィキペディアの外で行われるべきものです。また、要出典テンプレートを貼っての記載も不可です。ウィキペディアの中で誰も出典を特定できないことは、すでにこのノート・ページで語り尽くされています。つまり、二次資料については、文章の執筆者である加藤康生氏にしか分からない。加藤氏が検証可能な情報を示された時に、初めて、記事は掲載可能となるわけです。
ウィキペディアの『誰か』が加藤康生氏と議論する必要は(当然ながら)ありません。加藤康生氏はウィキペディアの外で自由に文章を書かれています。二次資料について掲載しない自由もお持ちです。ウィキペディアは、ただ待つだけです。そして、現状では記事は削除となります。『検証可能でない文章≠記載したままでよい』だからです。加藤康生氏のブログに二次資料について記載された時に、この文章は晴れて掲載可能となります。
繰り返しますが、「要出典」付きも不可です。すでに加藤康生氏に対して出典の提示が依頼され、待つ間は掲示を控えるべき案件だからです。153のIPアドレスの方は前回、210.167.235.18 さんの削除を無言で取り消し、文章を復元されました。これは余りにも乱暴です。私も削除を行わせていただきますが、文章の復元は二次資料の提示後にお願いいたします。
8年前にも、このノート・ページではブロックが行われました。全員が「誤訳だ」と同じことを言っているから同一人物だと指摘されましたが、実際は何人もの映画ファンが書き込みを行っていました。皆が初心者だったために、なぜウィキペディアから排除されるのか理解できず、戸惑いながら立ち去ったのです。そして、ブロックの結果(もちろん直接の責任はありませんが)、誤訳の残ったDVDが発売され、主演俳優までが発言し、現在に至っております。
今回、私 61.192.170.63 がこのページに書き込むことは、多くの主演俳優ファンや映画ファンが知っていました。しかし、再び多重アカウントとして排除されることを避けるために、私が書き込み不能となるまでは、他の方は手出しをしないことになっていました。そして、私に代わる「次の方」が書き込みを引き継ぐ時は、別人だと分かるようにIPアドレスを使うはずでした。アカウントはブロックの口実にされると分かっていたからです。
私61.192.170.63 の他に書き込んで下さった皆さんは、事前の連絡で加藤氏について確認を取ったDVD関係の方や、日頃から『コメント依頼』を見ていらっしゃるウィキペディア関係の方々です。(ありがとうございました)。アカウントをお持ちの Bompkin さんが義憤に駆られて参加されたことはイレギュラーでした。
María de Castro さんは、もうアカウントは利用されないと思います。Bompkin さんは私に対して、「書き込みを止めるから、このままで良い」と言われました。しかし、同じことを書いていても同一人物と限らないことは、8年前と同じです。ブロックの取り消しについて、再度のご配慮を、どうか宜しくお願い申し上げます。--61.192.170.63 2016年3月24日 (木) 14:32 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。すでにアルトクールさん、Uniontourさん、Yhiroyukiさんが説明されているように、自主公表された情報源や信頼性に乏しい情報源であっても、当事者の発言は出典として使用することができます。また、ウィキペディアでいう「検証可能性」とは、出典の中身が真実かどうかを検証するということではありませんから、「加藤康生氏のブログに二次資料について記載された時」まで記載を見送る必要はないはずです。Wikipedia:検証可能性をご確認ください。
  • アカウントであろうがIPであろうが、61.192.170.63さんがブロックされた後に「『次の方』が書き込みを引き継ぐ」ようなことがあれば、実際に「中の人」が同一人物かどうかにかかわらず、利用者:Coinnto会話 / 投稿記録利用者:61 200 132 7当時会話 / 投稿記録と同じく投稿ブロックの対象となりえます。--153.163.24.186 2016年3月24日 (木) 15:52 (UTC)
153. のアカウントの方に反論いたします。『別物』という発言ではなく、無名の『加藤康生氏』自身に対して、二次資料が必要だと申し上げています。
第一に、加藤康生氏は『当事者』ではありません。字幕翻訳の当事者は、公表されている限り佐藤恵子氏です。加藤康生氏は、佐藤恵子氏と仕事をしたとも証明できません。どなたか氏名も不詳の人物とドアの壊れた寒い喫茶店で会ったと『私的ブログ』に記述があるだけです。佐藤恵子氏は上場企業の部長で、事業母体である字幕部門の最高責任者ですよ。
『監修者』の仕事内容が字幕の執筆だったなどと認める二次資料も存在しません。劇場版の字幕がDVDで修正されたという公式の文書すら存在しないのです。劇場版の字幕とDVDの字幕の差異も証明できません。全ては無名の加藤康生氏が『私的ブログ』で自由に書いている情報です。公式に認められるのは、パッケージの『監修者』という三文字のみで、まず、加藤康生氏について、実際に何をしたかを証明する二次資料が必要です。監修が実際にどの程度の仕事であったか。単なるお飾りとどこが違ったかが二次資料によって証明されなければなりません。加藤康生氏がスペイン語を解さないことは、加藤氏自身がブログで明言し、スペイン語の翻訳者で有り得ないことだけは証明されています。
  • 映画産業における実績もない無名の人物の、公式ではない『私的ブログ』の、誰も保証しない発言は、信憑性を疑われようと文句は言えず、証明あるのみです。153. さんも、いくら何でも、二次資料なしで百科事典に何でも書けると本気で信じてはおられないでしょう。『Wikipedia:検証可能性を見ろ』ではなく、具体的に文章を組み立てて反論をお願い致します。
第二に、『別物と語った』という文章には、文字通り何の意味もありません。字幕に限らず、別人が関わった物事は、全て『別物』になるからこそ、この世には著作権や知的財産権が存在します。別人の作品が『同一』になったらコピペやパクリだからです。劇場版の字幕翻訳者とDVDの字幕翻訳者が別人ならば、『別物』なのは当然すぎて、ウィキペディアに明記すべき事柄ではありません。仮に劇場版の字幕翻訳者について氏名まで伏せられているならば、『別物』とすらも証明できません。『別物だと語った』よりも、『「大ヒット公開中」と宣伝された』の方が、宣伝素材という二次資料が存在するだけ事実に近いというレベルの陳腐な文章です。加藤氏の発言に、特筆すべき『余程の事情』があるとも証明されていません。劇場版の字幕が修正されたという公式の記事すら、存在しないことは申し上げました。字幕修正は、ファン宛ての個人メールで通知されており、二次資料には当たりません。加藤氏の発言には、ウィキペディアに記載する根拠が全く存在しません。
153. さんは、61.192.170.63 を無期限ブロックに追い込むことで、ご自分の主張を押し通そうと計画されています。61.192.170.63 の会話ページに「多重アカウントではないか」と、Yhiroyuki さんと同様の書き込みを行っていますが、それがなぜ多重アカウントの証明になるのか意味不明です。私が何か返答したら、それで再びブロックと確定し、問題の文章は永遠にウィキペディアに残るのでしょうか?
153. さんは問題の文章の復元をすでに数回、実行され、210.167.235.18 さんの削除を6分で取り消す際は、コメントすら書かれませんでした。自分に反論する人間が別に現れたら、それだけで「ブロックだ」と、独善的な発言も見受けられます。153. さんは『加藤康生氏が発言した』という、スペイン映画にとって極めて些末な文章に拘る余りに、『荒らし』行為に陥っていますので、警告をさせていただきます。--61.192.170.63 2016年3月24日 (木) 23:31 (UTC)
61.192.170.63 です。現在、別々の方に削除されるたびに復元されている文章は、「DVDは(字幕訂正があったので)字幕が別物になる」というものです。荒らしとして告発しようとしたところ、また別のアカウントの方によって、先方に貼ったテンプレートが削除されました。どうぞご覧ください。
皆様にお尋ねいたします。劇場版の字幕担当者と交代して、別の翻訳者がDVDの字幕を担当したら、「別物」以外の何になるでしょう。「同一」になればコピペです。「別物」以外の何物にもなり得ません。
発言している加藤康生氏は、映画産業に関する限り何の実績も示せない無名の素人です。素人さんが「別物になる」と、当たり前すぎることを発言しているコントのような文章です。
著名な字幕翻訳者であり、確固たる経歴も証明されている佐藤恵子氏が「DVDの字幕に誤りはない」と発言されるなら、その言葉には重みがあり、当然、根拠も示されます。しかし、経歴も定かでなく実績も皆無の、何者なのかもはっきりしない人物が、根拠(証拠)もなく私的なブログに書いた文章は、二次資料なしではウィキペディアに掲載できません。加藤康生氏は、誰かも定かでない氏名不詳の人物と、扉の壊れた寒い喫茶店で会ったと私的ブログに書いているだけです。これは、翻訳者である佐藤恵子氏と仕事をしたという証拠にはなりません。佐藤恵子氏は資本金25億近い上場企業の上級職ですよ。つまり、臨時雇いである加藤康生氏の『監修者』という仕事が、本当はどの程度のものだったかを示す資料は、本人の私的なブログ以外に存在しないのです。そして、字幕が別物なのは、前述の通り当たり前すぎて発言する意味すらないことです。
本人の言葉以外に業績を示せない臨時雇いの素人さんが、当たり前のことを仰々しく述べて、何か意味ありげに見せかける発言は、ウィキペディアには必要ありません。加藤康生氏に証明できるのは、DVDのパッケージに氏名が記されているという一事だけです。
誤訳の責任は佐藤恵子氏が黙って背負われます。加藤氏は、責任を取ることすら許されない臨時雇いです。加藤康生氏の氏名にも、その発言にも、何の価値もありません。ゆえに記事は削除されます。残酷でもそれが現実です。お嫌ならばご自分の手で削除し、過去に囚われることなく、再出発されることを切に願います。--61.192.170.63 2016年3月26日 (土) 11:25 (UTC)