ネヴィル・ホワイトヘッド

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ネヴィル・ホワイトヘッドNeville Whitehead)は、1970年代にイギリスフュージョン・コミュニティで活発なメンバーであったニュージーランドベーシストにして弦楽器製作者。

ホワイトヘッドは、1960年代後半に、エルトン・ディーンと一緒に、キース・ティペットのセクステットで演奏することがあった[1]。キース・ティペット・グループの『デディケイテッド・トゥー・ユー』(1971年)にも参加している。ホワイトヘッドは、1970年後半にエルトン・ディーン、ロバート・ワイアットマーク・チャリグとライブで演奏し[1]、ワイアット自身の『ジ・エンド・オブ・アン・イアー』(1970年)でワイアットと一緒に演奏している。2人とも、1971年のベルリン・ジャズ・フェスティバルのニュー・ヴァイオリン・サミットにおいて、ジャン=リュック・ポンティ、ドン・"シュガーケイン"・ハリス、マイケル・ウルバニアク、ギタリストのテリエ・リピダルらと共演した[2]。ホワイトヘッドは、ソフト・マシーンの『ライヴ・イン・コンサート 71』(1971年)[3]、ハリスの『Sugar Cane's Got the Blues』(1972年)、およびニール・アードレイ / イアン・カー / ドン・レンデルのアルバム『ギリシャ変奏曲』(1970年)の一部の収録曲にも参加した。

1967年、ホワイトヘッドはチャーリー・マンロ(サックス、チェロ)、マーク・ボーデン(ドラム、パーカッション)、ボブ・マックアイヴァー(トロンボーン)と共にチャーリー・マンロ・カルテットのアルバム『Eastern Horizons』をレコーディングした。

ホワイトヘッドは、1971年にロンドンのモルガン・スタジオでボブ・グリムのアルバム『Akasha』に楽曲を録音。これはボブがフランキー・ヴァリのフォー・シーズンズを脱退した後のことだった。

ホワイトヘッドは1971年にエルトン・ディーン・カルテットの一員を務め、アルバム『エルトン・ディーン』(別名『ジャスト・アス』、1971年)に参加している。ホワイトヘッドは1972年にジャスト・アスとしてライブ公演のためのバンドに残った。その後、アイソトープの『ディープ・エンド』(1976年)に参加。

1970年代半ば、ホワイトヘッドはモーリス・パートとピーター・ロビンソンと共にサン・トレイダーのセカンド・ラインナップのメンバーを務めた。彼はアルバム『The Music of Morris Pert』(1975年)収録の「Chromosphere」をレコーディングしている。

ホワイトヘッドは1969年から1983年までイギリスに暮らしており、弦楽器製作者のギンペル・ソロモンとの弦楽器製作者としての見習いを終えた後、弦楽器製作者として働くようになっていった。

ホワイトヘッドは、1978年の最初のマン島・国際ダブルベース・コンクールとワークショップにおいて弦楽器製作者として仕事した。

ホワイトヘッドは現在、オーストラリアに住んでおり、ベースの弦楽器製作者として働いている。

脚注[編集]

  1. ^ a b Elton Dean on Calyx
  2. ^ Dryden, Ken. “New Violin Summit”. Allmusic. 2010年4月6日閲覧。
  3. ^ Kelman, John. “BBC in Concert 1971”. All About Jazz. 2010年4月6日閲覧。

外部リンク[編集]