ディヴィジオン・ナシヨナル1938-1939

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ディヴィジオン・ナシヨナル
2回目の優勝を決めたFCセト
シーズン 1938-1939
優勝 FCセト (2回目)
降格 FCアンティーブ
RCルーベ
得点王 フランスの旗 ロジェ・クルトワ (27)
ハンガリーの旗 デジレ・コラーニィ (27)

ディヴィジオン・ナシヨナル1938-1939フランスのプロサッカーリーグ1部、シャンピオナ・ドゥ・フランス・ドゥ・フットボールの第7回目のシーズンである。FCセトが2回目の優勝を決めた[1]

方式[編集]

16クラブによるホーム・アンド・アウェー総当たり・全30節のリーグ戦である。1位は優勝、下位2クラブは自動降格する。

出場クラブ[2][編集]

クラブ 直近昇格 在籍年数
FCアンティーブ 1932 7
ASカンヌ 1932 7
SCフィヴ 1932 7
ル・アーヴルAC 1938 1
RCランス 1937 2
オランピック・リロワ 1932 7
オランピック・ドゥ・マルセイユ 1932 7
FCメス 1935 5
RCパリ 1932 7
エクセルシオールACルーベ 1932 7
RCルベ 1936 3
FCルーアン 1936 3
ASサンテティエンヌ 1938 1
FCセト 1932 7
FCソショー 1932 7
RCストラスブール 1934 5

順位表[編集]

チーム 出場権または降格
1 FCセト (C) 30 19 4 7 65 36 +29 42
2 オランピック・ドゥ・マルセイユ 30 18 4 8 56 34 +22 40
3 RCパリ 30 15 8 7 58 43 +15 38 クープ・ドゥ・フランス1938-1939優勝
4 ASサン=テティエンヌ 30 14 7 9 46 30 +16 35
5 オランピック・リロワ (サッカー) 30 14 6 10 42 38 +4 34
6 FCソショー 30 14 4 12 65 39 +26 32
7 RCランス 30 11 9 10 51 42 +9 31
8 FCメス 30 12 7 11 49 46 +3 31
9 SCフィヴ 30 13 5 12 57 54 +3 31
10 RCストラスブール 30 10 8 12 39 43 −4 28
11 ル・アーヴルAC 30 11 6 13 48 59 −11 28
12 ASカンヌ 30 11 5 14 47 62 −15 27
13 エクセルシオールACルベ 30 8 8 14 60 71 −11 24
14 FCルーアン 30 6 9 15 31 48 −17 21
15 FCアンティーブ (R) 30 6 9 15 21 54 −33 21 ディヴィジオン・アンタルレジオナール降格
16 RCルベ (R) 30 4 9 17 31 67 −36 17
出典: gallica.bnf.fr
順位の決定基準: 勝利: 勝ち点2, ドロー: 勝ち点1, 負け: 勝点0
(C) 優勝; (R) 降格.

昇降格[3][編集]

1部昇格 レッドスター・オランピック スタッド・レネUC
2部降格 FCアンティーブ RCルベ

得点ランキング[編集]

順位 選手 国籍 クラブ 点数
1 ロジェ・クルトワ フランスの旗 フランス FCソショー=モンベリアール 27
- デジレ・コーラニィ ハンガリーの旗 ハンガリー民主共和国 / フランスの旗 フランス FCセト 27
3 ノルベール・ヴァン・ケヌゲン フランスの旗 フランス SCフィヴ 24
4 アンリ・イルトル ドイツの旗 ドイツ国 エクセルシオールACルベ 18
5 エマニュエル・アズナール フランスの旗 フランス オランピック・ドゥ・マルセイユ 16
- アントワーヌ・フランチェスケッティ フランスの旗 フランス ASカンヌ 16
- アレッサンドロ・フリジェリオ スイスの旗 スイス ル・アーヴルAC 16
- イニャス・タックス  オーストリア ASサン=テティエンヌ 16

データ[編集]

シーズンハイライト[編集]

  • 枢軸国との緊張が高まる中、ソショーのフランス代表選手でスイス系のマクシム・レーマンが殺害予告を受け、スイスに逃亡した。また日程の延期も発生している。
  • FCアンティーブは第16節までに25人ものフォワードを起用したが、チームとしてわずか9ゴールしか挙げられなかった。
  • エクセルシオールACルーベのDFアルベール・デュルストは、7シーズン連続全試合出場 (計194試合)を達成した[4]。クープ・ドゥ・フランスでは25試合連続出場も記録している。
  • 戦争の不安の高まりは試合の延期を招き、結果的に前半戦の日程を過密化させた。優勝争いは後半戦に入ってラシンが第22節から第27節まで首位をキープ、FCセトとマルセイユがこれを追いかけた。順延された2試合、セト - ラシン戦とストラスブール - マルセイユ戦が1939年5月29日に開催され、試合前の時点で南仏の2クラブが勝ち点40で並び、これにラシンが勝ち点38で続いた。セトは5-0でラシンを下し、マルセイユは押し込みながらもストラスブールに1-0で敗れ、またもセトがマルセイユを振り切って2回目の優勝を決めた[5]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ PALMARÈS LIGUE 1: TOUS LES CHAMPIONS” (フランス語). フランスサッカー連盟 (2021年2月2日). 2023年4月14日閲覧。
  2. ^ Ligue 1 1938/1939 » Équipes” (フランス語). Mondefootball.fr. 2023年4月27日閲覧。
  3. ^ Saison 1938/39” (フランス語). paris-et-gagne.com. 2023年4月24日閲覧。
  4. ^ Albert Dhulst” (フランス語). paris-et-gagne.com. 2023年4月27日閲覧。
  5. ^ Le FC de Sète est Champion de France de Division Nationale” (フランス語). L'Ouest-Eclair (1939年5月30日). 2023年4月27日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]