セダンの戦い

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セダンの戦い
Karte zur Schlacht bei Sedan (01.09.1870).jpg
セダンの戦い
戦争普仏戦争1870年7月19日1871年5月10日
年月日1870年9月1日
場所フランス北東部アルデンヌ県スダン近郊
結果プロイセン王国の勝利
交戦勢力
プロイセン王国の旗 プロイセン王国
バイエルン王国の旗 バイエルン王国
フランスの旗 フランス帝国
指揮官
Flag of the Kingdom of Prussia (1803-1892).svg ヴィルヘルム1世
Flag of the Kingdom of Prussia (1803-1892).svg 大モルトケ
フランスの旗 ナポレオン3世
戦力
200,000
火砲 774門
120,000
火砲 564門
損害
戦死傷 9,000 戦死傷 17,000
捕虜・降伏103,000
普仏戦争

セダンスダンの戦い(セダンのたたかい、: Schlacht von Sedan: Bataille de Sedan)は、普仏戦争における戦いの1つ。この戦いに参加したフランス軍戦力は全面降伏した上、最高司令官たるナポレオン3世が捕虜となったため、戦争の趨勢を定めた戦いとなった。

概要[編集]

メス攻囲戦でフランス陸軍主力がドイツ第1軍及び第2軍に包囲されていたため、これを救援すべくシャロンで陸軍を編成した。これに気付いた大モルトケ率いるドイツ軍は第3軍をもってフランス軍を急襲、打撃を被ったフランス軍は一時撤退して、弾薬の補給と兵士の休息を行った。間もなく第3軍はセダン(スダン)に到着、フランス軍はこれを確認するも、軍の消耗のために直ちに撤退することはできなかった。そのため包囲されたまま、セダンで戦うこととなった。フランス陸軍は包囲を突破する努力を続けたが、火砲を駆使するプロイセン軍により、司令官のマクマオン将軍が負傷し、兵員も多数負傷したため、降伏するに至った。

ナポレオン3世の体たらくにフランス国民は失望し、フランス第二帝政は終焉を迎えた。とはいえ戦争は終わらず、メス攻囲戦はフランスの敗北という結果となったが、この後も普仏戦争は続いた。