ジョージ・ジーヴァージー・ラーオ・シンディア

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ジョージ・ジーヴァージー・ラーオ・シンディア
George Jivaji Rao Scindia
シンディア家当主
グワーリヤル藩王
ジョージ・ジーヴァージー・ラーオ・シンディア
在位 1925年 - 1947年
戴冠式 1936年6月26日
別号 マハーラージャ

出生 1916年6月26日
グワーリヤル
死去 1961年7月16日
ボンベイ
子女 マーダヴ・ラーオ・シンディア
家名 シンディア家
父親 マードー・ラーオ・シンディア2世
宗教 ヒンドゥー教
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ジョージ・ジーヴァージー・ラーオ・シンディア(George Jivaji Rao Scindia, 1916年6月26日 - 1961年7月16日)は、 北インドシンディア家の当主(在位:1925年 - 1961年)およびグワーリヤル藩王国の君主(在位:1925年 - 1947年)。単にジーヴァージー・ラーオ・シンディア(Jivaji Rao Scindia)とも呼ばれる。

生涯[編集]

ジーヴァージー・ラーオのコイン(1942年

1916年6月26日、ジョージ・ジーヴァージー・ラーオ・シンディアはシンディア家当主であり藩王のマードー・ラーオ・シンディア2世の息子として生まれた[1]。その名の一部である「ジョージ」は当時のイギリス国王ジョージ5世にちなんで名付けられたものである[1]

1925年6月5日、マードー・ラーオは死亡し、ジーヴァージー・ラーオがその地位を継承した[1]

1936年6月26日まで、ジーヴァージー・ラーオは摂政評議会の下で統治し、以降は自身で統治をはじめた[1]

1947年8月15日インド・パキスタン分離独立時、ジーヴァージー・ラーオは帰属先をインドとし、その領土はインドへと併合された[1]

1961年7月16日、ジーヴァージー・ラーオはボンベイで死亡した[1]

出典・脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f Gwalior 5

関連項目[編集]