ジョン・ブラック

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ジョン・ブラック (Sir John Paul Black, 1895年 - 1965年)は、スタンダード=トライアンフ自動車などイギリスの自動車産業においていくつもの重要な地位にいた人物。

ジョン・ブラックは1895年2月10日にジョン・ジョージ・ブラックとエレン・スミスの子としてキングストン・アポン・テムズで生まれた。ロンドン大学で法学を専攻。第一次世界大戦中は海軍義勇予備隊 (Royal Navy Volunteer Reserve)、王立戦車連隊(Royal Tank Regiment)に従軍し、Captainとなっている。

戦後、ヒルマンの販売担当部長となる。1921年にウィリアム・ヒルマンの娘のひとりデイジーと結婚。その後すぐに同じくヒルマンの娘と結婚したスペンサー・ウィルクスと共に共同社長を務める。1928年、ヒルマン社がハンバー社に買収されると、ハンバーとコマー (Commer) 社の役員となる。

1929年、ハンバー(およびハンバー傘下のヒルマン、コマー)はルーツ・グループに買収される。ジョンはスタンダード自動車に移り、1933年に社長となる。戦争の気配が濃厚となるとジョンはイギリス政府のシャドウ・ファクトリー構想を熱心に後押しし、軍需品製造契約を獲得し、2工場を運営した。

第二次世界大戦中、ジョン・ブラックは航空エンジン委員会の議長を勤め、1943年にナイトを授与されている。

戦争後期、トライアンフを買収し、1953年スタンダード=トライアンフの会長となる。1953年末、スワロー・ドレッティ (Swallow Doretti) のデモンストレーション中に事故に遭う。これが元で経営に支障をきたすようになり1954年1月に経営から手を引く。実際は辞めさせられたのだが、当時は健康の為の引退と発表された。

引退後は田舎に引っ込むが、1965年12月24日に突然なくなる。70歳であった。

結婚は2度している。最初は、ヒルマン・デイジーと1939年まで、その後アリソン・ジョアン・ペアズと結婚し、ヒューゴ(Hugo)、スチュアート(Stuart)、ニコラス(Nicholas)の三男を儲けた。

参考[編集]