シーホース (イギリス潜水艦)

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シーホース (HMS Seahorse) はイギリス海軍潜水艦S級の第1グループ。

艦歴[編集]

チャタム工廠で建造[1]。1931年3月16日発注[1]。1931年9月14日起工[1]。1932年11月15日進水[1]。1933年10月2日就役[1]

1938年9月22日、駆逐艦「フォックスハウンド」と衝突[2]

第二次世界大戦[編集]

1939年8月24日に「シーホース」はダンディーより出航し、スタヴァンゲル南西の哨区へ向かう[1]。9月5日、ダンディーへの帰路、「シーホース」はイギリス空軍第233飛行隊のアンソンから爆撃された[3]。最初の潜水時に後部の水平舵が動かなくなり、浮上後に再度潜水した際に海底に衝突してアスディックドームが破損した[4]。9月6日、ダンディーに帰投[1]

9月16日、ダンディーより2度目の哨戒に出発[1]。9月17日、「シーホース」は北海でデンマーク船「N.J. Ohlsen」を攻撃中のドイツ潜水艦「U36」に対し魚雷3本を発射したが外れた[1][5]。10月2日、ダンディーに帰投[1]

10月17日、ロサイスより3度目の哨戒に出発[1]スカゲラク海峡へ向かう[1]。10月30日、潜水艦を発見するが、攻撃前に潜水されてしまった[1]。10月31日、ロサイスに帰投[1]

11月12日、Blythより4度目の哨戒に出発[1]。オランダの北西へ向かう[1]。11月18日、駆逐艦2隻を発見するが攻撃は行えなかった[1]。11月28日、Blythに帰投[1]。12月13日に5度目の哨戒に出発するが、呼び戻され12月15日にBlythに戻った[1]

「シーホース」は12月26日にBlythから6度目の哨戒に出発し、帰還しなかった[6]。「シーホース」の沈没理由については次のような可能性が上げられている。

  • 1940年1月7日にドイツの第1掃海隊がヘルゴラント島の西20浬で浮上中の潜水艦を発見し、その潜水艦の潜水後に爆雷攻撃を行っており、それによって「シーホース」は撃沈された[7]。なお、第1掃海隊は攻撃の成果は確認していない[8]
  • 12月29日にヘルゴラント島の南西で機雷原啓開船「Sperrbrecher IV Oakland」が「シーホース」を沈めた[7]。「Sperrbrecher IV Oakland」は潜望鏡らしきものを発見後に水中の物体に衝突しており、多量の油も確認している[7]
  • 命令通りであれば「シーホース」は12月29日に南へ向かっているはずであるが、その経路上にはドイツの対潜機雷が3か所に敷設されており、そのいずれかの場所は潜航状態で通過したはずである[9]。その際、「シーホース」は触雷した[9]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s uboat.net
  2. ^ Amazon to Ivanhoe, p. 85
  3. ^ No Room for Mistakes, 5 '. . . the Dangers of the Sea'
  4. ^ uboat.net, Friend or Foe, p. 95
  5. ^ No Room for Mistakes, 6 A Slight Drizzleには、9月12日に商船攻撃中のUボートを雷撃とある。
  6. ^ uboat.net, Beneath the Waves, Part 4 The Second World War (It was only ~, There seems every ~)
  7. ^ a b c Hitler's Forgotten Flotillas, Combat in the North Sea
  8. ^ Beneath the Waves, Part 4 The Second World War (At 1318 a ~)
  9. ^ a b No Room for Mistakes, 11 Negative Flag

参考文献[編集]

外部リンク[編集]