サッチウィーブ

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サッチウィーブ(Thach Weave)は太平洋戦争時に、アメリカ海軍ジョン・S・サッチ海軍少佐が編み出した、戦闘機による空中戦の基本戦術で零式艦上戦闘機(零戦)とのキルレシオを逆転させた戦法の一つといわれている。 サッチ自身はこの戦法を「ビーム・ディフェンス・ポジション」と命名し、空中戦における防御戦術と位置づけていたが、ミッドウェー海戦以降の実戦で、防御だけではなく攻撃にも有効であることが実証され、且つ動きが「ウィーブ」(機織り)の糸を織る動きに似ていることから、後にサッチ・ウィーブ(サッチの機織り)という通称で呼ばれるようになった。

概要[編集]

戦闘機同士の空中戦は、第一次世界大戦では1対1の格闘戦(ドッグファイト)が中心であったが、第二次世界大戦が始まる頃には、2機でチームを組み、敵機を攻撃するリーダーとリーダーの後方を支援するウィングマンを配する、エシュロン隊形ロッテ戦法)が中心となっていった。 一般的に、リーダーには経験豊富なベテランを、ウイングマンには新人を配することが多かったが、実際に空中戦が始まると操縦テクニックに勝るリーダーの動きにウィングマンがついていけず、結果的にリーダーと敵機との1対1の格闘戦になってしまい、エシュロン隊形の強味が発揮できないという弱点が指摘されていた。

サッチウィーブの特徴は、ウィングマンの後方支援を機能させるために、敵機に背後を取られた場合の回避手順を決めたことにある。その結果、日本軍機(特に零戦)とのキルレシオが改善されたため、あえて敵機に背後を取らせるというおとり戦法としても使われた。

太平洋戦争中期以降の米軍の空中戦においては、エシュロン隊形からのダイブ・アンド・ズーム(一撃離脱戦法)によって日本軍機を攻撃、その攻撃がかわされた場合や日本軍機に背後をとられた場合にサッチウィーブの罠に陥れるという戦術がとられたが、ダイブ・アンド・ズームが第二次大戦以降はほとんど使われなくなったのに対し、サッチウィーブはその後の朝鮮戦争、ベトナム戦争、及び今日の空中戦においても使用され、いまだに空中戦の基本戦術の一つとされている。

なお航空戦術は高度な軍事機密であるが、ダイブ・アンド・ズームが太平洋戦争中から日本軍にも知られていたのに対し、サッチウィーブの存在が日本でも知られるようになったのは終戦後である。

基本戦術[編集]

必ず2機編隊を組む。 敵機に背後をとられた場合、背後を取られた戦闘機(罠機)は僚機の前をSの字型に飛行、僚機(フック機)は逆Sの字型に飛行し敵機と交差する、敵機と交差する際に僚機が敵機に対して銃撃を浴びせる、というものである。

The basic Thach Weave, executed by two wingmen.

戦法そのものは非常にシンプルなものであるが、サッチはエシュロン隊形のリーダーとして出撃したミッドウェー海戦で、初めてサッチウィーブをテストし零戦を1機撃墜、またその時のウィングマンであり、米海軍最初のエースパイロットとなったエドワード・オヘアは、2機の零戦を撃墜したとされている。

その後、一撃離脱戦法とサッチウィーブの組み合わせにより、F4F ワイルドキャットと零戦とのキルレシオは劇的に改善されたといわれている。 (米軍の公式記録によれば、太平洋戦争での零戦とF4Fのキルレシオは開戦当初からミッドウェー海戦までで1:1.7、サッチウィーブと一撃離脱戦法導入後の実績を加えた1942年の年間キルレシオで1:5.9、太平洋戦争全体を通じたキルレシオは1:6.9とされており、サッチウィーブの効果が証明されている。)

日本軍機の対応[編集]

サッチウィーブを効果的に実施するためには、空中戦の最中においても、無線機での会話を通じたリーダーとウィングマンの連携が不可欠であるとされている。 そのため、十分な性能の無線機を搭載していなかった日本軍機は、僚機との連携がとれずサッチウィーブを採用できなかっただけでなく、サッチウィーブの罠に陥っていることにも気が付かない場合が多かったとされている。

外部リンク[編集]

YouTube : サッチウィーブ説明動画