クォンセット・ハット・スタジオ

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クォンセット・ハット・スタジオ (Quonset Hut Studio) は、アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビルミュージック・ロウに存在したレコーディング・スタジオ。当初ブラッドリーズ・フィルム・アンド・レコーディング・スタジオ[1]、のちにコロムビア・スタジオBとして知られた。この地域で初のメジャーなレコーディング・スタジオで、地域はのちにミュージック・ロウとして発展していった[2][3]

起源[編集]

1954年、プロデューサーのオウエン・ブラッドリーは弟のハロルド・ブラッドリーと共にナッシュビルの16番通り南804番地の家を[2]7,500ドルで購入し[4]、撮影および録音スタジオに改築した。ブラッドリー兄弟は1階の床を取り壊して地下の録音スペースに作り替えた。またアメリカ陸軍払下げのクォンセット・ハットを家の裏側に接続し[3][1]、演奏撮影用のテレビ・スタジオとして使用した[1]。1955年、地下が狭く感じるようになり、録音スタジオをクォンセット・ハットに移動した。このレコーディング施設はすぐに成功し、デッカ・レコードコロムビア・レコードからの関心を惹いた。

1962年、ブラッドリー兄弟はこのスタジオをコロムビア・レコードに売却した[5]

パッツィー・クラインの『Crazy 』、ブレンダ・リーの『I'm Sorry 』、ボビー・ヴィントンの『Blue Velvet 』はここでプロデュースされ、ジョニー・キャッシュバーズエルヴィス・コステロサイモン&ガーファンクルなど様々なジャンルのアーティストもここでレコーディングを行なった[6]

1955年から1982年まで伝説的スタジオとして機能していたが、以降事務所に改築された[7]。2006年、慈善家のマイク・カーブがこの施設を買収し、改築した。現在、ベルモント大学の録音実習室として使用されている[7]

脚注[編集]

  1. ^ a b c Kosser, Michael (2006). How Nashville Became Music City, U.S.A.: 50 Years of Music Row. Hal Leonard. p. 12. https://books.google.co.jp/books?id=DL6gHNXWToQC&pg=PA12&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false 
  2. ^ a b Hoobler, James A. (2008). A Guide to Historic Nashville, Tennessee. The History Press. p. 105. https://books.google.com/books?id=Wq1PRKKVhd4C&pg=PA105#v=onepage&q&f=false 
  3. ^ a b Roy, James V. (2004年4月). “RCA Victor Studio B Nashville”. ScottyMoore.Net. 2013年1月31日閲覧。
  4. ^ Kosser, Michael (2006). How Nashville Became Music City, U.S.A.: 50 Years of Music Row. Hal Leonard. p. 11. https://books.google.co.jp/books?id=DL6gHNXWToQC&pg=PA11&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false 
  5. ^ Nashville Skyline: New Life for the Quonset Hut”. Mixonline.com (2009年11月1日). 2013年2月1日閲覧。
  6. ^ Fox, Randy (2012年3月20日). “Back at the Quonset Hut”. WPLN/Nashville Public Radio. 2013年1月31日閲覧。
  7. ^ a b Skates, Sarah (2011年6月30日). “Quonset Hut Hosts Reunion Celebration”. Music Row. 2013年2月1日閲覧。