ガブリエル・クレメンツ

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ガブリエル・クレメンツ
Gabrielle Clements
エレン・デイ・ヘールがクレメンツを描いたとされる肖像画 (1883)
誕生日 1858年9月11日
出生地 USA, フィラデルフィア
死没年 1948年3月26日
死没地 USA, Cape Ann, Massachusetts
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ガブリエル・クレメンツ(Gabrielle de Veaux Clements、1858年9月11日 - 1948年3月26日)はアメリカ合衆国の画家、版画家である。

略歴[編集]

フィラデルフィアで医師の娘に生まれた。母親の祖先に、独立戦争でのサウスカロライナの英雄、フランシス・マリオンがいる[1]。フィラデルフィアの女子高で学び、美術に興味を持ち、フィラデルフィアの女子絵画学校(Philadelphia School of Design for Women) で版画をチャールズ・ページに学んだ。1876年から1880年までニューヨーク州イサカのコーネル大学で、工業製図などを学び、ドイツ中世の画家に関する論文で学士となった[2][3]。1881年から1882年の間、ペンシルベニア美術アカデミーに学び[2]、また1883年に版画をスティーヴン・パリッシュに学んだ[4]。この頃、科学の分野の図版や版画を多く制作した。

この頃、生涯を通して活動を共にする、画家のエレン・デイ・ヘール(1855–1940)と知り合い[2]、ヨーロッパに留学していたヘールに1884年頃、合流し、パリの私立の美術学校、アカデミー・ジュリアンで、ウィリアム・アドルフ・ブグロートニ・ロベール=フルーリーに学んだ[2]。1885年にはヘールと共にサロン・ド・パリに作品を出展した[2]

帰国後、多くの展覧会に出展し、1892年に出版されたシャーロット・ペンドルトン編の詩集の挿絵も描き、ワシントンやボルティモアの教会の壁画も描いた[4]。1895年から1908年の間、ボルティモアの女学校ブリンマー・スクールで美術を教えたのをはじめ[4]、フィラデルフィアやチャールストンでも、時にはヘールとともに美術教室を開き、美術を教えた。

1893年のシカゴ万国博覧会の「女性館」に作品を展示し、1904年のセントルイス万国博覧会や1926年のフィラデルフィアでのアメリカ建国150周年記念博覧会 (Sesquicentennial Exposition) の展覧会にも出展した[5]

ボストンに近いアン岬(Cape Ann)に別荘を購入し、夏の間はヘールと絵を描いて過ごした。1948年にアン岬で死去した。

作品[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ Phyllis Peet (December 19, 2013). Jules Heller and Nancy G. Heller (ed.). North American Women Artists of the Twentieth Century: A Biographical Dictionary. Taylor & Francis. pp. 1561–1563. ISBN 978-1-135-63889-4.
  2. ^ a b c d e Gabrielle de Veaux Clements”. National Museum of Women in the Arts. 2015年3月22日閲覧。
  3. ^ Clements, Gabrielle DeVaux (1858–1948), Painters, Printmakers”. American National Biography Online, Oxford University Press. 2015年3月25日閲覧。
  4. ^ a b c Gabrielle de Veaux Clements papers, 1860–1948, more”. Archives of American Art, Smithsonian Institution. 2015年3月22日閲覧。
  5. ^ Women's Art at the World's Columbian Fair & Exposition, Chicago 1893”. 2018年12月25日閲覧。