アーンスト・ルートヴィヒ・フォン・ゲルラッハ

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アーンスト・ルートヴィヒ・フォン・ゲルラッハ

アーンスト・ルートヴィヒ・フォン・ゲルラッハ(独:Ernst Ludwig von Gerlach, 1795年3月7日1877年2月18日)は、プロイセン判事政治家カール・フリードリヒ・レオポルト・フォン・ゲルラッハの息子で、兄に魔臣として名高いレオポルト・フォン・ゲルラッハを持つ。

略歴[編集]

ゲルラッハは1795年3月7日にベルリンで生まれる。1813年から1815年にかけて第六次対仏大同盟で戦った後に判事としての道を歩み、1935年にはナウムブルク高等裁判所判事となる。その後1829年にハレの地方農業裁判監督となり、1835年にフランクフルト・アン・デア・オーダー高等地方裁判所副裁判長となる。

1848年革命の間、保守的な論調の「十字新聞」の創刊に関わり、それを通じて保守党の意見を押し出し1860年代から1870年代にかけてビスマルクドイツ統一の推進に反対した。 [1]

脚注[編集]