アントニア・ビセンス・イ・ピコルネリ

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アントニア・ビセンス・イ・ピコルネリ
Antònia Vicens i Picornell
誕生 1941年
バレアレス諸島県サンタニー
職業 著作家
言語 カタルーニャ語
国籍 スペインの旗 スペイン
ウィキポータル 文学
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アントニア・ビセンス・イ・ピコルネリカタルーニャ語: Antònia Vicens i Picornell1941年 - )は、スペインバレアレス諸島県サンタニー出身の著作家カタルーニャ語で執筆している[1][2]

来歴[編集]

バレアレス諸島マヨルカ島にあるサンタニーに生まれた。初めて出版した本である短編集『バンク・デ・フスタ』(バンコ・デ・マデラ)は、1965年にカントニグロスの小さな村で賞を取った。小説『39グラド・アロンブラ』(39グラド・ア・ラ・ソンブラ)は、1967年にサン・ジョルディ小説賞英語版で優秀賞を受けた。マジョルカ島という舞台は、この2冊と後の作品の主なインスピレーションの源となっている。1977年にカタルーニャ語作家協会英語版の理事構成員になり、バレアレス諸島州政府の副首相を務めた。そのことがテレシンコのシリーズ番組「モンストゥロス・デ・マドゥルガーダ」を製作する切っ掛けとなった。

いくつかの文学賞を受賞しているが、1999年のサン・ジョルディ十字勲章と2004年のラモン・ジュル・メダルの受賞で彼女のキャリアが総合的に認められた。ただバレアレス諸島州政府の言語的政策に抗議するために、このラモン・ジュル・メダルを辞退した。

著作はドイツ語スペイン語に翻訳されている。2018年にスペイン詩国民賞スペイン語版を受賞した。

著作[編集]

短編小説[編集]

  • 1968年 : Banc de fusta
  • 1980年 : Primera comunió
  • 2005年 : Tots els contes
  • 2015年 : Mort a la deriva

小説[編集]

  • 1968年 : 39º a l'ombra
  • 1971年 : Material de fulletó
  • 1974年 : La festa de tots els morts
  • 1977年 : Pets dins la banyera
  • 1980年 : La Santa
  • 1982年 : Quilòmetres de tul per a un petit cadàver
  • 1984年 : Gelat de maduixa
  • 1986年 : Crònica d' un suicidi
  • 1987年 : Terra seca
  • 1988年 : Algú s'ha cuncagat a ses dutxes
  • 1997年 : L'àngel de la lluna (infantil)
  • 1998年 : Massa tímid per lligar (juvenil)
  • 1998年 : Febre alta
  • 2002年 : Lluny del tren
  • 2007年 : Ungles perfectes

回想録[編集]

  • 1993年 : Vocabulari privat (junto con Josep Maria Llompart de la Peña)

番組制作[編集]

  • 1999年 : Monstruos de madrugada

受賞[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]